第十八話 決着! 魔神獣!
「フィフス! 【勝者の手】の発動を確認しました!」
「了解! これより本格戦闘に突入します!」
魔神獣01が、紅蓮に燃え盛る右腕を天高く翳した。これほどの質量ならば、何か特別な力がなくとも振り下ろすだけで大ダメージとなる……だが、いつまでたっても動かない。
血を垂れ流したウィイが、悪役のような笑みを浮かべた。
「特別に……解説してやりますよ、怪物……!」
本来【勝者の手】は、ホムンクルスのエネルギー生成機関を経由して、異能機関で生成された空間に作用する粒子を加工することで成立する。概念的な行動強制力を持った、粘性の霧と考えると分かりやすいだろう。
その範囲を、魔神獣01と帝国の両方を覆い隠せるほどに拡大した時点で神業。そして、もう一つの神業は。
「あなたにだけ、更にレベルの高い行動制限を与えた!」
魔神獣01の動作に合わせて、それを最も妨害しやすい動きを異能粒子が選択する。【勝者の手】が概念的な強制力を持っているからこそのチート。
(ここまでして斃せないなら、それはもう諦める以外に選択肢はない。この世界は、この怪物に滅ぼされる)
口から熱線だの、手から光弾だの。そんなことをされ始めたら、流石に防ぐことは出来ない。ルゥたちが支配した機械が……帝国が、なんとか防ぐことを期待する他ない。
だが、それ以外の物理的な動作は全て妨害する。今出来ているように、単純動作は完全な無効化も可能。
それでも勝てないのなら、きっと何をしても勝てない。
「気張り……なさい、フィフス! 分かっているとは思うけれど、あなたが負けたらルゥも死んでしまうのだから!」
『……そうではないか! 疾く死ね怪物がァ!』
「気付いていなかったのですか……? あなたが……?」
変なところで馬鹿になるのは、弦譲りだろうか。彼も、ホムンクルスの感情の価値だの存在意義だのの話になると、普段の論理詰めの意見ではなく、理想と夢想に塗れた、子供のような理想論を振りかざしていた。懐かしい。
……いや、今はどうでもいい。この危機を、下手すれば世界規模の危機を乗り切った先で浸るべき思い出だ。
「今あなたを殺そうとしている者。そのために、“師匠”を殺そうとしている者。その中の誰も、あなたに対する直接的な殺意など抱いていないのでしょう。それは確信しています」
ただ、この世界にあってはならぬ存在。存在しているだけで、この世界を悪い方向に導いてしまう、天然の悪性。だから殺す。皇国を存続させるため……のみならず、この世界そのものを続けるために。ここで殺す必要がある。
誰もがそう思っている。そのために命を張っている。けれど、ウィイだけは……もう一つ、意味を見出していた。
「私はまだ見つけていない。彼のために生き、彼のために殺し屋ギルドで幸せになる……でも、それじゃ足りない。あの人の、ではない、一つの命としてのウィイ・ニァーは、まだ何ものにも依らない生きる意味を見つけていない!」
そんなものいらない、と言うかもしれない。彼への愛と忠誠のために生きることが出来るなら、他にゴテゴテした生きる意味なんていらない。そう言うかもしれない。
でも、必要なのだ。殺し屋ギルドの誰もが、“殺すことの意味”を探しているように。この世にたった一つの“ウィイ・ニァー”という存在は、自分だけの生きる意味が。
「まだ探したりないの……だから、ここで死んで」
帝国を蹴りあげようとした脚を、【勝者の手】が包み込んで固定した。これほどの質量が、埒外の速度で運動しようとしたところで……その異能の前には意味がない。
鋼鉄の拳が、魔神獣01の顔面を殴り飛ばした。
「私は、まだ生きていたいから!」
――――――
「56576425276758248543546868」
「了解しました!」
ホムンクルスの思考回路は、厳密には人間と異なる。脳から送られた信号は数式として神経節に作用し、それを無意識下で分解、再構築し、行動に置き換えているのだ。
弦の作成したホムンクルスは、総じてこれを手動で切り替えることが出来る。帝国を動かす時のような精密な指令が必要な場合は、言葉を全て数式に置き換えている。
また言語を理解する部分も数式に切り替え、フィフスは超高速の理解と行動への推移を可能としているのだ。
「ルゥ様の指令があれば、このフィフス! 負けん!」
「755589765586546890924464296」
「なんと、いや、しかし……むう、だとしたらそれは……」
ルゥが発したのは、警告の文言。魔神獣01はまだ本気を出しておらず、言うなればお遊びの段階の可能性がある。
今戦闘の主導権を握っているのは帝国だ。ルゥたちホムンクルスだ。しかし、まだ上の段階を残しているのだとしたら形成は逆転する。だがこれより上など流石に……
「76547855043125432894527688435」
「ふはは! ルゥ様を疑った私が馬鹿だった!」
もう何度目になるか、エネルギー砲弾を開いた口にブチ込んだその瞬間。煙幕の中から伸びた手が、帝国の欠けた頭部を掴んだ。今までのように、吹き飛んだりしない。
帝国の胸部から照射された光線も意に介さない。【勝者の手】による妨害が追いつかない速度で、その腕を振るった。
地震のような轟音が響き、地の果てまで揺らす。
魔神獣01の固く閉じられた紅蓮の歯の隙間から、超高音の蒸気が噴出された。ここからが本番ということか。
「この巨体でこの速度……有り得ん。間違いなく細胞組織が破壊されるはずだ……再生を同時並行しているのか?」
頭から大地に突っ込んだ帝国を操作し、追撃をかけようとする魔神獣01に後ろ回し蹴りを叩き込む。少し怯んだ隙に全力で頭部を引き抜き、脱出。原型を留めていない。
帝国のいい所だ。外部に取り付けられた人間と類似した部分に役割がない。ホムンクルスさえ無事なら、どれだけ人間としての重要器官を失おうと、十全の機能を果たせる。
「そうとしか考えられん……ならば、どう滅ぼすか」
様子見をしているらしい魔神獣01を正面から見据える。紅蓮の装甲は所々ヒビ割れ始め、マグマのように煮えたぎった血液が覗く。触れただけでもダメージを負いそうだ。
何故ここに来て……【勝者の手】が発動したからか。これ以上は、加減して勝てる状態ではないと。
「再生が追いつかない速度で殺す他ないな!」
「5735842284538448515678」
「そうですねこの機械にそんな速度出せませんよね!」
魔神獣01の拳が振りかぶられた。【勝者の手】による妨害が機能するのを前提とした回避行動を選択した次の瞬間、脇腹に鋭い爪が突き刺さる。脚か。
どういうことだ。【勝者の手】による妨害が追いつかない速度での蹴り? どれだけ加減していたというのか。
「55657620642452421973484276351657955289」
「加減では……ない? 体表面……そうか、内部の機能を代償にして出力を上げているのか! この超速度も長くは持たない……耐久に成功すればこちらの勝ちということですね!」
ルゥが反応する……よりも先に、魔神獣01のアッパーが帝国の顎を撃ち抜いた。大きくグラついて倒れかける。
露出した血管に流れるマグマのような血液。それは魔神獣01の身体動作やあらゆる機能を上昇させる効果を担っていた。しかし魔神獣01の筋肉はそれに耐えられない。
筋肉に血液を供給していなかったのだ。
つまり、魔神獣01は勝負を決めに来た。短時間、筋肉に血液を送ることで身体能力を数倍……数乗にまで向上。死ぬ前に殺す方針で、勝負の趨勢を決めようとしている。
だが、一つ誤算がある。それはルゥの存在だ。
彼女の優秀極まる観察眼により、魔神獣01の賭けは瞬時に見破られた。全リソースを耐久に注ぎ込む。
「ふはは! 来い怪物! 分かっていれば容易いこと!」
ボクシング、という競技が近年発達している。グローブを付けた選手が殴り合い、勝敗を決めるスポーツだ。彼らはフットワークやフェイントを活かして相手を追い込み、急所を狙って勝利を掴む。約五分間の試合の中で、基本的に殴るのは五発程度だ。それ以外の時間は様子を窺う。
何故か? それはカウンターや、回避された際のリスクが大きいからだ。もしそれらを心配する必要がないのなら、彼らはその馬鹿げた筋力とスピードを活かして……殴られている側の視界が、拳で埋まるほどの攻撃を仕掛けるだろう。
魔神獣01は、ソレを選択した。
「ぐぅっ……! 妨害が全て、力技で剥がされている……!」
ウィイも限界に近い。魔神獣01を逃がさないように、【勝者の手】を展開するのが精一杯。付け焼き刃程度の妨害は全て無視され、帝国は一方的に殴られている。
有り得ない、などというレベルではない。間違いなく形状崩壊を起こす速度……だというのに、なんだこれは。
(観察、観察だ……やはり、崩壊はしている。ただ崩壊した瞬間から再生している。単純だが厄介極まりない……!)
極論、死ななければ負けない。これほどの再生能力を持っている敵を殺す方法は、一体どこにある……!?
ルゥの指令に従い、最小限の動きで身を躱す。魔神獣01の再生は、何故か血液による筋肉の溶融に作用しない。恐らくは外部装甲のみに限っての再生能力なのだろう。
「6825988328465787242882656486」
「……異能? こいつは異能を持っていると思われる?」
そんな馬鹿な、と言いたかった。けれど、ルゥの観察眼は本物だ。彼女は確定していない情報を口にしない。
そもそも、何故人体に魔獣の一部を埋め込むことで異能が発現するのか。そのはっきりとした原理は未だ解明されていないが、ルゥが考えるには“後付けの遺伝”。
魔獣の特徴として、知性のなさが挙げられる。これは彼らに異能を扱うほどの知性がなく、それ故に人間が気付いていないだけとするものだ。実際、ギルドの格付けでB以上を付けられる魔獣のほとんどが、異能と称する他にない能力を保有している。ライドメドゥーサの石化がいい例だ。
なので、異能を持たない人間が、異能を持つ魔獣と混ざった場合、遺伝子レベルにまで浸透した異能が人間と合わさることで異能が発現する。ルゥはそう考えている。
それに倣うなら、“賭け”などという思考が可能なこの怪物が、異能を使えないということが有り得ない。
必ずどこかで使ってくる。最大限の警戒を……
「ルゥ様! ついに頭をもぎ取られました!」
ついに、の意味として極限まで合っていてほしくなさすぎる状況だ。それほどまでの威力なのか、この拳は。
視点を上に向けてみれば、首から上を失った帝国の無様な姿が視界に入った。同時に、宙に浮いた頭部を握りしめる魔神獣01の手も。突如として、魔神獣01は動きを止めた。
嫌な予感がする。全身から脂汗が噴き出す。
回避を。そう指示を出す前に、“ソレ”は訪れた。
『إستبدال』
理解不能な言語。しかし、結果はすぐに訪れる。
天体だ。胴体と切り離された頭部は、太陽の如く光を放つ天体へと変貌した。今の今まで隠し持った切り札……なるほど、知識として知っているどんな異能よりも強力だ。
恐らくは置換。手中に収めたものを、何か別のものに置き換える能力。その範囲が天体とはチートもいいところだが。
『ضغط/تغيير』
魔神獣01の表情は一切読み取れない。だが。
酷く醜く、笑った気がした。
『الثقب الأسود』
天体、惑星。それは帝国の頭部と置き換えられ顕現した。しかし、見てわかる通り、それは極限まで圧縮されている。膨大な熱や質量がこれほどまでに小さくなった時……
ブラックホールが出現する。
反応、思考すらする暇はない。魔神獣01の与えた指向性に基づき、ブラックホールは帝国を吸い込み潰した。
万が一にも生存の可能性はない。自身に危険が及ぶことを恐れ、魔神獣01がブラックホールは消した。どのような奇跡が起きようと、ルゥたちは生存出来ない。
「……分かっていない、【勝者の手】を……いいや」
だが、ウィイは笑った。寧ろこれでいいとばかりに。
魔神獣01はそれを聞き届けていない。ただ、帝国を斃すために損傷した部分の再生に、一瞬気を割いた。
“帝国が出現する”。
「弦様の選んだ異能を!」
勝者が決まるまで、何人たりとも脱出不可能。
ブラックホールにすり潰されたとて、勝者が決定した訳ではない。何故なら魔神獣01が勝利を確定させる要素は何一つ存在せず、また帝国の敗北を確定させる要素もない。
まだ、勝者は決まっていない。
「殺し屋ギルドにいて、良かったよ。本当に」
魔神獣01の頭上に出現した帝国は、ブラックホールに吸い込まれる直前とまったく同じ姿をしている。【勝者の手】による強制再構築……精度には一ミリのズレもない。
押し潰す。再生する隙間など、何一つとして与えない。
「死が身近だとな、気付く。“殺害は勝利足り得ない”」
そして、エネルギー砲をブチ込む。後のことなんて何一つ考えず、ただここで殺し切ることだけを考える。
死んだからなんだ? 遺したものは腐るほどある。それがまたいつか、勝利へと導くだろう。そんな経験を何度もしてきた……殺し屋ギルドの面々から、そう学んだ。
塵一つ残さない。魔神獣01が遺したものは……何もない。
「遺したもの全て消し去って、ようやく勝利だ」
損傷再生にリソースを割いた。異能の使用により、弱まっていた。エネルギー砲の全力全開を耐え切れるはずもない。
魔神獣01は、何も出来ず消滅した。
昏く輝く、神の欠片を残して。
「蝉折弦は、遺したぞ」
愛を。勝利を。敗北を。その中に無駄はなかった。
蝉折弦の遺産は……破壊の神に、勝利した。