「昭和のナンパ男でも言わないような」
「マネージャー、おはようございます」
「え……知里?」
夜の事務所。
業界独特の挨拶で知里が現れると、マネージャーの相田は事務処理の手を止めた。
予想もしていなかった来訪に声がやや上擦ったが、
「昨日はこの通り事務処理の山で同行できなくてごめんなさいね、でも直帰でよかったのに? 何かあった?」
と、すぐにいつもの冷静さを取り戻して、知里に向かって顔を上げた。
「いえ……」
応接用ソファーに腰を下ろす知里、相田はその態度に一瞬、瞳の鋭さを増す。
『おかしいわ、アイツは今日の夜に雇ったプロに知里を襲撃させるって……』
「どうしたんです?」
「な、何でもないわ!」
表情をひきつらせて顔を横に向ける。
持たせている仕事用携帯のGPSで確認した場所も教えてあった、空振りはない筈だ。
「それにしても夜中に事務所に顔を出しちゃダメでしょ、何があるかわからないんだから、タクシー呼んで上げるから帰りなさい」
「用事があったから来たんです」
「夜中の事務所に?」
「はい、マネージャーに会いたかったんです、会って聞きたいことがあるんです」
知里は微笑む。
清らかだ。
営業用ではない、デビュー前からこの微笑みを全国に届けられたら……
この娘はきっと国民的アイドルになる。
相田がそう確信した笑顔だ。
「聞きたいこと?」
「ぜひ理由を教えてください」
「……」
知里からのわざと主語を外した、それも唐突な問いに、相田は黙り込む。
「理由を教えてください」
繰り返す知里。
純粋でどこか浮世離れした娘だが、けっして頭の悪い訳でも勘が鈍い訳でもないのは相田も解っている。
「何のこと……知里?」
微笑んでいた知里の顔が曇った。
しらばっくれた相田を責めると言うより、誤魔化された事を悲しんだ顔。
そのまま……知里は事務所の入口のドアの方を振り返った。
「それはこういう事です」
そこに現れたのは……相田が知里のボディーガードを頼んだ國定道場の面々、そしてナディアに後ろ手を掴まれて渋々と姿を現した崩したスーツを着た男。
昼間に、相田が場末の喫茶店をワザワザ選んで会った男だった。
「……!!」
相田は息を呑む。
この業界で裏の仕事をこなして金を稼ぐ汚ない小悪党だが、雇い主を裏切るようなバカではない、そんな事をすれば二度と美味しい裏の仕事が無くなるからだ。
だとすれば……
「襲ってきた実行犯を返り討ちにしてから問い詰め、この男にたどり着きました、相田マネージャー、あなたはこの男に知里ちゃんが大ケガをしない程度に襲うように依頼したそうですね?」
吐いてしまったのか!?
優太の説明に、相田はナディアに後ろ手を捕まれている男の義務放棄を睨み付けたが、
「無駄だ、実行犯もコイツもかなり根性があったが、陣内流には明治時代から伝わる、いささか人権を無視した拷問……いや、尋問術があってな、その手の幾つかを試した所で実行犯から実行手配犯へ、そして貴女に行き着いた」
香澄が自信たっぷりの薄笑い。
「あ~、そういうのヤダヤダ、私ならスマートに答えるまで左ミドルかな」
「拷問もミドルも下品ですわ、わたくしならシンプルに一ヶ所ずつ骨を外していきますわよ」
対して涼とナディアはフルフルと首を振り、互いに見合う。
何処か余裕の國定道場の面々、だが再び相田に振り返る知里の顔には全くそういう余裕はなく、やはり悲しげだ。
「答えて頂けませんか?」
「……」
「アンタが話しにくいなら、俺が話してやるよ」
知里の問いに黙ってしまう相田。
するとナディアに捕まっている男がニヤリと口を開く。
「その女は自作自演で知里を怪我させ、知里の周辺警護や様々な業務に金をかけずにいた事務所を知り合いの芸能雑誌記者達に徹底的に叩かせて、前々から画策していた大手事務所への移籍をスムーズに行うつもりだったんだよ、ちなみにそのまま知里を手土産にてめぇも大手に行くつもりだったんだんじゃねぇか!?」
「黙っていてください! あなたにはきいてませんからっ!」
捲し立てた男への知里の怒鳴り声。
事務所内が沈黙に陥った。
琴名などは大人しい印象しか見せない知里の意外すぎる行動に驚いている。
「私は相田マネージャーに聞きたいんです」
「ごめんなさい、どうしても貴女を最後の稼ぎ手くらいにしか考えず、あなたにも事務所に残った受講生のアイドルの卵にも、マトモなレッスンも待遇も与えないこの事務所には居させたくなくて……そこの男の言う通りよ」
泣き出しそうな知里に、相田は顔を俯かせる。
「言う通りなんて……嘘ですよね?」
「本当よ……貴女を大手事務所に移籍させる準備は出来てたわ、問題はタブーな移籍をどうやって批判なくこなすかだけ、知里が怪我をしたら事務所はちゃんとした警備会社でなく、安上がりな格闘技を習った警備の素人女の子を雇ってました、と火に油を注ぐつもりだったんだけど……こんなに強いなんて裏目に出たわね」
悲痛な声に、相田は自嘲気味に苦笑してから知里からの視線を逸らした。
「あり得ないです、そんなの嘘です!」
そう断言し、知里は相田に歩み寄る。
「……あなたは私に大手事務所への移籍を勧めていたし、今の事務所のやり方には反発を強めてました! 言われたような手段で業界のタブーという移籍をスンナリ認められるようにしていたのかも知れません……でも!」
そして……知里は、グッと相田の袖を掴み、
「貴女自身も私を連れて、大手事務所に移る気なんて無かった筈です! 貴女は事務所同様に私の担当マネージャーとして責任を追うつもりだったんでしょう!?」
と、大粒の涙を流したのだ。
「えっ!?」
周囲の全員が驚く。
それではただ単に知里を大手に移籍させるだけで、相田マネージャーは何の得にもならない。
却って損である。
「考えても見てください、私が不用意に怪我をすれば責任は事務所だけじゃない、管理する担当マネージャーの相田さんに向かうのは普通です、相田さんがスンナリ大手に私と一緒に移籍できたなら業界の人はそれこそ自作自演という疑いを強めてしまいます、そんなバカな事をする相田マネージャーじゃありません……それに……」
知里は相田の座っている事務机の上に積まれた書類を一枚、手に取った
「事務所を出ていく人が、夜中まで残って、こんなに丁寧に事務所に残った数少ない新人アイドルの為のレッスン内容のプログラムを入念に練ったりしますか!?」
手に取った書類に書かれたのは、新人の育成内容のプログラムだった。
優太は芸能事務所の新人アイドル育成の仕事の内容は全く意味がわからないが、見せられた書類はひどく丁寧に書かれた物である事はわかる。
「私の時も全くの素人だった私に、相田マネージャーは丁寧に私の能力や体力に合わせた育成プログラムを練ってくれました、私はあなたに育ててもらって、あなたにアイドルにしてもらったんです、あなたは私を大手事務所に送り出した後にもどうにか事務所を存続させて、残された新人の娘達を一人前にしてあげるつもりなんですよね?」
「……」
相田の沈黙。
沈黙とはこの場合の肯定を意味するだろう。
知里の言う通り、相田は自らの栄転でなく、知里のみのそれを望み、事務所維持の最後のピースである夏目知里という積み木を自ら抜きながらも、閉鎖に向けて残る利益のみを考えようとしている事務所で新人の育成内容のプログラムを丁寧に造っているのだ。
まったくもって相反する行動。
圧倒的な稼ぎ頭の知里がいる事だけが、社長が事務所を存続させている理由だ。
それを重々に承知しながら、夏目知里というトップアイドルを籠から解き放ち、自らは無くなる可能性が高い場所に残り、新人を育ててどうにか事務所の維持を試みる。
「自ら育てて見事な華を咲かせた知里を今の事務所では到達不可能な次のステージに送り出す事だけが今回の目的だったのか、自らの利益をまったく考えず、人の為に動く人間の意図を正確に読み取るのはなかなかに難しい、まったく悲しい事ではあるがな」
香澄が呟く。
自らの利益が生まれない事をしている人間を理解するのは難しい事だ。
利がないからだ。
「あなたはこの事務所じゃあ私は伸びない、このまま一時期は凄く売れた夏目知里という娘がいたな、と将来少しだけ思い出される程度だ、って言われました、大手にいけばもっと伸びる、国際的な芸能人になれる……って!」
知里の両の瞳から流れる涙。
それを側で見ている誰も彼女に声をかけることが出来ない。
「でもいいんです、いいんです、遠い将来に知里を少しだけ思い出してくれる、素敵じゃないですか!? 知里はそれで満足です! 何よりも、何よりも……私は自分を大切にアイドルしてくれたファンや周囲の人達の為に仕事がしたいんです! 私は大手になんて行きたくありません! 大切な人に無理をさせてまで……知里は国際的なアイドルになんてなりたくありません!」
泣きじゃくる知里の涙声が事務所に響き渡り、十数秒の沈黙の後……
「ごめんなさい……ごめんなさい!!」
相田マネージャーは両手で顔を覆うとその場に泣き崩れた。
「マネージャー」
泣き崩れた彼女に知里が抱きつく。
「さてと……ここからは二人で話し合えばいいよね? 俺達は去りますか」
そう言って振り返る優太に、國定道場の格闘女子達は異論なしと頷いた。
***
「チーちゃん、独立するの?」
「独立なんて……これからは一人で、やりたい場所や求められる場所で少しゆったりやっていこうかな? とか、思っているだけです、相田マネージャーは芸能界を辞めちゃうみたいですから」
数日後。
國定道場に訪ねてきた知里の報告に驚く優太に、彼女は例の微笑みを見せた。
「私はもう一度、元の事務所で相田マネージャーと一緒に頑張る、ってなるかと思っていたけど」
「私はそれが一番よかったんですけど……相田マネージャーは理由はどうあれ、私を人に傷つけさせようとした事が私の望みではなく、自分の望みを叶える為だったと気づいたら、自分で自分が許せなくなった、と芸能界を辞めると言われましたから」
盆にお茶菓子とジュースを持ってきた涼に、知里は表情を少し曇らせる。
「責任感ですわね、それを気づいてしまったらもうアイドルのマネージャーは出来ないと思われたのでしょう」
「引き際か……それじゃあ、知里の元々いた事務所は無くなるのか?」
「はい、もう芸能事務所は閉めるようです、社長には止められましたし、レッスン受けてる受講生の人達には悪いとは思いますけど」
応接間のテーブルの上に置かれた盆から、早速菓子を取っていくナディアと香澄。
知里は表情を曇らせたまま頷く。
「チーちゃんは気にする事ないよ、受講生のアイドルの娘の事までは、チーちゃんの芸能人生なんだから……芸能界は厳しいんだもん」
「それはそうですが……」
琴名はそうは言うが、当人の知里はそこまでは割り切れてはいない様子。
「知里ちゃん……」
「はい……」
優太に呼ばれて顔を上げる知里。
「知里ちゃん言ったよね? 自分を大切にしてくれた人達の為に仕事をしたいって、相田マネージャーさんは辞めちゃって、知里ちゃんは独立するかも知れないけど、アイドルの夏目知里はつづけていくんでしょ? 俺達も応援するからそんな顔をしていないでよ」
「優太さん……」
わずかに微笑む知里。
「ほらヤッパリ知里ちゃんは笑っていた方がホントに可愛いよね」
「そんな……」
「何をいってるんだ貴様は? 昭和のナンパ男でも言わないような古い言い方をしおって!」
香澄のあきれ声。
確かに古い言い方ではあるが、優太にはそんな言い方しかできなかった、それに頬を赤らめてしまう知里も知里だが。
「で? とりあえずはチーちゃんはこれからは事務所とか構えるわけ?」
「えっと、事務所は構えませんけど……それでお願いがあるんです」
涼が訊くと、正座していた知里は思い直した様に背筋を正す。
「あの……優太さん!」
「え?」
「事務所が用意したマンションも出ちゃって……知里、住む場所が無いんです……だから、その……」
緊張気味の知里。
ここまでで内容はだいたい予想できるが……
その通りだと……
「ここに暫く居候させて貰えないでしょうか、あの、もちろんお家賃も払いますから!!」
赤面して一気に喋る知里。
数秒前の予想通りだ、予想通りなのだが……
「ち、知里ちゃんが? 国民的なアイドルがウチに居候!?」
優太としては、そう叫ばすにはいられなかったのである。
続く




