「コイツ、殺す、顔覚えた」
「防犯用ボール?」
「ええ……コンビニとかで、投げつける特殊塗料の入ったボールを犯人は群衆の中から、舞台には向かって投げつけたみたいです」
都内のオフィスビルの一部屋。
応接ソファーに座る國定道場の面々に、知里のマネージャーは神妙に頷く。
「遠投かな? コントロール良いよね」
「あれだけ人がいたら投げつける所を見た人もいるかも……」
涼と琴名は顔を見合わせるが、マネージャーは首を振った。
「他のスタッフが聞いてみた感じでは、投げつけた瞬間を見た人はいなかったようです」
「ネットでは早速の話題になってますわよ、動画サイトではちょっと距離がありますけど、瞬間を捉えた映像もありましたわ」
スマホをいじっていたナディアが動画サイトを開き、それを応接机の上に置くと、國定道場の5人組とマネージャーはそれを覗き込む。
「これだな? ここで、お前が飛んできて……」
「いや、飛ばされてきてだよ、日本語は正確にお願いするよ、香澄ちゃん」
「アハハハハ……」
優太と香澄のやり取りに乾いた笑いを浮かべるナディア。
画面は……優太が知里を抱えるように倒れ込むと、スマホのカメラで撮影した画像は会場がざわついた左右に乱れてしまう。
「ああっ、根性なしっ、ちゃんとボールの着弾まで撮ってないかっ! 投げつけてきた方向すらわかりゃしないっっ!」
「う~ん、しょうがないわよ、優太が飛んできた時に結構、会場はざわついたし」
焦れた声を出す香澄、涼は唸りながら腕を組んだ。
「でも、ボールがちょうど飛んできたから良かったけどさ、そうでなかったら優太さんは……」
「それは言わないで、琴名ちゃん」
ニヤつく琴名に優太は俯く。
ナディアにぶっ飛ばされた全く偶然のタイミングで、これまた全くの偶然のタイミングで防犯用ボールが飛んできた事は、知里も優太も救った形になっている。
この二つの奇跡の重なりが無ければ、満場の客の前で、知里が特殊塗料まみれを晒すか、優太が国民的アイドルを襲った犯人となってしまうところだったのである。
「動画のコメント欄を観ます?」
「遠慮するよ、ナディアちゃん」
「観ようよ」
ナディアからの申し出を優太は丁重にお断りした筈が、琴名がコメント欄を開いてしまう。
「国民的アイドルを救ったスタッフ偉い、というのもあれば……」
「コイツ……殺す、顔覚えた、とかもある」
琴名と涼の報告にコクコクと頷きながら、
「もう言わなくていいよ、俺は知里ちゃんが特殊塗料の餌食にならなかっただけで、本望なんだから、ファンからしたら許せないだろうけど」
優太は何かを悟った様に目を瞑る。
「そんな事ないです」
そう言ったのは、部屋の隅の給湯室からコーヒーカップを沢山乗せた盆を持って現れた知里だった。
「知里ちゃん、コーヒー淹れてくれたの?」
「はい、ホットケーキもありますから、良かったら一緒に食べてください」
喜ぶ琴名。
知里は笑顔で全員の前に、コーヒーと小さな皿に乗せた四分の一サイズのホットケーキを置いていく。
「知里、悪いわね……私がやらなきゃいけないのに……」
「いえ……マネージャーさんは忙しいですから、知里がやりますよ、前からしてたんですから気にしないでください」
申し訳なそうに謝るマネージャーに、知里は盆で顔半分を隠す仕草。
『やばい……いちいちカワイイ』
そんな仕草に当てられる優太。
もちろん狙ってやっている訳ではないのだろうが、少しの仕草だけで男子を惹き付けてしまうのはアイドルならでは、という理由だけではなさそうだ。
おそらく天性だろう。
「おい……優太!」
「え……は、はいっ?」
「デレデレしてるな! 只でさえ、アイドル抱きつき強姦未遂疑惑で取り調べ中のお前だ、余罪がつくぞ!」
「え? 抱きつき……ご~? こ、この席って取り調べだったの!?」
「あのねぇ、香澄……何、さりげなくとんでもない事を言ってんのよ?」
香澄に睨まれ、慌てる優太。
涼は呆れるが……
「あ……あの、そんな事ないです、知里は平気です」
真摯な瞳で香澄に知里は言った。
「あの……本当に知里、助かりました! あ、握手会が中止になっちゃったのは残念でしたけど、私……優太さんに感謝してます……ただ」
クルリと面々に背中を向ける知里。
「ただ……男の人に身体を抱き締められた事がなかったから、それを初めてされて危ないところを助けてもらったドキドキとか、ボールが飛んできた事とかが……頭で混ざっちゃって、あんなに取り乱しちゃったんです、でも……優太さんを見て、思い出したら、またドキドキ……知里、ったら……怖がりさんですよね?」
そう言いい、赤面しながらペロッと小さく舌を出して、振り返ってくる。
『カワイイ……』
思わず顔が崩れてしまいそうになる優太だったが、國定格闘女子の面々の中で、一瞬だが香澄が唇を噛んで苦い表情をしたので、それを堪えるのであった。
続く




