フレンチホルン
今回はキャラクターたちが勝手に話を進めていました。
ザンッ。と曲の最後の音が残響を残して指揮者の動きがとまる。
残響が消えたところでふわりと手をおろして。
「今日はこれまでにしましょう。」
汗だくの指揮者が今日の練習終了を告げた。席を立って楽器ケースのあるロビーに出ると夕日が大学のキャンパスをオレンジに染めていた。
「はー。終わった終わった。」
「腹減ったなー。どっかで飯食ってこうぜ」
「いいね。」
「そっちはどうよ。」
「あたしはもう少し曲をさらってから帰るから。」
先ほどまでの集中はなくなり、あちこちで練習後の予定が確定していく。
運動部の会話のようだがオーケストラである。
オーケストラというのはかなりの集中力とそれに伴う体力を消耗するものなのだ。
「おつかれさま。」
合奏が終わり、楽器を小脇に抱えて練習場の壁際に向かって歩いていると、朱音が声をかけてきた。
「秋良、今日一緒に帰ろうよ。あたし今日はバイトもないし。」
肩ほどに伸ばした髪をボブにした彼女はクラリネットを両手でかわいく斜めに持っている。
「ん、わかった。」
秋良はそう返事をすると楽器ケースに向かい、楽器を片付け始める。カタツムリのような形をしたフレンチホルン(※以下ホルン)のベルをくるくるとまわして外し、本体といま外したベルフレアをハードケースにしまう。
朱音もクラ(※クラリネットのこと)の内側の水分をスワブでふき取って膝の上に乗せたケースにしまう。仕草がちょっとかわいい。
ホルンも管の中に残った水分を出してからしまう。ものによるが10か所前後の管を外して一つ一つ水切りをする。錆を防ぐためだ。
楽器を演奏するということ(おそらく歌うことも)は肉体を使って行う行為なので、文科系だがスポーツ的な面がある。秋良は金管楽器であるので音源が自分の唇であるし、作曲者からは明確なダイナミクス(※音量表現)を要求される。結構体力を使う。朱音はクラなので金管ほどの筋力的な要求はないが細かいパッセージ(※メロディの変化)を要求される。
プロとして食べていくには反射神経が実際のスポーツ選手並みに必要とされると聞いたことがある。
楽器を倉庫にしまい大学の練習場から正門に向かって秋良と朱音は並んであるいていた。
「よーお二人さん。相変わらず仲がよさそうだね。」
バイオリンの連中に見つかって声を掛けられる。
「茶化すなよ。おれら友達だって。」
「そうよー。」
周りからはどうも親密に見えるらしい。
確かにお互いに警戒しあってはいないとは思う程度には信頼はできているとは思う。
だが、付き合ってはいないし。今日の様に一緒に帰るのも珍しい事だ。
「まあ、なんというかそれでもいいけどさ。。。」
「うっせ。」
朱音はやり取りを聞いてクスクス笑っている。
「ごめんね。みんなに何か期待させちゃって。」
そう言って朱音は秋良の腕に自分の腕を絡ませてくる。
「おい。」
「もうちょっとまっててね。皆様のご期待に沿えるよう善処しますわ」
「お、おい。朱音!」
秋良にむかってペロッと舌の先を出して見せて朱音はご満悦のようだった。
「おーい。そこのヘタレ、しっかり捕まえとかないとよそにとられるぞー。」
「だからっ!」
「だからなーあーに?」
「うっ」
上目遣いで視線を飛ばす朱音に言葉が出なかった。
「おまえ、ほんとにいいのかよ。周りの勘違いあおってるぞ。」
大学の正門近くのファミレスでとりあえずお茶をすることにした。
「勘違い?」
「そうだろ」
「何が?」
「いや、だから俺たちがもういい仲みたいじゃないか。お前の言い方だと。」
「違うの?」
「…っ。そ、そんなじゃないだろ。」
「えー。心外。ひどい。」
「あっ。えっ。」
「なんてね。いいじゃない周りがどう思ってても。」
「よくねーだろ。」
「じゃあ。火消すればー。」
「ぐ。それは…。」
「それは?」
「ずるい。」
思わず下をむいてしまった。
いまと違うように朱音と過ごせと?よそよそしくしろと?今の無意識の行動を意識した節制ある行動にしろと?それは無理だ。できない。
朱音は秋良の様子を見て腹を抱えて笑い出した。ヒーヒー声を上げて涙まで流しながら。
「キャー。今日は練習きつかったから腹筋が死にそう。」
「運動部か。」
そうして涙を拭きながら。
「あはははは。腹筋やばーい。でも、今日はいい日だ。うん。うん。」
「え?」
「ねえ、オケの練習頑張ろうね。いい演奏会にしようね。」
「もちろん。」
「よろしい。」
「なんで上から?」
朱音はまた笑いのつぼにはまったらしく、腹筋崩壊させるべく笑い転げた。
秋良はそんな朱音を見ながら、はあ、勝てないよ。とつぶやいた。