12月3日、異才科の授業!
環さんが転校してきて2日目。
今日は週に一度の異才科の授業がある。
異才科というのは、自分の異才について学んだり、実際に使ってみたりする授業だ。普通科目と違って実技が多い。体育館や校庭を使うこともある。
「今日の異才科、花輪さんにとっては初めてだよね」
朝のホームルーム前、私は環さんの席に行って話しかけた。昨日一緒に帰ってから、なんとなく話しかけやすくなった気がする。
「うん」
「異才科って実技が多いから、ちょっと緊張するかも。でも先生優しいから大丈夫だよ」
「そう」
環さんは相変わらず言葉少なだけど、ちゃんと聞いてくれている。
「灯花ー、朝から転校生のとこ行ってるー」
後ろから彩羽ちゃんの声がした。振り返ると、彩羽ちゃんと早紀と詩織さんが揃ってこっちに来ていた。
「あ、おはよう」
「おはよ。今日異才科だねー、花輪さん初めてだよね?」
彩羽ちゃんが環さんに話しかける。彩羽ちゃんは誰にでもこの調子だ。
「うん」
「私の変身、見せてあげよっか? 結構すごいよ?」
「彩羽、授業でやるでしょ」
早紀がツッコんだ。
「えー、でも予習ってことで」
「予習の意味わかってる?」
いつもの掛け合い。環さんはそのやり取りを静かに見ている。
「花輪さん、異才科の授業って今までの学校でもあった?」
詩織さんが穏やかに聞いた。
「あったよ」
環さんはそれだけ言って、また窓の外を見た。
◇◇◇
3時間目、異才科の授業。
場所は体育館だ。異才科の担当は佐々木先生。三十代くらいの女の先生で、異才は水の系統らしい。穏やかで生徒思いの人だ。
「今日は転校生の花輪さんがいるので、まずは自己紹介を兼ねて各自の異才を見せてもらいましょうか」
佐々木先生がそう言って、出席番号順に生徒を呼び始めた。
「秋月さん」
早紀が呼ばれた。早紀は前に出て、軽く手を振った。
「時間干渉です」
早紀が手をかざすと、佐々木先生が持っていたストップウォッチが逆回転を始めた。数字がどんどん戻っていく。
「時間を巻き戻せます。限界までいけば1時間くらいは」
早紀があっさりと言う。環さんに見せるためか、いつもより少しだけ気合いが入っている気がする。
「ありがとう、秋月さん。相変わらず精密なコントロールね」
佐々木先生が頷いて、次の生徒を呼ぶ。
何人か続いて、私の番が来た。
「日向さん」
前に出る。環さんの視線を感じる。なんだか緊張する。
「火の異才です」
手のひらに火を灯した。いつもの、橙色の小さな火。
「暖かい火を出せます。それだけです」
それだけ、と言ってしまってから、ちょっと後悔した。でも事実だし。
「立派な異才よ。温度調節ができるのは才能だわ」
佐々木先生がフォローしてくれた。ありがたいけど、なんだか余計に惨めな気持ちになる。
席に戻る時、環さんと目が合った。環さんは何も言わなかったけど、その静かな目が私を見ていた。
何人か続いて、七瀬さんが呼ばれた。
「七瀬さん」
彩羽ちゃんが元気よく前に出た。
「変身でーす!」
彩羽ちゃんが手を広げると、その姿が変わり始めた。髪の色が変わり、顔の輪郭が変わり、身長まで変わって――佐々木先生と同じ姿になった。
「こんな感じで誰にでも変身できまーす」
佐々木先生の声で、佐々木先生の姿の彩羽ちゃんが言う。本物の佐々木先生が苦笑している。
「はいはい、ありがとう七瀬さん。悪用しないでね」
「しませんよー。あ、でも定期試験が採点中ですね、そういえば!」
「ダメよ七瀬さん」
彩羽ちゃんが元の姿に戻りながら笑った。クラスが沸いている。彩羽ちゃんはこういう時、場を盛り上げるのがうまい。
「花輪さん」
最後に、環さんが呼ばれた。
環さんは静かに立ち上がって、前に出た。体育館が少し静まる。転校生の異才、みんな気になっているのだ。
「火の異才です」
環さんが短く言った。日向さんと同じだ、という声がどこかから聞こえた。
環さんは何もしなかった。
手を動かさなかった。構えを取るということもない。ただ、立っているだけ。
なのに、火が生まれた。
環さんの周囲の空気が歪んで、虚空から蒼い炎が湧き出した。手のひらの上ではない。環さんを中心に、宙に浮かぶように。
昨日、教室で見せてもらった時とは比べ物にならなかった。
あの時は人差し指の先に小さな火を灯しただけだった。それでも圧倒的だと思った。でも今、目の前にあるものは。
蒼い炎が輪を描いて環さんの周りを回っている。一つではない。三つ、四つ、五つ。それぞれが独立して動きながら、でも一つの意思で制御されているのが分かる。
熱い。離れた場所にいるのに、肌がひりつくような熱を感じる。
美しかった。でも同時に、本能的な恐怖と疑問を覚える。これは火なのだろうか? もっと根源的な何かなのでは。
誰も声を出せなかった。昨日あの蒼い火を見た私も、早紀も、彩羽ちゃんも、詩織さんも。一度見たはずなのに、声が出ない。
「これが私の異才です」
環さんの声は静かだった。
次の瞬間、火が消える。環さんは最初から最後まで指一本動かさなかった。まるで最初からなかったみたいに。
「……すごいわね」
佐々木先生が、ようやく声を絞り出すように言った。
「抑えてはいます。危ないので」
環さんが淡々と言った。抑えている。あれで。本気を出したら、どうなるんだろう。
体育館がざわめき始めた。「すごい」「あんな火見たことない」「手を使わずに出せるの」「同じ火の異才なのに全然違う」という声が聞こえる。
うぐ。同じ火の異才なのに全然違う。ちょっとその言葉は私の胸のあたりに刺さるかも。
私は手のひらに火を灯すだけで精一杯。環さんは何もせずに、あんな火を自在に操れる。
同じ異才なんて、とても言えない。比べることもおこがましい。
環さんが戻ってくる。私の隣を通り過ぎる時、ふと足を止めた。
「灯花」
小さな声で、環さんが言った。
「私はあなたの火、好き」
「え……」
「また見せて」
私が聞き返す前に、環さんは歩き出していた。呆然とその背中を見送る。
私の火を、もっと見たい? あんなすごい火を持っている環さんが?
意味が分からなかった。
◇◇◇
授業が終わって、休み時間。
「花輪さんの火、昨日よりやばかったね……」
彩羽ちゃんが言った。いつもの元気な調子ではなく、どこか呆然とした声で。
「うん……昨日見た時もすごいと思ったけど、あれでもまだ抑えてたんだね」
私は曖昧に頷いた。
「手を動かさずに出せるって、相当よね。普通、異才を使う時は何かしら動作がいるものだけど」
詩織さんが考え込むように言った。
「制御も異常だった。あれだけの火を複数同時に操るって、ちょっと次元が違う」
早紀が腕を組んで言った。
昨日、教室で見た時は「すごい」で済んでいた。でも今日のを見て、その「すごい」の桁が違うことを思い知らされた。
「火の異才ってあんなこともできるんだ……」
彩羽ちゃんがぽつりと言った。
その言葉に、誰も何も返さなかった。
「灯花ちゃんの火も素敵よ? 暖かくて、優しいもの」
沈黙を破るように、詩織さんがフォローしてくれた。でも、フォローされればされるほど、自分の火がちっぽけに思えてくる。
「……ありがとう」
私は力なく答えた。
「灯花、落ち込んでる?」
早紀が私の顔を覗き込んできた。
「落ち込んでないよ。ただ、すごいなって思っただけ」
言ってから嘘だな、と思う。相槌のように落ち込んでないよ、と言ったけど実際落ち込んでいる。環さんの畏怖すら覚える恒星のような火と、私の蝋燭みたいな火。比べることすらおこがましいその差を見て、同じ火の異才として何も感じるなというのは難しかった。
「まぁ、確かにすごかったけど。でも異才の強さが全てじゃないでしょ」
「そうだよ、灯花の火だってすごいじゃん? 冬場あったかいし!」
彩羽ちゃんが明るく言った。慰めてくれてるのは分かるけど、そのワードチョイスはつまり、それくらいしか取り柄がないってことじゃ?
「ちょっと、お手洗い行ってくる」
私は立ち上がった。
「灯花?」
「すぐ戻るから」
3人の心配そうな視線を背中に感じながら、私は教室を出た。
このタイミングでお手洗いって言ったって噓なのはバレバレだろう。でも今はこの劣等感とか、周りの反応とかっていう悲しみを悲しむ時間が欲しかった。じゃないと何かが歪んでもとに戻らないような、そんな気がした。
◇◇◇
廊下の窓から外を見る。冬晴れの空。綺麗だけど、今の私には眩しすぎる。
顔をつけてちょっとの間何も考えないでいられる都合のいい泥濘みたいなものは、学校の廊下にはなさそうだった。
手のひらに火を灯してみた。橙色の小さな火。暖かくはあるけど、それだけの火。
環さんの蒼い火を思い出す。蒼い火。恒星を想起させるような渦巻く火。畏怖すら感じる輝ける火。
同じ火の異才なのに全然違う。火の異才はあんなこともできる。私の火は冬場暖かい優しい火。
どの言葉も悪意があるものだとは思っていない。事実私と環さんの火の間には自分でもこうも違うものかと言いたくなるほどの差はある。でも人間、事実であればすべてを受け入れられるわけでないし、悪意がなくても刃が当たると傷はつく。
「灯花」
そんなことを考えてる最中に声をかけられた。振り返ると、環さんが立っていた。
「環さん、どうしたの?」
「落ち込んでいるように見えた。大丈夫?」
環さんが私の顔を見て聞いた。
「な、なにが? 大丈夫だけど」
「嘘」
環さんがあっさり切り捨てる。
「落ち込んでる。私の火を見て」
「……そんなことないよ」
「嘘が下手」
環さんがまっすぐに私を見た。あの静かな琥珀色の目。……バレてるならこれ以上誤魔化す必要もないか。
「灯花の火は、灯花だけのもの」
「でも、環さんの火と比べたら……」
「それは比べるもの?」
環さんが私の手を見た。まだ小さな火が灯っている。
「この火」
「え? あ、ちょっと……!」
環さんが私の火に触れようとしたので慌てて温度を下げる。案の定環さんは私の火に指先で触れた。
そっと、壊れ物を扱うように。
「暖かい」
環さんが小さく呟いた。その声には、何か懐かしむような響きがあった。
「でも、暖かいだけじゃ何もできない……」
「確かに私の火はいろいろなことができる。でも暖かかったり優しかったりはしない」
環さんが私の目を見た。凪いだ目。まるでこの世の真理をすべて包含した深淵に覗かれているような感覚を覚える。
「暖かくて優しいのはいいこと。それはきっと、すべてを焼き尽くせる火よりもずっといい」
環さんがそう言って、手を引っ込めた。
「もうすぐ授業がはじまる。戻ろう」
「……うん」
私は火を消して、環さんと一緒に教室に向かって歩き出した。
まだ落ち込んでいる。でも、少しだけ楽になった気がする。
環さんは私の火に触れて「暖かい」と言ってくれた。
みんなも私の火を暖かいと言ってくれるけど、あれだけの火を操れる環さんが言う「暖かいのはいいことだ」というのは、なんだか違う意味に聞こえて。
それが本心かどうかは分からない。でも、お世辞を言うような人ではないと思う。
「環さん」
「ん?」
「ありがとう」
環さんは小さく頷いた。
教室に戻ると、3人が私たちを見ていた。
「灯花、大丈夫だった?」
早紀が聞いてきた。
「うん、大丈夫。環さんが来てくれて」
私がそう言うと、3人の表情が少しだけ変わった気がした。気のせいかもしれないけど。
「そっか」
早紀が短く言って、自分の席に戻った。
「よかったね、灯花ちゃん」
詩織さんがにっこり笑った。でも、その笑顔がいつもより少しだけ硬い気がした。
「ところで次の授業移動! すぐ移動!」
彩羽ちゃんが慌てた様子で叫んだ。ただ、それがちょっと唐突なようにも思えて。
なんだろう、この空気。
私には分からなかった。3人が何を考えているのか、何を感じているのか。
ただ、環さんが隣にいてくれることが、少しだけ心強かった。
「灯花」
環さんが小さく言った。
「ん?」
「今日も一緒に帰る?」
「うん」
私が頷くと、環さんは満足そうに――いや、満足そう、というには表情が乏しすぎるけど、でもどこか嬉しそうに自分の席に戻っていった。




