第七話 第一の刺客
「ご主人様。夕飯の時間でございます。今日は……」
「あァ〜? いらねえいらねえ、いらねえよォ……何回言やわかるんだクソガキ筆頭よォ〜懲りろよォ〜……」
「申し訳ありません。しかしご主人様は既に三日も」
「うるせえなァ〜……いらねえったらいらねえよォ……」
伸びきった雑草、蔦に囲まれた古い古い洋館。魔女でも住んでいそうなそこは、ある研究者とホムンクルスたちの家のようなものだった。今日も白い人型が徘徊している。
全てが機械鎧を身に纏い、唯一の人間である主人……【蝉折弦】は点滴に繋がれている。呼吸も上手くいっていないようで、声は電子音声だ。
他とは違う、フリフリの可愛らしいドレスを着たホムンクルスの持ってきた料理を突き返す。果汁のソースを絡め、咀嚼しやすいように叩かれた肉……けれど、最早弦はそれを必要としていない。必須な栄養は点滴から摂取している。
「てめぇらが食え……オレには必要ねえもんだ……」
「そういう訳には行きません。我々は奴隷であり」
「……ルゥみてえなこと言うんだなァ、お前は」
「ルゥ? ……どなたか存じ上げません……それより食事を」
常に手の中に握っている、強制命令用リモコンのボタンを押す。ホムンクルスは僅かに抵抗しながら、それでも命令には逆らえず部下に肉を配分していった。
戦闘用万能ホムンクルス、【ウィイ・二ァー】。ルゥの反省を活かして作られた、完璧なホムンクルス。
(オレには勿体ない奴らだよォ……本当に……)
心の中の呟きは、誰にも聞き届けられない。
蝉折弦は、元々ホムンクルスの研究者。誰かの役に立つホムンクルスを目指して幼少期から研究に没頭してきた……のだが、最近になって【天光の龍】の研究に切り替えた。
唯一の家族である息子も家出して、もうホムンクルスたちが屋敷に残る意味はない。こんな無駄に広い場所、世話をさせるのも可哀想だ。だから、こんなとこ出て行って好きに生きろと命じたのに……ずっと、残ってやがる。
研究ばかりで身分証も作ってやれなかったから、街に出てものを買うことも出来ない。苦労させてるのに、その上身の回りも世話までしてくれる……まったく。
好きに生きろって言ってんのに。
(こいつらは、オレが死んだらどうするつもりだ……)
もう長くはない。来年の今頃は確実に死んでいる。
誰かのために、幸せにするために、そしてその中で幸せを掴むために生きる。それが、ホムンクルスたちに埋め込んだ行動原理……こんなことをして、何になる。
(ルゥたちが帰ってこないとこを見るに、作戦は上手くいったらしいな……今は、幸せに生きてんだろうなァ……)
ルゥ・ズィー及びファーストからフィフスの五機は、初めて成功した意志を持ったホムンクルス。特別な思い入れがあり、それはあちらも同じで……言いやがった。
『ご主人様が死んだら、私たちも一緒に死にます』
ふざけるんじゃねえ。
だから、冷たく接した。脳内も弄って、ここでの日々は全て偽物であると刷り込んだ。他の誰かと一緒に生きること自体に罪悪感は抱かないだろう……それでいい。
他の奴に同じことが出来ないのが残念だ。もうそれが可能なほどの材料も時間も体力も残されちゃいない。
(向こうから来てくれると、助かるんだが……)
ホムンクルスたちを幸せにしてくれる、誰か。
それが来てくれるなら、これ以上の幸福はない。安心して死ぬことが出来る……何も、思い残すことはなく。
ふと、窓の外を見る。夜を裂く流星が、六つ。
「ああ……」
見慣れた息子の臆病な顔を見る。
何も変わっていない……でも、どこか満ち足りている。
「今夜は、いい夜だなァ……」
――――――
「暗視型は弱いので、潜入するなら夜がおすすめです」
ルゥのその言葉に従い、昼間は依頼の不備を訴える者たちを何とか説得しながら準備を整えた。殺し屋ギルドは全員夜目がきく、夜に潜入する案に誰も異論はなかった。
ルゥから教えてもらった屋敷内の構造を頭に叩き込み、どのような経路で弦の元へ至るかも事前に決めてある。
まずは螻蟻が扉をブチ壊して正面から突入、防衛を任されている複数の幹部級ホムンクルスを相手取り、その後弦にお灸を据える。現地での指揮はルゥに任せることにした。
鬼門は留守番だ。不幸に頼ることしか出来ない彼女は、敵の本拠地で行われる戦闘に弱い。味方に行動の善し悪しを伝えることは出来るだろうが、正直危険の方が大きい。
「鬼門先輩、大丈夫でしょうか。少し心配です」
「大丈夫だ、ギルドには罠も仕掛けも腐るほどある。あいつはソレが視える……ヘルプコールがあったとして、俺たちが駆けつけるまでの時間は十分稼げるさ」
「だといいのですが……」
鬼門の任務に同行していた頃、中々任務達成に十分な不幸が訪れずに長引くことがあった。不幸に依存する彼女の戦闘方法は、本当に危険なのだ。出来れば一人にしたくない。
それでも失敗しないのは流石に十数年殺し屋をしているだけあるが……どうにも、妙な胸騒ぎが消えない。
「皆さん、そろそろ屋敷です。お静かにお願いします」
先行するルゥの指示に従い、気配と音を消す。
ルゥとフィフスがこの作戦に従ってくれるとは思わなかった。けれど、彼女たちが言うには……楽にしてあげたいのだという。弦は今も苦しんで、痛みに耐え続けている。
最後の研究を応援したい気持ちはある。けれど、それは苦しんでまでするものじゃない。もう休んでいい。
『私たちの勝手なエゴですけど……でも、私は今でもご主人様が大事です。大好きです。苦しまれるのは……嫌です』
それは刷り込まれたものにせよ、自然な感情の発露にせよ尊重するべきだろう。彼女たちの優しさの現れだ。
聞くに、酷い仕打ちを受けている。馬車馬のように働かされ、部下を失う任務も平気で与えられた。けれど根底には弦を愛する理由となる違和感がある。そこがよく分からない。
本人たちも分からないのだという。弦の部下として働く以外の道を見つけた今は、あの日々が酷いものだと認識する力はある。けれど、どうしても弦のことが悪人だとは思えない何かがある。理由は分からないけど、絶対にある。
それを確かめるための協力でもあるのだという。
「作戦通り、螻蟻さんから。突入の合図はこちらから」
「その必要はありません、敵性ホムンクルス。私の名前はウィイ・二ァー。弦様より、この屋敷の管理を任されている者。これより我々は、全霊を持ってあなた方を排除します」
突如、夜闇に響き渡る凛とした声。
見れば、屋敷の屋上にメイド姿のホムンクルスが立っている。どこかルゥと同じような気配を感じさせるソレは、パチンと音を立てて指を鳴らした。扉が開いていく。
「我らが求めるは安寧の死。これより死にゆくあのお方に永遠の安寧を、そして残されし我らに冥府の道行きを守護する力を。そのために、今ここを荒らされる訳にはいかない」
螻蟻が、ルゥに問いかけようとする。あのホムンクルスはなんだ、情報にない、と。
しかし、呆気にとられているルゥの様子を見ればその答えはわかる……知らない。恐らく、ルゥに隠して作られていたか彼女が殺し屋ギルドに来てから作られたホムンクルス。
メイド服に似た機械鎧など、どんな発想をしているのだ。
「ご招待しましょう。死と隣り合わせの客室に……」
扉の奥の闇から、無数の手が伸びてきた。
あまりの物量と弾性、硬性に抵抗出来ず、一人一人屋敷の中に連れ去られていく。螻蟻のハンドサインによる作戦変更……臨機応変に対処しつつ生存を最優先。決して死ぬな。
そして、誰でもいい。弦の元へ辿り着け。
全員が作戦を了解した刹那、屋敷の扉は静かに閉じた。
――――――
「ここは……なんだあ? 妙に入り組んだ部屋だな……」
螻蟻が暗闇の中で状況を確認する。そこは無数の壁や柱が乱立し、植物が複雑に絡まった入り組んだ部屋であった。
あまり得意な場所ではない。使えるものが多いというのは助かるポイントだが、こういうものは壊していると後々こちらが追い詰められる。過去にそれで死にかけた。
佩盾にこっぴどく叱られた……壊さずに済むものは壊すなと。だから、こういう場所での戦闘は苦手且つ嫌いだ。
「貴様の相手は我だ、人間。筋肉に包まれし者よ」
「そりゃ俺のことか。褒め言葉として受け取っとくぜ」
柱の陰から、ホムンクルスが一人。
全身を黒い繊維で編まれた服に包んだ、身軽そうな男。外見からして、暗器を使って敵を翻弄するタイプ……形質としては佩盾に似ている。一番相性が悪いタイプだ。
なるほど、そういうことか。こりゃ面倒だ。
「なあ、安寧がどうとか言ってたじゃねえか。そのお前らが屋敷に引き入れるったあ、どういうことだ」
「何、貴様たちはここで死ぬ。それで問題あるまいよ」
分かってやがる。相性の重要さを。
螻蟻と獅子王が全力で戦えば、高確率で獅子王が勝利するのは目に見えている。何故なら、彼女は螻蟻の細工全てを正面から破壊出来るだけの攻撃力を保有しているから。
また、佩盾を相手にしてもこういった場所では負ける可能性の方が高い。元々、周囲のものを利用して戦闘する方法は佩盾に教えてもらったものだ。場所次第では容易に負ける。
問題は、何故それを把握しているのか。人は見かけによらないというのは分かっているだろう……情報が漏れた?
「……我々としても、元仲間を疑われるのは心外だ。故に言っておこう……主人が、ルゥの記憶に干渉しただけだ」
「安心したぜ。俺の家族はやっぱり身内に甘かった」
お喋りは終わりだ、とでもいわんばかりにホムンクルスが短剣を投擲した。そちらに意識が傾いた一瞬で視界から消え失せ、気配すらも完全に消えた。隠密のレベルが高い。
元々仕掛けがあるのだろう、床に穴が空いたり槍が降ったり、とにかくこちらを動かさない戦法を取ってくる。
一歩動けば、足が切り傷塗れになる。よっぽど動かしたくないのだろう。敵の思惑通り、この場から攻撃を続けるのは危険だが……動きようがない、仕方ない。
刃物類の鋭利さが凄まじい。鋼鉄プレートを持ってしても切り裂かれるのは必至……避けるのも絶対に不可能。
(敏捷タイプ。あちらは仕掛けを全て把握し、尚且つものの特性を理解している。すばしっこくて捉えられん……)
一番の問題は、その怪力が活かせないこと。
ここがあのオンボロ屋敷だとすると、的確に敵のみに対象を絞らねば崩壊する。だが、視界にすら入らない。
(短期決戦だな、長引かせるほど不利だ)
服の裾から複数の器具を取り出し、部屋中に設置する。
ワイヤー式の振動罠。そこに電流を流し、蜘蛛の巣の如く張り巡らせた。加えて地面全体に金網を張り、音による位置の把握と使わせる場所を制限する……準備は終わった。
「出てこい! お前に勝ち目は……」
「あるさ。こうして、気付かれずに接近出来ている」
背中が、背骨に沿って裂けている。
ポタリ。
いつだ。一切の音を立てず、罠にも引っかからず移動していた。背後に立って気付けぬという異常事態。
何かタネがある。
「ちぃ……んならこれはどうだ!」
最もあって欲しくない可能性、それは異能。ルゥの話ではホムンクルスに異能持ちはいないそうだが……先刻のメイドホムンクルスの例もある、最早信憑性はない。
壁面や床にぶつからないよう、組み立て式の鉄球を振り回す。居場所をなくしてやれば、罠にはかかるはず……!
「ぐおっ!」
馬鹿な。今度は脇腹を裂かれた。
螻蟻の足元を起点として展開された、敵の仕掛けによる攻撃を防ぐための装置。感知機能も備えたそれが、螻蟻の研ぎ澄まされた感覚が、二度も機能しなかった。有り得ぬ。
(どういうこった、何が起こってやがる……!)
蔦を引きちぎり、巻き付ける。緊急の止血だ。
理解出来ない。移動ではない? 否、それはない。これだけの量の仕掛けを発動するのに、位置の固定は愚策。
ではなんだ。何故接近を許して……
「なーんてなァ、捕まえたぞクソガキィ……」
「なっ」
突如にんまりと笑った螻蟻は、闇に手を伸ばした。
するとそこには、一人の少年がいた。
「おかしいと思ったんだ。こんだけ広くてもののある部屋の特性が活かされてねえ。元々あるものを使わず、仕掛けを使ってとにかく俺を動かさないためだけに攻撃する」
ちぃ! と舌打ちした最初のホムンクルスが姿を現すが、もう遅い。少年型ホムンクルスの喉元には、毒の塗られたナイフが突きつけられている。斬る方が速い。
佩盾なら、間違いなく元あるものを使う。不自然に追加した仕掛けなど、敵が想定外の動きをした場合の最終手段だ。それに加えて、仕掛けがいつくるか分からない精神的疲労に、動き回らなくてはならない肉体的疲労を追加しない理由がない。“動かさない”策は、どう考えても有り得ない。
毒だとしても、疲労させて呼吸を早くさせた方が回りやすい。敵を固定する意味は何一つとして存在しない。
「“最初から二人いた”か。この部屋のどこに引きずり込むかはお前らが決められるからな。ハナから部屋の一部として隠れてたってんなら、そりゃ分かる訳がねえ」
少年型に頭突きを食らわせ、昏倒させる。
また高速移動しようとする最初のホムンクルスも、種が割れば対処は容易い。ワイヤーに電流を流して仕留めた。
これに関しては盲点だった。落とし穴、槍、動作に感応して攻撃してくる刃。どれもこれも、上下式又は敵の行動に依存した罠。動き回る必要がどこにある?
致命傷を負わせる役の、少年型ホムンクルスが捉えられたが故の高速移動……だが、動いた時点でそちらの負けだ。
「悪くなかったぜ。ただ、詰めが甘かったな」
脆そうな壁を蹴り壊し、部屋を出る。また複雑怪奇な迷路のような構造……弦のいる場所はまだまだ遠そうだ。
「ナイフは血を拭いてから使うもんだ」
一滴、血が落ちた。その音、紅色。視覚と聴覚が捉えた、常人では知覚すら不可能な違和感。動かない刃。
見過ごすものか、この【螻蟻の生】が。
「じゃあな。リベンジマッチは俺の得意で頼むぜ」
駆けていく。第一の刺客を跳ね除けて。