「君が新しい道場の管理人さんだね」
寒空。
白化粧の山々。
雪解け水が山肌から降り注ぐ舗装道路を一人の青年が歩いていた。
彼の名は、佐藤優太【さとうゆうた】。
中肉中背の中性的な顔立ちだが、二十一歳になる立派かどうかは判らないが大人の男だ。
「関東なんだから、島より寒いのは当たり前だけど、さっきまでの様相と変わって、ここはウチと同じくらいの田舎だなぁ」
ホンの数十分前まで慣れない喧騒の都会のビル街だったのが、今の山景色。
アクセスの良さがもたらす技なのか、と優太は納得する。
通りかかったバス停で道を教えてくれた学生によれば、道沿いに長い石段があってそこを上がっていけば目的地に着けるらしい。
「あ、あった」
石段はすぐに見つかった。
幅は数メートルで人が並んで歩けるくらいだが、かなり長く、隅々に雪が残っている。
「この上にジイちゃんが遺してくれた施設がある訳だ……一体こんな所に何を遺してくれたんだろうな」
白い息を吐きポツリと呟くと、優太は階段を登り始めた。
ジイちゃん。
國定優之介。
優太の祖父は幾つも会社を経営していた経済界でもかなり名の知れた重鎮だった。
そんな祖父を優太は慕い、尊敬していた。
南国の島に嫁に行った一人娘の母や孫の優太に会う為に忙しい身であるにも関わらず、東京から来てくれたり、こちらから家族で遊びに行った時なども、とても可愛がってくれた。
しかし九州南端から更にフェリーか飛行機を使う南の島である事や、両親の仕事などが都合が合わず、ここ数年間会っていなかった。
最近は経営していた会社を実質的に手放し、青少年育成などの活動をしているらしいと聞き、母親ともこっちから東京に会いに行こうね、等と話していたの矢先、突然の病気、そして数日後、容態の急変により亡くなったのだ。
突然の訃報に親も親戚も悲しみ慌てたが、遺産の分与や葬式の手配まで生前に祖父は代理人の弁護士と済ましていて、皆がなりに納得し、混乱なく済みそうだ。
しかし財産の分与で不満は出なかったが、一つだけ不可思議な内容があった。
それは東京ではあるが、かなり山間に入った場所にある施設を孫の優太に譲るという物。
「優太くんは可愛がられていたから何かを遺してやろうというのはわかるんだけど、一体なんなんだろうね」
疑問に答えられる親族もおらず。代理人弁護士もこの生前に決めた遺言の証明は出来るが、施設の内容は分からないというので、告別式を済ませた脚でそのまま確認に来たのである。
「……!?」
階段を中程まで来た時だった。
耳に何かの音を捉え脚を止めた。
流れる水の音。
それもかなり勢いのよいそれ。
「山肌に川でも流れているのかな?」
好奇心をくすぐられた優太は石段から道を逸れ、音の方向に山を分け入る。
それほど木々や草も繁ってなかったので、苦戦もなく進んでいく。
滝があった。
大きくはないが、ちゃんとした流れの数メートルはありそうな滝で、そこには……
「え!?」
思わず目を疑う。
そこには女性がいた。
それだけなら目を疑うまではいかないが、白の空手着をきた彼女はなんと滝の水を浴びていたのだ。
『た……滝行?』
勢いの強い流れを浴びているので、顔などは分からないが、セミロングの髪に背や体型から女性と判断がつく。
『な、なんなんだぁ!?』
優太が驚いて立ち尽くしていると、
「ふぅっ」
彼女は滝壺からザバサバと歩み出て、岸に揚がり息をつく。
『あっ、カワイイ』
滝浴びしていた状況では判らなかったが、彼女は美人、いや相当なレベルの美少女といっても良い顔立ち。
年齢は十代後半から二十代前半。
大人の艶を感じさせる美人というより、可愛らしい美少女に寄っている。
「濡れたまま帰れないわね」
美少女は岸に置かれたスポーツバッグからバスタオルを取ると、空手着の上着を脱いだ。
『あ……』
立ち尽くす優太。
普通なら女子なら空手着の下に更にシャツなどを着ているのが常識的だが、彼女は何故か着ていなかった!
露になる白い肌、そして男の視線を釘付けにしてしまう豊かで見事な形の隆起。
優太は思わず唾を呑むが……
『マズすぎるっ! これは役得だけど覗きだ!』
首をブンブンと振る。
彼女がこちらに気づく前に立ち去らうとしたが……遅かった。
「香澄【かすみ】来てたんだ、アンタがシャツなんて着る滝浴びなんて邪道とか言うから、着ないでやって……ってあ、アンタなにっ!?」
誰かと間違えたのか、彼女はそう言いながら、優太に歩み寄ってきたのである。
しかし異常に気づくと、タオルを胸元に素早く当て怒鳴った。
「あ……いやっ、そのっ!」
「見てたわねぇぇぇっ! 覗き!?」
「うわ、うわ、だ、だから」
「見てたでしょ?」
バスタオルで豊かな胸元を隠しながら、ズイと優太に迫る彼女。
目に涙を溜め、赤面しながら口を尖らせる恥ずかしさと怒りのコンボ。
しかし美少女というのは得だ、そういう表情も絵になる可愛らしさ。
「あ……」
「何よ、見たんでしょ!」
「うん、まぁ……」
優太は観念した。
目を逸らす機会はあった、でもしなかったのは自分である。
嘘を言っても仕方がないと腹を括った。
「何がまぁよ、脱いだ所を見つめてたじゃない、言い訳はさせないわよ!?」
「言い訳なんてしないよ!」
「えっ?」
言い訳はしない。
優太の意外な返答に彼女は少し驚く。
それを避けられたにも関わらず、優太は見続けてしまったのだ、もう腹は括った。
「つい凄くキレイで可愛くて……目が逸らせなかったんだ、ゴメンッ! でも覗きに来た訳じゃない、それは偶然!」
頭を下げた。
彼女の顔は見えない。
罵倒されるだろう。
もしかしたら通報とか。
いや空手技が。
懺悔と同時に様々な不安がよぎるが、数秒たっても何も優太を襲わない。
「え?」
拍子抜けする優太が少しだけ頭を上げると、
「……もう」
赤面したままの彼女はため息をつき、
「まぁ私も不用心だったしね……いちいち覗きにこんな山奥に来た訳じゃないだろうし、キレイで可愛いまで言われたら怒れないわよ、これで赦してあげる」
と、右手を伸ばして優太の頭を軽くコツンとしてきたのだ。
本当に軽く。
『……マジにカワイイ』
仮にも罪を咎められ罰まで貰っている状態だというのに、優太まで何だか赤面を禁じ得なくなってしまう。
「もう見ないの!」
「わ、わかってます」
ついつい彼女を見ようとしてしまうのを注意され、慌てて回れ右をする優太。
「ふふふっ」
慌てた優太に彼女は吹き出すように笑う、背中を向けているから見えないがきっと可愛らしい笑顔なのだろう。
「あっ……そうだ君さぁ」
何か話をしたい。
優太は口を開いた。
「えっ?」
「いや、実はこの辺りに國定優之介って人がやってた施設があるらしいんだけどわかる?」
後ろ向きのままで尋ねる優太。
脇道から戻り、石段を登ればわかる筈なのだが、彼女と何をキッカケにしようとも話をしたかった。
しかし……返ってきた返事は予想外の物であった。
「國定……お爺ちゃん、すごく残念だったね」
「お爺ちゃん!?」
祖父を知っている?
それも親しい口振りに思わず振り返りかけるが何とか堪える。
「もしかして君が孫の優太くん?」
「え……なんで?」
彼女の声は弾む。
意外。
まさか自分の名前が出るとは。
驚く所に……
「じゃあ、君が新しい道場の管理人さんだね」
「管理人!?」
予想外すぎる言葉に、今度は堪えきれず
優太は彼女に振り返ってしまったのだった。
続く