第二話 触無殺
殺し屋ギルドに所属して一週間が経過した。教育係の鬼門との仲は深まらず、今でも暴言の嵐が吹き荒れている。何故か料理や掃除までさせられ、人使いが荒いどころの話ではない。昔からこうなのだとしたら、随分と皆我慢強い。
「よォ〜獅子王。調子はどうだィ」
「ギルド長。お疲れ様です。また随分飲んでますね」
自室で資料整理をしていると、街で買ったらしい酒を瓶から直で飲み干そうとしているギルド長が入ってきた。
ノックぐらいしてくれてもいいと思うのだが。
「鬼門は完全犯罪のプロ! 学びも多いだろう」
「いえ、毎回気絶させられてます。まだ何もしてません」
「あっるぇ〜? 働かせろって言ったはずなんだけど〜?」
あのキャンプ地でした時も思ったが、自分の体躯を考えて行動して欲しい。女の子走りを怖いと思ったのは初めてだ。
開けっ放しにされた扉の向こうから、ギルド長の怒号と鬼門の甲高い叫び声が聞こえる。彼は問い詰める時に抱きしめて逃げられないようにしてから問い詰めるから……
そりゃまあ、鬼門には耐えられないだろう。
「やめてごめんなさい本当に、やだ、やだ来ないでよ! まだ沢山、やりたいことあったのに! こんな終わり方嫌よ嫌、嫌……!」
「いつもと毛色が違っても罵倒は罵倒なんだな」
だが負けたのは螻蟻のようだ。いつものようなドストレートな悪口でなくとも、心に響く罵倒は存在する。
涙を流し、酒で流しながら部屋に戻ってきた。
「ぐすん……変えます、教育係を……」
「ギルド長が敬語なんて珍しい。少し気持ち悪いです」
「なんなのお前らグルなの?」
悲しみに支配されても、ギルド長はギルド長。見ていて服の方が可哀想になってくるレベルの筋肉で、隣の部屋から青年を引っ張り出してきた。臆病な青年……【蝉折鼓吹】。
「という訳で、明日からお前の教育係はこいつだ」
「えっえっえっ、なんですかいきなり」
「よろしくお願いします蝉折先輩」
親猫が子猫の首を噛み掴んで運ぶように、首をがっしり掴まれた蝉折が狼狽える。だがなんだかんだで似たもの同士、マイペースな螻蟻と獅子王にその困惑は届かない。
本人を無視して話を進めていく。ビクビクしながら螻蟻の後ろを通る鬼門は、いつもの覇気が微塵も感じられなかった。よっぽど筋肉圧殺尋問が恐ろしかったのだろう。
「歳も近いから、すぐに馴染めるだろうよ」
「……一応私21で、鬼門先輩は19だったはずですが」
「こいつは20だ。あいつとは1歳も違う」
……思春期の一年には無限の可能性がある。そう考えれば確かに、1歳も違えばだいぶ親しみやすい……のか?
疑問は残るが、納得は出来る。女神のように微笑んだ。
「決まりだな。じゃ、明日の任務にはこいつも同行させるようにな、鼓吹。分かったか? ん? お〜い?」
「えっえっえっえっえっえ」
臆病という事前情報はあったが……これは。
ただ人見知りなだけではなかろうか。
――――――
「佩盾さ〜ん……助けてくださいよぅ……」
「すまないね鼓吹君。あいつの暴走は私にも止められん」
殺し屋ギルド、地下。螻蟻と同年代のギルド設立メンバーである佩盾きっての希望で、バーのような内装になっている。ビリヤード台やダーツも完備の遊び場だ。
しかし、それらを嗜むのは主に休憩中の佩盾と螻蟻。たまに獅子王が手を出す程度で、今いる客……蝉折はそういったものに興味はない。カラコロとグラスを揺らす。
歳の割にウイスキーが好きだった。シャンと立ってグラスや酒瓶を整理する佩盾の姿は、いつ見てもかっこいい。
「いい機会じゃないか。鬼門君とは相性が悪いようだが、獅子王君とは仲良くなれる気がすると言っていただろう」
「こんな早く機会が来るなんて思わないじゃないですか〜」
かれこれ二時間近く、心の準備が〜! と叫んでいる蝉折に苦笑する。彼の心の弱さ、臆病さ、慎重さは殺し屋としては必須のものだが……対人関係にまで影響してしまっては。
元々老人二人のギルド。そこに鬼門が加入して、しばらくした後に蝉折。最近になって獅子王……もう誰も加入しないだろうと思っていたから、確かに佩盾も戸惑ってはいる。しかし、こうも怯えることもないだろうに……
「では、君が任務で手を抜くといい。螻蟻はアレでちゃんと見ているから、すぐに教育係を変えてくれるさ」
「なるほどその手が……あ、いや、でもそれはなあ……」
「何か問題があるかい? 準備、出来ていないんだろう?」
キュッキュッ、とグラスを磨く。ふっと息を吹きかけると思案顔の蝉折がよく見えた。彼の性格はよく知っている。
思わず笑みが漏れる。意地悪な提案だったか。
「いえ! 折角の提案ですけど……それは出来ません」
「冒険者と殺し屋は違う。君が手を抜けば、獅子王君が危険に晒される可能性がある……そうだろう、蝉折君」
一瞬きょとんとした後に、蝉折は気恥ずかしそうに笑った。なんだ見抜かれてましたか、と小さく呟く。
「でもそれだけじゃありません」
アイスキューブを見つめて、一息に酒を流し込む。少し赤くなった頬は、アルコールのせいで緩んでいた。
「女の子の前でそんな恥ずかしいこと、出来ませんから」
「……君にしては随分、かっこつけたことを言う」
代金を置いて、蝉折が出ていく。かなり酔いが回っているようだったが、無事に部屋まで辿り着けるだろうか。
女の子の前で、か。仕事は全力でやらないとかっこ悪い、というのは前々から言っていたが……それは、あくまでそれ以外に何もない自分への戒めだと言っていたはずだ。
なるほど、螻蟻の言う通りだ。相性がいいらしい。
「ショックね。まるで私が女の子じゃないみたい」
「女の子扱いされたいなら、言動から見直したまえ」
酒瓶が並べられた棚の奥から、鬼門が姿を現す。
ちびちび酒を飲んでいたようで、頬が若干赤い。見た目通りアルコールには弱いのだから、やめておいた方がいいといつも言っているのに……聞きゃしない。
「嫌よ。私はあくまで私という女だもの」
「まあ、君がそれでいいなら口は出さないが……」
「それよりよ! 鼓吹のくせに、生意気ね! 私と合同任務の時は昼寝するぐらい手ぇ抜いてるくせに!」
仕方ない、と思う。なにせ、何もする必要がないのだ。
鬼門は、その身に宿した異能……【鬼門の目】による完全犯罪を用いた殺しを行う。その中において、獅子王のような可憐な女性なら囮でもなんにでもなるだろうが……
蝉折はアレで鍛えている男だ。鬼門と合同任務中にやることと言ったら、せいぜい隙を突いてくる敵の暗殺。
そして彼は、眠りながらでもそれが出来る。
「……鬼門君。君から見て、どうだいあの二人は」
「鼓吹と獅子王? まあ、いい感じじゃないの」
「違う違う。君から見て、と言ったじゃないか」
む、と鬼門が視線を向ける。佩盾の目はいたずらっぽく光っていた。年長者の余裕を見せつけおってからに……
「……最高の弟と妹よ。ええ、本当に」
「普段からその調子で接すればいいのに。何故君はいつもいつも、あんなツンツンしたツンデレレベル100状態で……」
「アホマヌケハゲゴミカスクズノロマバカ」
鬼門は自分の出自を語りたがらない。実の父のように振舞っている螻蟻以外に、話したこともないのだという。
だが、家族というものに強い執着を持っている。前々から螻蟻のことを父、佩盾のことを祖父、そして蝉折のことを弟と……裏で呼んで、それとなく家族らしく接している。
「いいのよ、私はこれで。私にはよくわからないけど……」
ちび、と口をつけたグラスは冷たかった。
佩盾の視線はどこまでも暖かいのに。
「姉ってこういうものでしょう?」
――――――
「き、今日からよろしく……蝉折鼓吹、です」
「獅子王村雨です。よろしくお願いします」
かれこれ一時間近く自己紹介をし合っている気がする。
今回の任務は要人暗殺、予算横領を働いている悪徳議員が標的だ。蝉折は音楽関係の人間として豪邸に潜り込み、獅子王はその助手として潜入することにした。
そして昼頃、暗殺決行の前。他の人間を全員追い払って、監視の目も潰した上での話し合い……が、進まない。
蝉折がガックガクに緊張して目も合わせてくれない。その割にずっと何かを話して、詰まれば自己紹介。これも何か、殺しの技術かと思ったが……やはりただの人見知りか。
「え、えとえと、獅子王さんは、ご趣味とか」
「今は合コンの気分ではありません。暗殺しましょう暗殺」
「の、ノリノリだね……て、もうこんな時間だ! ごめん!」
仕事を思い出してくれたようで一安心だ。あたふたしながら楽器を取り出す蝉折を、澄んだ瞳で見つめる。
楽器の点検と称して議員の前で説明をする彼は、中々堂々としていたのに……何故、ここではこうなのだろうか。何度もパーツを落としながら、巨大な笛を組み立てる彼を見てそう思う。1対1の状況が苦手なのだろうか。
「ふう……出来た。えと、議員はこの上の部屋だよね?」
「そうですね。今はメイドとお楽しみタイムです」
「真っ昼間から……じゃあ、殺すから。耳を塞いで」
事前に渡されておいた耳栓を嵌める。周囲の音が一切聞こえなくなったことを確認して、OKサインを出した。
安堵した様子で頷いた蝉折が、演奏を始める。獅子王には何も聞こえないが……指運びからして、ブートーブンの【デスティニー】か。あまり好きな曲ではない。
「あの、これはどういった暗殺なのですか」
返答されたところで聞こえないと分かっていても、そう問わずにはいられなかった。蝉折からは「獅子王さんは耳を塞いでくれてたらそれでいいよ」としか言われていない。この演奏がどう暗殺に繋がるのか、気になって仕方がない。
しかし、蝉折は演奏しながらも口の前で人差し指を立て、静かにしているよう指示を出した。大人しく従う。
数分経過した頃、異変に気付いた。蝉折が演奏している姿におかしなところはないはずだが……見ていると、なんだか体が震えて止まらない。感覚が麻痺していく。
動こうとしても、脳がフリーズしたかのように動けない。瞼を動かすことも出来ずに、体の不調は続く。
するとすぐに、天井裏から誰かの倒れる衝撃がした。蝉折がすぐに演奏を止め、獅子王の耳栓を外した。いつの間にか呼吸も出来なくなっていたようで、大きく咳き込む。
「ご、ごめん! やっぱり説明しておくべきだった!」
かっこつけようとした僕のバカ〜とのたうち回る蝉折を、じっと見つめる。何が起こったのか理解出来ない。
「えっと、僕は鬼門の姉さんや獅子王さんみたいな異能はないんだけど……楽器演奏が、昔から得意でね」
パチン、と小気味いい音を立ててナイフを取り出す。音もなく天井の板を切り取り、人二人分の死体を引きずり出した。議員と、メイド……どちらも裸で死んでいる。
しかし、外傷はない。下卑た表情を浮かべたまま、まるで固定されたかのようにして死んでいるのだ。
「それを暗殺に特化させた“技術”……螻蟻さんからは、【蝉折の音】って呼ばれてるんだけど……聞いた人の脳と神経系を狂わせて、そのまま殺すことが出来るんだ」
「そんなことが……鬼門先輩と、近い技術、ですね」
「音が聞こえる範囲まで近付かないといけないっていうハンデはあるけどね。それより、体調は大丈夫?」
音が骨を伝って脳まで届いていたようだ。獅子王の体調が悪くなったのはそういう理由らしい。
腕を回して調子を確かめた後に、微笑んで頷く。
「良かったぁ……じゃ、帰ろっか」
「あ、それは出来ません」
「え、なんで……ああ、そうか! ごめん忘れてた!」
鬼門が獅子王の教育係を外されたのは、獅子王に何もさせない教育方針が故だ。このままでは二の舞になる。
鬼門がその方針を取ったのは、まだ“こちら側”に来て日が浅い獅子王は見学期間が必要だろう、という気遣い故なのだが……鬼門自身がそれを明言することはない。
「あ〜でも……標的は僕が殺しちゃったな……」
「確か、この屋敷の人間は全員グルでしたよね?」
「え? ああ、そういえばそんな情報があったね。うん、確かに再発防止のためにも、全員殺しといた方がいいかも」
それを“許可”と受け取った獅子王は、楽器に擬態させておいた刀を抜いて構えた。無論、蝉折を巻き込まないように。
ここは屋敷の一階。議員の自室である二階、直上を斬る必要はない。計五階建てのこの屋敷にいる人間全員を殺すのには、主柱を倒すのが手っ取り早いか……否。
屋敷そのものの崩壊は目立ちすぎる。となれば、一人一人殺す……のも面倒。では、屋敷を壊さぬように屋敷ごと全員を殺してしまえばいい。深く腰を溜めて、振り抜く。
スィン、という独特な音。屋敷全体に、目に見えないレベルの亀裂が入り……僅かに血液が滲む。納刀。
「……佳し。終わりました。十五人、まあまあですね」
「うわあ、えげつない。多分死んだことにも気付いてないと思うよ。【村雨の刃】、だっけ? 凄いなあ……」
屋敷から出て、近隣住民とにこやかに挨拶しながらギルドに帰る。誰も、十余人を殺した人間だとは思わない。
魔獣の肉体の一部を取り込んだ者は、時折異能と呼ばれる力を開花させることがある。鬼門もそれに該当するが、獅子王のソレは際立って強力だった。【村雨の刃】。
しかし、“暗殺”という観点において【蝉折の音】は殺し屋ギルドでもトップクラスの有用性を誇る。
演奏家は音で殺す。【触無殺】。
音が届く者は死ぬ。例外なく、気付くこともなく。
「今日の晩御飯、お肉が食べたくなっちゃったよ」
「では帰りに魔獣を狩りましょう。猪型がいるはずです」
にこやかに、そんな会話をする。