第十九話 いってらっしゃい
「帝国の連中には話してなかったがね。儂には切り札が何枚か残されている。その内の一つ……少し、想定より早い」
時は戻り、帝国と魔神獣01の交戦開始時点。
昔から続けている方法だ。取り引き相手にこそ、大事な情報を伝えない。混沌の権化と言うのが相応しい軍部を生き抜くために、己の情報は最も隠すべきものだった。
プラナリア、という生物がいる。この世界にも動物として生息していたソレを、魔獣の一部を埋め込むのと同じ要領で取り込んだ。細胞分裂の回数の都合上、一度きりしか使えない切り札だが……端的に言えば、埒外の超再生能力。
「これをデフォルトで持ってるんだよ、魔神獣01は。まったく酷い格差だ……そうは思わないかい、魔獣の子?」
「あなた、は……! そんな方法に頼ってまで……!」
切断された肉体が、気色の悪い音を立てて再生されていくのが見える。ビチビチと肉の管が繋がっていく。
人間の規格にまでプラナリアの再生能力を落とした結果として、かなりの体力を消耗する。実際、“師匠”も再生だけで息切れを始めている……が、デメリットばかりではない。
肉体年齢そのものが若返っているのだ。どうせ再生するならば、肉体も最盛期に戻してしまう方が効率がいい。
「若いってなァいいねえ……こんなことも、出来る!」
軍服の上に革製のローブを纏い、厚い生地で作られたマントには大量の勲章が取り付けられている。その重量は邪魔どころの話ではなく、事実“師匠”は腕を動かす以外の動作を攻撃に用いることはなかった……今は違う。
動きの止まった獅子王の顎を蹴り上げ、首を掴む。全力で跳躍し、落下と同時に頭から獅子王を叩き付けた。
「獅子王ちゃん!」
「二枚目の切り札……それはあんただよ魔獣の子。今も大暴れしてる魔神獣01……アレは、全然本調子じゃない」
若返りの影響か、声がよく通るようになった。ギチギチと獅子王の首を絞めながら、踊るような声を発した。
「昔あんたに埋め込んだ神の欠片……魔神獣01はそれを欲しているのさ。まったく、面倒な因果だよねえ」
本当は魔神獣01を起動するつもりはなかった。というより、拒絶されていた。だが、蝉折邸から奪ったアレを気に入ったのか……完全覚醒には至らずとも起動してくれた。
後払いで手を打った、というのが正しいか。必ず神の欠片を捧げる代わりに、今目覚めてやるという契約。
「帝国の起動と魔神獣01の起動は合わせた。あの交渉時点で、魔神獣01からの承諾はなんとかもぎ取っていたさ」
だが、と忌々しげに口にする。
「皇国が動くのは完全な予想外さ。あんたらも、もう少し後に来ると思っていた。何勝手なことしてんの……さ!」
首が折れるのではないか、というほどの勢いで獅子王の体が地面に叩きつけられる。口から血をブチ撒けた獅子王が、一瞬空中で静止し……直後、背面の大地が割れた。
こうまで追い詰められたことがあっただろうか。単独でA+級魔獣の群れに対処した時も、もっと余裕があった。
「後から動くもんだろう。先に動いてどうするよ……」
完膚なきまでにブチのめすために、足を振り上げた。しかしその瞬間、恐ろしい速度で投擲された、拳ほどの大きさの石が眼前を通過した。反射神経を全開にして回避する。
飛来した方向には螻蟻がいた。つい先刻、魔神獣01の方に向かったと思ったが……何故戻ってきている?
「……いや、今はどうでもいいことだね、それは」
「なあクソババア。これを言うのは二回目だなァ」
鬼門を肩から下ろし、螻蟻は肩を回しながら歩き始めた。迎え撃つ“師匠”は薄く口角を上げて、両手を広げる。
息がかかるのではないか、というほどの近距離……両者の足元が、蜘蛛の巣のようにして割れた。
「俺は、俺の家族に手ぇ出した奴は許さねえってなァ!」
「くたばり損ないが、何言ってんのかわかりゃしないよ!」
――――――
「落ち着いて聞きなさい獅子王、時間はあまりないわ」
佩盾により回収された獅子王は、鬼門と鼓吹による治療を受けながら話を聞いていた。意識が飛びかけるほどの攻撃だったが、なんとか意地で持ちこたえている。
チラリと視線を送れば、“師匠”と螻蟻が拳と拳の応酬を繰り広げている。だが、僅かに螻蟻が劣勢か。
「螻蟻はあのババアに勝てない、それは見ればわかる。だから、殺し屋ギルドの総力を結集するわよ。いいわね」
「わかり、ました……私は、何をすれば……?」
「あなたはトドメの一撃よ。私の切り札と鼓吹の演奏で、奴の注意を逸らしながら削る。攻撃は全部佩盾が受け止めてくれるわ、こっちからの攻撃は螻蟻がやってくれる」
魔獣の目であるという、右目を押さえながら鬼門は言う。
彼女の切り札は、使えばその異能を失うほどのもの。だが絶対に予測不可能で、且つ百%の確率で致命傷となる。“師匠”を殺し切るというなら、それぐらいする必要がある。
今の状態の“師匠”を殺すことは不可能だ。そして、隠し持っている切り札のことを考えると、一撃で即死させることが望ましい……それが出来るのは、獅子王だけだ。
彼女の異能、【村雨の刃】。十五分の稼働限界時間を一秒未満に切り詰めた一撃……アレ以外に殺す方法はない。
「あなたは最高のタイミングで“師匠”を殺って。大丈夫、やることは任務と変わらないわ。あなたなら絶対に出来る」
腹に包帯を巻いて、鬼門はニカッと笑って見せた。心配そうな顔をした鼓吹の手を引いて立ち上がらせる。
一人で粘るのもそろそろ限界だろう。次に螻蟻と“師匠”が攻撃を仕掛けたタイミングで、佩盾が注意を逸らす……
「馬鹿だねえ……こうなるってのは、分かるだろうに」
「ぬぅ……ぐぁ! クソッ……なんでもアリか、この!」
螻蟻が選択したのは蹴撃だった。その丸太のように太い脚から繰り出される攻撃は、砲弾か何かのようだ。流石の“師匠”も受けきれない。回避を選択するだろうと思った。
けれど“師匠”は、手を翳したのだ。バチバチと発光する手のひらが再現した現象は……“壊死”、だった。
「父さん!」
「もう右脚は使えない。身体動作がメインのあんたじゃ、力は半減どころの騒ぎじゃないねえ。さあ、どうする?」
手刀で自身の右脚を切り落とした。老体には耐え難い負荷だが、放置すれば命に関わる……そして、“師匠”は正しい。
振り下ろされる、雷の如き拳骨……先程までならば余裕で受けるか避けるが出来たそれが、今は視界で捉えるのが限界だ。スローになっていく世界が、拳で埋め尽くされ……
「……チッ、諦めなよ。いい加減めんどくさいよあんた!」
「しぶといから生き残ったんだ。長所は捨てられんよ」
命中する寸前、背後に立つ佩盾へと逸れた。言葉を発する暇さえ惜しんで駆けた彼は、ギリギリのところで螻蟻を守ることに成功した。ひとまず、その事実に安堵する。
だが、余裕はない。若返った“師匠”の攻撃は、想定の数倍威力が高く……内臓に深刻なダメージが入っている。
「いいさ……当初の予定が少し遅れただけのこと」
鈍い動きで繰り出された螻蟻の拳を、軽くあしらうようにして跳ね除ける。【螻蟻の生】の唯一の弱点、身体全てを使えることが前提の動作。今の彼では意味がない。
口が裂けるほどに醜く笑った“師匠”が、腰を深く深く落として構えた。佩盾の筋肉の鎧を完全に破壊するつもりだ。
ドゴン! と、鈍い打撃音が何度も響き渡る。
(まだだ……まだ動いてはいけないよ、二人とも)
いつでも演奏開始出来るよう、楽器の準備を完了した鼓吹と、異能の準備をする鬼門に視線を向けた。今この瞬間にも重要器官がいくつか潰れているが、何一つ問題はない。
命を張るのは老人だけでいい。歳を食った人間が積み上げたものを、若い者がかっさらう……その形が正しい。
(最適な瞬間は、私たちが作り上げる……!)
もう何度目か分からない打撃音。気を察した佩盾はその手を勢いよく掴み、合わせて螻蟻も反対の腕を掴んだ。
当然、一秒も経たずに振りほどかれる。それでも離すまいとした彼らは大きく宙を舞い、地面に叩きつけられた。しかし“師匠”は見逃している……今この瞬間だけは。
演奏が始まる。
「んっぐう……おぶぁ。なん、が、ぱ」
戦闘開始時点から数えて、最も悪質な攻撃だった。言語中枢が乱れ、視界がグラつく。経験したことのないような吐き気を覚える。まるで三半規管を握りつぶされたような……!
たまらず嘔吐する。その中には血液も混じっていて、音だけで内臓を損傷したのだと気付いた。これが技術、だと?
「ぶ、ばば……ぐば、は」
笑うしかない。面白すぎる冗談だ。
佩盾といい鼓吹といい、冗談が面白すぎる。
「ばば……はぁ、ふは、は……馬鹿にしてんだろ?」
口の中に手を突っ込み、血液を掻き出す。ようやくまともに喋れるようになると、青筋を浮かび上がらせた。これは異能だ。こんなものが、努力と才能で得られるものか。
世界が違う? 理由になるか。どんなびっくり人間だ。
「どいつもこいつも、当たり前みたいな顔して。いいさ目標変更だ、一番厄介なのはもう潰した、次はあんただよ!」
グラつく視界の端で捉えていた。見逃すものか。佩盾はもう限界だ。先程から、立ち上がることにさえ失敗している。
最硬の盾はもういない。鎧のない兵士など……!
「……………………………………は?」
確かに潰した。螻蟻と佩盾のツートップは動けない。
演奏は耐えだ。未だに感覚のほとんどを破壊されてはいるが、五感喪失状態で行動する訓練は積んでいる。
残っているのは瀕死の獅子王と、不幸を視る少女。この中に、“師匠”に気付かれず物理攻撃を行える者はいない。全員叩き潰したのだから。それは、絶対に間違いない。
じゃあ、なんで、
「儂の心臓が、撃ち抜かれている」
続けて二発。“師匠”の首と腹を、石礫が撃ち抜いた。
ゴボリ、と演奏を聞いた時とは比べ物にならない量の血反吐を撒き散らす。信じられないものを見る目をしている。
不幸を視る少女は、右目を失っていた。
「ぞ、ぞんな、馬鹿な話、が、あるものか……」
「あるのよ。殺し屋ギルドの総力、舐めないことね」
鬼門が異能を失うことと引き換えに発動した切り札。それは、【不幸の引き寄せ】だ。これ以上ないほどの。
そう遠くない場所で行われている、魔神獣01と帝国の激戦。ウィイの【勝者の手】により外部と遮断されているはずだが、その戦闘余波が僅かに漏れ出ていた。
それは、小石を弾丸程の速度で吹き飛ばすこと程度なら余裕の衝撃。“たまたま”それは、“師匠”の急所を射抜いた。
「く、そがァ……とんでもないもん、隠し持って……!」
バチバチバチ、と“師匠”の手のひらが発光し始める。
逃げだ。世界そのものが恐怖する【天光の龍】。魔神獣01の眠るこの地に、誰も近寄らせないための警告。
地面に撃ち込む。即座に再生・回復を再現すれば多少のダメージはあれど生き残れる。この傷は、致命傷……ちゃんとした技術と道具を用いて治療せねばならない……!
戦略的撤退。【天光の龍】の再現を、即座に……
「おい……駄目だろう……ちゃんと殺さなくてはね……!」
「クソジジイ……枯れ枝のクソジジイがぁぁぁああ!!!」
発光する手のひらは、佩盾に向けられていた。
いや、いや、いや。まだいい。下方に向けて放ち、土煙と超広範囲の破壊をもたらすことが目的だったが……それが横方向になったとして、逃亡のための条件は整う。
発動する。キャンセルはしない。今は一刻も早く撤退しなくてはいけない。この命の灯火が消え失せる前に……
「なんだ。その構えはなんなんだ」
違和感。佩盾の立ち姿に違和感を覚える。
脇が空いている。先刻までの、苛烈な攻撃を耐えるための構えではない……腕一本通せるほどの空間が……
「はいタッチ。あんまりジジイの底力舐めんなよ」
ガシリ、と。指と指を絡めて、螻蟻と“師匠”の手は強く繋がれた。発動をキャンセル出来ない……【天光の龍】。
瞬間、螻蟻と“師匠”の腕が消し飛んだ。広範囲に放出されるはずのエネルギーが、繋がれた手と手の間のみで炸裂した結果だった。大きく後方に吹き飛び、転がる。
(馬鹿な、馬鹿な……!有り得ない、そんなことは!)
左腕を失った。螻蟻も右腕を失っている。
あんなにも軽い判断で、四肢を失うことが可能なのか?どれだけ長い年月を生きたとて、そんなことは……
「へっ……家族失う方が、よっぽど怖えや」
「っ……!」
思考を切り替えろ。まだ右腕が残っている。
今度こそ何もされないよう、最初からジジイ共に……
「がっ!」
刹那、訪れたのは限界。脳が血を吐いているようだ。
演奏を、ずっと耳に入れ続けてきた。鼓吹の奏でる、神経を破壊する音楽……それが、遂に神経を完全に破壊したのだ。右腕は力を失い、下方に【天光の龍】が放たれた。
(クソ……いや、これでいい! 本命の土煙は)
ボンッ、と、煙幕の向こうから飛び出してくる。
その姿は、本当に、獅子のようで……
「獅子王、村雨! 血を吸う刃!」
十五分を一瞬に圧縮した動作。瞬撃の極地。
鞘から引き抜いた刀身の煌めきが、まず右腕を塵のように細かく切断した。どうあっても再生は不可能。
土煙、煙幕。視界が遮られるのは敵だけではない。
――――――
『破壊衝動が人の形をとっているようだな』
『元の世界でもよく言われた。間違っちゃいないねえ』
『なんでこんなことをしている? 余に協力したところで得られるものは破壊ではなく金だけだぞ?』
『……なんだい、馬鹿にされてると受け取っていいかい?』
『純粋な疑問だ。金を欲しがる性格には見えん』
『癖みたいなもんさ。こっちの世界で、新しい娘こさえようと思ったが……血が繋がってないと、駄目だね』
『余には理解出来んが……よく人間が言っている。子を育てるための養育費というやつか? 何故そんなものを?』
『察しが良くて助かる……そうさねえ、壊す者なりに命の尊さはわかってるつもりさ。せめて自分の子ぐらいは……』
『意外だったな。お前のような者にも子があるか』
『馬鹿にすんなよ……儂にだって、娘ぐらいいるさ』
――――――
「ああ……ついぞ、言ってやれなかったねえ……」
全身が崩壊していくのが分かる。神の欠片が与えたもうた異能による攻撃……耐えることなど到底不可能。
散々壊してきた。この世界そのものを破壊するための計画は、あと一歩のところで終わったが……もう未練は、思い残すことは何もない。幸福とも言える死だ。
ただ、その間際に思い起こすのは帝王との会話。久しく忘れていた、一人娘への純粋な愛……
「弁当持って、友達が来て、車に気を付けなって言いながら見送って……儂は、軍の職務に向かって……」
今にして思えば、恥ずかしかったのだろう。
壊すことしか知らない自分が、今更愛を知って、それを伝えることなど。実の娘にすら出来なかった。
獅子王の姿に、重ねる。今は亡き娘の姿を重ねる。
「ふ、はは……最後に言えば、届くかねえ……」
うわごとのように呟く“師匠”を、獅子王はじっと見つめている。何かを躊躇うように動いた後に、跪いた。
赦していない。赦せない。でもそれは彼女の行動に対することであって……誰も、この世にいる誰も、“師匠”がどんな人で、どんな経緯を辿ってこうなったかを知らない。
傍から見れば、獅子王だって赦されるべき人間ではない。他の誰かが見れば、自分は“師匠”と同じかもしれない。
彼女の行為を赦さない。けれど、彼女自身は……
「あの後ろ姿に、儂は……声を、かけて……」
赦しても、いいだろう。
「いってらっしゃいって……届く、かねえ……」
そう言い残し、“師匠”は塵が舞うように死んだ。
待ち望んだ復讐の果て。獅子王は、ただ呟いた。
僅かな塵を握りしめて、確かな赦しを胸に抱いて。
せめて形だけでも……あなたにも、家族がいたのだと。
「ただいま戻りました、お母さん」
復讐は果たされた。




