第4話 王女メリーナは、逃げない
朝の光が、王城の回廊を静かに満たしていた。
メリーナは窓辺に立ち、王都グリーンシティを見下ろしている。
森は遠い。
だが、胸の奥に残る緑の匂いは、まだ消えていなかった。
「……待つ、か」
ダニエルからの返事は、まだ届いていない。
それでも、彼が迷っていることは分かっていた。
――迷わせているのは、私。
その自覚が、メリーナの背筋を伸ばす。
「お母様」
朝食の席で、メリーナは静かに口を開いた。
公爵夫人リアナは、紅茶のカップを置く。
「何かしら」
「私は、ダニエル様を想っています」
飾らない言葉だった。
逃げも、言い換えもない。
「ですが、恋に溺れるつもりはありません」
リアナの視線が、鋭くなる。
「王女としての責任を、理解した上で――
それでも選びたいのです」
沈黙が流れる。
「……人間は短命よ」
「承知しています」
「あなたが老いぬ間に、彼は去る」
「それでも」
メリーナは、はっきりと答えた。
「限られた時間だからこそ、
一緒に生きたいのです」
母の目が揺れた。
それは反対ではなく、恐れの色だった。
その日の午後、メリーナは一人、騎士団長室を訪れた。
「入れ」
セドリックは机から顔を上げる。
「……王女殿下」
「団長。お願いがあります」
メリーナは頭を下げた。
「私は、王女としてダニエル様と向き合います。
だから――正式な場を設けてください」
セドリックは目を細める。
「正式な、場?」
「公国と王国の間で、
私的な関係ではない形で」
つまり、
隠さない。
逃げない。
王女の立場で、恋をするという選択だった。
「……強くなったな」
セドリックは小さく息を吐く。
「それでも、楽な道ではない」
「承知しています」
「ならば」
彼は立ち上がった。
「騎士として、
あなたの覚悟を無視するわけにはいかない」
夜。
王女の私室。
メリーナは机に向かい、もう一通の書簡を書いていた。
――
「私は、王女としてこの想いを選びます。
あなたが騎士であるなら、
私は王女として並び立ちます」
――
封を閉じた瞬間、
胸の奥の震えが、すっと収まった。
(もう、迷わない)
翌日。
王城では静かな噂が流れ始めていた。
「王女殿下が、人間の騎士との関係を隠していないらしい」
「正式な場を設けるとか……」
それは、嵐の前触れだった。
だがメリーナは、知っていた。
嵐を恐れて王女は務まらない。
森で芽吹いた恋は、
いま、王都で根を張ろうとしている。




