第九話 師匠
「見たことないホムンクルスたちだな……誰だ?」
「鼓吹坊っちゃま。ウィイの命令です……ここに足止めします。せめて抵抗なさらずに。我々も傷付けたくはない」
他の部屋とは違い、鼓吹の通された部屋は陽光の差し込む明るい部屋だった。他の殺し屋ギルドのメンバーは表立って敵なので、嫌がらせの意味も込めて暗くしているが……鼓吹に限っては違う。VIP待遇でも問題はないのだ。
鼓吹が家出してから作られたホムンクルスだ。主に鼓吹の演奏技術を引き継いだ、複数で一人のホムンクルス。
「そうはいかない。僕は父さんと会わなくちゃいけない」
「……どうあっても? 我々から攻撃を受けても?」
「ああ」
鼓吹が、カバンからパーツを取り出す。
それを組み立て始めるのを見て、ホムンクルスたちも姿を現した。総数五体……皆、手には違う機器を持っている。
ギター、ベース、ドラム、マイク、キーボード。
「例え、君たちを斃すことになっても」
ギャリギャリギャリギャリ! と鼓膜そのものを破壊するような勢いで演奏を始めるホムンクルス。鼓吹の演奏同様、聞いた相手の神経と脳を掻き乱す効果を持つ。
いつもの笛だけでは抵抗出来ない。ではどうするか?
(単純な話だ……)
カバンから、次々とパーツを取り出す。引っ掛けた糸を指先で操るだけで、それらは意志を持っているかのように動いて楽器となった。数え切れない量が展開された。
鼓吹の得意とする技術ではない。けれど、こういった戦闘は想定していた。同じタイプの敵が現れる、と。
糸で楽器を操る。百個までなら平時と変わらぬ。
「数を増やせばいい」
吹奏楽器は糸の振動で呼気を代用する。螻蟻に教わりながら習得したサブウェポン、糸……確かに一つ一つの演奏技術はホムンクルスに劣るが、母数が多ければ問題ない。
音を相殺する。届かねば、肉体に損害は有り得ない。
「……なんて、甘くないのは知ってたけど」
現実はいつも残酷で、赦しを許さぬ監獄のようで。
顔面の穴という穴から、ドロリと濁った血液が溢れた。身体動作だ。以前獅子王と任務に就いた時は、彼女の身を案じて使わなかった技能……身体動作による精神破壊。
人は、世界で唯一知性と感情、理性を持ち、その上で創造性を保有する。なれば、芸術こそが人間だ。音、絵、踊りでも、人の心を揺り動かす全てが芸術であり人間。そしてそれらは、人を感動させるように……人を壊すことができる。
演奏中の身体の動きさえも、神経と脳に作用するのだ。糸による一斉演奏では、それは出来ない。
「……いいさ、そっちがその気なら、僕もそうする」
視界を塞いで演奏することは不可能だ。まだその域には達していない……螻蟻なら、出来ただろうか。
ふふ、と自嘲する。実の所、螻蟻よりも佩盾のことを尊敬している。彼のようになりたいと思って、日々研鑽を積んでいる……けれど、その憧れの人から言われるのだ。
君の考え方は、誰よりも螻蟻に似ている。
「壊される前にブチ壊してやる!」
神経と脳の耐久性の勝負だ。
敵は動作と音によりこちらを攻撃する。一つ一つの演奏技術は神域に達する……極限まで“質”を磨き上げた攻撃。
こちらは数だ。糸による、荒さの残る演奏……けれど数は圧倒的。壊される前に、ぐちゃぐちゃにしてやる。
(佩盾さんなら、こんなことはしない)
何故彼に憧れたのか?
殺し屋ギルドの頂点、螻蟻勁松。技術、知能、etc……どれを取っても並ぶ者なき、最強の殺し屋。けれど、思考法は中々どうして脳筋だ。人間、ああはなりたくない。
壁があれば破壊する。罠は罠ごとブチ壊す。めんどくさければ何も考えず、猪のように突進する。
そして佩盾はその抑制を担う。敵を殺す力を持たぬ彼は、筋力でしかものを考えられない螻蟻を上手く使う。ストッパー不足の殺し屋ギルドで、彼の姿はとてもかっこよかった。
……だがまあ、人間には適性というものがある。
どうしても螻蟻に似てしまうのだという。決して相容れぬ特性を持つ二人に言われるのだから仕方ない。ならばせめてハイブリッドを目指そう。ストッパー猪を。
「脳筋思考法で仕留める! 君たちは敵にすらならないと予言しよう! 僕は二大頂点のハイブリッドだ!」
変われた気がする。
臆病で、気が弱くて、いつも誰かに背中を押してもらっていた自分が。あの短い時間で、変われた気がする。
手を握ってもらって、暖めてもらって、一生こんな弱々しい性格のまま生きるのだと思っていたのに、あんな、十分にも満たない時間で、僕の何もかもが変わってしまった。
こんな恥ずかしいことを、堂々宣言出来るぐらいに。
(鼓吹坊っちゃま……ご立派になられた)
男子三日会わざれば刮目して見よ、と俗に言う。最初から完成された生命であるホムンクルスには、生涯理解出来ぬ性質、現象。こうして目にするとは思わなかった。
自分は、自分たちは急造のホムンクルス。ウィイと違い、鼓吹の姿を見たこともない。けれど知っている。
その成長に、涙することが出来る程度には。
(しかし。我々とて負ける訳にはいきませぬ)
ウィイは、弦の代わりとしてホムンクルスに率いている。まだ精神的にも年若いというのに、よくやっている。
その彼女に、頼まれたのだ。せめて最後の瞬間に特別でありたい。鼓吹の坊っちゃまも大事だけれど、どんな罰でも引き受けるから、今だけは力を貸して欲しいと。
幸せになって欲しい。その後に待ち受けるのが、一生心に残る傷なのだとしても、一瞬だけでも、幸せに。
「鼓吹坊っちゃま! 技量比べと参りましょう!」
「元からそのつもりだよ!」
反響する音が、徐々に両者の神経を蝕んでいく。最早何かを考えることは出来ず、染み付いた動きを延々と繰り返しているだけに過ぎない。指が、肺が、潰れる。
虚ろになっていく心が、崩れていく感覚がする。ここまで来たら、ただの耐久力勝負……ならば、“人”に分がある。
ホムンクルスは、この屋敷から出たことがないのだろう。家出して、螻蟻に拾われて、殺し屋として研鑽を積んできた自分の方が、根気があるに決まっている。絶対に。
(おかしいな……ぜん、ぜん……たおれない……)
だが、ホムンクルスにも意地がある。
ただ一人の幸せも後押し出来ずに、負けられるものか。
「お、おお……」
殴りあっている訳ではない。言葉も交わしていない。
けれど、湧き上がる炎のような激情。
「おおおおおおおおおおお!!!!!」
ぶつり、と何かの切れる音。糸か、楽器の弦か……否。
ホムンクルスの、神経。
「こちらが、さき……でした、か」
楽器を取り落とし、うつ伏せに倒れるホムンクルス。
自身の楽器を直す余力もなく、鼓吹はそれらを放置して歩き出した。崩壊していく壁伝いに、先を目指す。
あと数秒遅ければ、こちらがやられていたのは間違いないだろう。
「ただの、運、さ……」
――――――
「蝉折先輩、偶然ですね。私も今終わったところです」
闇の中を進んでいく鼓吹に、獅子王が追いついた。ルゥたちが襲撃してきた時と同じ、刀のひと振りで敵を殲滅してしまったのだろう。本当に恐ろしい戦闘能力だ。
異能も使ったのだろう。その証拠に、普段より瞳孔が開いていて息が荒い。少しつらそうにも見える。
「螻蟻さんたちは見てない?」
「刺客を引き受けてくださいました。初めて見ましたが、佩盾先輩の防御力は……なんというか、なんなんですかアレ」
曰く、鼓吹はそう何度も襲われない。そして敵の罠や攻撃に関係なく殲滅可能なのは獅子王だけだ。そのため、鼓吹の護衛として向かわせてくれたのだという。
苦笑する。佩盾は鼓吹と同じように、異能とも呼べる特殊技能を保有する……名を、【佩盾の鎧】。
視線や手先の僅かな動きで敵の攻撃を誘導し、命中する“点”の筋肉を異常に硬化させる技術。これは螻蟻が全身全霊で攻撃を撃ち込んでも傷一つ付かない硬度で、デメリットである“発動中は動けない”ことが気にならないレベルだ。
「やろうと思えば全身硬化も出来るらしいよ。アレを攻撃に活かせたら、螻蟻さんぐらい強くなるんだけどなあ……」
「それは“強い”ではなく“チート”と言うのですよ」
「はは、確かに……獅子王ちゃん、止まって」
どういう訳か、【勝者の手】が解除された。広大な闇に包まれていた空間は、すぐに窓から差し込む陽光によって彩られた。ウィイが、意識を喪失したのだろうか。
獅子王は思考する。ルゥたちの情報が正しいのなら、ウィイの意識喪失が最も可能性として考えやすい。それならそれで、何も問題はないが……これが、罠だとしたら?
「蝉折先輩、当主のいる部屋の場所は分かりますか」
「うん、あの人は絶対あそこにいる……もうすぐだよ」
そうですか……と生返事を返す。
自分一人なら何も気にせず突っ込むのだが……今は鼓吹がいる。気に入らないが、慎重に進む必要があるだろう。
(前はこんなこと気にしなかったんですが)
最近、どこか考え方がおかしい。何故だろう。
いや、考え事は後だ。今は当主の所へ急がなくては。
「蝉折先輩、案内を頼みます。私が先行しますので」
「わかった、後ろから指示を出させてもらうよ」
鼓吹の指示に従って、ズンズン進んでいく。【勝者の手】が解除された以上、螻蟻たちもすぐ来るはずだ。
時折襲ってくる戦闘特化ホムンクルスも、獅子王ならば赤子に等しい。温情として命は取らないが、抜刀のみで四肢の先端を切り落として先に進む。到着は早かった。
(私が先に入ります。蝉折先輩は合図と同時に入室を)
(了解。攻撃されるかもだから、気を付けて)
鍵を破壊し、一気に突入する。
周囲警戒、罠の確認。中に誰がいるかの確認を……
「教えたことを、しっかりと守れているようだな」
刹那、パァン! という音が響く。獅子王の肩に空いた小さな穴からは血液が溢れ出し、思わず膝を着いた。
信じられないものを見るような目で、自身の肩を見る。かつて聞いた……“弾痕”、という。超高速で射出される金属による攻撃、銃撃……それにより生まれる傷だという。
これを使う人間を、獅子王は一人しか知らない。
「相手が儂でなかったら、先に殺されていただろうな」
どっと脂汗が滲み出るのを感じていた。痛み故、では決してない。この最悪の展開が原因であった。
逃げるように言わなくては。扉の外の、あの人に……!
「ふむ。敵前逃亡は罪だと、教えていなかったかな?」
両膝を撃ち抜かれる。衝撃に、声すら出ない。
「だとしたら済まなかった。儂の教育不足だ」
「何故、あなたがここに……」
誰が間違えるものか。
ここではない、どこか遠い世界の衣服。彼女は軍服と言っていたそれには、勲章というバッヂが無数についている。カツカツ鳴るブーツは、敵の命の刻限を数える。
忘れない、忘れない。物心ついた頃にはそばにいて、ひたすら生きる術を教えてくれた人……獅子王の育ての親。
「師匠……」
「久しいな、我が子、我が弟子……魔獣の子よ」
にぃ、と嗤って、“師匠”と呼ばれた女は銃に弾を詰め直した。それを、獅子王の額に当てて引き金に指をかける。
扉の外に視線を向けた。サイレンサー付きの銃だ、外からは獅子王が“師匠”の存在に驚いているようにしか聞こえないのだろう。ゴリリ、と熱い銃身が押し付けられる。
「外のガキ。出てこい。すぐに殺しはせん」
数秒、沈黙。扉が開いた。
いい子だ、と呟いた“師匠”が視界に入る。その足元で蹲る獅子王の姿も。血を流すその姿は、弱々しかった。
「誰だ、あんたは……父さんはどこだ、獅子王ちゃんに何をしたんだ!」
「質問ばっかだねえ……見て分からないかい」
改めて部屋の中を見渡す。散らばった実験器具、妙に白い肉片、壊された医療器具。もう、死んでいるのだろう。
「分かったみたいだね。なら話は早い、動くなよ。儂はただサンプルの回収をしに……いや? 気が向いたな」
“師匠”が軍服の胸元を開いた。ポケットに乱雑に突っ込まれた小型の培養管……中には、何かの肉片が浮いている。
サンプル、か。しかしなんのサンプルだ? わざわざ蝉折の家に来たということは、【天光の龍】か?
「少し昔話をしてやろう。【天光の龍】について」
「昔話……? 何か知っているのか、お前は……」
「蝉折先輩……逃げて、ください……」
「ちっ、うるさい子だね。誰に似たんだか」
話の邪魔をされて、不快な様子を隠そうともしない“師匠”が獅子王の頬を蹴り飛ばした。呻きながら倒れ込む。
鼓吹は何も出来なかった。その殺気にも苛立ちと、視認すら出来ない速度……躊躇いのなさが、あまりに恐ろしい。
「富士に異界の門が開いた。現行の兵器では対処不可能な生物がわんさか現れて……いずれ、世界が繋がっていった」
「……」
「ミサイルって知ってるかね。光の尾をたなびかせ、命令した場所に突っ込んで爆発する兵器なんだけどね……あんたたちが、【天光の龍】と呼んでるソレさね。爆発により発生するズレと磁場が、世界を元に戻したんだよ」
何を言っているのか分からない。富士? ミサイル? 【天光の龍】にそんな呼称はなかったはずだ。
世界が繋がり、元に戻った? 何の話をしている?
「放射能による成長阻害はつらかったろうね。儂が色々叩き込んだから、こうして今も生きてるんだが」
魔獣の子は、成長しなかった。
【天光の龍】が原因なのか?
「儂と、儂の部隊はこっちに取り残されてね。最初は困惑してたんだが、色々と発見があった。例えば、そこらの生物を食うと不思議な力が芽生えるとか、ね?」
バチバチと、“師匠”の両手が閃光を放ち始めた。
獅子王は傷のある部分を抑えて呻き、とてもではないが動けそうにない。どうすればいい、どうするべきだ。
「儂は、儂の異能を使って、この世界に恐怖と混乱を」
「そこまでだクソババア。何してやがるカスが」
その手が、鼓吹の顔に翳された瞬間。
丸太のように太い脚による蹴りが、“師匠”の顔面に叩き付けられた。一瞬の抵抗の後、大きく吹き飛ばされる。
ああ、この声は。
「俺はよ、俺の家族を傷付けた奴を絶対許さねえ」
鼓吹の首根っこを掴んで、後方の佩盾に放り投げた。獅子王も優しく抱きかかえ、フィフスの腕の中に託す。
帰るように指示を出した。ルゥもフィフスも佩盾も反対していたが、最後にはギルド長命令で無理やり返された。螻蟻と“師匠”が、二人きりで対峙した。
「楽には死ねねえぞ、クソババア」
「何が家族だい、魔獣の子に家族は出来やしないよ」
そう、言うのか。ならばもう、いらない。
言葉も何も。こんなにも憎い、敵なのだから。
衝突する。数十年ぶりの、【天光の龍】出現であった。