祝宴2
マキネカラビナは先程の場所から少し離れた位置に座っていた。ハルデはそこに歩み寄った。
「マキ、ごめん。はじめから、離れない方がよかったな」
ハルデがそう声をかけると、彼女は大きく深呼吸をしてから答える。
「いいんすよ、ただ本当のことを言われただけだから。まだ騎士になってない私が悪いっす。騎士になれても、貴族にはなりきれないかもしれないけど……かっこ悪いなぁ、わたし、言い返す言葉もないなんて」
彼女は天井を仰いだ。
「誰だって、具合が悪い時に畳みかけられては無理だろう。これからなればいいさ、かっこいい騎士ってやつに」
「はい、頑張って、強くなって、かっこよくなって……誰にも文句を言わせない騎士に……」
そう言って彼女は、ハルデから貰ったペンダントを握りしめた。少し血色が戻ってきたように見えた。
「期待しているよ」
しばらくその場にとどまって、話しかけてくる来賓に対応した。皆がハルデ達の事を知っていた。恐らくは彼らも、辺境伯家が提供する新聞や騎士団の広報誌から知ったのだろう。
マキネカラビナがエムナを飲み干し、落ち着いてきた頃合いを見計らったのか、フォルキリエがこちらに視線を送ってきた。マキネカラビナの方を確認する。彼女と目が合う。彼女は息を吐いて、立ち上がり、頷いた。
フォルキリエは、会場の一番開けた場所に進み出て、声を張り上げた。その声は確かに軍勢を率いる者の迫力ある大声でありながら、まるで嗄れ声とは程遠い、鈴のなるような声であった。
「来場のみなさま! 本日の主催である、ブレヴフェンシア辺境伯フォルキリエでございます。お集りいただきありがとうございます。本日は連合帝国の現状について改めて知っていただき、ご協力いただきたく、みなさまにお運びいただきました」
彼女は一呼吸置いた。
「魔族との戦争が始まって、間もなく3年になろうとしています。これまでに17の騎士団が、連合帝国西部において、その職域を守るために戦い、そのうち8の騎士団がその職責のためにすべてを散らし無に帰しました。この間に、実に1万名あまりの騎士が死傷し、戦闘不能になりました。今年帝都で騎士になった人数は1085名ですから、このペースのままでは損害を補うだけでも単純計算で10年ほどかかります。帝都で過ごされるみなさまには、今一つ現実感にかけるかもしれません。ですが、破滅の足音はすぐそこにまで迫っているのです!」
自分に視線が集まっていることを確認するように、彼女は周囲を見回してから、両手を広げる。
「みなさまは会場に展示された装備の数々をご覧になったでしょうか。そして、気付かれましたでしょうか? 採用年の欄に注意していただきたい。わたくしが今日ここにお持ちした装備の数々。これらはすべて、前線で実際に使用されている装備です。しかしながらそれは、20年も30年も前に騎士団に正式採用された装備なのです。父の世代に採用された装備を、そのまま子が使っているのです。様々な技術が進歩しているのに、その進歩は騎士の装備には届いていない。最も危険に身をさらしている者たちが、このみじめな状況に陥っています! 我々貴族は、彼らの貢献に対して、何をしてきたでしょうか? 何が、できるのでしょうか。彼らは何を求めているのでしょうか。聞いてみましょう! 今最も勢いのある騎士、<救世主殺し>・ヴォルテーラ卿です!」
紹介を受け、前に進み出る。礼を取ったあと、フォルキリエに負けない声量で切り出した。
「我が名はハルデ・ヴォルテーラ。とある騎士隊を率いる騎士であります。私は父の薫陶を受け、騎士になりました。騎士というのは、国を、民を守るために戦う戦士であります。我々は戦場の灼熱に耐え、ひどい土埃をその身に浴び、時に泥水を啜って戦っています。戦いの合間に装備を点検し、点検の合間に食事を摂ります。良い鎧があれば生き残れた騎士がいました。良い武器があれば倒せた敵がいました。生き残った敵が、明くる日に我々を殺しに来ます」
一瞬顔を伏せて目を閉じる。ゆっくり目を開いて、それから再び顔を上げた。
「想像してみてください。鋼鉄の悪魔の群れに、まるで歯が立たない武器で立ち向かう騎士の心細さを。我々が打ち破られた後に、あなた方自身が同様の武器を携え、迫りくる死神の列に立ち向かわなければならないときのことを! そうなったとき、あなた方の家族と財産がどうなるのかを!」
恰幅の良い貴族男性が顔をゆがめて身震いするのが見えた。
「我々が真に力を発揮するためには、新しい、良い装備が必要です。どうか我々に力をお貸しください! 皆様の命、家族、財産を守るために、我々は戦っているのです。私は、皆様が我々のために使う富以上に大切なものを、きっとお守りいたします!」
ちらりとフォルキリエの方に目をやると、満足げな表情をしていた。数歩下がると、フォルキリエが再び声を張り上げる。
「今日はもうひと方、新しい制度の下に選抜された、義勇騎士の第1期生をお呼びしています。ストリケパイラン義勇卿です!」
マキネカラビナは心配そうな視線をフォルキリエに送ったが、フォルキリエはじっと見つめるのみであった。意を決したのか、マキネカラビナは両手で顔をパチンと叩いて、一歩進み出た。
「わたし……わたしは、義勇騎士です。まだ騎士にはなれないけど、騎士と一緒に戦います! 騎士と同じように戦います! わたしたちの戦いを、覚悟を、信じてください! わたしが第1期生だから、わたしの後に他の義勇騎士の道が続きます。わたしがかっこいい、強い騎士になって、みんなを先導します。どうか、わたしたちを信じてください! お願いします!」
マキネカラビナは大きく頭を下げた。荒っぽく、貴族らしくないながらも、堂々とした振る舞いに、来賓たちは感嘆した様子だった。フォルキリエが呼びかけを続ける。
「来賓のみなさまがた。みなさまがたが最新のファッションで社交界という戦場に赴くのと同様に、騎士もまた最新の装備で、戦場、そう、まさに戦場に赴かねばなりません。みなさまのご協力が騎士団には必要なのです。すべてを失う前に、すべてを失わないために、みなさまの富の一部を使ってはいただけませんか!」
沸き起こる来賓の盛大な拍手。それに対して、フォルキリエは優美に礼をした。それから使用人の一人を呼び寄せて、何かを言付けた。使用人が用紙を配り始める。
「これより、騎士団への寄付の申請書、連合帝国帝立兵器廠への寄付の申請書、ブレヴフェンシア軍需産業会社への投資の申請書をお配りいたします。必要な枚数お受け取りくださいませ。我が軍需産業会社への投資には、然るべき配当がございます。家計事情について十分ご考慮の上で、ご支援のほどをよろしくお願いいたします。本パーティはまだまだ続きますので、ぜひお楽しみくださいませ」
来賓達の反応を見るに、フォルキリエの呼びかけは好意的に受け入れられたようだ。会場が再び活気に包まれる。彼女は大きく息をついて、ハルデとマキネカラビナに近づいた。
「いやー、素晴らしいです、お2人とも。事前の打ち合わせなしで概ね予定通りの展開でした。何かお礼をしなくては」
「お役に立てて光栄です……お礼もいいのですが、その、新聞とか雑誌とかに載せる前にせめて一言欲しかったのですが」
「えっ……?」
あごに手を当て、しばらく唸るフォルキリエ。彼女はしばらくして、慌てたように両手をひらひらさせる。
「こ、これからでも許可を得たら自由に使っていいことになりませんか……? たくさん使い道を考えていて……」
「それは……国のためになるとしたらやぶさかではありませんが、それにしても」
「収益の大部分を国と騎士団のために寄付しますからぁ! どうかぁ!」
涙目で懇願するフォルキリエ。苦手な、女性の涙にうろたえるハルデ。
「わかった、わかりましたから……」
「やったー! 助かりました!」
フォルキリエはけろりとした顔でそう言った。手玉に取られているような気がした。
「ところで、ヴォルテーラ卿は今日、ご令嬢といい出会いをされましたか? 恋しました?」
彼女は楽しそうな顔でそんなことを言い出した。
「はい?」
「恋はしたのかと聞いているのですよ」
ハルデは訳がわからないと思いながら答える。
「いえ、今はそれどころではないので……」
「なぜですか! 騎士は素敵な貴婦人と恋をして愛をささやくものです! 偉大な物語の数々にも載っているではありませんか!」
本気で騎士はすべからくそうすべきだと言いたげな顔で、彼女は詰め寄ってくる。
「俺は物語の登場人物ではありませんよ」
「ぜひ登場人物になってもらいたいのです!」
「登場人物になるから、恋をしなきゃならないんですか?」
「そうです!」
「無茶苦茶です」
「なんでよ!」
「こっちの台詞ですよ、それは」
睨み合う2人。しばらくして、フォルキリエが根負けした様子で、咳ばらいをする。
「んんっ……恋はともかく、結婚相手は探しているんでしょう? 伯爵家をあなたの代で終えるつもりではありませんよね? もったいなく思いますよ、ヴォルテーラ家がこんなところで潰えるのは」
今度の彼女は本当に心配をしているように見えた。
「シルフィア貴族が気にすることなんですか。うちはミルキリア貴族ですよ」
「我が辺境伯家は構成国を横断する帝国統一主義の方針を先代から引き継いでいます。ですから、他構成国の貴族の行く末にも気を払っています。それだけではなく、ヴォルテーラ家のことは個人的に気に掛けるところでもあります。あなたのお父上にはご恩がありますので」
「父に……?」
「ええ。わたくし、あなたのお父上にしばらく師事していたんですよ。わたくしのお父さまが相当頼みこんだそうで……そういう関係性があって、あなたと、あなたの家との関わりを失うのは惜しいと考えているのです」
「そんなことが」
「そう言った掛け値なしでも、わたくしはあなたの事を好ましく思っているのですよ……?」
フォルキリエはそう言って、手を胸の前で組み、上目遣いでハルデに迫る。常日頃の奇抜な物言いからか、仕事以外での人間関係は希薄らしい彼女だったが、その顔は美人そのもので、体つきも魅惑的ではあった……手にくっきりとしたたこがあることを除いて、その姿態は他の貴族達を惹きつけそうなものに思えた。ハルデは目を逸らしながら、後ずさる。
「ドキドキ、しませんか?」
「いえ、それは、その……なんといえばいいのか」
「ちょっと、恋には届かないと……?」
一瞬視線を交わすが、ハルデは結局、ふたたび目を逸らした。
「そうですか、残念」
「あまり、揶揄わないでください」
「うーん、それだったらマキさんにしときますか? そのうち騎士になれば、面子も保てますよ」
彼女は両手でマキネカラビナを指差す。
「いえ、俺たちはそういうのではありませんから」
「そうなんですか?」
マキネカラビナに視線を送り、首を傾げるフォルキリエ。
「そうっすよ、全然、そんなのじゃないんすから!」
「ほんとぉですかぁ?」
マキネカラビナは顔を伏せ、少し顔を赤くする。
「はい、その、違うっすから……」
「ふーん、勿体ない……ともあれ、ヴォルテーラ卿は騎士なのですから、騎士心得にもあるように、人に恋し、愛をささやくべきです。今すぐでなくても構いませんから」
『騎士たるもの、恋し、愛せよ』。そう、連合帝国騎士団の『騎士心得』最終章の初めに大きく書いてある。これは連合帝国以前からの騎士のしきたりであった。ハルデ自身は、これに何か意味があるものかと、懐疑的だった。
「か、考えてみますから、今日のところはこの辺で……」
その場しのぎの返答をした。
「そうですか。相談には乗りますからね」
フォルキリエは少々困ったような顔をしていた。
「そういえば、試合がどうとか言っていたのはどうするんすか?」
そう言って出てきたマキネカラビナの疑問は、話題を変えたかったハルデには都合がよかった。彼女がハルデに助け舟を出したのかはわからなかった。
「うーん、そうですね……ヴォルテーラ卿はその左腕のまま、投擲はできますか? 私とマキさんが剣で試合しても見栄えがしなさそうです」
フォルキリエはそう言いながらスカートの裾をたくし上げ、左側で結んでしまう。太ももが露わになった。さらに靴を脱いでしまう。
「な、何をしているんです!?」
「あなた1人に投げさせておくわけにはいかないでしょう。まあ、わたくし自身は腕に自信がありませんが、わたくしと比べることであなたの腕が引き立って見えますよ」
「俺は、投げろと言われれば投げますが、閣下はその格好でやるつもりなんですか?」
辺境伯家の使用人が目を白黒させているのが見えた。フォルキリエはその彼を呼び出す。
「わたくしの練習用の投擲槍をすべて持って来てください。それから皆様を昨日準備しておいた区画へ」
「は、かしこまりました」
使用人はさらに別の使用人に指示を言付けて、会場から退出した。
しばらくして、辺境伯邸の庭の一角に、人々は集まっていた。古い標的の周りに長方形の区画を腰くらいの高さの柱とひもで作り、その外側の、標的の無い側に来賓が集まった。そこで、ハルデとフォルキリエの競技を観戦するというのである。
フォルキリエは、寒空の下、裸足になり、左足は太ももの中ほどまで露わにしていた。
ハルデとフォルキリエが区画の内側で準備運動をし、その近くでマキネカラビナが10本の槍を抱えていた。
準備運動を終えたフォルキリエが、来賓に向かって大きな声で語りかける。
「みなさま、お待ちかねの投擲競技の時間でございます! わたくしと彼、ヴォルテーラ卿が、それぞれ5本ずつ槍の投擲を行います。彼は今負傷していますが、投擲の専門家ですから、きっと素晴らしいパフォーマンスを見せてくださることと思います。ぜひ彼の腕の冴えをご覧くださいませ」
ハルデは、あまり観客の期待を高めないでほしいと思った。だが、事実としてこれくらいの距離であれば今の体の状態でも、問題なく当てられるだろうという自信を持っていた。
体は十分に温まった。いつでもいける。
「よろしいですか?」
フォルキリエはハルデの顔をのぞきこんだ。
「いつでも」
そう答えて頷く。
「では、はじめます! まずはわたくしから」
標的までの距離は15メートル。
フォルキリエは裸足で、ドレスの裾を結んだ格好のまま、大きく振りかぶって槍を投げた。
ハルデはそのフォームに、大変な努力を感じた。
槍は錐揉み回転しながら山なりの軌道を描いて飛んでいき……標的の手前の地面に突き立った。
観客の残念がる声。フォルキリエは吐息をつき、場をハルデに譲る。
ハルデは左腕を固定帯で固定したまま、右手に槍を握る。いつも通りのフォームで、力強く投げた。
槍はフォルキリエのそれより素早く、鋭く飛び、標的の右頬を削ってその奥の地面に突き刺さった。
惜しい、観客の一部からそういう声が聞こえた。ハルデはこの投擲で、自分の感覚を調整した。
フォルキリエの2投目も、手前に落ちた。
ハルデの2投目は1投目とほぼ同様の軌道で、標的の頭部分に突き刺さった。観客から驚嘆の声が上がる。
ふと見ると、フォルキリエが突き刺さった槍を見て微笑んでいた。
「さすがですね。わたくしもせめて1本くらいは当てないと」
そう言いながら、彼女は腕をぐるぐると回した。
3投目。投げた後たたらを踏むほど、勢い込んで彼女は槍を投げた。しかし、当たらない。なおも槍は標的の少し手前に落ちるのであった。
(もう少し、なんだけどな)
もったいないな、と思いつつ、ハルデはフォルキリエの投擲を観察していた。
ハルデの3投目は安定した軌道で、標的の左胸の部分に突き立った。
連続で当てたことで、歓声が上がる。観客が喜んでいるなら良いことだと思いつつ、もしこのままフォルキリエが1投も当てられなかったらと思うと、気がかりだった。騎士団で最も成果を上げているとも言えるこの騎士が、無能力であることを晒すのを放置していいのか? 自分のことを印象付けるために……?
「ブレヴフェンシア卿、ちょっと……」
今にも4投目を投げようとしていた彼女が、ハルデの方を向いた。
「なんです?」
「その、投げ方なんですが。投げる瞬間にもっと引き手をぐっと強く引いて、それから……」
小声で彼女のフォームの改善点を数点指摘する。彼女はふんふんとそれを聞き、数度、ゆっくりといわれた通りの動きをしてみせた。
「どうでしょう」
ハルデは小さく頷く。フォルキリエは新たなフォームで、槍を強く投げた。
槍の軌道は前と変わらず緩やかで大きな弧であったが、先ほどよりも遠くまで飛び、標的の脇をかすめた。
あー、という観客の溜息が聞こえる。しかし、先ほどよりだいぶ距離を稼いだようだ。
ハルデは『よし、よし』と心の中で呟いてから、4投目を無事に当てた。
フォルキリエの5投目。来賓の人々は、固唾をのんでこの最後の投擲を見守っていた。
改善されたフォームで投げた彼女の槍は、綺麗な弧を描いて、まるでもとよりそうなる運命であったかのごとく、標的の真ん中に突き立った。
スコン、という標的が鳴らす音の後の、しばしの静寂。それを破ったのは、他ならぬフォルキリエだった。
「ぃやったぁ~! やりました!」
彼女はそう言って飛び跳ねながら、ハルデの両手を取り、さらに跳ね回った。
「お、おめでとうございます、閣下」
「本当にうれしいです! この距離ではずっと外し通しでしたから……」
「あの、皆が見ていますから……」
そう言って、周囲を見ると、丸い目をして何やらひそひそ話をしているのが目に入った。
「ん……んんっ」
フォルキリエは気まずそうに手を放し、咳払いをした。
「で、では、ヴォルテーラ卿の最後の投擲ですね」
「はい」
促されて、ハルデは5投目を投げた。吸い込まれるように、それは標的の頭部に突き刺さった。
再び歓声が上がる。来賓から割れんばかりの拍手が送られた。
「いやぁ、1投目を外した時はどうなるかと思いましたが……」「さすが、払暁章の英雄……」「しかし、辺境伯殿も1本当てて、あんなによい笑顔で……」
「さて、みなさま!」
フォルキリエが呼びかけると、拍手が止む。
「ぜひ、負傷中ながらも実に4本を当てたヴォルテーラ卿に賞賛を! そして、何とか1本当てたわたくしにも、ささやかながら慈愛の念をくださいませ!」
再び、賞賛の拍手が沸き起こる。10秒ほどしてから、彼女が手をのびやかに上に差し出して拳を握ると、拍手は収まった。
「それでは、この宴が終わるまでには今しばらくお時間がございます。最後までぜひごゆるりと、ご歓談のほどを」
彼女が貴族式の礼をする。来賓たちは使用人たちに促され、大広間に戻っていく。それを見送り、それから彼女は1人の使用人を呼びつけた。
「足を洗うために、水桶にお湯と、あとタオルを用意してください」
「あちらに用意してございます」
使用人が示した軒下には、すでにそれが用意してあった。
「素晴らしい。では、ここの片付けをお願いしますね。ヴォルテーラ卿、マキさんも、中に戻りましょう」
フォルキリエを先頭に、建物の方に戻る。
軒下に入ると、彼女は足をお湯に浸した。指先は少し赤くなっている。雪こそ降らなくとも、今は冬なのだった。
「大丈夫ですか?」
ちらりと見ると、彼女の足にも手にも、ごつごつとした『たこ』ができているのであった。
「やはり……」「すごいたこっすね」
「えっ? あぁ、これは、まあ……」
彼女は小声になる。
「こんなだからなのか、それとも性格のせいなのか……わたくしは社交の場ではあまり人気がありません。今日だって、わたくしの元にではなく、わたくしの名声、権力と財力の元に、みなさまが集まっているのです。わたくし自身、彼らが国の存亡のために支出してくれる権力と財力にしか興味がない、ということもありますけれど」
ハルデは彼女に合わせた声量で、しかしはっきりと告げる。
「さぞ長い間、努力を積み重ねてこられたものと推察します。閣下の努力は誇るに値するべきものです」
「続けるだけでも大変だとは思うのですけれど、それをものにできるかどうかはまた別の問題です。事実、きょうまであれを当てられませんでした」
マキネカラビナが、両手をぐっと握って、フォルキリエに顔を突き合わせた。
「でも、きょうは当てました! 胸にスッと届きました! かっこよかったっす! 閣下はかっこいい騎士っす!」
フォルキリエは驚いた様子だったが、少し間をおいて、マキネカラビナの両拳を握った。
「ありがとうございます。そのように言われると、思ったよりもうれしいものですね。本当に……マキさんも、ヴォルテーラ卿も、本日は来場いただき、どうもありがとうございました」
手を放して、汚れを落とした足をタオルで拭き、靴を履くと、彼女は丁寧に礼をした。
「あなたがたのような騎士たちのために働くことには価値がある、改めてそう思いました。どうか……連合帝国のために、精一杯戦って……それで、平和を取り戻しましょうね」
「御心のままに」「はいっ!」
2人が頷くと、彼女も頷き、そして微笑みを浮かべてホールに戻っていった。
その後、つつがなく宴は終わり、散会となった。
後日、ハルデの元に、フォルキリエから書簡が届いた。
『拝啓、ヴォルテーラ卿ハルデ殿。寒空が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか――(中略)――先日の祝宴の後、急に縁談が舞い込むようになりました。原因が何か、思い当たりませんか? わたくしには見当がつきません。噂を集めさせたのをまとめると、なにやら『意外と人間味がある』という話になっているようですが、どういうことかわかりますか? あなたも、何度も縁談を断っていると伺っています。ですから、あたりさわりのない断り方のひとつやふたつくらいはご存じかと思います。ぜひご教示いただき、レパートリーに加えさせていただきたく思います――』
「知らないよ、そんなの」
天井を仰ぎ見て、大きくため息をつく。ハルデ自身はただ「今はそれどころではない」の一言で済ませていた。そしてカミルが、おそらくこちらも大きなため息をつきながら、いい感じの断りの返事をひねり出しているはずであった。
『――また、詳細はここには記しませんが、<フォルテガールタ>の再編について、大変な時間を要しております。あなたの腕が再び動くようになるくらいまでかかるかもしれません。ストリケパイラン義勇卿は留任する見込みで、編成が完了するまで留めおいていただけると――』
読み終えると、彼は便箋を取り出し、左腕を乗せてそれを押さえて、返事を書きはじめた……




