暗転1 もどかしい僕
シンガポール出港後、しばらく洋上生活がつづく。そして、相変わらず、対話プログラムは僕にとって退屈なものだった。
でも、鬱々とした気分は晴れた。彼女は、今、何をしているのだろう。普段、どういう生活をしているのだろう。どういう家族に囲まれて彼女は育ったのだろう。僕は彼女のことで頭がいっぱいだった。 いままでの25年の人生の中で、ここまで一目ぼれで人を心の底から愛したのは初めての経験だった。それは、“ロジカルなものしか信じない”、という僕にとって、驚きであり、戸惑いでもあった。
一方で、彼女のことを思う反面、もどかしさもあった。今回の船旅の参加の目的は、少なくとも恋愛ではない。自分は論文を書いて、発表して、博士号をとって、研究者として大成しなくてはいけない。自分の将来への焦りと今の彼女への恋慕。でも、明らかに自分の今の気持ちは彼女だ。でも、将来どうなってもいいのか。何が正しい答えなのか。ロジカルに考えれば、もちろん、将来を考えることにきまっている。でも、僕はその答えを受け入れることができなかった。
決断のできない想いが逡巡しながらも、午後の対話プログラムが終了し、僕はキャビンに戻る。キャビンには、すでにコージが戻っていた。
「コージ、シンガポールはどうだった?彼女と上手くいった?」
「おう、彼女はちゃんと待っていてくれて、久しぶりに再会したときは、涙がでるくらいうれしかった。やっぱり、自分は彼女のことが本当に好きと改めて思った。それと同時に、彼女も仕事も置いてきぼりにして、楽しんでいる自分にちょっと腹がたった。帰ったら、もっと、彼女に尽くし、仕事に身を入れないといと改めて思ったよ。」
コージと僕は同い年ながらも、コージの方がはるかに大人だと感じた。僕はいままで大学で研究生活をおくってきたけど、これは他人のためではなく自分の満足のためにやってきた。一方、コージは、自分のためということもあるだろうが、それ以上に彼女のため、両親のため、人のために尽くして生きてきたのだろう。コージは大人だ。
そして、その夜のパーティも終わり、僕は彼女と二人でデッキにたたずむ。この時間を今か今かと待ち焦がれていたのに、言葉がでてこない。お互いに手をつなぎながら、見つめあう、それだけで十分だった。不意に彼女が口を開く。
「タケシ、これからもずっと一緒にいたいわ。ずっと、ずっと。」
たどたどしい英語だけど、僕には彼女が言いたいことが痛いほどわかった。




