「紙媒体の良さがわからないネット信者め!」
駅前のファミレス。
平日の昼間は客はまばら。
奥の席に座った男女は年齢こそ二十代半ばと近いが、雰囲気はまったくカップルらしさはない。
「どうするんだ?」
男がこう訊くのは何度目か。
計画は上手くいっていない、計画通りならば、彼女は何度か危ない目に会っている筈が一度もそうなっていないのだ。
「あのオンナ達のボディーガードは警備員どころか、そこらの警察官よりも隙がないぜ、トラブルを起こすどころか、下手をすれば俺達が捕まりかねない」
「わかってるわ……でもあなた達も案外にだらしがないわね? 上手く隙がつけないの?」
コーヒー軽く口に含んだ女が答えると、
「そりゃあ、出来なくはない……だが、あいつらがいる状態で、知里ちゃんを大きな怪我させない程度に傷つけろ、それでいて捕まるな、っていうのは難しい」
男は苦笑して肩をすくめた。
女は顔を上げる。
「やれないなら前金を返しなさい」
「やるさ、ただ相手が予想以上だ、あのオンナ達の警備の約束の一週間が終わったらじゃダメなのか?」
「ダメよ、警備がいて、なおかつ襲撃を許した形にしなければ意味がないのよ」
「そうだったな」
男は煙草に火をつけて煙を燻らす。
少しの間の後、男は口を開いた。
「なら……知里ちゃんは軽傷なら、警護の女達は多少の大怪我は構わないんだな?」
「え……?」
怪訝な顔を見せた女。
「依頼は警護がいる状態で、夏目知里に軽傷を負わせれば良いんだったよな? だったらボディーガードの怪我は関係ない筈だ」
「だって……下手な警察官よりも隙がない、って言ってたじゃない?」
「そこはそれ、こっちもその手のプロを雇う、ボディーガードは蹴散らし、知里ちゃんには怖い目とちょっとした怪我を負わせる、それで契約的には問題ないよな?」
「ええ……彼女達と仲良くなっているから知里には気の毒だけど、仕方ないわ」
女は両手を組んだまま、仕方がないか、と言わんばかりのため息をつく。
「しかし……何の事情かは知らないが、マネージャーのアンタに裏切られているとは知里ちゃんも思わんだろうなぁ」
「私は知里を裏切ってなんていないわ!」
ニヤリと笑った男の戯れ言に、女マネージャーは語気を強めた。
「違うのか? 自分の担当アイドルを警備がついた状態で襲ってくれ、なんて普通は言わないぜ」
「こっちは普通じゃないのよ、余計な詮索よりもその手のプロっていうのは信用できるの? あの娘達に伸されて逮捕されちゃいました、じゃあ冗談じゃ済まないわよ」
「その心配は要らない……俺達みたいなトラブルを生業にしているようなヤツが特別、暴力を生業にしているヤバい奴等に関わっちまった場合に頼るプロを雇う」
「つまり……裏社会で強い人、とでも言うのかしら?」
「違うよ」
マネージャーの問いに、男は首を振ってからタバコをふかし、天井に煙を吹く。
「強い人、じゃない……武器を持たないままなら、ダントツに最強、言わば伝説だ、普段ならこんな事じゃ呼ばない人間だが、ヤツには仕事の選り好みがあってな……強いヤツが関わる仕事を妙に好むのさ、あの知里ちゃんのボディーガードについてる奴等は女だが、あれだけの相手なら大丈夫だろうさ」
「どうでも良いから私の依頼通りにしてくれればいい、ここは払っておくわ」
女マネージャーはそう言い放つと、テーブルの伝票差しから伝票を抜いて立ち上がる。
早く出たい。
こんな所を男の素性を知る者に見られたら、面倒くさい事になるからだ。
ファミレスを出た彼女は周囲を伺い……
「知里……これで、もっともっと……貴女は大きくなれるわ、だから……許してね」
一人呟くと、彼女は都会の雑踏に消えていくのだった。
***
「チーちゃん、ご苦労様!」
「うん」
テレビ局の廊下。
出迎える琴名にスタジオから歩いてきた知里は朗らかな笑顔を返す。
琴名と一緒にいるのは香澄と優太。
「じゃあ、知里ちゃん、マネージャーさんは今日は用事があって居ないらしいけど、会社に帰るまで俺達が送るよ、タクシー呼ぼうか?」
優太が携帯を取り出すが、知里はアッと言いながら手を軽く上げた。
「ありがとうございます、でも夕食も済ませたいから、皆で何かを食べに行きませんか? 知里、みなさんに奢りますから」
「やったぁ」
「待て、待て、待て、奢ってもらうなど」
知里の申し出に喜ぶ琴名に注意する香澄だが、
「お寿司ですよ、とても美味しいお店があるんですよ」
知里にそう言われてしまうと……まぁ、警備対象が行くんだから仕方ないな、と咳払いをするのだった。
午後七時。
知里に連れられてきたのは、駅前の表通りから少し裏手に建つ、十階くらいのビルの一階に入った高級店。
「こんにちわ」
「これは、これは、チーちゃん!」
暖簾をくぐった知里が挨拶すると、中年の大将が嬉しそうに出迎えた。
客はカウンターに一人だけだ。
「今日はマネージャーはいませんが、お部屋空いてますか?」
「ええ、大丈夫ですよ、奥へどうぞ」
「ありがとうございます、じゃあ皆さん、奥の部屋に行きましょう」
知里に促され、一行は奥の部屋に通される。
それほど広くはないが、上品な和室。
「知里ちゃん、注文どうします?」
「まずは上寿司を四人前でください、皆さんの好みがあったら、また頼みます」
大将に聞かれた知里はそう答えてから、襖をゆっくりと閉める。
「うわぁ、こんな所に知里ちゃんに連れて来てもらっちゃったら、涼ちゃんとナディアちゃん怒るよ、ボクは黙っておこう」
「そ……それが良いかも」
「おみやげを頼みますから、それで許してもらってください、これも知里が出しますから」
「ほ、ホントに悪いね、知里ちゃん」
半分冗談ではない相談を琴名と始めた優太だったが、知里の好意に素直に甘える。
國定道場の財政では、この高級店には太刀打ち不可能だろう。
「じゃあ、皆さん、楽にしましょう」
知里の勧めに全員が座っていると、やがて大将が寿司桶に入った上寿司を持ってきて、夕食の開始となった。
「お、美味しい、鯛が美味しい」
「何だか、俺みたいな味音痴には程度が高すぎるお寿司だよ」
「そうだな、だから控えろ」
「香澄ちゃん!」
「ふふふっ」
高級店の寿司に歓喜する琴名。
旨い寿司を食べながらの優太と香澄の問答に知里は笑う。
「優太さんも鯛を食べてみなよ、あ……これって、四人前でも同じネタが四つずつある訳じゃないんだねぇ?」
「そう言えば、そうだね」
「それは寿司チェーン店の話だろう? こういう高級店はネタの種類は季節や仕事の手間によっても豊富になるんだ、そういう桶を同じネタで埋めるような仕事はしないんだ」
「へぇ~、香澄ちゃんはわかってるぅ、流石は名家の出だね」
寿司好きならではの香澄の蘊蓄に感心する庶民の琴名と優太。
「追加は遠慮なくどうぞ」
美味しそうに箸で寿司をつまんでいる知里。
香澄が視線を向けた。
「じゃあ穴子を頼んで構わないか?」
「はい、どうぞ」
屈託のない笑顔。
裏表のなさとその可愛らしさに、数日の間に優太は何度もホッコリとさせられてきたが……
「ところで、今日、私達を誘ったのは何かの相談だろう? さしずめマネージャーの件か?」
「……」
いきなりの切り出しに、知里の笑顔がピタリと止んだ、思いもよらない変化に優太と琴名も緊張感を感じた。
「図星だな?」
「ええ……ちょっとだけ話を聞いてもらいたいんですけど、その前に穴子を頼みましょうか?」
依然冷静な香澄、知里の表情からはもうすでに笑顔は消えていた。
***
「チーちゃんが事務所移籍!?」
「琴名ちゃんっ」
部屋の外まで聞こえそうな声を上げた琴名の口を優太が塞ぐ。
「いえ、まだ移籍すると決めた訳じゃないんです、マネージャーさんが良い話が来ているからと勧めてきたんです」
「そういう事か、確かマネージャーの相田さんは知里の事務所の社長と最近折り合いが悪いんだよな? それだと知里を連れての事務所の移籍というわけか」
「え……なんで、相田マネージャーと社長の関係を香澄さんが!?」
知里の様子は何でそんな事を、という感じ。
平然とそんな会話をする香澄に驚いたのは、もちろん知里だけではない、優太も同じだ。
「あ……また、大好きな芸能ゴシップ雑誌からの情報でしょ?」
琴名がツッコミを入れると、
「だ、誰が大好きだ? それに芸能サタディはゴシップ雑誌じゃない、突撃現地取材重視の芸能情報誌だ!」
香澄はムキになって怒鳴る。
「同じだよ、十個に二つくらいしか本当の事が書いてない、ってネットで有名だよ!?」
「ぐぬぬぬ……なんでもネットで、ネットが正確で……と! お前はスパイダーマンか!? 紙媒体の良さがわからないネット信者め!」
芸能雑誌サタディによほどの思い入れがあるのか、香澄は琴名の言いように拳を握るが、
「残念ですが、その話は十個のうちの二つに当てはまっちゃうんです」
と、知里は俯く。
「ほら、見ろ? 実直な現地取材がもたらす正確さ、匿名の嘘八百がまかり通るネット上と責任が違う、責任が! 紙は神なり!」
グッと拳を握る香澄。
先程まで見せていた渋さは失せているが、そういう面も彼女の顔だ。
「さ、先に話を進めて良いよ」
「あ……はい」
香澄を気にする知里だが、優太が促すと、顔を少し上げた。
「その……記事の通り、マネージャーさんとウチの社長は会社の経営について対立していて、仲が悪いんです」
「でもさぁ」
言いにくそうに琴名が口を開く。
「事務所の移籍って、まずチーちゃんクラスだとマスコミが大騒ぎになるよ、ある事ない事を書き立てられたり、噂が立っちゃう」
「うん、芸能界ではタブーとする風潮も強いからな、売れっ子でも干されたりしてしまうからな」
香澄も腕を組む。
ゴシップ芸能情報誌を見るのが好きらしいから、その手の知識もあるのだろう。
「そこは任せろ、って……私がその気になってさえくれたら、受け入れてくれる相手も世間の目もどうにかするって、マネージャーが言われたんですけど……」
「さっき社長とマネージャーの対立の原因は会社の経営について、と言っていたけど事務所の資金繰りが悪い、って意味なのかな?」
優太が知里に訊ねると、
「それは違う」
答えたのは香澄だった。
「知里みたいなドル箱アイドルを抱えて資金繰りが悪いとは考えにくい、逆にあんな小さな事務所で、他に事務員も居らず知里自らお茶を淹れてるのがおかしいし、いくら女同士で警備がしやすいと言っても、プロでもない私達に警護を頼んでくるのも変だ、社長は極端な倹約家といえば聞こえはいいが……そこの違和感がマネージャーと社長の対立している所じゃないか、どうだ?」
ビシッと香澄に指をさされた知里は……やや下を俯いたまま、渋々とはい、と頷いた。
「実は社長は、私がデビューした頃に赤字が膨らんだ芸能事務所を畳むつもりだったんです、でも私が運よく売れたから事業を当面は継続しましたが、結局は芸能事業からは撤退を考えているのは変わらないらしく、だからマネージャーと私以外の人はレッスン料を払っているアイドルの卵の娘達以外は殆どの方を解雇して、小さな事務所に移りました……そして私が売れなくなったら事務所を止めるつもりだと思います」
「ひどいっ、それってもう芸能事業はしないから、とにかくチーちゃんが売れてる間にレッスン料を払う娘達には払うだけ払わせて、チーちゃんで儲けるだけ、儲けてやろうって事じゃん! だから事務所も小さいし、なんでも相田さんとチーちゃんでやってたんだね!」
答えにくそうにいった知里に、琴名が許せないとばかりに声を上げた。
「やはり、そんな感じか、サタディにも似たような事が書いてあったな」
「知里ちゃんは今までの損失補填か、まったくひどい話だね」
「でも……私は別に社長は悪いとは思いません」
琴名に続いて、香澄と優太も不満を述べるが当の知里はフルフルと首を振る。
「社長も芸能事業ではたくさん苦労されているみたいだし、知里もまだデビューまで育てて頂いた恩返しできてません、相田マネージャーは他のみんなを解雇して、何も資金を回してくれない社長のせいで私がもっと伸びるのが阻害されているから、移籍なんて社長に気にせずにいけばいい、と言ってくれますけど……」
そこまで喋ると、知里の頬からボタボタと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「知里は、知里は、そんなのは嫌ですっ、なんとか……どうにか、前みたいに、前みたいに、皆さんにこんな事をお話ししても、迷惑なのは知里もわかってるんですけど、ご、ごめんなさいっ」
唇を噛み締めての涙声。
そして嗚咽を漏らして泣き出してしまう。
「知里ちゃん……」
誰もがそれ以上、声がかけられなかった。
知里がこんな悩みを抱えているとは……
事務所の仲間達はもういなくなり、社長の方針転換やマネージャーの背信行為にも相談できる相手は皆無だったに違いない。
華やかなりし芸能界屈指のトップアイドルは、独りぼっちだったのだ。
「琴名……知里を落ち着かせてメイクを直させろ、涙ボロボロのままで外に出た所を写真誌に撮られたりしたら面倒だ」
「わ、わかった……さ、チーちゃん、お化粧室借りよう」
数分泣いた知里の嗚咽が落ち着いたのを見計らった香澄の指示に、琴名が立ち上がって彼女の肩を抱きながら部屋を出ていく。
「知里ちゃん、大変なんだね」
「……それだけか?」
廊下に出ていく二人を見送り、優太が襖を閉めながら言うと、正座をしたまま香澄が睨み付けてきた。
「え?」
「今の話を聞いて、思ったのは知里ちゃんは大変なんだね、というそれだけか?」
「あ……いや、正直に言えば違う」
優太は後ろ頭を掻いて、戸惑いながらも首を横に振った。
「芸能界ではタブーになる移籍を相田マネージャーがどういう手段で、知里ちゃんの人気を傷つけずにするつもりなのか、話を聞きながらそこは気になった……知里ちゃんが首を縦に振れば何の心配もなしに移籍出来る、って言ったって事は準備がほぼ完了している、って意味だ、相田マネージャーのその計画というか、作戦にはもしかしたら……」
「國定道場の自分達をボディーガードに付けた事も関係してるんじゃないか、と?」
「当たり」
最後の部分を言い当てられた優太は苦笑を見せた、悪い答えではなかったのは睨んでいた香澄の切れ長の瞳がやや緩やかになった事で解る。
「私もそう考えていた……」
そう香澄が口を開いた時である……
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
知里の叫び声が店内に響き渡った。
続く




