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男がサポートすると言っていた1ヶ月の間、俺はこの世界の風習と言葉を詰め込まされていた。
「まず、貴方はこの辺りでは珍しい、黒目黒髪という容貌をしています。ですので、出身を東の国境近くにあった村ということにします」
「東の出身にするのは俺みたいな黒髪がいるってことか?」
「はい。多くはありませんが、黒目黒髪のヒトもいるらしい、という認識はこの近くの村や街のヒトは持っていますし、年に1回来るか来ないと言う感じではありますが、東からの黒髪のヒトが行商でやってくることがあるので、好奇の目で見られることはあるかもしれませんが、不審がられることはないでしょう」
この世界も元いた世界と同じように、地域ごとに髪色や肌色が異なっているらしい。使っている言葉も違うらしいが、何十とあるわけでもなくせいぜい5種類くらいで、そのうち共通語となっているのが1つあるらしい。残りの4つは方言って事になるのかな。そしてやっぱり、差別的なものもキチンとあるらしくて何処の世界も人は変わらないもんだなと思った。
「そう言うわけで、まずは東方の言葉を覚えていただきます」
「やっぱり違うの?俺、一応英語はそこそこいけるけど、それじゃダメ?」
「そうですね。文法的には問題ないかと思いますが、まず単語についての発音が違うので通じることはないと思います。それからこの国言葉も覚えていただきますので大変だとは思いますが、よろしくお願いします」
「因みにどっちも覚えられなかったらどうなるの?」
「全く話せない場合ですと、物乞いになるか奴隷になるかですね」
「こっちの世界って、奴隷があるんだ」
「借金による身売りですとか、犯罪者への懲罰、戦争捕虜などがありますね。一応、扱いについても取り決めはありますが、所有者次第であることは否めないところです。特に、言葉が通じないと家畜と同じ扱いをされる可能性があります」
「それいいの?カミサマ的に」
「ヒトの営みはすべて観察対象ですので」
勝手に持っていたものではあるけれど、俺の中で『神様』のイメージがドンドン壊されていくようなことが次から次へと聞かされて、俺の中にほんの少しだけ残っていた希望のようなものが消え失せていた。なんだかんだといっても、最後は助けてもらえる、元の世界へ還してもらえるもらえると思っていたんだが、きっとそんなことはしてくれないだろう。俺が奴隷になろうとなるまいと、只々観察しているだけなんだろうな。
これは本気で言葉を覚えないと、奴隷なんてロクでもない未来しかないことになってしまう。別に大金持ちなんてならなくてもいい、その日暮らしの稼ぎしか無くても自由に暮らしていける生活のほうがマシだ。ちょっとでも、明るい未来が来るようにと、俺は毎日毎日こっちの世界の言葉を覚えていった。
「貴方は、国境近くの村の出身とします。村人は読み書きができないのが、多いので今回は貴方には文字は教えられません。なので、私が口頭で教えますので漏らさず聞いて覚えてください」
という、どこの伝統職人だよというような授業が始まり、毎日毎日脳を酷使しながら過ごしていった。
そして、半月過ぎるくらいには、なんとか東方の言葉会話ができるようになり、この国の言葉も吃る感じはあるけれど、会話ができるくらいには覚えることができた。人間、死ぬ気で取り組めば何でもできるんだな、と思ってしまうくらいの成果だった。まあ、英語との親和性があったおかげでなんとかなった所もあるけれど、それでも50過ぎたオッサンにしては調子に乗っても良い結果なんじゃないだろうか。
言葉を覚えるのと並行して、こちらの生活習慣とかも少しづつ覚えていった。
例えば、
・食事は、普通は朝と夕の1日2回で、ほぼ毎日同じモノを食べている。
・朝は早く夜も早い人が多い。ロウソクやランプはあるが高価なので、明るい間に仕事や用事を済ませるのが普通。
・夜に出歩いている人が全く居ないわけではないが、犯罪に巻き込まれる可能性が高い。
・売買は銅貨、銀貨で行われる。金貨もあるが、よほどの富豪でも無い限り見たことある人は少ない。
・収入の有無に関わらず税金は発生する。
等々、まあそうだろうなぁ、というような事ばかりだった。
そして、一番気をつけないといけない「貴族」。
元の世界でも居ることはいたけど、名前だけだったりして権力をもっているわけじゃなかったけど、こちらの世界は違う。絶対の権力者だ。
王族をトップに、公爵に侯爵、伯爵、子爵、男爵、と聞いたことのある階級の人達がこの世界には存在する。まぁ、そのへんにウロウロとしているわけじゃないので、普段の生活で気にすることはないんだろうけど、全く出会わないわけじゃない。接し方を間違えると大変だ。下手したらあの世行きらしい。
とはいえ、これから行く街はそれほど大きな街でもないので、出会うことなんて無いだろう、という男の言葉に、そんなものかと重要視していなかったことがあとになって悔やまれるんだが。
さて、知識の他に覚えないといけないこともあった。特に、火熾しは必須と言っても良いくらい大事なことだった。石をぶつけて火を起こすってのは、浅い知識としてはあったけどいざやってみると全然ダメで、街へ行けばどこかしら火を使ってる人はいるんだから、貰えば良いじゃないかと考えていたけど、
「貴方の年齢で、しかも旅してきた男が火をつけられないのは不自然だ」
ということで、出来るようになるまで毎日練習させられた。これを毎日やっているなんて、この世界の人は大変だなと思っていたのだけど、一度つけた火は完全に消えないよう、薪を灰に埋めたりしているとのことだった。
そんな感じで割と忙しい日々を過ごしていると、あっという間にここを去らなければ行けない日がやってきた。
「この世界での貴方の設定、覚えていますか」
「東方の人間であること、息子夫婦と暮らしていたけど、数年前からの凶作で食べるものもにも困ったので村を出てきたこと、国境ちかくの街で荷運びで日銭を稼いでいたこと、ある程度貯めたところ稼ぎを増やすため大きな街に出てきたこと」
「大丈夫そうですね」
俺はこれから、他国へ難民としてやってきた人間として街へ向かう。ここからは、俺一人で街へ向かい暮らしていくことになるかと思うと、少し怖い気持ちもあったが、新しい場所へ向かうという高揚感もあった。
「さて、そろそろ出かけますか」
カモフラージュのためのリュックのようなカバンを背負い、当面の生活費が入った巾着のような財布を仕舞うと俺と男は家を出た。
「それでは、目を閉じてください」
男の言葉に従って目を閉じた瞬間、軽い浮遊感を感じたかと思うと森の中の家に居たときには嗅いだことのない、少し臭いといっても良いような匂いが鼻を打った。それは、今思えば人の生活臭みたいなものだったんだろう。
「もう、目を開けてもかまいませんよ」
目を開けてみると、遠くに聳え立つような石の壁が見えた。あれが、これから俺が暮らすことになる街なんだろう。アレが、城壁というやつなのか、思っていたよりもでかいな、と少し圧倒されていた俺の背中を男が軽く押してきた。
「さあ、早く行って貰えますか。ここからが、本番なので」
その言葉に苦笑だけで答えてもう一度城壁に目をやる。
『選ばれし者の恍惚と不安、2つ我にあり』
その言葉を心のなかで呟き、不安しかない心をを押さえつけて、俺は街へ向けて歩き出した。街に近づくと、人の列が見えてきた。みんな、街へ入るための審査街なのだろうと、俺も列に並んでみた。
列の先にはとんがった帽子みたいなものを被り、黒ずんだ網目のベストみたいなものを着た人が立っていた。この街の衛兵が検査とかしているのだろう。年配の人と若い人の二人で話を聞いたり荷物をあらためているようだった。
俺の順番になった時、カタコトな俺の嘘の身の上話を話を聞いていた年配の衛兵が、最初は警戒していた目を段々と潤ませ初め、最後には「苦労したんだな。なにかあったら言ってきな。これでも顔が聞く方だから」と言ってくれ、安めの良い宿を何軒か教えてくれた。ありがたかったけど、入口を守る衛兵として大丈夫なのかと心配にもなった。
気のいいオッサンを騙したたことには少し罪悪感を覚えたこともあって、教えてもらった宿の中から高めの宿へ向かった。
「部屋は2階。1階は食堂と酒場。朝食はあり。夜は別だ」
「わかった」
宿屋の主人らしき男は受付のとき、最初は早口で説明してきたのだが、俺が理解していなことを察すると、一言一言ゆっくりと説明をやり直してくれた。
「それじゃ、宿泊簿書いて」
「すまない、あー、文字をかけない」
「ああ、そういうやつも中には居るか。名前を教えてくれ。俺が代わりに書く」
宿の主人に変わりに名前を書いてもらい、取り敢えず7日宿泊することにしてその分の代金を払った。
「それじゃこれが鍵だ。部屋は、2階の奥の部屋。わかるか」
「大丈夫だと思う」
「…ちと、不安だな。違う部屋に入れはしないけど、不審者と思われてうちの評判が落ちるのも困るから、最初は連れて行ってやるよ。あー、聞き取れないか。あー、俺について来い」
そう言って、主人は鍵を持っていた手を引っ込めると、2階へ続く階段へ歩き出した。最後の「ついて来い」の部分だけ聞き取れたので、多分部屋を教えてくれるんだろうなと思って、ついて行ったら案の定、奥の部屋のドアの間で止まり、指を指した。
「ここがお前の部屋な」
「ありがとう」
「そら、鍵だ」
俺は、鍵を受け取ると鍵を開けて部屋に入った。この世界に来て初めてのヒトとの接触は気疲れしたけど、なんとか無事にできたようだ。




