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クローネト・クローネタ! トリエストラスタ騎士物語  作者: フローランス
第3章

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17/21

屋敷(2)

「こ、こんな大きな部屋を借りてしまっていいんすかね……?」


 メイドが壁の端末を弄ると、明かりがついた。天蓋のあるベッドを中心に、豪華な家具が品よく並んだ部屋が照らし出される。


 マキネカラビナには、その調度品の群れにどれくらいの価値があるのかわからず、本当に使っていいのかどうか、途方に暮れた。


 一旦、荷物を床の上に置いたマキネカラビナは考え込む。


「さすがに、帝都にいるうちに一度は、家族に会いたい。家は郊外の戦災公営住宅で……馬車で、どれくらいかかるんすかね」


 開戦以来、帝都には大量の避難民が流入していた。『帝都開発会議』は当初の開発計画を中断し、外縁部に『戦災公営住宅群』を建設し、避難民の当面の住居を確保しようとした。大量の、部屋の狭い大きな宿舎が乱立し、それに避難民が居住したが、結局は数が足りず、市街の城壁の外にテント暮らしする者も多かった。


「こういう時は誰に聞けばいいんだろう。ハルか、トクルウィーシエ伯爵様かな……」


 考えながら、廊下に出る。しばらく歩くと、何やら口論する声が聞こえた。


「この声、ハル……?」


 メイドが控えている扉の前で、立ち止まる。メイドと目が合う。気まずい。立ち聞きするのもよくないと思い、その場を離れようとした、次の瞬間、ハルデの母親の声と思しき笑い声が聞こえた。


 気になるけど、やっぱり一旦この場を離れよう。そう思い、廊下を適当に歩きはじめると、扉が開いた。


「ん……マキ、そこにいたか。ちょっといいか?」


 扉からハルデが出てきて、声をかけられる。


「ハル。なんっすか?」


「ええと、母がお前を部屋に呼んでいるんだ。『悪いようにはしない』と本人は言っているが、何か言われるかもしれない。それでも、たぶん無視するわけにはいかないだろう。申し訳ないんだが、頼まれてくれるか?」


「お、お母上が、っすか? はい、わかったっす」


「頼む。あと、ブレヴフェンシア辺境伯から、パーティの招待が来ている。それについてはあとで話そう。俺が出てきた部屋が、母上の部屋だ」


「わかりました」


 緊張しながら、扉を叩く。メイドが扉を開けて、マキネカラビナを認めると、彼女は主に来訪者の名を告げた。「入りなさい」と声が返ってくる。


 ひとまず頭を下げてから、部屋に入る。自分が与えられた部屋とほぼ同等の内装の部屋で、ソファだけが異なっていた。


「掛けて頂戴」


「ええっと、失礼します……?」


 そう言われ、素直に対面に腰掛ける。そのソファは座り心地がよかった。


 しばらくの間、ミュリエラは彼女のことを観察するように見ていた。彼女はその間、とにかく機嫌を損ねないようにと思い、黙っていた。


「立って」


 今度も言われるがままに立ち上がると、ミュリエラも同時に立ち上がり、近づいてきた。


「ちょっと、失礼するわね」


 ミュリエラはそういうと、マキネカラビナの体を触り始める。腕、肩、腹、腰、太腿……さすがに気恥ずかしくなり、マキネカラビナは口を開いた。


「あの」


「なかなか、良い体つきをしているわね」


「へっ?」


 自分の体が褒められるとは思っていなかった彼女は、あっけにとられる。


「息子の生命を依託するに足る騎士になるかどうか、くらいは確かめてもよいでしょう?」


「ええっと、恐縮です……?」


「ただ、ここであの子の仲間として過ごす以上、その……古着みたいなものを着て過ごすのはよくないわね。あと、パーティの時も。エライザ、お願いできるかしら」


「かしこまりました」


 メイドのエライザは、ウォークインクローゼットらしい部屋から服を何着も取り出してきて、マキネカラビナにあてがった。


「えっ、いや、あの」


「いいから。それはちょっと古臭いわね。でも、流行が先祖返りしているし、意外とそちらの紫色のものが……」



 気づけば、マキネカラビナはいつの間にか、化粧を施され、コルセットをきつく締められ、紫色の華やかなドレスを着せられて、鏡の前に立たされていた。


「裾が若干長いのは後で直させるとして。まあ、見られるようになったのではなくて?」


「はい、大変結構な出来栄えだと存じます、奥様」


「すごい、けど。ええと、これは一体、なぜ……?」


 まるでお姫様にでもなったみたいだ、と思ったが、状況に対する理解が全く及ばなかった。


「ブレヴフェンシア辺境伯様から、ハルデとお前にパーティの招待が届いていると聞いたから。ハルデの隣に立つお前が、先ほどのような粗末な格好でいいはずがないでしょう?」


「な、なるほどー」


 この部屋の居心地は全然落ち着かないものであり、貴族向けの出来の良い服の着心地もまた、きついコルセットと、慣れないスカートのせいで微妙なものだった。


 それでも、彼女もまた女性であり、こういう服装に憧れはあった。徐々に気持ちは上向きになり、踵の高さに苦しみながらも、歩いてみたり、回ってみたりした。


「踵はかなり低いものにしたのだけど、多少、慣れるまで訓練が必要なようね」


「は、はい」


 そうしているうちに、扉が叩かれる。エライザが対応した。


「ハルデ様です」


「ちょうどいいわ。通して頂戴」


「えっ」


 マキネカラビナは動揺した。こんな格好をしているのを見たら、ハルデは何と言うのだろう。


 扉が開いて、ハルデが入ってくる。彼はマキネカラビナを見ると、固まってしまった。


「……誰だ?」


 マキネカラビナはムッとした。


「そ、それはないんじゃないっすか!?」


「なっ……マキか!? なんだその、その恰好は」


「え、ええと」


 何か言い返そうと思ったが、なんといえばいいのかわからなかった。


「お前と、この娘が、辺境伯様のパーティに出席するというから、こうやって骨を折っているのではないの」


「ん……?あぁ、なるほど。そういうことか」


 思わぬところからの援護だった。ただ、せっかくこんな格好をしているのに、何も言われないというのは、なんとなく悔しかった。


「ハル、せめて何か、一言ないんすか」


「あ、ああ。その、驚いたぞ」


「そんなんじゃなくって」


 ハルデは、しばし、マキネカラビナを控えめに眺め、それからようやく口を開いた。


「その、案外、似合っている……と思う?」


 恐る恐るという感じでそう言われたにもかかわらず、彼女はそれでもうれしく思った。


「えへへ」


「でも、無駄だったな。マキ、これを」


 そう言って、ハルデは両手で持っていたものをマキネカラビナに手渡した。


「これは?」


「先ほど届けられた、騎士の新しい制服だ。この橙色のものが義勇騎士用の第3種制服、緑色のものが同じく第4種制服というそうだ。この第3種の方を着て、パーティに出席せよとのことだ」


「それじゃ……」


「その服装ではパーティにはいかない」


「そ、そっかー……」


 マキネカラビナは少し残念に思った。制服を受け取った彼女に、ミュリエラは釘を刺す。


「いえ、いずれにせよ、この屋敷に逗留する間はそれくらいの格好をつけなさいな」


 ミュリエラがそういうと、ハルデはマキネカラビナを睨むように見つめ、それから目を逸らし、頭を掻きむしった。


「……そうですか。まいったな」


「何がっすか?」


「何でもない……とにかく、その制服が体に合うかどうか、試してみてくれ。鎧を製作したときの採寸

を元に作られているそうなので、大丈夫だとは思うんだが」


「わかりました」


 ハルデはそう伝えて、扉に向かった。部屋を出る前にちらりと振り返ったが、それから後ろ手に扉を静かに閉じて、出て行った。


「……な、何か、気に食わなかったんでしょうか」


「さあ。とにかく、お前はそれを着てみなければならないのでしょう? エライザ、脱ぐのを手伝ってあげて頂戴」


 マキネカラビナはあっという間に脱がされてしまい、気づいたら新しい第3種制服を着ていた。体にしっかりと合っていて、動きやすいが、体の線がはっきりと出てしまうのが少し気になった。


「よくお似合いですよ、お嬢様」


「お嬢様、って……」


「いえ、いい服だわ。これはその、第4種制服というのも色以外は一緒なのかしら。少し触っても?」


「ど、どうぞ」


 ミュリエラは、服を広げてみて、触って回る。マキネカラビナには、それが列車を共にしたブレヴフェンシア卿とグランカレ卿が着ていた物の、色違いだと分かった。


「ふむ……生地が違うわね。第3種は見栄え重視の礼装、第4種は戦地で着る用の戦闘服、という感じかしらね」


「そういうのって、わかるんす……ですか?」


 彼女には、ミュリエラが寂しい顔をしているように見えた。


「私も昔は目指していたのよ、騎士を」


「え? ハルはそれを知って……?」


「あの子に話したことはないわね。お前が騎士への道を進んでいるから応援したくなるのか、あの子が自ら連れてきた女性だからなのか……わからないけれど。でも、お前には頑張ってもらわなければね」


「は、はい!」


 マキネカラビナが頷いたのを見て、ミュリエラもまた頷いた。


「では、あの野暮ったい服は、この屋敷では没収します。出ていくときにお返しするわね」


「は、はい……」


 しばし、沈黙が流れた。


「……お前はその服装をあの子に見せに行くのではなくて?」


「あっ! そうですね! でも、この屋敷にいる間の他の服はどうすればいいんですか?」


「シルシエと私で相談して何とかするわ。とにかく、庶民臭い服はこの屋敷では禁止よ」


「は、はい……よろしくお願いします」


「よろしい。では往きなさい」


「はい! 失礼します!」


 礼をして部屋を出る。マキネカラビナはミュリエラが頷き、ソファに座るのを見てから、部屋を後にした。



 ハルデは自室で服を着替えながら、頭を抱えていた。


「せっかく、せっかく唯の仲間だと思えていたところだったのにな……変な風に思われなかっただろうか」


 彼はマキネカラビナに対する苦手意識を、努めて強く「あれは仲間だ」と念じることで削減していた。それが、先ほどの一瞬で破壊されてしまった。マキネカラビナ自身が、体の線の出にくい、おそらく兄弟のお下がりであろう服を、普段着用していたことにも助けられていたのだと感じた。


 一体これから、どのように彼女と接すればよいのか。おそらく、彼女自身は「かっこいい騎士になる」という夢をあきらめたりはしないだろうから、騎士仲間として扱えばいいはずなのだが。


 だらりと垂れ下がる左腕を袖に通すのは骨が折れたが、何とかなった。新しい、騎士用の第1種制服は非常に出来がよかった。良い生地を使い、縫製もしっかりした、製作者のこだわりを感じる物だった。


「なるほど、第1種は見栄えのする儀礼用で、第2種は丈夫な戦闘用と言ったところか」


 彼は自分が母と似たことをつぶやいたとは知らなかった。


「これもおそらく改革の一環というやつなんだろうな。確かに、皆が統一されたデザインの服装をしていれば、敵味方の判別は格段に楽になるし、効率が上がるのかもしれない」


 左腕を固定帯で固定しながら考える。


「こうなっては他の改革というのも気になるところだが……慌てても仕方がないか」


 扉を叩く音が聞こえた。ハルデには侍従がいないため、自分で扉のところまで行く。迷うことなく扉を開けた。


「あっ、ハル」


「マキか」


 見ると、外にいるのは第3種制服を着こんだマキネカラビナだった。髪や顔は母とエライザに整えられたままらしく、ハルデは少々ドキドキした。


「うん、良さそうだ。やはりお前は騎士になるべきだと思う」


「そ、そうっすか! これで明日の凱旋式も出ると思っていいんすかね?」


「そうだ。俺たちは兵科の関係上、徒歩で加わることになる。今日はよく食べ、早めに寝て、明日元気な俺たちの姿を民たちに見てもらおう」


 標準騎士隊を始めとした徒歩兵科は徒歩で、乗馬騎士隊は乗馬して、行列に加わることが一般的だった。


「了解っす。じゃあこれからこれは着替えて……そうだ、凱旋式の日から数日たったら、家族の住んでいるところにちょっとだけ顔を出そうと思ってるんですけど」


「ん……そうか。その時には、俺も避難民居住区に用事があるから、一緒に行くとしよう」


「いいんすか? おねがいします」


「ああ。その時は……いつもの格好の方がいいだろうな。母に着せられたような服装で行ったら、ご両親はさぞ驚くだろう。近隣の住民もそうだし、治安的にも不安だ」


 難民居住区域の治安が目に見えて悪化している、とは聞いてはいないが、用心するに越したことはないだろうと思った。


「そうかも。ハルは、どうするんすか、その辺は?」


「なるべく金を持ってなさそうな貴族の格好をするさ。自分の領民に会う予定だから、あまり威厳のない恰好というわけにもいかないんだが……」


「そっか、貴族って大変なんだ」


「そうだ。騎士団の方がざっくばらんとしていていい。本当は貴族のそれにも慣れないといけないんだが……とにかく今日のところはこれで。俺は領地の関係の書類仕事が多少あるから、それを片付ける。お前は自由にしていてくれ」


「わかりました」



 夕食時。トクルウィーシエ伯爵邸の人々は食堂に集まっていた。


 ハルデは長い長方形の机の、長辺側に座っていた。右を見ると短辺にホストであるドージェが、正面の長辺にはシルシエとその家族が順に座っている。手前側には、右にミュリエラ、左にマキネカラビナの順で座っていた。ホストから見て左手が、この国では上手側であった。


「今日はいつもより多少は豪華な食事を用意させてもらった。楽しんでくれ給えよ」


 ドージェはそういうと手元の鈴を鳴らす。料理が運ばれ、席についた者たちの元に配膳されていく。


 帝都周辺では一般的なカロージル(ダージルとは少し異なる、ジル科の穀物)の粉で出来たジルバンに加え、各3品と、酒杯が並べられた。


 1つは帝都で一般的になっている、『連合調味料(ゼズナ・ストラタリル)』をふんだんに使ったマーヒロー肉のロースト。肉汁滴るこれは、とにかく大きい。


 『連合調味料』は、帝都に集まってくる各国産のスパイスやハーブ類を混ぜ合わせた、連合帝国の調味料の坩堝とでもいうべき混合調味料で、『何でも入れてみる』という感のあるものだった。もう少し時代が下ると、『連合調味料』のうちにも『ミルキリア風』や『シルフィア風』といった別が出てくるが、この時代にはとにかくごちゃまぜの調味料であった。


 それから、今朝、近くの市場で手に入れたらしい、生の野菜サラダ。珍しい色の野菜が並び、それに『フルナ油(アイル・フルナ)』(オリーブオイルのような食味の食用油)に柑橘系様の植物の果汁・少々の砂糖や塩が入ったドレッシングが掛かっている。


 そして、これもまた大きな深い皿に注がれた、綺麗な黄色のスープ。魚介類の骨をふんだんに使って出汁を取り、そして魚介の肉も入った、ほろ甘くも塩辛い、ミルキリアの内陸に住んでいる人にとっては滅多に出ない御馳走だった。


 酒杯にはフレッシュな風味が心地よい、新物のサシュロン酒が注がれた。


 帝都ミルキリア人風の御馳走を前に、マキネカラビナは喉を鳴らした。


「おいしそう……こんなものを食べてしまっていいんでしょうか」


 ドージェはその表情を楽しむかのように答える。


「もちろん。そのために作らせたんだからね」


「では、いただきま……」


 マキネカラビナが料理に手を付けようとカトラリーを手に取ると同時に、ハルデは食前のお祈りを始めた。


「聖ミルディールよ、今日も我らに日々の糧を得る知恵を与えてくださることに感謝し……どうした、食べないのか」


「いえ、この流れで気にせずに食べるのはさすがに」


 気にしないでいいのに、と思いつつも、本人が食べづらいならすまないと思いつつ、早くお祈りを済ませることにした。


「そうか、すまない。すこしだけ待ってくれ」


 皆がしっかり最後までお祈りを済ませ、手を合わせてから、食事は始まった。



「そうだ、ハルデ。この間、ある貴族が後継者不在のまま亡くなってしまったんだけど、それで財産を処分することになってね。で、その家の持っていた帝都の工場を競売で取得したんだけどね」


 食事もほどほどに、ドージェはそういって語りだした。


「ふーん、それで」


「うん。何とかその工場を稼働させたいんだが、この帝都で今、工場で働く職工を集めるのは至難の業だ。君も知っているだろうが、帝都市民は大抵すでに職を持っているし、僕自身の領民はここにいない。そして、他の領民を働かせるわけにもいかない」


 肉をよく噛んで飲み込む。


「その通りでしょうね」


「そう、そこで君だ。僕はこの工場と用地を君に貸し出して、君が事業を起こす。君のところの避難民には金属加工とか、革細工とかの職人が何人もいるはずだ。それを使って稼いでほしい。僕は賃料を得て、君は事業を得る。いい話だと思わないか?」


「裏は?」


 ブレヴフェンシア辺境伯とのやり取りのことが頭をよぎってしまう。ハルデの感覚では、彼が何か裏で糸を引くなんてことはないだろうと思ったのだが、つい悪い方向のことを考えてしまう。


「特にないけど。うちだって、事業は上手くいっているけど、余裕がものすごくあるわけではないんだ。特に外交的にはね。ヴォルテーラ家を失えば、僕にほぼ無条件で協力してくれるところを失うことになる。これを避けたい。これを飲んでくれれば、経済的にはガールマルフラ伯爵家存続の目が出るだろう」


「それはそうです」


「事業資金として、いくらかはプールしておく必要があるとは思うがね。例えば、1000万クォーラ(これは、日本でいえば1000万円程度にあたる。金貨にすると1000枚となる)くらいは。ただ、今の君の家が単独では用意できないかもしれないね。貸してあげてもいいんだけど、あまりうちに頼り切るような体制はよくないかもね。出資者を募るとか……」


「500万くらいは当面の生活に支障なく用意できそうとは思いますが。残り500万か……誰かに相談してみましょう」


「うん。あとは、君が後継者を作ってくれれば、少しは安心できるんだけどね」


「ドージェ兄さんまでそういうことを言うんですか」


 ハルデは眉を顰める。


「それはそうだろう。例えば……エウレラを養子に取るとかどうだい?」


「なっ……いや、それは……俺は、未亡人とか、戦災孤児とか、そういうのを生みたくないんですよ」


 ドージェは呆れたように溜息をついた。


「僕も、無制限にお人よしをやっているわけじゃないんだよ。自分と娘の利益になるから、君に娘を任せてもいい、と言っているんだ。万が一君が戦場に倒れたとき、娘はガールマルフラ女伯になり、僕は同盟者を維持できるわけだ。君も、ガールマルフラ伯爵家を存続させることができる。いいことずくめじゃないか」


「俺に実子が生まれたときには、彼女の地位は宙に浮くことになるんですよ」


 ガールマルフラ伯爵位の継承は、年長の実子が優先された。ハルデが子を成せば、継承権第1位はその子に移ることになり、エウレラは単にどこかに嫁がせる程度の価値しかなくなってしまう。


「『遠くのたらを楽しみにするより、近くのレバーを調理せよ』(遠い未来の可能性よりも、すぐ近くの問題を先に考慮するべき、という意味のこの世界の慣用句だ。実際には『たら』や『レバー』という言い方ではないが、雰囲気的には非常に近い)だよ。君が誰かと婚姻を結んで子を成すのは近い話じゃないんだろう、君自身が言うには。真面目に考えてくれ給えよ。君自身、死にかけて帰ってきたんじゃないのか」


「むっ……それはそうです。しかし、本人は、エウレラはどう思っているんだ? 俺の養子になれと言われたら、なる気があるのか?」


「ハルデお兄さんが、パパになるってこと……? いいよ」


 エウレラは、初めはおずおずと、しかしはっきりと答えた。


「そ、そうか。ちょっと考えてみる」


「そうしてくれ。実利じゃなくても、ハルデやガールマルフラ伯爵家には元気でいてほしいと、本気で思っているんだよ。親族として、ね」


「わかった……」


 重い空気が場を包む。右で、母が『もっと言ってやって』とでも言うような表情をドージェに向けていたが、彼は静かに首を振った。


「まぁ、難しい話はここまで。ストリケパイラン義勇卿、料理はお口に合いましたか? って、聞くまでもなさそうですね」


 マキネカラビナはいかにもうまそうに、料理をかき込んでいた。


「うひひ、おいしいれす。欲を言えばぁもう少し塩味が強いほうがぁ」


「うわっ、酔ってるのか? もうそれ以上サシュロン酒を飲むなよ」


「はいっ、水をください!」


 メイドが酒杯の代わりに水の入ったコップを差し出す。半分くらいを一気に飲んだ。


「ぷはっ。お水もおいしい」


 ミュリエラはそれを見て、呆れ果てたという様子に見えた。


「ハルデ、お前、今日はもういいけれど、明日からはお前の責任でその子をちゃんと躾けなさいね」


「躾けって……まあ、何とか言って聞かせますよ」


「はぐはぐ……?」


 食事をおいしそうに取ること自体はよいことだと思っていたので、本当に今日のところはもういいだろう。トクルウィーシエ伯爵家の子供たちはその食べっぷりに驚いていた様子だったが、これもまた経験の1つだ。世の中にはいろんな人がいるのだとわかるのはよいことだろう。彼らにとっては……真似さえしなければ、だが。


 帝都の夜は更ける。まるで戦争など存在しないかのように、静かに、静かに更けていくのである。

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