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痛快!人類浄化計画

作者: 仲瀬充
掲載日:2025/12/11

渋谷のスクランブル交差点周辺は常にも増して立錐(りっすい)の余地もない人だかりだった。

皆が立ち止まってビルの壁面の大型ディスプレイを見上げている。

10、9、8、……

年末の熱狂を彷彿(ほうふつ)とさせるカウントダウンが自然発生的に始まった。

3、2、1、ゼロー!!

巨大なLED画面に『真相究明リクエスト第1位!』と表示され、続いて映し出された動画に群衆は息をのんだ。

それはベッド上の裸の男女の姿でモザイクがかかっているが男の顔だけは鮮明だった。

画面は切り替わってこの二人がホテルのレストランで食事をしている場面まで早戻しされた。

食事の途中で女性がトイレに立った。

そのすきに男はポケットから粉末の入った包みを取り出し、封を切って女のワイングラスに入れた。

女は戻ってくると食事を再開したが急速に眠気を催し始めたように見える。

すると男は女に肩を貸してレストランからエレベーターへ、そして部屋へと移動。

男がベッドに女を横たえて服のボタンに手をかけたところから画面は男の顔以外はモザイク状になった。

「やめてください」

「僕の融通がきく文芸誌に作品を載せてあげるから」

「けっこうです……」

女は抵抗するものの声も体もしだいに自由がきかなくなっていくところで映像は終わった。

画面を見上げていた群衆は口々に感想を声にして大騒ぎになった。

男は世間を騒がせている問題の渦中(かちゅう)にある著名な作家だった。

「やっぱりそうだったんだ!」

「これで詰みだな!」

「すげぇ映像だったな!」

「さすがは神様だ! ブラボー!」


現場からのテレビの生中継を4人の当事者もそれぞれの自宅で見ていた。

うち2人はもちろん画面に映し出された男女で、男はベストセラー作家、女は作家の卵。

この作家志望の女性がつてを頼って作家に原稿を見てもらおうとしたのが事件の発端だった。

原稿執筆のためにホテルにこもっている作家を女性が訪ねた。

とりあえず一緒に夕食でもと作家は女性をホテルのレストランへ(いざな)った。

女性が性的被害を受けたと被害届を出したのが翌日のことだった。

しかし作家は女性の原稿を出版社に推薦する条件のもとでの合意だったと主張。

高名な作家が絡んだこの事件は週刊誌の格好のネタとなって世間の耳目を集めた。

SNS上にもいろんな情報が飛び交った。

・足元もおぼつかない女性を強引に部屋に連れこむのをホテルの従業員が不審に思ったそうだ。

・上司に報告したらそのホテルは作家の定宿(じょうやど)なので従業員はすぐに解雇されたそうだ。

・この作家担当の女性編集者も過去に数名がセクハラを受けていたそうだ。

しかし女性の訴えは証拠不十分として不起訴になった。

おさまらないのは一般大衆だった。

作家が自らの名声を盾に出版社、ホテル、警察など各方面に手をまわしたのではないか。

そういった憤懣(ふんまん)が今回の『真相究明リクエスト』の得票数を押し上げたのだろう。

この事件の当事者の残る2人は警視総監と高校1年の吉川直也である。

警視総監から直也のスマホに着信があった。

「直也くん、テレビを見たよ。いつぞやの殺人事件の現場写真もそうだったけど神様だけあって何でもできるんだね」

「そうみたいですね、僕もびっくりしました」

「いやあ、すごいもんだ。これで我々としても再捜査に入れる。じゃまた改めて連絡するから」


結果として犯罪が立証された作家は社会的に抹殺されて収入が途絶え、家族も離散した。

直也は全ての始まりだった1年ほど前のことを感慨深く思い起こした。

それは2階の自分の部屋で高校入試に向けて受験勉強をしていたときのことだった。

「ごめんください」と1階で声がした。

父親は地域の巡回連絡に回っている。

駐在所では警察官が不在の場合は家族が応対しなければならない。

あいにく母親も買い物に出たばかりなので直也が階段を下りていった

入口の引き戸を開けて中年の女性が笑顔で立っている。

「あなたは神様を信じますか?」

新興宗教の勧誘だろうと察しはついたものの対応にどぎまぎしていると女性は教義の説明を始めた。

長々と話し続けたあげくに親にも読ませてほしいと小冊子を差し出した。

女性が帰ったあと小冊子をパラパラめくってみるとところどころに挿絵があった。

背景は海や森、街なかと様々だがどの絵もブロンドの白人女性や男性や子供が明るく微笑んでいる。

この宗教の理想郷を描いているのだろうが直也はどうにもなじめなかった。

人物たちの表情があまりにも天真爛漫(てんしんらんまん)で邪心のなさすぎるのが不自然に思えて人間味を感じることができなかった。


それから数日後、キーンと急に耳鳴りがした。

耳鳴りが止むと同時にスマホが鳴った。

「君は神を信じるかね?」

「けっこうです」

先日の中年女性の訪問を思い出して直也はすぐに電話を切った。

するとすぐにまた耳鳴りがして着信があった。

「これこれ、神からの連絡を無視するとは罰当たりなやつだ。話を聞きなさい」

直也が今度は電話を切らなかったのは耳鳴り以外にも二つ気になることがあったからだ。

一つは発信者の電話番号を確認すると000-0000-0000、こんな番号はありえないはずだ。

もう一つは相手の声がスマホの受話口からでなく脳内に直接響く感じがすること。

「なにか用ですか?」

「うむ。吉川直也、君を審神者(さにわ)にしようと思う」

埴輪(はにわ)にする? 僕を殺すんですか?!」

「はにわではない、さにわだ。簡単に言えば神の言葉を伝える者、神と人間の取次ぎ役だ」

わけが分からず黙っているとさらにわけの分からない指示を残して電話は切れた。

「警視総監からの連絡を待て。今回コンタクトを取ったのは君と警視総監の二人だけだ」


翌日の日曜日、駐在所に黒塗りの車が横付けした。

「直也くんはいるかな?」

「息子に用? あなたはどちらさん?」

「君も警視庁の職員だろうにこの大浦を知らんのかね」

直也の父親は駐在所の前に停まっている運転手付きの高級車と見比べてあわてた。

「まさか! 大浦警視総監殿でいらっしゃいますか?!」

「そうだ。直也くんと話がしたくてやってきた」

警視総監は巡査部長の父親にしてみれば口をきくことは生涯ないはずの雲の上の存在だ。

事態が飲みこめないまま父親は総監を2階の直也の部屋に案内した。

直也は父親と違って落ち着いて迎えた。

「はじめまして。本当に来たんですね、神様の言ったとおりだ」

「君も承知の上なら私も信じざるをえないな。実は驚いたことにだね、」

昨日の土曜日、直也と同じく急に耳鳴りがした直後、スマホに着信があったという。

続けて直也が総監に聞かされたのは確かに驚愕(きょうがく)すべきことだった。


犯罪が悪質化、巧妙化の一途をたどり国家間の紛争も多発。

そんな人間界の(てい)たらくにしびれを切らしついに神が動いたのだった。

人類の浄化に踏み切る、テストケースとしてまずは日本からということで総監は次のような指示を受けた。

重要な未解決事件の真相を解明したければ都下の駐在所の吉川直也という少年を訪ねよ。

「ということだったんだよ。そこで試しにこの事件を持ってきたんだがね、迷宮入りになっているんだ」

総監はクリアファイルから書類を取り出して事件の概略を説明し、直也に数枚の被疑者の顔写真を見せた。

困ったのは直也だった。

「僕は総監からの連絡を待てと言われただけなんです」

警視総監は直也の言葉を聞いて落胆の表情を浮かべた。

「それは期待はずれだな。なんとかならんのかね」

「そう言われても……」

とりあえず考えるふりだけでもと直也は腕組みをして目を閉じた。

すると例の耳鳴りがして直也の脳内に事件現場が動画のように再現されていった。

驚いて目を開けた直也は総監が示した写真の中の1枚を指さした。

「犯人はこの人です!」

そして犯行の状況、逃走経路、凶器の処分場所なども事細かに説明した。

警視総監は驚きながらメモをとり最後は喜色満面で駐在所を後にした。

それでも直也の父親に自分と直也との関係について詮索しないよう厳命することは忘れなかった。


警視総監はほぼ毎週、直也を訪ねて来るようになった。

持ちこむ事件は被害者が複数かつ殺害手口が残忍な事件がピックアップされた。

直也を通して知りえた情報を総監は捜査一課長に伝えて再捜査を命じる。

その際は、これまでの捜査資料を自分が丹念に読みこんだ上での推理だと説明した。

部下に任せて(らち)が明かない場合は総監自身が取り調べに当たった。

「甘く見るんじゃない! 凶器はお前の実家の裏山あたりを掘れば出てきそうだな」

「かわいそうに、女房の前の旦那に脅されてお前も切羽詰まったんだろう?」

被疑者を前にしてある時は凄み、ある時は泣き落としに持ちこんで自供を引き出した。

同席した捜査員は資料のどこを読んでもそんなことは分かりようがないのを不思議に思いながらも舌を巻いた。


しぶとい被疑者の場合は総監が単独で相対(あいたい)して奥の手を使った。

「これでもシラを切るか!」

眼前に突きつけられたスマホの画面には犯行現場の画像が表示されている。

直也に神から送信されてきていたものだ。

なぜそんな画像が存在するのか不審に思う頭は回らず被疑者は観念する。

次々と全面自供に追いこむので警視総監は捜査一課内で畏敬の念をこめて『完落(かんお)ち総監』と呼ばれるようになった。

総監自身も鼻高々だったが経済事案を扱う捜査二課から(ねた)みの声が挙がり始めた。

総監が直也に解明を依頼するのは凶悪な殺人事件ばかりだったからだ。

二課の雰囲気を察した総監は国際的な特殊詐欺事件に着手して指示を出した。

さっそく捜査員が現地に飛び、東南アジアに拠点を構築していた詐欺グループを一網打尽にした。

二課長は喜びながらも手を焼いていた事案が迅速(じんんそく)に解決できたことを不思議がった。

総監は個人的なルートを使って国際刑事警察機構(インターポール)本部と連携を取ったのだと説明した。

もちろん連携を取った相手はフランスのリヨンの国際刑事警察機構ではなく東京都下の駐在所の直也であった。


以上のような次第で警視総監と直也はタッグを組んで1年近く未解決の難事件を次々と解決していった。

それでも凶悪な事件は次々と発生する。

「これではいたちごっこだ。犯罪の抑止につながるようなやり方がないものかね」

直也が警視総監と向かい合わせにソファーに座っているのは朝から電話で呼び出しを受けたからだ。

「お父さん、出かけるから送ってくれない?」

「そんなわけにいくか。土曜だからってお父さんは勤務日だぞ、どこに行くんだ?」

「警視庁。総監が来てくれって」

ねそべってテレビで朝のニュースを見ていた父親ははねおきた。

「そっ、それを早く言え!」

父親が運転する駐在所のパトカーで警視庁に到着した直也は受付の婦人警官に総監の執務室に案内された。

「すまん、すまん。本当はこっちから出向かにゃいかんのだが最近忙しくてね」

「かまいませんよ。今日は学校も休みですから」


こういう次第で直也は警視総監から今後の方針について意見を求められているのだった。

「関心を高めるために世間の人々を巻きこんではどうでしょう」

「どういうふうに?」

「そうですね、解明したい案件を国民にリクエストしてもらってランキング化するとか」

「ふむ、これまで私がピックアップしていたのを国民に任せるわけか」

「ええ。それでトップに上がった案件を解明するんです。その証拠映像を大々的に公開すれば犯罪抑止に有効だと思います」

「人権問題が絡むがまあいいか、扱う事案は悪質きわまるものになるだろうからね」

「自分で言い出しながら気づいたんですけどこのやり方はこれまでとは根本的に異なります」

「分かるよ、神様の存在がおおやけになるということだね。その点、君からお伺いを立ててくれないか」

直也はスマホを取り出して連絡先リストの『GOD』をプッシュした。


神は直也たちのアイデアを受け入れて最終的に次のような実行計画がまとまった。

・18歳以上の成人全員の携帯機器(モバイル)に『真相究明リクエスト』というアプリを組みこむ。

・リクエスト数の集計経過は随時画面に表示し1か月単位で締め切る。

・最多リクエスト案件の真相を証拠立てる映像を渋谷の交差点の大型ディスプレイに流す。

自分でインストールした覚えのないアプリ上にこれらの方針が神の名のもとに示されると日本中が騒然となった。

アプリはアンインストールしようとしても削除できなかった。

とりあえず1か月後を待とうということで人々はうさん臭く思いながらあるいは面白半分に目下の関心事を『真相究明リクエスト』に入力した。

そのリクエスト結果の第1弾の発表および放映が今日実行されたというわけだった。

後から分かったことだが無断でディスプレイを使用されたビルの管理者が電源を落としても映像は流れ続けたとのことだった。


『真相究明リクエスト』は大きな話題となり、信憑性(しんぴょうせい)が高まった2回目からはリクエスト数が飛躍的に増えた。

途中経過で上位に入っているスキャンダルの当事者は顔色を失って右往左往した。

組織票めいたリクエストを他の案件に振り向けたりする工作を行っても激増した全体の投票数の前では焼け石に水だった。

『真相究明リクエスト』は順調に毎月実施されたが証拠映像に関しては直也と警視総監と神との3者協議で2度にわたって次のように変更された。

・放映日は渋谷が収拾できないほどの混乱ぶりなので都内各所のビルの大型ディスプレイにも映し出す。

・第1回と同様に年少者に視聴させたくない映像もあるので戸外での放映は中止し、成人所持の携帯機器(モバイル)に送信する。

こういう変遷をたどりながら『真相究明リクエスト』は継続されたが警視総監が新たな相談を直也に持ちかけた。

「事件の解決について以前捜査二課からねたまれたことがあったが、あれと同じことが起きている」

「どういうことですか?」

「『真相究明リクエスト』で上位をしめるのは当然ながら全国民の好奇心をそそる案件になる。それはほとんどが我が警視庁の捜査対象なんだよ」

「他の道府県の事案の解決にはつながらないということですね?」

「そうなんだ。全国警察本部長会議でやっかみ半分のそういう不満の声が多く出た」

「じゃ、リクエストを都道府県ごとに集計してそれぞれのトップ案件を解決してもらえばどうでしょう」

「それは名案だ! さっそく神様にお伺いしてくれ」


直也はすぐに連絡を取ろうとしたがスマホを置いて考えこんだ。

「直也くん、どうしたんだ?」

「総監がさっき捜査二課の例を持ち出したんでちょっと経済的な面で思いついたことがあるんです」

「どんなことだい?」

「『真相究明リクエスト』で贈収賄(ぞうしゅうわい)を取り上げる場合は不正に得たお金を没収するようにできないかと思って」

「おお、それが可能なら今後の類似案件への大きな抑止力になる」

リクエストの都道府県への分散化と経済事案の不正取得金の没収、この二点について神に伺いを立てると「お安い御用」との二つ返事だった。

後者については興味深いケースが続出した。

汚職に関する秘密の談合が映像として白日の下にさらされても(てん)として恥じない(やから)がいた。

「社会的名声なんかどうでもいい。一生遊んで暮らせる金が手に入ったんだ」

そう豪語して銀行に行ってみると貯めこんでいた隠し口座がそもそも存在しないことになっていた。

「支店長を出せ!」

「そう言われましても帳簿上、ないものはないのですから」

神はさらに直也たちの依頼以上のことをやってのけた。

不正な所得は没収するだけでなく、それを収入の低い層から順に自動的に分配するシステムまで作り上げていたのだ。

これには国民は拍手喝采だった。

そのために贈収賄の摘発がこれまでのスキャンダル系を押さえてリクエストの上位を占めるようになった。


直也は花束を持って警視総監の執務室を訪れた。

「明日の退庁日はお忙しいでしょうから1日早くやってきました。長い間、お疲れさまでした」

総監は相好(そうごう)を崩して花束を受け取った。

「誰からもらうよりも嬉しいよ、よく来てくれた。それに神様まで」

直也と総監が向かい合って座ったソファーの横に一人掛け用のソファーがあり神が姿を現わして座っている。

と言ってもまぶしくない程度に輝く人形(ひとがた)の発光体であり二人以外の目には見えない。

このごろでは直也も総監もスマホを介さなくても神と言葉を交わすことができる。

「警視総監って62歳が定年なんですね、知りませんでした」

「君ももう大学3年か。思い起こせば君と神様に助けてもらうようになって6年がたつんだな」

直也は神のほうを向いて言った。

「神様が世直しのために僕と総監とにコンタクトしたと最初に聞いたとき、僕はいらないんじゃないかと思ったんですが総監には定年があったからなんですね」

「それもあるが警視総監の人柄によってはわしの力を悪用しないとも限らない。神霊と直接接触する審神者(さにわ)寄坐(よりまし)は純真無垢な年少者でなければならんのだ」

直也が総監に目を移すと気を悪くしたふうもなく神の話の続きを待っている。

「さて人類浄化計画も軌道に乗ったことだし警視総監の関与はこれまでとしよう。大浦くん、ご苦労だった」

総監は神のねぎらいに深く頭を下げた。


直也はいい機会だからと思って神に問いかけた。

「ずっと気になっていたことがあります。神は全知全能だと言われればそれまでなんですが、どうして虚構のSFみたいに過ぎ去った過去の事件現場をディスプレイ上に再現できるんですか?」

「この宇宙の真相は大昔に仏教を通して『一即多(いちそくた)多即一(たそくいち)』、『色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)』と既に教えておるではないか」

神はそれだけ言うと姿を消した。

直也は総監の名残り惜しそうな見送りを受けて駐車場で待っていた父親の車に乗りこんだ。

父親は息子と総監が顔見知りというだけで光栄に思い、二人の関係については最初に釘を刺されて以来愚直なまでに詮索しようとしない。

ただ総監のおかげもあるのかどうか、6年の間に父親は巡査部長から警部補に昇進した。

それでも職務は地区は変わったものの本人の希望で今も駐在所勤務だ。


直也は父親の運転する車の中で家に着くまでのあいだ神が残した言葉について考えた。

以前見たテレビのCMがヒントを与えてくれた。

細かく震えるあやとりの糸のような1本の線が画面の下のほうに描かれてあった。

その線の中央あたりが見えない指につままれたようにすうっと画面の上のほうに持ち上げられた。

そして持ち上げられながらその部分は人間の形になった。

地面に立つ横向きの人間を一筆書きで描いたようなものだ。

その人間の形の部分が手足を動かして歩いているかのように水平に移動する。

そんなアニメーションのCMだった。

あの1本の線は人体に限らず犬、樹木、家、何でも形づくることができるだろう。

そしてどんなに多くのものを造形しようと線を左右に引っ張ればもとの1本の線に戻る。

これは「一即多、多即一」と解釈できるのではなかろうか。


あの2次元のCMを3次元化すれば細かく震える線はたとえばさざ波がたゆたう海。

それはエネルギーを内包した「(くう)」の世界を思わせる。

「空」は「無」と違って豊穣な混沌(こんとん)の世界であり、そこから万物が産み出されそして消えていく。

このありさまは「空即是色、色即是空」と解釈できそうだ。

直也はCMの1本の線が微妙に振動していたことも印象深かった。

あの線から人間の形でも何でも立ち上がるということはすべての存在は振動、波動なのではないか。

水が固い氷にも目に見えない水蒸気にもなるように、物体であろうが意識であろうが全ては波動の態様の違いに過ぎないのでは。

それはともかく次に3次元のこの世を4次元化して考えたら神への質問の答えは簡単に導き出せた。

4次元は3次元に時間軸を加味してイメージすればいい。

ということはこの世界は過去、現在、未来がパラレルワールドとして重なって存在しているのではないか。

たとえて言えば三つのテレビ局の電波が飛び交っているようなものだ。

神ならば過去、現在、未来、どのチャンネルでも自由に閲覧して場面場面のスクショや録画もできるだろう。


時は流れて直也の学生時代は終わり半導体のメーカーに就職することになった。

それを機に家を出てマンションで一人暮らしを始めて数年がたったある日、神が現れた。

新しい住所は教えていないのに?と全能の神を相手に一瞬ばかなことを考えた。

「今後のことなのだが」と神は話を切り出した。

「日本における実験の成功を受けて今後は全世界で一気に浄化を押し進めようと思う。もはや他国の人間たちも神の存在に疑念や不安を抱いてはおるまい。そしてこれを機に内容も一新する」

規模の世界的な拡大は『真相究明リクエスト』の対象を全都道府県に広げたときから直也もずっと望んでいたことだった。

「大賛成です。でも質的にはどんなふうに変えるんですか?」

「過去の犯罪を追及する『真相究明リクエスト』は廃止して今後は犯罪の撲滅に焦点を絞ろうと思う。特殊詐欺や贈収賄などは実行したとたんに収益を没収、殺人や性犯罪などの凶悪犯には実行寸前に激痛を脳内に発生させる」


神の新しい方針は各国のテレビ回線をジャックする形で放送され、これまで日本をうらやんでいた世界中が沸き立った。

直也も事態の推移を興味深く見守った。

神のもくろみどおり粗暴な犯罪は各国で激減し、あえて強行しようとした者たちは突発性の脳動脈瘤破裂で死亡した。

経済事案の犯罪者は過去の分にまでさかのぼって不正な収益が没収され低所得者層を中心に分配された。

摘発されたのは日本では民間業者よりも政治家や官僚が多かった。

生活に窮した高級官僚たちが豪邸を売却して賃貸マンションに移る姿を見て国民は留飲(りゅういん)を下げた。

世界的に見れば最も大きな影響を受けたのは共産圏国家だった。

タックスヘイブンやスイスの秘密口座に蓄財していた党の指導者層の資産のほとんどが消失した。

その膨大な額が一般民衆に還元されたため皮肉なことに共産主義の理想が実現した形となった。

そして民間の経済力の活性化によって支配構造や産業構造の民主化が進展した。


直也は結婚して自宅を構え子供も二人できた。

その子供たちが成長して親元を離れるころには直也の両親もかつての警視総監も亡くなっていた。

夫婦二人暮らしで毎日を過ごしていたある日、久しぶりに自宅の書斎に神が現れた。

たまたま妻が泊りがけで孫の世話に出かけていたので都合がよかった。

というよりそれを察知して現れたのだろうと直也は思った。

妻には自分が審神者(さにわ)であることはずっと打ち明けていない。

「神様のおかげで夢みたいに世の中が落ち着きました」

「そうだな。君にも世話になった」

「いえいえ、僕の力なんて微々たるものです。ところで今日は何か?」

「そろそろ人類浄化計画を終了したい。それで君の考えを聞きに来たのだ。やり残したことはないだろうか?」

「あります」直也は即答した。

「というのは?」

「個人個人の浄化はほぼ完了ですが国家間の争いが解決できていません。大国の核の脅威も相変わらずです」

「核の問題なら簡単に片がつく。国際紛争のほうは人間どうしで解決できないのか?」

「国連の議決においては大国に拒否権があります。オランダに国際司法裁判所もありますが実効的ではありません」

「ふむ、それならわしがその裁判所の後ろ盾となることをもって浄化計画の仕上げとしよう」


それから数日後、全世界のメディアを通じて神による布告が示された。

・核弾頭はすべて廃棄すること。核弾頭搭載ミサイルを発射した場合は自爆する。

・国家間の争いごとは国際司法裁判所の判決に従うこと。紛争においては勝訴国のみ有効に武力を行使できる。

この簡単な2か条の布告が実際的には絶大な効果を発揮することとなった。

核に関して墓穴を掘ったのはロシアだった。

半信半疑のロシアは北極海の小さな無人島に急ごしらえの発射台を設置した。

そして小型核弾頭を搭載したミサイルを試験的に北極点方向へ発射した。

すると神の警告どおり、発射直後に核弾頭が爆発し周辺諸島も含めて一帯が焦土と化した。

この結果を受けてロシアのみならず核保有国はあわてて核弾頭の廃棄にかかった。

使用できない以上、維持費がかさむだけの無用の長物だからである。

こうして世界は長年にわたる核の恫喝(どうかつ)から一気に解放された。

国際紛争においては特に領土争いにおいて神の仕置きが功を奏した。

国際司法裁判所の法廷で敗訴した側が武力で国境を侵犯することが不可能になった。

勝訴した国が武力で防衛できるのに対して敗訴国の軍隊は国境を越えて火器を使用したとたん銃口や砲身が破裂した。


さらに時が流れ世界は個人間においても国家間においても一切の争いごとがなくなった。

一人暮らしの直也は日課の散歩に出た。

近所の公園まで来てベンチに腰を下ろした。

桜は満開を過ぎて花吹雪が舞っている。

陽春の心地よさに目をつむると身も心もとろけそうだ。

「妻も()ったし、もう十分に生きた」

そうつぶやいて目を開けると神が隣りに座っていた。

「久しぶりだったな」

「神様のおかげで平和な世に生き長らえています。もういつ死んでも悔いはありません」

「ほんとうに満足か?」

神の言葉に直也はとまどった。

「どうしてそんなふうにおっしゃるのですか?」

「果たして浄化計画が人類のためによかったのかどうか、余計な世話ではなかったのかと気になってな」

「何をおっしゃいますか、この公園を歩いている人たちの表情をご覧ください。平和そのものじゃありませんか」

「それならよかった。もう会うことはあるまいが元気で」

そう言うと神は姿を消した。

卒寿(そつじゅ)を過ぎたころから直也は急速に心身の衰えを感じている。

別れのあいさつに来てくれたのだろうと直也は思った。


直也は引き続きベンチに腰かけたまま公園の通行人をながめていた。

一人の人もいれば家族づれや若いカップル、いろんな人たちが通る。

神にはあえて言わなかったが直也には実は少し気にかかっていることがある。

今となっては世の人間の多くは人類浄化計画が実施された後に生まれた人たちだ。

生まれながらにして善意に満ちた平和な世界で育ったのだ。

だから目の前を行き過ぎる人たちは皆が皆、明るく幸せそうな顔をしている。

その何の屈託(くったく)もなさそうな表情がしかし直也の目には遠い昔に手にした新興宗教の小冊子の挿絵に見えるのだった。

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