12月29日、切ない気持ち!
言葉は、私の武器だった。
たくさんの本を読んできた。たくさんの物語を、心に刻んできた。美しい言葉、悲しい言葉、誰かの心を動かす言葉。
私はそれらを集めて、自分のものにしてきた。
言葉があれば、何でも伝えられると思っていた。
でも――灯花ちゃんへの気持ちだけは、どの言葉でも足りなかった。
好き。愛してる。大切。
どれも嘘じゃない。でも、どれも私の気持ちを表しきれない。
だから、詩を書いた。
灯花ちゃんのための詩。灯花ちゃんを見ていて感じたことを、一つ一つ言葉にした。
でも、最後の言葉だけが見つからない。
この気持ちを何と呼べばいいのか。この想いをどう綴ればいいのか。
未完成の詩。未完成の想い。
それでも、伝えたかった。
灯花ちゃんに、私の言葉を届けたかった。
早紀ちゃんは6年間の絆がある。彩羽ちゃんは人をドキドキさせる才能がある。
私には、言葉しかない。
だから、私は言葉で伝える。
たとえ未完成でも。たとえ足りなくても。
今の私にできる、精一杯の想いを。
◇◇◇
次の日。
駅前の喫茶店に入ると、詩織さんはもう来ていた。窓際の席で、本を読んでいる。
「詩織さん」
「あら、灯花ちゃん。いらっしゃい」
詩織さんが本を閉じて、微笑んだ。いつもの、おっとりとした笑顔。
「待った?」
「ううん、さっき来たところよ」
私は詩織さんの向かいに座った。店内は静かで、クラシック音楽が小さく流れている。詩織さんらしい場所だと思った。
注文を済ませて、私の分のココアと詩織さんの紅茶が運ばれてきた。
「今日は、ありがとう。来てくれて」
「ううん。詩織さんに誘ってもらえて嬉しかったよ」
詩織さんが紅茶のカップを両手で包んだ。
「灯花ちゃんに、渡したいものがあるの」
「渡したいもの?」
詩織さんが鞄から、一冊の薄い本を取り出した。
いや、本というより——ノートに近い。手作りの、小さな冊子。
「これは……?」
「私が書いたの。灯花ちゃんのために」
詩織さんが、その冊子を私に差し出した。
「詩織さんが……書いた?」
「うん。詩を」
詩。
詩織さんの異才は「栞」。読んだ本を再現する能力だ。でも、これは再現じゃない。詩織さん自身が書いたもの。
「読んでもいい?」
「もちろん。そのために持ってきたのだから」
私は冊子を開いた。
詩織さんの綺麗な字が並んでいる。
冬の朝に灯る
小さな火のひとつ
暖かいのは炎じゃなくて
あなたの心
誰かのために怖さを越えて
灯したその火は
傷つけるためじゃなくて
守るためのもの
自分を嫌いだと言いながら
燃えることをやめはしない
矛盾を抱えた優しい火よ
あなたは気づいているだろうか
あなたの火に
救われた人がいることを
あなたの温もりを
待っている人がいることを
そこで、詩は途切れていた。
次のページは、白紙だった。
「……これって」
顔を上げると、詩織さんが静かに頷いた。
「灯花ちゃんを見ていて、感じたことを書いたの」
胸が、締め付けられるような感覚がした。
「自分を嫌いだと言いながら、燃えることをやめない。灯花ちゃんのことよ」
「詩織さん……」
「もちろん、その火は異才のことだけを指すわけじゃない」
詩織さんの目が、真っ直ぐに私を見ていた。
「自分の価値を認めず、それでも人に寄りそうことを、人に優しさを注ぐことをやめなかった」
息を呑んだ。
そんな風に思ったことはなかった。
確かに自分の価値を本当に認めていないのであれば、自分の優しさや行為を無価値だと断じて何もしなくたっていいはずなのだ。
それでも私は早紀を助けた。
それは確かに、矛盾なのかもしれない。
私の奥の奥まで、詩織さんに見られている気がした。
「灯花ちゃんの火は、暖かいの。傷つけるためのものじゃない。守るためのもの」
詩織さんの声は静かだった。でも一つ一つの言葉が、今の私には沁みる。
「それを、灯花ちゃんに知ってほしかった」
私は何も言えなかった。
言葉が出てこない。
詩織さんは言葉のプロだ。たくさんの本を読んで、たくさんの言葉を知っている。
対して私は――何も言えない。
「……最後のページ、白紙だね」
やっと、それだけ言えた。
「えぇ」
詩織さんが頷いた。
「未完成なの。この詩は」
「それはどうして……?」
「最後の言葉が、見つからないから」
詩織さんが、紅茶のカップに目を落とした。
「私、たくさんの言葉を知っているわ。たくさんの本を読んできた。たくさんの物語を、心に刻んできた」
詩織さんの声が、少しだけ震えた。
「でも、灯花ちゃんへの気持ちを表す言葉が、まだ見つからないの」
胸が苦しくなった。
詩織さんの目が、潤んでいる気がした。
「好き、じゃ足りない。愛してる、でも違う。どの言葉も、私の気持ちを表しきれない」
詩織さんが顔を上げた。
「だから、この詩は未完成なの。私の気持ちを表す言葉が見つかるまで」
「詩織さん……」
「灯花ちゃん」
詩織さんが私の手に、そっと触れた。
「この詩を完成させたいの。灯花ちゃんへの気持ちを、ちゃんと言葉にしたい」
詩織さんの手が、少しだけ震えていた。
「だから――言葉が見つかるまで、灯花ちゃんのそばにいさせて」
その言葉が、胸の奥に落ちてきた。
苦しい。
言葉にできない何かが、胸の奥で詰まっている。
詩織さんは、いつも完璧に見えた。おっとりしていて、優しくて、何でも知っていて。
でも今、目の前にいる詩織さんは――脆くて、必死で、一生懸命だった。
「……うん」
私はそう言うのが精一杯だった。
「そばにいよう? 詩織さん」
詩織さんの目から、涙が一粒だけこぼれた。
「ありがとう、灯花ちゃん」
詩織さんが微笑んだ。いつもの微笑みとは違う。もっと、柔らかくて、もっと、脆い微笑み。
私は詩織さんの手を、握り返した。
◇◇◇
その日の夜、布団の中で詩織さんのことを考えていた。
詩織さんの詩を、何度も読み返した。
「自分を嫌いだと言いながら、燃えることをやめはしない」
私は、そうだったんだ。
自分では気づいていなかった。詩織さんに言われて、初めて気づいた。
詩織さんは、私のことを見ていてくれた。私自身よりも、私のことを分かっていてくれた。
「灯花ちゃんへの気持ちを表す言葉が、まだ見つからないの」
あの時の詩織さんの顔が、頭から離れない。
たくさんの言葉を知っている詩織さんが、言葉を見つけられないと言った。
それがどれだけ苦しいことか、私には想像もつかない。
早紀の時は、胸がじんわりと暖かくなった。
彩羽ちゃんの時は、胸がドキドキした。
詩織さんの時は――胸が苦しくなった。言葉にできない何かが、胸の奥で詰まっているような。
3人とも、違う。
3人とも、私のことを好きだと言ってくれた。
でも、私の心は3人に対して、それぞれ違う反応をしている。
どれが「恋」なんだろう。
全部が「恋」なんだろうか。
それとも、どれも「恋」じゃないんだろうか。
……分からない。
でも、一つだけ分かることがある。
詩織さんの詩は、まだ未完成だ。
その最後の言葉が、見つかる日が来るんだろうか。
見つかってほしい、と思った。
詩織さんの気持ちが、ちゃんと言葉になる日が。
それが――私への恋が成就する日なのだとしても。
……? 私、今、何を?
成就してほしい、って思った?
詩織さんの恋が?
……分からない。
分からないけど、詩織さんのことが気になるのは確かだ。
詩織さんの詩の、最後の言葉。
それがどんな言葉になるのか、知りたい、と思った。
◇◇◇
灯花ちゃんが、切なそうな顔をしていた。
私の詩を読んで、私の言葉を聞いて。
届いた、と思った。
私の言葉が、灯花ちゃんの心に届いた。
「そばにいよう、詩織さん」
灯花ちゃんがそう言ってくれた時、涙が出た。
嬉しかった。ただ、嬉しかった。
私は言葉でしか戦えない。早紀ちゃんのように長い時間を共有してきたわけでもなく、彩羽ちゃんのように人をドキドキさせる才能があるわけでもない。
でも、言葉で灯花ちゃんの心に触れることができた。
それが、どれだけ嬉しいことか。
家に帰って、あの詩を読み返す。
未完成の詩。最後の言葉が、まだ見つからない。
灯花ちゃんへの気持ちを何と呼べばいいのか。
好き、では足りない。愛してる、でも違う。
もっと深くて、もっと広くて、もっと温かくて――。
本棚に並ぶ無数の本を見る。この中に、答えはあるだろうか。
きっと、ない。
誰かの言葉を借りても、私の気持ちは表せない。
自分の言葉で、見つけなければ。
灯花ちゃんだけの言葉を。私だけの言葉を。
「……見つけてみせる」
静かに、そう呟いた。
この詩を完成させる日が来たら――その時、私は灯花ちゃんに告げよう。
この気持ちの名前を。
灯花ちゃんへの想いを、余すところなく言葉にして。
その日まで、私は言葉を探し続ける。
灯花ちゃんのそばで。




