第1話 森が恋を告げる日
グリーンフォレスト公国の森は、朝になると光を飲み込む。
葉の一枚一枚が淡く輝き、空気は甘く澄んでいた。
メリーナ王女は、その森の奥で深く息を吸った。
エルフの血を引く彼女にとって、森林浴は日常だった。
だが――今日は違う。
「……胸が、うるさいわ」
自分でも驚くほど、心臓が早鐘を打っている。
少し離れた場所で、護衛の騎士が歩いている。
ルミナ王国騎士団副団長、ダニエル。
人間でありながら、若くして副団長に任命された剣士だ。
馬車の護衛任務の途中、グリーンフォレスト公国を通過する際、
安全確認を兼ねて森に入っただけ――
それだけの、はずだった。
「副団長様、問題ありません」
護衛の一人、Fランク冒険者の少年――カインが声を上げる。
十五歳、まだ職もスキルも持たないが、
この仕事に誠実だった。
「ありがとう、カイン。気を抜かないでくれ」
ダニエルは柔らかく微笑んだ。
その表情を見た瞬間、メリーナの胸がきゅっと締めつけられる。
(……なぜ?)
エルフは長命で、人間を恋の対象にすることは少ない。
母リアナからも、
「伴侶は同じエルフのほうがよいわ」
と、幼いころから何度も聞かされてきた。
とくに騎士団長セドリックは、誠実で強く、
母にとって理想の相手だった。
だが――
「王女殿下、足元にお気をつけください」
ダニエルが自然に手を差し伸べる。
その手に触れた瞬間、
森の音が、すべて遠のいた。
(この人のそばに……いたい)
理由など、なかった。
その夜、王城の温室でリアナ公爵夫人は娘を見つめていた。
「メリーナ。最近、心ここにあらずね」
「……母上」
「人間の騎士のことかしら?」
メリーナは言葉に詰まる。
否定できなかった。
「短命な種族よ。あなたが悲しむ未来が、私は見える」
リアナの声は厳しかったが、愛情に満ちていた。
「それでも……私は、心を偽れません」
初めて、メリーナははっきりと言った。
数日後、森の外れで魔獣の群れが発見される。
偶然にも、馬車護衛中だったダニエルの部隊と、
巡回中のグリーンフォレスト騎士団が鉢合わせた。
「共闘するしかないな」
騎士団長セドリックは即断した。
その判断は正しく、戦いは激しかった。
メリーナは祈ることしかできなかった。
だが、彼女の視線は一貫してダニエルを追っていた。
傷を負いながらも前に出る姿。
仲間を守るために剣を振るう背中。
戦いが終わったとき、
ダニエルは地面に膝をついた。
「……無事でよかった」
駆け寄ったメリーナは、気づけば彼の手を握っていた。
「あなたが……生きていてくれて……」
その声は震えていた。
ダニエルは、ようやく悟った。
「王女殿下。もし許されるなら……
私は、あなたをお守りしたい。立場ではなく、一人の男として」
沈黙ののち、セドリックが一歩下がった。
「……若いな。だが、覚悟は本物だ」
リアナも、静かに目を閉じる。
「あなたが選んだのなら……母として、否定はしないわ」
森は、何も言わずにすべてを見守っていた。
種族も、立場も越えて。
ただ、恋が芽吹いたことを。




