2月13日、バレンタイン前夜!
2月13日。金曜日。放課後。
私は家のキッチンに立っていた。
目の前には、チョコレートと生クリームと、お菓子作りの道具一式。
「……よし」
エプロンを締め直して、気合を入れる。
明日はバレンタインデー。灯花に渡すチョコを、今日中に完成させなきゃいけない。
1月から練習を重ねてきた。最初は焦がしたり、固まらなかったり、散々だった。
でも、何度も作っているうちに、少しずつコツが分かってきた。
チョコレートを刻む。細かく、均一に。
最初の頃は、この作業だけで疲れていたものだけど、今は慣れた。
湯煎でチョコレートを溶かす。ゆっくり、丁寧に。
焦っちゃダメ。私はせっかちだから、つい早くやりたくなる。でも、チョコレートは急いだらダメなんだ。
「ゆっくり、ゆっくり……」
自分に言い聞かせながら、かき混ぜる。
チョコレートが滑らかに溶けていく。いい感じだ。
生クリームを温めて、チョコレートに少しずつ加える。
この工程が一番難しい。温度が合わないと、分離してしまう。
「……よし、大丈夫」
滑らかなガナッシュができた。
これを冷やして、丸めて、コーティングして——。
作業を続けながら、灯花のことを考える。
明日、このチョコを渡す。6年間の想いを込めて。
6年間。
灯花と出会ってから、ずっと一緒にいた。
楽しいことも、辛いことも、一緒に経験してきた。
彩羽に言われたこと、まだ覚えている。
「6年もあったのに、なんで何もしなかったの」って。
その通りだ。私は6年間、何もしなかった。灯花のそばにいるだけで満足していた。
でも——今は違う。
今の私は、ちゃんと伝えようとしている。自分の気持ちを、灯花に。
チョコを丸める。一つひとつ、丁寧に。
形がちょっといびつになっても、気にしない。大事なのは、想いを込めること。
コーティング用のチョコレートを溶かして、丸めたガナッシュを浸す。
取り出して、クッキングシートの上に並べる。
「……できた」
15個のチョコレートが並んでいる。
見た目は——まあ、売り物みたいには綺麗じゃない。ちょっと歪で、コーティングにムラがある。
でも、一生懸命作った。私の精一杯だ。
冷蔵庫で冷やして、固まったら箱に詰める。
箱は赤いリボンがついたシンプルなもの。派手すぎず、地味すぎず。
チョコを箱に詰めながら、明日のことを考える。
明日は土曜日。学校はない。
だから、灯花を呼んで渡すことにした。駅で待ち合わせて、近くの公園で。
彩羽と詩織とは、昨日相談した。
3人とも灯花にチョコを渡したい。でも、同じ時間に渡すわけにはいかない。
だから、時間をずらすことにした。私が最初。昼前に駅で。彩羽が午後。詩織が夕方。
順番は——じゃんけんで決めた。私が最初で、ちょっと嬉しい。
チョコを箱に詰め終わったら時間干渉の異才を施す。施すのは時間停止。チョコの時間を止めて溶けたり劣化したりしないようにする。
いっぺんに食べても身体に良くないだろうし。灯花は私以外からも凝ったチョコを貰うのだろうから、私のチョコはゆっくり食べても大丈夫なようにしておきたい。
箱にリボンを結んで、完成。
手に取って、眺める。
「大丈夫、大丈夫」
声に出して言った。
「ちゃんと渡せば、伝わる」
灯花は、ちゃんと受け取ってくれる。私の気持ちを、ちゃんと受け止めてくれる。
だから、大丈夫。
スマホを取り出して、灯花にメッセージを送った。
『明日、11時に駅で会えない? 渡したいものがあるの』
送信。
すぐに既読がついて、返事が来た。
『わかった!』
『楽しみにしてるね』
『楽しみにしてて』
そう返して、スマホを置いた。
チョコの箱を大事に抱えて、自分の部屋に戻った。
明日が、楽しみだ。
◇◇◇
私は自分の部屋で、テーブルの上にチョコレートの箱を並べていた。
お店で買った、ちょっと高級なやつ。見た目も綺麗で、味も美味しい。
手作りも考えたけど、正直お菓子作りは得意じゃない。手先はそれなりに器用だと思うけど、私がやりたいのは別のことだ。
「よし、これとこれを使って……」
チョコレートの箱を手に取りながら、頭の中でシナリオを組み立てる。
ただ渡すだけじゃ、つまらない。灯花を驚かせたい。ドキドキさせたい。
だから、手品を使う。
「鞄を置いて、よし、リハーサル」
鏡の前に立って、動きを確認する。
まず、こうやって……ここで驚いて見せて……そして——。
「……ちょっと違う」
ちょっとタイミングをずらそう。もう一回。
何度も練習する。
手品は練習が命。何度もやって、自然にできるようにならないと。
「……うん、いい感じ」
5回目くらいで、納得のいく出来になった。
でも、まだ完璧かと言われると分からない。
「もうちょっと練習しないと」
鏡の中の自分に言った。
明日は土曜日。学校はない。
さきっちと詩織ねぇと相談して、時間をずらすことにした。さきっちが昼前、私が午後、詩織ねぇが夕方。
順番はじゃんけんで決めた。私は2番目。
渡す場所は——灯花の家にした。
灯花の部屋で、2人きりで。その方が手品もやりやすいし、灯花の反応もちゃんと見られる。
スマホを取り出して、灯花にメッセージを送った。
『明日の14時くらいに灯花んち行っていい? お届け物!』
送信。
すぐに返事が来た。
『うん、いいよ! 楽しみにしてる!』
灯花の返事を見て、にやりと笑った。
楽しみにしててね、灯花。絶対驚かせてあげるから。
灯花の驚いた顔を想像する。
「え、なにこれ!?」って言いながら、目をキラキラさせる灯花。
その顔が見たい。灯花を笑顔にしたい。
灯花といると楽しい。灯花の反応を見るのが好き。灯花が笑ってくれると、嬉しい。
だから、いつもからかったり、驚かせたりする。灯花の反応が見たいから。
でも、今回は違う。
今回は、ちゃんと伝えたい。私の気持ちを。
だから、明日は——灯花を笑顔にする。
手品で驚かせて、笑顔にして、それから気持ちを伝える。
「正々堂々、ね」
私たちが誓った言葉。
誰が選ばれても、恨みっこなし。
さきっちも詩織ねぇも、きっと準備してる。みんな、灯花のことが好きだから。
でも、負けたくない。
私は私のやり方で、灯花に想いを伝える。
もう一度、鏡の前で練習を始めた。
明日、完璧にできるように。
◇◇◇
私は自分の部屋で、机に向かっていた。
目の前には、上品な箱に入ったチョコレート。お店で選んだ、灯花ちゃんに似合いそうな可愛らしいもの。
そして、その横には——白いノート。
詩を書くためのノート。
灯花ちゃんへの気持ちを、言葉にするためのノート。
「……」
ペンを持って、白いページを見つめる。
灯花ちゃんにあげた詩。あの最後のページは、まだ白紙のまま。
灯花ちゃんへの気持ちを表す言葉が、まだ見つからなかった。
でも、バレンタインには何か渡したい。
チョコレートだけじゃなくて、言葉も。私らしく、言葉で気持ちを伝えたい。
だから、もう一つの詩を書こうとしている。
詩集の最後のページとは別の、バレンタイン用の詩。
「……とは言っても」
呟いた。
灯花ちゃんのことを考える。
暖かい人。優しい人。みんなのことを想ってくれる人。
灯花ちゃんへの気持ち。
好き。大好き。そばにいたい。ずっと一緒にいたい。
でも、「好き」だけじゃ足りない。もっと、もっと——。
ペンを動かしてみる。
『あなたの火は暖かい
私の心を照らしてくれる
あなたがいるから
私は言葉を探せる』
違う。これじゃない。
書いた部分を消して、もう一度考える。
『言葉を探している
あなたへの想いを表す言葉を
まだ見つからないけれど
探し続けている』
これも違う。詩というより、説明になってしまっている。
ため息をついた。
言葉は私の武器のはずなのに、一番大切な気持ちを表す言葉が見つからない。
それならば、と思い当たる言葉を一つ書いてみた。
――それがなんとも、しっくりくる。思わず苦笑が漏れた。
陳腐なものだと、自分でも思った。でも、これが今の私の精一杯。
これを渡そう。そして自分の口でもちゃんと言おう。
明日は土曜日。
早紀ちゃんと彩羽ちゃんと相談して、時間をずらすことにした。早紀ちゃんが昼前、彩羽ちゃんが午後、私が夕方。
順番はじゃんけんで決めた。私は最後。
渡す場所はあの喫茶店にした。
灯花ちゃんに詩を渡した、あの喫茶店。私にとって特別な場所。
あそこで、もう一度、今度はチョコと一緒に、想いを伝える。
スマホを取り出して、灯花ちゃんにメッセージを送った。
『明日の夕方、17時頃にあの喫茶店で会えないかしら? お話ししたいことがあるの』
送信。
しばらくして、返事が来た。
『うん! あの喫茶店だね、分かった!』
灯花ちゃんの返事を見て、少しだけ安心した。
チョコレートの箱と、想いを綴った紙を並べて眺めた。
早紀ちゃんも彩羽ちゃんも、きっと準備している。
私たちは「正々堂々」を誓った。誰が選ばれても、恨みっこなし。
だから、私は私のやり方で、灯花ちゃんに想いを伝える。
言葉で。詩で。私らしく。
明日が、楽しみ——いえ、少し怖い。
でも、逃げない。ちゃんと伝える。
もう一度、詩を見つめながら、言葉を探し続けた。
◇◇◇
同じ頃。
私は自分の部屋で、スマホを見つめていた。
さっきから、立て続けにメッセージが届いている。
早紀から。
『明日、11時に駅で会えない? 渡したいものがあるの』
彩羽ちゃんから。
『明日の14時くらいに灯花んち行っていい? 届けたいものがあるの!』
詩織さんから。
『明日の夕方、17時頃にあの喫茶店で会えないかしら? お話ししたいことがあるの』
3人から、それぞれ別の時間に会いたいというメッセージ。
渡したいもの。届けたいもの。お話ししたいこと。
——明日は、バレンタインデーだ。
「……」
私は3人のメッセージを見比べた。
11時、14時、17時。綺麗に時間がずれている。場所も、駅、私の家、喫茶店と、全部違う。
これは偶然じゃない。
3人が相談して、こうしたんだ。
「正々堂々と」。あの言葉を、ちゃんと守ろうとしてくれている。
私は3人に返事を送ってからスマホを置いて、ベッドに寝転がった。
天井を見つめながら、明日のことを考える。
3人から、チョコをもらう。
3人とも、私のことが好きで、気持ちを伝えようとしてくれている。
その想いを、ちゃんと受け止めなきゃ。
手のひらに、小さく火を灯した。
金色の光が、薄暗い部屋を照らす。
あの日。屋上でみんなと仲直りした日から、私の火は金色になった。
環さんに相談したけど、理由や意味は分からないって言われた。「自分の心と向き合えば、分かるようになる」とも。
自分の心と向き合う。
この金色の火は、私の心を映している。
じゃあ、私の心は? 何を感じているんだろう。
3人への気持ち。
早紀への気持ち。彩羽ちゃんへの気持ち。詩織さんへの気持ち。
全部違う。でも、全て大切な気持ち。
火を見つめる。
金色の火。暖かくて、優しい光。
この火が何を意味しているのか、まだ分からない。
でも、環さんは「悪いことじゃない」と言ってくれた。「灯花の火の本質は変わらない」とも。
この火が私の心を映しているのだとして。
明日、3人からチョコをもらったら、私はどう感じるんだろう。
この火は、どう変化するんだろう。
「……分からないや」
呟いた。
でも、分からなくても向き合えばいい。
火を消して、布団に入った。
明日が、楽しみだ。




