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第十五話 いるべき者と

 螻蟻が皇室から引き受けた依頼は、彼らの予想よりも数倍早い一週間で完遂された。己の“生”そのものが武器である彼は、人間であれば可能なこと全てを遂行出来る。


 報告を終了し、冒険者ギルドから報酬を受け取り……その日の晩に、殺し屋ギルドでは会議が開かれた。


「悪ぃな、予定とか、全部狂っちまっただろう」


「いえ。元々今夜は鍛錬に使うつもりでしたから」


「僕は楽器の整備をするつもりでしたよ」


 他のメンバーも同じようなもので、突発的な会議に対して嫌悪感を抱いている者は誰一人いなかった。


 そのことに安心した螻蟻は、今回の依頼で作成した調査報告書を机の上に広げた。彼が作ったにしては緻密且つ情報量が多く、それだけにどれ程の時間と気力を費やしたのかが理解出来た。一つ一つ、丁寧に情報を繋ぎ合わせる。


「これは……螻蟻、皇室の依頼なんていつ受けたんだ」


「一週間前だよ。冒険者ギルドからの引き継ぎだった……いや引き継ぎじゃねえか。ま、そんなもんだった」


 禁足地に眠る超巨大生物。最新の探査機器を使用することで解明出来た、その有り余るエネルギー……【天光の龍】にも匹敵する脅威度。何もかも、信じ難いもの。


 そして、貼り付けられた一枚の写真……あの場にいた全ての者が覚えている、そこにいる人物は。


「……“師匠”。こんなところで、姿を見ることになるとはな」


「わざわざ蝉折邸に侵入したんだ、絶対なんかしてるとは思ってたが……予想以上のバカをやらかしてたなァ」


 皇室は、この情報を秘密裏に処分することを決定。


 この生物と“師匠”を捕獲し、作成方法や動機の調査……そして、この生物をあらゆる目的に利用するつもりだろう。


「愚か者共の思考だ。皇室も随分と耄碌したもんだよな」


「【天光の龍】と同レベルの怪物を、たかだか人間の一国家が利用出来るわけがない……何を考えているんだ?」


「焦ってんだろ。どうも最近、皇国は色々危ねえからな」


「それで、どうするんです?」


 獅子王の、冷めた目が螻蟻を射抜いていた。


 状況はかなり絶望的だ。いかな殺し屋ギルドと言えど、皇室の方針は無視できない。つまり、この情報を他の機関に公開することが出来ない。この時点で詰んでいる。


 皇室の暴走は、今に始まった話ではない。それでも今までの暴走は、辛うじて取り返しのつくものだった。優秀な臣民がカバーして、国家の形を保ってきた……しかし、今回の件に関しては違う。失敗すれば、取り返しはつかない。


 止めるべきだ。ただし、殺し屋ギルドのみで。


「……利用に際して、まず間違いなく“師匠”と戦闘することになる。断言するが……皇帝の私有軍隊では負ける」


 それは、螻蟻単体の方が私有軍隊より強いという意味合いも込められていたが……それは事実だ。そもそも【燼滅の光】がある時点で、数は大した意味を持たない。


「更に、調査結果が正しい場合。【天光の龍】を捕獲するみたいなもんだ……誰が考えたって、無理だってわかる」


「ギルド長、前置きはいりません。どうするのですか?」


 獅子王の瞳は、更に冷たいものになっていた。


 数瞬躊躇い、そして盛大なため息を吐いて答えた。


「俺たちだけで皇室の暴走を止める。この国を守る」


「そして“師匠”を殺す。ですよね?」


「……そうだよ。獅子王、お前、そんな目もするんだな」


 氷の視線、というのも生ぬるい。永久凍土の底の底から見つめられているような、酷く背筋の凍る視線だった。


 報酬として独立組織となった殺し屋ギルドに、皇国を守る義務はない。必要性もない。けれど、この国の人々に世話になって、その内のいくつかの命を奪ったから……


 せめてもの恩返しぐらいは、しておきたい。


 そして、“師匠”を殺さなくてはならない。あのような生物を作ってしまえる彼女を生かしておく理由は……ない。


「なあ獅子王、そろそろ教えてくれ。なんやかんやで、聞いてなかったからな。お前と“師匠”は一体……」


 カチャリと、鞘の鳴る音。


「どんな関係なんだ?」


 ――――――


 奇跡的に動いている骸。そう言われていた。


 実験台として様々な非人道的なことをされ、この世界で生き抜くためだとして、地獄のような訓練を積まされた。“師匠”に逆らえば明日の命すら危うくなった。


 いつか必ず殺す。ないに等しい感情で、心で、そう思っていた。今にして思えば、怒りだの憎しみだの、そんな感情を意図的に封じ込められていたのだと思う。


 同年代の子供も、何人かいた。同じ実験台なのに、健康と言えるのは自分だけだったのをよく覚えている。


 こんなものなのだ、と無理やり納得させていた。何かおかしいことに気付いていても、その現実を直視することはとても、とてもつらいことだったから。見たくなかったから。


 運命の日は、二度あった。


 二度目は、研究所を破壊したあの日だ。“師匠”から、あらゆる実験から解放され……冒険者としての生を歩むことになったあの日。計り知れない開放感が込み上げた。


 一度目……それは、“師匠”への憎悪が決定的になった日。


「じゃ、そうさねえ……あんた、一番仲良かったね」


 模造刀。しかし、人を殺すための形をしている。


 同年代の子供の中で、一番仲が良い子が、ソレを持った自分の前に“置かれた”。手足のない、達磨のような状態で。


「用済みなんだ。安心しな、この子のなくなった部分は、必ずあんたの役に立てるよ。加工してくっつけたり」


 その時までは、実験が終わった後に撫でてくれたり、褒めてくれたりしてくれるこの人たちのことが……ほんの少しだけ好きだった。盲目的な、無知故の感情。


 けれど、この瞬間に憎悪に変わったのだ。失っていた感情が再び燃え上がる……あの感覚は今も鮮明に覚えている。


「ほれ、殺しな。そんなに怯えるな……これも、ね?」


 その言葉に逆らえないのが嫌だった。脳に、身体に染み付いた癖が、習性が……勝手に、腕を振り下ろしていた。


 飛び散る肉の残骸、数秒前まで動いていたもの。哀願するような目でこちらを見ていた、光を失った眼球が、コツンと足先に当たる感覚。ただただ、目を見開いていた。


「“訓練”……なんだから」


 いつか必ず殺す。そう、固く決心した。


 しかし、所詮実験台に過ぎない自分は、いつもいつも“師匠”の言いなりだった。言われるがままに訓練し、言われるがままに受け入れ、失敗すれば酷い目にあった。


 何度も殴られ蹴られ、その度に強引な治療を施され。いつか動かす必要のなくなった表情筋は硬直し、あの日命を奪ったあの子の顔を思い出す度に、心臓の部分が強く痛んだ。


 せめて、あの子を殺した意味を見出したかった。在庫処分のために殺した事実を、受け入れられなかった。


 人が、自分が、何かを殺す意味。


 それは復讐だと思う。これまで殺した全てに、これから殺す全てに対して復讐されることなのだと思う。


 そしてそれは、ただ殺すだけではダメなのだ。必要だから殺した者も、強制されたから殺した者も、そしてこれからそうする者も。きっとこれから生きたかっただろう全てに。


 愛を持って殺さなくてはならないのだと思う。


 そうすればきっと、殺された彼らは、殺される彼らは、その愛を憎悪出来る。そこには意味がある。


 けれど、それでは救われない。他ならぬ自分自身が救われない。必要だから、そうするべきだから、せめて愛を持って他人を殺す……では、そんな自分を誰が愛する?


「くく、諦めな諦めな、あんたに家族は出来やしない」


 否。愛する必要はない。愛される意味がない。


 どこまでも一人で、彼女だけは一人で。絶対に、無情に、必ずや殺す。そうすることでようやく救われる。


「魔獣の子。あんたは世界一の大罪人なんだから」


 “師匠”を殺す。それが、自分の生きる意味。


 復讐されながら生きる自分が、苦しみながら進まなくてはならない自分が。そうまでする必要がそこにある。


 宿敵。運命。“師匠”とはつまり、そんな存在であった。


 ――――――


「罪はなく、故に赦しもなく。ただ降り積もる復讐の最後はあの人でなくてはならない……ご理解いただけますか」


「うーむ、思ったより深くてびっくりしてるぞ」


 ざっくりとした話は聞いていた。“師匠”に育てられ、戦闘の全てを叩き込まれ、そして研究所を破壊、逃亡。


 何者かに救われ、そして冒険者となり……今に至る。


「まあ、事情は分かった……“師匠”殺しと超巨大生物殺しの二班に分けるつもりだったんだ……お前は“師匠”殺し班だな」


「ありがとうございます。必ず、任務を達成します」


 それから、班分けが行われた。一度“師匠”と交戦している螻蟻と、“師匠”のことをよく知っている獅子王が中心となって行う。案外時間はかからず、三十分ほどで終わった。


「“師匠”殺し班は獅子王と錏、鼓吹だな」


「本当は螻蟻にも来て欲しかったが……流石に、戦力が偏りすぎるからな。超巨大生物、任せたぞ」


 佩盾と螻蟻がグータッチする。長年同じ戦場に立ってきただけあって、信頼を感じさせる視線をぶつけ合った。


 ホムンクルス組は、戦闘用の調整に向かった。獅子王と鼓吹も武器の整備を初め、鬼門は特にすることもないので部屋に戻った。趣味の絵でも描くのだろうか。


「超巨大生物の方は、殺せるかどうか怪しいな」


「ホムンクルス組次第だな。俺はある程度戦えるだろうが、あいつらが奮闘してくれにゃあどうしようもない」


 バーの中央席に座るのは螻蟻の癖だ。


 カランコロンと氷を揺らし、眺めながら佩盾と言葉を交わす。螻蟻は、もう全盛期ではない。昔のような力はない。


「なに、お前ならやれるさ。それに、環境を利用するのは今の方が得意だろう? 地の底にでも叩き落としてやれ」


「はっ……そうするか。大地の有難みを教えてやるかねえ」


 グイ、とグラスを煽る螻蟻。どこか不安を打ち消そうとするような動きで、佩盾にはそれがとても寂しく思えた。


 若い頃が懐かしい。螻蟻には、有り得ないほどの自信と力が漲っていて……それ故の慢心、油断でいつも危機的状況に陥っていた。そんな彼のことが好きだったし、その状況を覆し、共に笑い合う時間を愛していた。大好きだった。


 もう、そんな時間は訪れない。守るものが出来て、現実を知って、活力も失った。わかっている。そんなものだと。


 けれど悲しい。また取り戻したいと、切に願う。


「なあ、螻蟻。殺し屋ギルドを作った理由、覚えてるか」


「当たり前だろ。俺もお前も、ただの殺したがり……裏の世界でしか生きられない、破綻者だったから……その中でせめて、幸せになりたかったからだ」


 冒険者は欲望の化身。未だ解明されていない世界の未知を解き明かしたい、そんな願いのために目指す者が後を絶たない。心躍る“冒険”が、彼らの役目であり願いだった。


 螻蟻も佩盾も、元は冒険者だ。しかし、彼らの目的は冒険ではなく……命を奪うこと。何かを殺すことだけだった。


 彼らにも事情がある。それしか知らないから、そうするべきだと信じているから。けれどそれはあくまで彼らの事情であり、誰しもが理解出来るものでもさせるものでもない。


 結果として彼らは破綻者だった。


「俺は殺ししか知らなかったからなあ……だが、お前は違うだろう? 殺しとは無縁の世界にいただろうが」


「私は……なんなのだろうな。こうして、友と一緒に酒を飲んで、グラスを磨いているだけで良いのかもしれないが」


 透き通ったガラスの向こう側にいる友を見る。


 何度も何度も肩を並べて、命の危機を共有してきた。きっかけは偶然だ。冒険者という世界に憧れて、けれどすぐに死にかけて、奇跡的に螻蟻に救われて……


 彼の隣に、まだいたかったから。自分もお前と同じなのだと偽って、それがいつの間にか真実になっていた。


「壊れている……やはり、それだけだな」


「なんだそりゃ」


「くく、分からずとも良い。それよりもな、螻蟻」


 一拍置いて、佩盾が口を開いた。


「あの子たちは、殺し屋ギルドを辞めさせないか」


「……それは、俺たちが決めることじゃねえだろ」


「分かるだろう。あの子たちには、道がある」


 獅子王は冒険者として上手くやれていた。鼓吹にはホムンクルスや楽器に関する知識や技術がある。鬼門は異能を使えばいくらでも働き手はあるだろうし、ホムンクルスたちもその存在故にいつでも求められている。


 必ずしも殺し屋ギルドにいる必要はない。螻蟻のように、他の道を知らない者など……いないのだ。


「こんな、こんな世界にいるべき若者たちではない」


「んなこた分かってるよ……でも、ここを選んだ」


「正してやるのが私たちの責務だ。そうだろう!?」


「……正直、言うとよ。寂しいんだよ、俺は」


 目を細める。螻蟻は、こんなことを言う人間だったか。


 弱音を見せることはなかった。いつだって前向きで、自分の意見を曲げようとしない。これと決めたことは理由も何も説明せず、絶対に貫き通そうとする……


 こんなにも“人間らしい”弱音は、初めて聞いた。


「あいつらと一緒にいられなくなるのは……嫌なんだ」


「我々老人の、そんな感情に……巻き込むつもりか?」


「頭では分かってるんだ、そりゃダメだって……」


 でも、と。彼らしからぬ、弱い声音が。


「どうしようもなく、寂しいんだ……」


 だって、知ってしまったから。


 人の温もり。家族の優しさ。どんな仕事に手を染めていようと、包み込んでくれるこの空間が。この極小単位の世界の輝く様が、こんなにも美しいということを。


 今更手放せない。彼らが選んでここにいるという事実を理由にして、ここにいることを強制している。


「それでいい、とは……私は言わないぞ」


 肯定が欲しい訳ではない。寧ろ、否定して欲しい。


 こんなにも弱くなってしまった。今だけは、フィフスが羨ましい。守る者がいると無限に強くなれる彼のことが。


「俺は、こんなにも弱くなったのになあ……」


 “師匠”との決戦を目前に控え、己の弱さを痛感して。


 どの道を、選べば良いのだろうか。

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