「ホ……ホールはいきすぎでしょ?」
道場の中心で向かい合う二人を見つめる者達は緊張した面持ちであった。
黒帯の空手着の涼に対するのは、道着黒袴の香澄。
互いに鋭い視線を交わし合う。
開いた左手を前に出し、右拳を後ろに引いたままの構えで距離を詰めるていく涼。
香澄は正面を向いたまま、両手開いて前に出している。
間合いはジリジリ縮まり、遂に打撃の射程圏に互いが入った。
「……!」
オープンフィンガーグローブをつけた涼の右拳が放たれたのと、香澄がダッシュしたのは同時だった。
右拳が頬を掠めるが、構わず香澄の両手は涼の道着の両肩を掴み、そこを支点にして前方に転回した。
「な、なんだぁ……?」
そのまま涼の背後に着地する予想外のアクロバティクな動き。
驚く周囲の者達。
「ちいっっっ!」
背後に向かって、涼は蹴り上げのバックキックを放つ。
威力もスピードも十分……だが、それは空を切る。
「あっ!」
「馬鹿者」
躱された。
そこで初めて焦りの顔を見せた涼。
短く呟いた香澄の右手が蹴り上げの足首をすくい上げると、涼の身体はグルンと半回転して床に叩きつけられた。
「くはぁぁっ!」
大声を上げる涼。
「一本、反応のいいバックキックだったが、それが来ると読んでいたから……」
倒れた涼を振り返る香澄だったが……ガクンと膝を落として尻餅をついてしまう。
「な……っ!?」
「初めの直突き……かすってたわよね? 揺れるでしょ?」
座り込む香澄に対し、床に大の字になりながらもニヤリと笑う涼。
「ちっ……そうはうまくいかんか」
座り込んだまま、舌打ちをして香澄はため息をついた。
***
「す、凄かったです……香澄さんがグルンって回って、高杉さんがすぐにキックを……そうしたら、またドターンって!」
道場の隅に座り、手を叩いて驚く知里。
「か、かわった感想だね」
優太は苦笑する。
知里の警護を始めて四日目。
ドラマの共演相手が急病で、午後がオフになった知里が國定道場の稽古が見たい、と警護に付いていたナディアと優太に頼み、そのままマネージャーを連れて國定道場にやってきたのだ。
突然の国民的アイドルの来訪に、道場の来ていた門下生達は驚き、沸き立ったが練習は真面目に続けられ、締めに涼と香澄の模範組手になったのであった。
「はい、今日はこれでお終い……今日のみんなは次は来週の火曜日だね」
「ありがとうございました!」
涼が稽古の終わりを告げると、十数名の門下生達は涼と香澄に頭を下げてから、ワァァッと道場の隅でマネージャーと一緒に正座する知里の前に並ぶ。
「サインをくださいっ!」
「知里は今日はオフなんで……」
「マネージャー、良いじゃないですか、皆さんの稽古にお邪魔しているのは知里達ですから、良いですよ」
サインを頼む門下生をマネージャーが断ろうとするが、知里はマネージャーの膝に手を置いてから、それを止めて門下生達に微笑んだ。
***
「知里ちゃんがくるとわかってたら、もっとご馳走を作ってたんだよ?」
「いえ……こちらこそ急に来ちゃってごめんなさい、それに琴名ちゃん、このお鍋すごく美味しそうです」
居間のテーブルに鍋を出しながら悔しがる琴名に知里は笑いかけた。
鍋の中身は鳥団子とネギを多目の野菜類。
これをベーシックは塩味で、味変わりは唐辛子タレが用意されている。
「すいません、稽古を見学させてもらうだけでなく、御食事まで……」
「まぁまぁ、マネージャーさんも楽にして、食べていってください」
正座で丁寧に礼を言うマネージャーに、優太は答える。
「いただきます!」
國定道場の面々に、五人と知里とそのマネージャーを招いた七人の食事が始まった。
「今日の鍋は野菜が多めだから平気だと思うけど、知里ちゃんは、カロリー制限とかしているのかな?」
「知里は普段はあまり気にしませんね、でもケーキとかが好きですから、食べ過ぎないように気をつけてます」
好きなアイドルと距離が縮まったのが、嬉しそうな琴名の質問に、知里は答えるが、
「知里のケーキの好きは、大が付くでしょう? この間、撮影の合間に差し入れで貰った銀座アントワープのチーズケーキを、休憩時かんだけでホール食べちゃったんだから!」
と、マネージャーに付け加えられ、
「ああ……マネージャー、それは言わないでくださぁい!」
そう首をフルフルと横に振る。
可愛らしい仕草だ。
「ホ……ホールはいきすぎでしょ? 何号のを食べちゃったのよ!?」
「銀座アントワープと言えば、超のつく高級店ですわ、それもチーズケーキと言えば看板メニューで限定品……それをなんという大胆な」
「す、すいませぇん……今度、ぜひ皆さんにも差し入れしますからぁ」
大袈裟に驚く涼とナディアに、ペコペコと嬉しそうに謝る知里。
「やったぁ、チーちゃん、絶対だよ?」
「はい、知里、頑張ってみますぅ」
ケーキの話題に盛り上がる食卓。
そんなやり取りの中、楽しそうにしている知里に向けられたマネージャーの笑顔を見つめる香澄の横顔が、優太には何処か気になったのである。
続く




