1月9日、火の異才の小さな異変!
1月9日。放課後。
冬休みが明けてから、環さんとの火の練習を再開した。
場所はいつもの校舎裏。冬の夕暮れは早くて、空はもう茜色に染まり始めている。
「じゃあ、いつも通り」
環さんが言った。
「うん」
私は頷いて、手のひらに火を灯した。橙色の光が、冷たい空気の中で揺れる。
「複数の火を同時に出す練習から」
環さんの指示に従って、私は意識を集中させた。
一つ目の火を維持しながら、もう一つの火を出す。これがなかなか難しい。
「……っ」
二つ目の火を出そうとすると、一つ目の火が揺らいでしまう。
「焦らなくていい。ゆっくり」
環さんの声が聞こえる。落ち着いて、もう一度。
一つ目の火を安定させて、そこに意識を置いたまま、別の場所に意識を伸ばす。
ぽっ、と小さな火が灯った。
「できた……!」
二つの火が、私の周りで揺れている。
「うん、いい感じ」
環さんが頷いた。
「前より安定してる。冬休みの間も、練習してた?」
「うん、ちょっとだけ」
冬休み中、1人で練習していた。早紀と出かけた日も、彩羽ちゃんが家に来た日も、詩織さんと会った日も——夜、部屋で小さな火を灯して、練習していた。
3人のことを考えながら。
「じゃあ、次は三つ」
環さんが言った。
「三つ……」
二つでも精一杯なのに、三つ。でも、やってみないと分からない。
私は意識を集中させた。
一つ目。二つ目。そして——三つ目。
「……っ!」
三つ目の火を出そうとした瞬間、何かが変わった。
私の中で、何かが動いた気がした。
火が一瞬、違う色を帯びた。
「え……?」
橙色だったはずの火が、一瞬だけ金色に輝いた。ような気がした。
すぐに元の橙色に戻ったけど、確かに見えた。
「今の……」
環さんが私の火を見ていた。
「環さん、今の見た……?」
「見た」
環さんが頷いた。
「なんだろう、今の」
「何か変化が起きてる」
私は自分の火を見つめた。今は普通の橙色だ。さっきの金色は、見間違いだったんだろうか。
「どういうこと?」
「分からない」
環さんが首を振った。
「でも、今の火は、確かにいつもと違った」
環さんが橙色に戻った私の火をじっと見ている。何かを考えているような顔だ。
「私、なんか変なこと……した?」
「変なことはしていないと思う。ただ、火が変化した」
環さんの言葉に、私は不安になった。
火が変化した。それは良いことなんだろうか。悪いことなんだろうか。
小学生の頃、私は火で人を傷つけた。あの時も、火が制御できなくなった。
もし、また——。
「悪いことじゃないと思う」
環さんが言った。まるで私の不安を読み取ったみたいに。
「え……?」
「今の火は暴走じゃなかった。むしろ……」
環さんが言葉を切った。
「むしろ?」
「上手く言えない。でも、悪い変化じゃないと思う」
環さんがそう言ってくれて、少しだけ安心した。
でも、やっぱり気になる。
「環さんは、こういうこと経験したことある? 火が変わるって」
環さんは少し間を置いてから、答えた。
「ある。私の火も、昔とは違う」
昔。環さんの「昔」って、いつのことだろう。同い年のはずだけど。
「火は、使う人の心を映す」
環さんが言った。
「心を映す……?」
「うん。灯花の心が変わってきてるから、火も変わってきてるのかもしれない」
私の心が変わってきている。
それは——3人のこと?
早紀と彩羽ちゃんと詩織さんに告白されて、自分の気持ちと向き合おうとしている。それが、火に影響している?
「……よく分からないや」
正直に言った。
「分からなくていい」
環さんがそう言って、微笑んだ。
「火の変化は、灯花自身が理解するしかない。私が教えられることじゃない」
「そっか……」
環さんにも分からないことがあるんだ。火の使い方なら何でも知っていると思っていたけど、そうでもないらしい。
「でも、一つだけ言えることがある」
環さんが私を見た。
「灯花の火は、暖かい。それは変わってない」
環さんの言葉が、胸に落ちてきた。
でも、環さんが微笑んでいるなら、大丈夫なような気がした。
「……ありがとう、環さん」
「お礼を言われることじゃない」
環さんが小さく笑った。
「練習を続けよう。火の変化は使っていけば分かるようになるかもしれない」
「うん」
私は頷いて、また火を灯した。
橙色の火。暖かい。
さっきの金色は、何だったんだろう。
◇◇◇
練習を続けていると、また火が変化した。
三つ目の火を出そうとした時——また、金色が混じった。
「あっまた」
今度ははっきり見えた。橙色の中に、金色が混じっている。すぐに消えてしまったけど、確かにあった。
「何を考えてた?」
環さんが聞いた。
「え?」
「今、火が変化した時。何を考えてた?」
何を考えていたか。
三つ目の火を出そうとして——。
「……みんなのこと、考えてた」
正直に答えた。
「みんな?」
「早紀と、彩羽ちゃんと、詩織さん」
三つの火を出そうとした時、なんとなく3人のことが頭に浮かんだ。
「そう」
環さんが何か考え込むような顔をした。
「3人のことを考えると、火が変化する?」
「分からない。たまたまかもしれないし……」
でも、二回とも3人のことを考えていた時に変化した。偶然じゃないのかもしれない。
「試してみる?」
環さんが言った。
「試す?」
「3人のことを考えながら、火を出してみて」
私は頷いて、火を灯した。
早紀のことを考える。
雪の日のこと。思い出の場所を巡ったこと。「灯花の火が好き」と言ってくれたこと。
胸がじんわりと暖かくなる。
「金色にはなってない。けど安定したように見える。揺らぎが少なくなった」
言われてみれば確かにそう見えるかもしれない。安定したような?
「うん……」
次は彩羽ちゃんのことを考える。
宿題をした日のこと。後ろから抱きつかれたこと。耳元で囁かれたこと。
心臓がドキドキする。
「変わった」
「え、今?」
「うん。色は変わらなかったけど、火の動きが変わった。弾けるような」
マジか。見逃していた。
彩羽ちゃんのことを考えると、火が弾ける。
早紀のことを考えると、火が安定する。
じゃあ、詩織さんのことを考えると——。
詩織さんのことを考える。
喫茶店のこと。詩を受け取ったこと。詩織さんの涙。「そばにいさせて」と言われたこと。
胸がきゅっと締め付けられる。
火が波打つように変化した。
そして、少しして金色が混じる。
「……っ!」
私は思わず声を上げた。
「今の、見た?」
「見た」
環さんが頷いた。
「金色……?」
「少しだけ」
早紀の時は安定。彩羽ちゃんの時は弾ける。詩織さんの時は波打って。
それから、金色が混じる。
3人のことを考えると、火が違う反応をする。
「これって……どういうこと?」
「分からない」
環さんが首を振った。
「でも、灯花の火が感情に反応してるのは確か。3人への気持ちが、火に影響してる」
3人への気持ち。
早紀への気持ち。彩羽ちゃんへの気持ち。詩織さんへの気持ち。
全部違う。全部——私の中にある感情。
「じゃあ、さっきの金色は……?」
「分からない」
環さんがまた首を振った。
「3人のことを同時に考えた時に出たのかもしれないし、別の感情が関係してるのかもしれない」
「別の感情……」
別の感情。そんなものがあるとして、その正体が私には、分からなかった。
「今日はここまでにしよう」
「え、もう?」
「火が不安定になってる。疲れてるでしょ」
言われてみれば、確かに少し疲れていた。火の練習は集中力を使う。さっきから何度も感情を意識して火を出していたから、余計に消耗していたのかもしれない。
「……うん、そうする」
私は火を消した。
◇◇◇
帰り道、環さんと並んで歩いた。
「環さん」
「ん?」
「さっきの火の変化……私、どうすればいいのかな」
環さんは少し考えてから、答えた。
「どうもしなくていい。ただ、自分の火を見つめていればいい」
「見つめる?」
「うん。火は灯花の心を映してる。だから、火を見つめることは、自分の心を見つめること」
火を見つめることは、自分の心を見つめること。
私の火が3人への気持ちで変化するなら——火を見つめれば、自分の気持ちが分かるようになるのかもしれない。
「……ありがとう、環さん」
「どういたしまして」
環さんが小さく笑った。
「灯花」
「ん?」
「焦らなくていい。火も、気持ちも、ゆっくり向き合えばいい」
環さんの言葉が、胸に染み込んでいった。
「うん……」
焦らなくていい。ゆっくりでいい。
でも、ずっと先延ばしにはできない。
「環さんは、自分の火のこと、全部分かってる?」
「だいたいはわかる。でもすべてじゃない」
環さんが意外なことを言った。
「え、そうなの?」
「火は奥が深いから」
環さんでも分からないことがある。
なんだか、少しだけ安心した。
「灯花の火は、まだ変わり始めたばかり。これからもっと変わっていくかもしれない」
「もっと変わる……」
「うん。でも、怖がらなくていい。灯花の火は、暖かい火だから」
暖かい火。
環さんは何度もそう言ってくれる。私の火は暖かいって。
「……ありがとう、環さん」
何度目か分からない「ありがとう」を言った。
「お礼は一回でいい」
環さんが苦笑した。
「でも、本当にありがとうって思ってるから」
「そう」
環さんが少しだけ表情を緩めた。たぶん、笑っていたと思う。
◇◇◇
家に帰って、部屋で一人になった。
手のひらに火を灯す。橙色の光が、部屋を照らした。
今日の練習で分かったこと。
私の火は、感情に反応する。3人への気持ちで、火が変化する。
早紀のことを考えると、安定する。
彩羽ちゃんのことを考えると、弾ける。
詩織さんのことを考えると、波打つ。
そして、3人のことを同時に考えると——金色が混じる。
金色の意味は、まだ分からない。
でも、環さんは「悪いことじゃない」と言ってくれた。
火を見つめる。
橙色の光が、ゆらゆらと揺れている。
この火は、私の心を映している。
なら、この火を見つめ続ければ、自分の気持ちが分かるようになるのかもしれない。
早紀への気持ち。彩羽ちゃんへの気持ち。詩織さんへの気持ち。
全部違う。でも、全て大切な気持ちだ。
火を消して、布団に潜り込んだ。
明日も学校。明日も、みんなに会える。
早紀と彩羽ちゃんと詩織さんと環さん。
5人で過ごす日々が、私は好きだ。
目を閉じて、眠りについた。
瞼の裏で、金色の火が燃えていた。




