第十話 あなたの隣
いつも、数え切れない人が出入りしていた。
入れ代わり立ち代わり、私の体を触っては紙に何かを書いて、時には機械に繋いで、とっても痛いことをされた。
でもそれが終わったら甘いお菓子がもらえて、師匠に沢山褒めてもらえた。外の世界には出してもらえなかったけど、色んな人が頭を撫でてくれたから、嬉しかった。
「儂のことは師匠と呼びな。これからお前を鍛えてやる」
「し、しょう……きた、えう……?」
頭はいいと言われていた。まだ五歳なのにものの読み書きも出来て、測定では十五歳程度の頭脳を持っていると。ただ身体の成長が、それに追いつけていなかった。
まともに喋れない、立つことも出来ない。色々なことが理解出来て、分かっているだけにつらかった。
「こりゃ重症だねえ……巻き込んだ責任があるといえ、これ本当に儂らが面倒見なくちゃならないのかい?」
「こっちの世界の生物構造とか、色々調べるついでに世話するんです。面倒になったら捨てればいいんですよ。というかこっちの世界でも、放射能は危険だと分かった時点で収穫なんです……実験台になってくれたお礼と考えましょう」
それもそうか、という呟きがどれだけ非人道的か、当時の私には分からなかった。ただ、首を傾げていた。
刀、という武器が与えられた。【天光の龍】というナニカの外殻で作られたもので、本来この世界には存在しないはずの物質なのだという。折れず曲がらず、ただ殺す。
名前は、師匠たちの元いた世界の刀にならって【獅子王村雨】とされた。ひたすらに剣を振る日々だった。
「ほーい実験体ちゃん。次はこの魔獣行ってみようか」
色々なものを植え付けられた。特に心臓と脳に植えられるものが多くて、日に日に感情が薄くなるのを感じていた。
白い白い、雪に包まれたような部屋。私が十六歳になるまでは、その空間だけが世界の全てだった。師匠と、その仲間らしき人たちがやってきて、少し何かをするだけの。
でもあの日、私の中の全てが変わった。
「くそっ育てすぎだ華蓋少将! 適性検査を見ていなかったのか!? この子は戦闘の天才なんだぞ!?」
「儂の知ったこっちゃないよ、ほらあんたも逃げな」
炎が立ち込めていた。手がカタカタと揺れていた。
いつものように、師匠と戦っていた。師匠は銃と呼ばれる道具を使って、いつも一方的にこちらを攻撃してくる。私は弱い身体を必死に動かして、死なないようにするのが精一杯で、他の何も見えてはいなかった。
その日、銃弾が頭の横を掠めた。初めて血が出て、少し嗤った師匠の顔が怖くて……勝手に口が動いていた。
「獅子王、村雨。血を吸う刃。止まらず、折れず、殺す」
振り抜いた刀の軌道に沿って、世界が斬れた。
師匠は生まれて初めて見るぐらい驚いた顔で、全力で身体を反らせて避けていた。同時に、怒りという感情を知った。
何度も何度も蹴られて殴られて、ひたすらにごめんなさいと叫び続けていたのを覚えている。こうして大人になった今でも夢に見るぐらい……アレは、恐ろしい時間だった。
そんな時間も、すぐに終わった。
「逃げろって……どうやって逃げるんだよ!?」
「儂は自分の身体使って逃げるさね。あんたたちも、脱出ポットみたいなのあったろ? あれで逃げなね」
「こっちの世界に来た時、全部壊れちまってるよ!」
「あ〜……じゃ、お疲れ様。儂はもう逃げるからね」
何度も傷付けられて、弱りきった私の身体を抱きかかえる師匠の腕は逞しかった。今までどこか頼りがいのあったその腕が、その時ばかりは泣き叫びたくなるほど怖かった。
炎の中を一緒に突っ切った。あちこちから聞こえてくる悲鳴が鼓膜を揺らす度、師匠は楽しげに嗤った。
走って走って走って……白い世界はハリボテの箱庭だと知った。広大な自然、空、海、そのどれもが新しくて、私は恐怖も忘れて泣いていた。その、あまりの美しさに。
「なんだい、今のうちに泣ききっとこうってかい?」
師匠の鋭い蹴りが、腹の中心を強く撃った。
お前のせいで拠点を捨てる羽目になった、責任をとって苦しみながら死ね……そう言われた。私は、ぐちゃぐちゃの心でまたごめんなさいと叫び続けた。死ぬまでそうするつもりだった。そうすれば、許してもらえる気がして。
「こんな場所まで来ることないだろう、任務はもう終わっているんだぞ? 昔からその放浪癖をなんとかしろと」
「あ〜うるせえうるせえ。いいだろ別に、鬼門に綺麗な花を摘んで帰りてえんだよ……この先にいい場所があるんだ」
そんな会話が聞こえた。師匠も動かなくなった。
本能的に、人が来たのだと理解した。私は精一杯声を振り絞って助けを呼んで……師匠は、そんな私を見て、舌打ちをして一発殴った。駆けていく足音が遠ざかった。
「ほら見てみろこの花畑……んだあ!? なんだお前!?」
「これは……かなり危険な状態だ! 今すぐ運ぶぞ!」
「どこに!?」
「病院以外にないだろうがこの猪頭!」
その声を最後に、私の意識は途絶えた。次に目が覚めた時私は、真っ白いカーテンに包まれた空間にいた。少し黒い模様の混じった天井は、どこか優しさに満ちていた。
「知らない天井だ……」
――――――
「ん……し……ちゃ……しし、ちゃ……獅子王ちゃん!」
目を開くより先に、彼の声に気付いた。肩を揺り動かすのは、間違いない。鼓吹の手だ。弱々しい彼の性格とは裏腹に、ごつくて……ちゃんと、男の子をしていて。
「せみおれ……せんぱい」
「良かった、目を覚ました……覚ましたよお……!」
視線だけで、横たわっている自分の身体を見る。
布団にくるまっているが、感覚で分かる……全身を包帯でぐるぐる巻きにされている。特に銃弾を撃ち込まれた場所は厳重で、肩はほんの僅かに動かすことも出来ない。
絞り出すような鼓吹の安堵の声を聞いて、ばたばたと駆けつける音が聞こえた。この音は……鬼門、か。
一瞬目を開けたのだが、なんだか瞼が重い。意識は段々はっきりしてきているのに、視界を開くことだけは出来ない。指先を動かして、覚醒していることを伝えた。
「獅子王さん、良かった! 目を覚ましたんですね!」
ルゥだったか。
「もう三日起きなくて……鼓吹の坊ちゃんから聞いた大好物のステーキを突きつけても起きなかったんですよ!?」
「あんたの料理に釣られて目ぇ覚ます奴はいないわよ」
鬼門もいたのか。
「……本当、心配させんじゃないわよ。佩盾はあんたの傷薬調合中、螻蟻は昨日帰ってきて、死んだように寝てるわ」
……こっそり佩盾から聞いたが、鬼門は誰よりも殺し屋ギルドに対する執着が強いのだという。裏で鼓吹を弟、螻蟻を父と呼んだり……今、どんな顔をしているのだろう。
現状報告は有難い。螻蟻が死んでいないと分かっただけでも安心出来る。良かった、本当に良かった。
「フィフスはギルド周辺の警戒。何やってたか私は知らないけど……もう、二度と……無茶すんじゃ、ないわよ……!」
ぐす、と鼻をすする音が聞こえた。ルゥと鼓吹も黙りこくって、時折何かを飲み込むような音が聞こえる。
泣いているのか。こんな、ただ油断して怪我をして、銃弾を数発撃ち込まれただけで数日気絶する間抜けのために。そんなこと、師匠なら絶対にしなかったのに……
この人たちは、何を考えて生きているのだろうか。
「まだ喋れない?……そう、目も開けられないぐらいだものね、しょうがないわ……行くわよルゥ、交代時間よ」
「え、でも……鼓吹の坊ちゃんに任せて良いのですか?」
「いいのよ。どうせ、任されたがってるんだから」
枕元から漂う果実の香り。鬼門が持ってきたらしい、新鮮な果実特有の心が落ち着く香りが良く漂う。
好きな果実ばかりだ。好みも把握してくれていたのか。
パタパタと、幼女二人分の足音が遠ざかる。心の中で感謝を告げながら、二人を送り出した。
「……フィフスさん、ね。ルゥさんのそばに居たいって言ってたんだけど、獅子王ちゃんのためならって……見張り、買って出てくれたんだ。後でお礼言わないと……」
どこか照れた様子の鼓吹の手が、自分の右手を包み込んでいる感覚がした。少しガサツいて、でもどこか落ち着く。
少し不安な心を見透かしたのか、色んな話をしてくれた。この三日間、何があったのか。ルゥの料理はいつまでも不味いだの、螻蟻が帰ってきた時に鬼門が泣き叫んで、山の魔獣が少し活性化しただの……そんな、くだらないことを。
普段は曖昧に笑って流していたこと。けど、今はそれが何よりも有難い。いつの間にか、夢中になっていた。
「それでね、父さんは結局死んでた。螻蟻さんの情報だから実際目にしてはないけど……穴だらけだったって」
ホムンクルスたちも、大多数が死んでいたらしい。元々弦が死ねば自殺するような性格の者たちだったので、それ自体に疑問はない。狂信的な忠誠心というだけだ。
「獅子王ちゃん……君は、死なないでね」
言葉は返せない。代わりに、手に力を込めて返した。
包帯の少し荒々しい感触が、鼓吹の手を撫でる。鼓吹は少し笑って、またほんの少し強い力を込めてきた。
「あの夜、僕の手を握りしめてくれて……嬉しかったんだ。君の手の温もりが心に染み渡って……僕の苦しみを覆い隠してくれるみたいで。そして……」
声が弱くなる。でも、芯の部分はもっと強く。
「僕の想いが、独りよがりじゃないって教えてくれてるみたいで。君はなんてことないように感じてるかもしれないけど僕は、僕にはあの時が……とても、特別な時間だった」
パタパタパタ、先程の足音とは違う音。
鼓吹が、手で自身の顔を仰いでいる音。自分らしくない、恥ずかしいことを言ったとでも思っているのだろうか。実際そうなのだが……そう、恥ずかしがることもないのに。
分かっている訳ではない。あの夜、何故彼の苦しみを取り除きたいと思ったのか……でも、気まぐれじゃない。
それはきっと、あなたと“特別”を共有したかったから。
「ご、ごめんね。僕はもう帰るから……」
立ち上がろうとする鼓吹の、服の裾を掴んだ。まったく力の篭っていないはずのその動きに、鼓吹の身体が大きく揺らいだ。大げさなぐらいによろめいて、ベッドに倒れ込む。顔が、息のかかる距離まで近付いている。
動揺する鼓吹を尻目に、両手を震わせて動かした。若干の申し訳なさを感じながら、頬を包み込む。
「せみおれ……いいえ、くすい、せんぱい……」
開かない目に感謝する。今は、今だけは有難い。
口元に包帯は巻かれていなかった。
「ん……わたしも、きっと、おなじきもち……ですよ」
舌で唇を撫でる。いつもと違う味がした。
死んで欲しくない。裏の世界に生きる自分は、結局……根底にあるのは、そんな物騒な願いなんだと思う。
でも、その感情は基本的に“必要だから”発生するものであった。いたら便利だから、いなくなったら不便だから。そんな壊れた感情が故に発せられるものだった。
鼓吹に対してはどうだろう。戦闘力で劣り、先輩であるというのに大して役に立たない。まだ、外見的な不安の大きい鬼門の方が頼れる。あらゆる能力を総合して、ルゥとフィフスの方がまだ良いのかもしれない。
でも、でも。それでも。死んで欲しくない、というこの感情は……彼に対して抱いているものが、一番大きい。
「よわくて、こわれそうなあなたが……それでもけんめいにあがくあなたが、わたしは……まぶしかった」
自分がその立場だったら、どうしたのだろう。
螻蟻についていくことはない。何も出来ない自分を嫌悪しながら、蝉折弦とホムンクルスのいる屋敷の中で、一生を終えていただろう。外を見ることもしようとせずに。
それは、かつての自分だ。
でも彼は、螻蟻についていった。殺し屋ギルドなんて世界に足を踏み入れて、必死に技術を磨いた。誰に強制された訳でもないのに、自分からそんな道を選んだ。
それは、かつての自分が選びたかった自分だ。
過去を重ねている訳ではない。ただ、蝉折鼓吹の生き様を知る度に……輝かしくて、星のようで、眩しくて。
「やさしさも、よわさも、おくびょうさも、あなたのすべてにゆうきづけられて……とても、いとおしくて」
この手を握りしめてくれた。
独りよがりだと思っていた。起源の分からぬ感情に突き動かされるがまま、あの夜掴んだ彼の手が。拒絶されるとさえ思っていたのに……彼は、優しく握り返してくれた。
失った全てが彼にはある。この世界にいても優しさを持っていて、こうして……誰かを暖めることが出来る。
師匠の、歪んだ強さを前にして手放した。仕方ないと思っていたし、今でも思っている……けれど、彼の隣にいるとそれで良かったとさえ思える。だって、それは、
もう一度手にすることが出来るということだから。
「わたしは……あなたの、となりにいたいです……」
そばに居るだけで、音を奏でるように高鳴る鼓動。
必死に作った笑顔が痛々しい。醜い顔だと思う……でも、やっぱり。あなたは優しく包み込んでくれた。
頬に添えられた手に、自身の手を重ねる。先程よりも熱を孕んだ手は、心地よい温度となって染み渡った。何かに導かれているかのように、再び口付けを交わした。
「僕も……僕も、同じように、思っていたよ」
そっと花を掴むように優しく、彼の手が背中に回される。
抱きしめてくれている。金も、名誉も、何があっても不動だった心が……そんな、簡単なことで満たされていく。
「僕も、あなたの隣に居たい……」
さらりと髪を撫でる手がくすぐったくて。
この感情が、あんまりにも幸せで。
二人は、ずっと笑いあっていた。