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クローネト・クローネタ! トリエストラスタ騎士物語  作者: フローランス
第3章

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13/21

家路のはじまり

 ヴェルフラ市にあったハルデの生家である屋敷。小さなハルデが窓枠に手をかけて体を持ち上げ、2階の窓から覗くと、庭で父が誰かに稽古をつけているのが見えた。相手は見たことのない、子供のようであった。


 家庭教師が呼ぶ声が聞こえた。返事をして部屋に戻る。


 時間が過ぎて、授業が終わるとすぐに1階に降りた。庭につながる扉に近づくと、何やらぶつぶつと言う声が聞こえた。


「もっとたくさん練習したいのに、なぜさせてくださらないのかしら。おじ様みたいになれれば、お父さまだって私のことを……『ヤクーガータ』とはなんなの? もう……」


 近づいてみると、開きっぱなしの扉のところの階段に、長い銀髪の子供が座っていた。年の頃はハルデより2、3歳くらい上だろうか。運動のあとだからなのか、髪はぼさぼさだった。


「あの……」


「ん?」


 一瞬目が合い、次の瞬間ハルデは目を逸らした。


「あっ、女の人か……」


 それはきっと失礼なことだと思いながら、我慢できなかった。


「女だといけないの? あなたは誰? ちょっと待って。ええと、ふむ」


 少女は顎に手を当て、少し考え込むと、改めて口を開いた。


「自己紹介は自分からするのがいいんですよね。わたしは……フーリエ。あなた、名前は?」


「あの、ハルデ、です」


 申し訳ない気持ちだったが、少女は気にしていない様子だった。


「そう、ハルデっていうのね」


「はい。あの、あなたも槍を投げますか?」


 ハルデは彼女の発言から、きっとそうだろうと思っていた。そうすると、フーリエは太陽のような笑顔をたたえて頷いた。


「もちろん! 早くおじ様みたいに上手に投げられるようになって、騎士になって……そう、冒険をするの!」


「おじ様って?」


「ヴォルテーラ卿クロン様のこと! シブくてかっこいいの!」


 父の顔を思い浮かべる。『シブくてかっこいい』かどうかはよくわからなかった。ハルデにとっては少し怖い父であり、しかしながら誇らしい気持ちが胸に満ちた。


「なんだ。だったら兄妹弟子(ブラルペル)ってことですね」


「むっ。姉弟弟子(セストペル)ではないの?」


 ハルデは5歳のころには短槍を握らされていたのだ。昨日今日来たこの娘より後に教わっているはずはないと思った。自信ありげに答える。


「俺の方が先に教えてもらっているはずです」


「ふーん。まあ、それはどうでもいいよ。あなたは『ヤクーガータ』って何のことだか知ってる?」


 興味なさそうに流されて少しがっかりしたが、ハルデが普段気にしている単語が出たため、気を取り直した。


「それは、槍とかなんでも、投げる人のかかる病気? ケガ? ですね。投げすぎるとかかりやすくて、肩が痛くなって投げられなくなります。どうやったら治るかあまりわかっていなくて、一度でもかかったら気にしながら投げることになります。だから俺は、一投一投を大事にして、回数はあまり投げないようにしてます」


「そう。だったら練習を止められても、しょうがないね」


 彼女は納得した様子で頷く。


「そういえばあなた、手先は器用?」


「なぜです?」


「あなたに、わたしの髪を結う『栄誉』を授けます。さっきの鍛錬でも邪魔だったし、自分でやったら曲がってしまうの」


 フーリエはふんぞり返る。傲慢というより、子供らしいかわいらしさのある仕草であった。


「え? 騎士になるんだったら自分でやっては? 俺は髪なんて結ったことありませんよ」


「『自分のことは自分で何でもできるように』というんだったら、あなたも髪を結えるようになりましょう!」


「いや、俺は髪が短いから結うことなんて……あなたこそ自分でできるようになるべきでは?」


「騎士だって『自分で何でもできるように』と言いながら騎士団なんてものを作って集っているでしょう? 助け合う、でいいじゃない」


「いやいや、でも」


「わたしは騎士になります。あなたもそうでしょ? だから、わたしたちは今日から仲間です! だから助け合いです。ね、いいでしょ?」


「うーん……わかりました」


 押し切られる形で、ハルデは彼女に髪の結い方を習い始め……



 チカチカという日の光で、ハルデは目を覚ました。その光は換気扇の羽の隙間から漏れているようであった。


「……まぶしい」


 体をよじると、顔が日向を脱し、次第に視力が戻ってくる。真上を見ると、アシュラント木材の、灰色の天井。見知らぬ天井ではあるが、ミルキリアにはよくある、見慣れた天井だった。


「夢、か……長らく見ていなかったが」


 左腕を動かそうとする。指は動きそうにない。肘は少し上がったような気がするが、そこから先は動かなかった。体を起こす。上半身がゆっくりと起き上がっていく。左手はというと、操り人形のそれのように、だらりと垂れ下がった。どうも思い通りには動いてくれそうになかった。


 周囲を見渡す。早朝の、カーテンがしっかり閉められた暗い部屋。ベッドが1つ。置きっぱなしの点滴スタンド……ここは病室だ。


 遠くから時々、何人かのうめき声が聞こえてくる。右手が届くところに置いてあるナイトテーブルに、丸い染みがいくつもついている。その染みの近くに、なにかの花弁がひとひら、取り残されている。右手でつまんでみると、みずみずしいとは程遠いものの、まだ柔らかさが残っていた。


「……生きてる、とりあえず」


 安堵するとも、焦燥するともなく、しばらく呆けていた。それから、自分に起こったことを思い出そうとした。左の胸より少し上を貫かれかけて、それから……どうなったのだったか?


 そうやって考えていると、足音が近づいてくるのが聞こえた。扉が開き、だぶだぶの服を着た、花瓶を持った人物が入ってくる。その人物はしばらく俯いたまま近づいてきたが、ふと目が合った。


「マキ……」「は、ハル……?」


 つぶやきが交錯する。花瓶を取り落としそうになったその人物は、マキネカラビナだった。彼女は無事だったのだ。ハルデは安堵した。


 彼女は花瓶を床においた。彼女の目じりに、きらめく雫が見えた気がした。


「せ、先生をすぐに呼んできます。あまり動かないでください!」


 彼女はそう言って踵を返し、足早に立ち去った。



 しばらくして、マキネカラビナは、彼女よりも少し身長の低い、眼鏡をかけた、血色の悪い白衣の女性を連れて帰ってきた。


「やれやれ、あと18分は寝ていられるはずだったのに」


 白衣の女性はそんなことをぼやきながら、マキネカラビナを伴って部屋に入ってきた。床に置かれた花瓶を避け損ねて体勢を崩したが、マキネカラビナが手を引き、転倒を免れた。


「大丈夫ですか、先生」


「すまないね、ストリケパイラン義勇卿。さて、そこでぼさーっとしてる彼がヴォルテーラ卿だったね」


 名前を呼ばれて、会釈をする。『先生』は、近くに置いてあった椅子を引っ張ってきて、ベッドの脇に座った。マキネカラビナは花瓶を持ってナイトテーブルの上に置きなおすと、同様に椅子を持ってきて『先生』の隣に座った。


「さて、おはよう、ヴォルテーラ卿。体は起こせるようになったね。気分はどうかね」


「気分、ですか」


「ああいや答えなくていい。大方微妙な気分だろうからね」


 『先生』は答えを遮ってそういった。それから服のポケットから煙草を1本取り出し、口に咥えた。


「ふぃふぁりふへは……」


 そこまで言って、『先生』はふーっと息を吐く。そして煙草を元のポケットに突っ込んだ。


「左腕は動かそうとしてみたかい? あぁ、ごめんごめん。状況の確認と自己紹介だよねぇ。ここはカスカフドーミル州立エストミルカウ病院。今は騎士団が接収して……というか、住民がみんな避難してしまったから、空の箱を許可を得て使っている。私は<フェンシエ・ディオ・ミルカウ>の騎士団医、ホーリホラ・ダルクムセだ。友人からは『ホリー』とか……大抵の騎士は『軍医殿』とか、『先生』なんて呼ぶがね。おおっと、友人なんているのか? なんて聞くなよ」


「ええと、エルベット卿……?」


「は? ……違う! 今はそれは正しくない。まったく、ユルガナのやつときたら……」


 誰かと思ったが、<ガルデ・ディオ・コルナ>の騎士団医が、そんな名前だった気がする。普段ただ『先生』と呼んでいたので、あまり覚えていなかった。


「では、ダルクムセ卿?」


「待ちたまえ、私をそう呼ぶのは……『先生』がいいな、うん」


「……先生」


「なんだね」


「この左腕は動くようになりますか?」


「ふむ。それを含めて、少し話をしよう」


 ダルクムセ卿が右手に力を集めるような仕草をすると、右手の人差し指と中指を合わせた、指先に白い光が集まっていった。


「これが法術だ。術者の体内の法素を集めて行使する、まあ古からの技術の一つだ。見たことあるかね?」


 ハルデは頷く。


「体の修復を助けるという、治癒法術に見えますね」


「そうだ。これは身体に働きかけて、自然治癒能力を大幅に向上させることで、患者の損傷部位を修復する。これは教科書にも載っているような、当たり前のことだね。あまり使いすぎると、患者はひどい鬱状態になり、術者は躁状態になるため、使用時はほどほどに休憩が必要だ。法術医師が忙しくしていると楽しそうに見えるのはそのためだね」


 ククク、とダルクムセ卿は笑う。ハルデはその冗談のような発言に、反応する気にならなかった。


「俺の処置は先生が?」


「そうだよ。私がやった。縫合された部分を一度開いて、中身を調整してから閉じ直した。それから、法術で治療した。失血していて危険だったが、傷自体はすぐにふさがったし、どうにもならなくなる前に処置できた。そういう意味では非常に運がよかった。傷跡も程なく、ほとんど消えてしまうだろうね。ただ……」


「ただ?」


「左腕は……君の左腕は、しばらくの間、神経……と私が呼んでいる、君の精神と肉体を繋ぎ止め、命令を伝えるための線が、切れてしまっていたんだ。今はもう、つながっているはずなんだが。君の精神は、君の左腕との接続がしばらく断たれてしまっていたため、そこを喪失したと思っているんだよ。実際にはつながっているのに、命令が届かない状態になっている、というのが今の君の左腕だよ」


「命令が届かない……」


「そう。君はたぶん、左腕が動くか試したんだろう? どうだった?」


「肘の手前までは少し動いたと思います」


「そうか……ならチャンスはあるな。左腕の動かしたいところを見ながら、動かそうとするのを続けてみたまえ。右手で左手をどこかに動かして、それを押し返すようにするのもいい。そのうち、精神のほうが、肉体がちゃんとつながっていると認識して、再び動き出すはずだよ。数か月かかるかもしれないがね」


「動かそうとすれば、動くようになる、ですか」


「そうだとも。人族の体は不思議なものだ。他の生物より弱いことも多いくせに、妙に粘り強く、強靭だともいえるね。まあ、私が君なら、適当に流して、この厳しい戦いを続ける騎士団を抜けることも考えるところだが。君はきっとそうはしないんだろう。何しろ……」


 そこまで言って、先生はしばらく考え込むように俯いていた。


「いや、いいか。動かない左腕は吊るすようにするから、道具を取ってくる。今すぐ無事に動いてくれれば固定帯を節約できてよかったんだがね。変に体の下敷きにしたりしないように気を付けて。では、すぐに戻ってくるから待っていたまえ」


 そう言って、ダルクムセ卿は後ろ手に手を振って出て行った。


 マキネカラビナがその場に残った。


 2人とも黙っていたが、しばらくして、ハルデから口を開いた。


「ええと、お前は……その、元気にしていたか?」


「は、はい」


「そうか。よかった。あの後どうなったのか、わかる範囲で教えてくれ」


「あの後……あの、あれと戦った後ってことっすよね?」


「ああ」


 彼女は顎に人差し指を当てながら、思い出そうとするような仕草をする。


「ええと、まず……(ヴァシーカ)のようなものを倒した、というのは秘密ということになってます」


 彼女は声を潜めてそう言って、口に人差し指を当てた。ハルデが頷くと、話を続ける。


「ハルが倒れた後だから……救援に来た乗馬騎士隊にハルを預けて、クラール殿と目標の調査を終わらせて、それからコルナ村に戻りました」


「そうか。任務は完了か?」


「はいっ」


「よくやってくれたな」


 ハルデはそういって左手でマキネカラビナの肩をたたくなりしようとしたが、やはり動かなかった。その様子を見て、彼女は何か言おうとしたが、ハルデはそれを遮った。


「気にしなくていい。それで、お前がここにいるのはなぜだ。俺が倒れたところで、第16対戦車騎士隊の任務がなくなるわけではないだろう」


 あまり働かない頭で考えを巡らせる。彼女が、あるいは<ガルデ・ディオ・コルナ>がミルカウ市にいる理由……?


「<ガルデ・ディオ・コルナ>に何かあったのか?」


 そう尋ねると、彼女は静かに首を振った。


「ええと、その、何もなかったというか……<ガルデ・ディオ・コルナ>は『目標を達成した』から、コルナ村の陣地をすぐに引き払いました。あの魔法陣の発見と調査こそが、<ガルデ・ディオ・コルナ>に課せられた任務だったんです。村を防御していたのも、その目的のためだったそうです」


 彼女は両手の指を合わせる。


「でももう一つ理由があって。4日前、私たちがあれと戦った日……ミルカウ市の北西にあるドーミリア平原で、会戦があったそうです。魔族軍推計18000に対して、ブレヴフェンシア辺境伯の<フォルテガールタ>、ミルキリアの<ミュルケーミール>を合わせた16000がぶつかったんです」


 <ミュルケーミール>といえば、<フォルテガールタ>と並び、連合帝国の、当時で最も大きい8000人規模の騎士団の1つだった。そしてそれは、ミルキリアの半分を実質的に治めているといわれたアクルファム公爵が自ら指揮を執っているはずだった。


 公爵は外見的にはふくよかであったが、腰が軽く、様々な場面で自ら陣頭に立つことが多い人物であった。非常に責任感が強く、その分報酬もしっかり取る人物として知られていた。


「なに! それで、結果は?」


「敵味方ともに、膨大な死傷者を出して撤退しました。<フェンシエ・ディオ・ミルカウ>はこの結果として、前衛に展開していた部隊を失ったから……」


「敵との交戦に備えて、任務を終えた<ガルデ・ディオ・コルナ>を防衛用に呼び戻して、再編成した……ということか」


「はい。そんな感じです」


「ふむ」


 状況は何となくわかった。が、彼女がここでこうしている理由にはならなかった。


「<ガルデ・ディオ・コルナ>が解隊した経緯はわかった。だが、お前はなぜここにいるんだ。俺たちも再編成で<フェンシエ・ディオ・ミルカウ>の一部に改めて組み込まれたわけではないのか?」


「それが、第16対戦車騎士隊は『<フォルテガールタ>の撤退に随行しろ』っていわれてて」


「下がれって? 仲間を置いてか? 俺はまだ……!」


「戦えないよ」


 戦える、そう言おうとした時、ダルクムセ卿が部屋に戻ってきた。


「あんたは戦えない。左腕が使えないやつは戦闘は出来ても戦争では使えない。騎士隊が<トラーナリア>を組む時、盾が使えないあんたは邪魔だ。無理に入れたらあんたのところから崩れる。崩れた騎士隊から、騎士団全体が崩れる。だからあんたは戦えない」


 彼女はそういって捲し立てながら、ハルデの前に立つと、両肩を掴んだ。


「いいか、あんたには万全の態勢で、もっともっと多くの成果を上げてもらわなきゃならないんだよ。片腕でのしみったれた成果じゃなくてさ」


「いまどき<トラーナリア>を使う騎士団など!」


「それはあんたが判断することじゃない。騎士団長が使うと言えば使うだろう!」


「『先生』に戦いの何が……!」


「わかる。戦う準備の出来てない騎士が弱いことくらいはね。あんただって2年半前、見てたはずだ。混乱を極めていたあの時、<ニスガルマルフラータ>が、あんたの御父上の率いる騎士団がすりつぶされるのをさ。いや、あんたは見ていないのか。あの時は平手打ちにされて、逃げ去ったんだもんねぇ」


「ぐっ……先生はあの時、あそこに」


「いたよ。当時はあそこの騎士団医だったからね。あの時、騎士団長は、生きて成果を上げろと言って、あんたを逃がしたはずだ。あまり、御父上の気持ちと名を汚すな」


 しばし睨み合う。ハルデの極めて険しい目付きにもかかわらず、ダルクムセ卿ホーリホラは微動だにしなかった。彼女のほうが正しい、そう思った。ハルデは力を失い、目を逸らす。


「わかったら、命を粗末にしないで、全力を出せるようになったら戻ってきなさい。あんたくらいの腕なら、どこだって引く手数多なんだから、慌てなくていい。そうだろう、お坊ちゃん?」


「……はい」


 内心腹が立ち、暴れたくなるのを我慢して頷く。頷くハルデの左腕を、ダルクムセ卿は上肢固定帯で素早く固定してしまった。


「よく我慢できました」


 そう言って、彼女はハルデの頭を撫でた。


「あの、やめてください」


「どうしたハルデ坊ちゃん、年上のお姉さんは苦手かな?」


「誰にでも、この歳で頭を撫でられるのは落ち着きません」


「そうかい。きつく当たって悪かったね。考え直してもらわなきゃならなかったからね」


 そこまで言って、ダルクムセ卿は撫でるのをやめた。


「俺の方こそ、舐めた口を」


「いいさ。ちょっと煽りすぎた。マキ君、彼が起きたらすぐにでも、合流するように言われているんだよね? ここを出るときには少し顔を出してくれるだけでいいよ。記録はしなきゃいけないから、来てもらえないと困ってしまうがね」


 マキネカラビナはうんうんと頷く。


「先生、ハルのこと、ありがとうございました」


「なあに、それも仕事さ。さて、寝る時間も無くなったし、回診するかね」


 後ろ手に手を振りながら、ダルクムセ卿は立ち去った。


 自分もすぐに着替えて、出るようにしようと思った。



 不便さに悶えながらも、何とか着替え、出立の準備を終えて、ダルクムセ卿に退院の旨を知らせる。彼女はちらりと2人の顔を見ると、黙って書類に何か書きつけて、頷いた。


「先生、<ガルデ・ディオ・コルナ>の仲間に、私が退院したことを伝えてもらえませんか? そしてよろしく伝えてください。あと、魔法学院から来ているクラール殿にも。彼がここにいれば、ですが。」


「私がかい? 面倒だなぁ。まあ、次の列車の便もあるし、仕方ないか。誰か人づてに伝えてもらう、でいいかい?」


「はい、それでお願いします」


「わかった。ああ、そうだ。この煙草を君に」


 言われるままに1本の紙巻き煙草を受け取る。


「これは何です?」


「先生の吸ってるのとは違う銘柄っすね……そういえば、人事の眼鏡の人が吸ってたような……?」


 そう、マキネカラビナが口をはさむ。


「よくわかったね、マキ君。これは彼から預かったものだよ。彼は時々こうして、自分が差配した騎士が負傷・後送されることがわかったら、煙草を送るそうなんだ。怪我を治して戻ってきたら、一緒に一服しよう、ってね。私に言わせれば、煙草を吸わない騎士も多いし、他の物を何か考えたらどうかと思うんだがね」


「なるほど、頂いておきます」


 ハルデはそういって煙草をしまう。それを見てダルクムセ卿はにやりとした。


「駅までは、後送される傷病者を運ぶ馬車に便乗できるはずだよ。では、お大事に。もう病院になんか来るなよ。来ない方がいいんだから」


 敬礼をして別れる。彼女はまだ、ここで傷病者を見続けなければならない。いつ敵が来るかもしれない、この場所でである。ハルデは彼女の無事を祈った。



 外の寒さはますます厳しかった。ただ、左腕がそれを感じない事実が、心に重くのしかかった。


 初陣の後、竜の姿をした土の傀儡を倒して負傷し、入院。それから後送……僅か2週間足らずで戦線を離脱しなければならない不甲斐なさが、悔しかった。騎士学校卒業時は、もっとうまくやれるつもりでいたのに、現実は厳しかったということだ。


 ダルクムセ卿が言っていた馬車を探すと、幌馬車が病院の脇に停まっていた。御者に声をかけると、まさに出ようとしていたところで、早く乗るようにと言われた。馬車には覇気のない騎士達が並んで座っていた。ハルデはまさに、その一員なのであった。


 この様子で帰還したら、無能者の誹りを受けるのではないかと心配になった。ただ、ここにいる彼らでさえ、帰還に耐えられる程度の体力が残されていると判断された者たちだった。病院に残されている者たちは、帰還すら叶わないのだ。自分はまだ幸福だと言えた。


 マキネカラビナが先に乗り込んだ。頭を下げながら、彼女の助けを借り、ハルデ自身も馬車に乗り込む。中を見ると、ちょうど2人分座るところが空いていたため、そこに座った。


 馬車が出発する。石畳を車輪が転がり、ガタガタ揺れた。しばらく、誰も、一言も発さなかった。行程の半分ほど行ったところで、向かいで寝ていた騎士が目を覚まし、2人を認識すると、話しかけてきた。


「んあ……見ない顔だな。お前たち、所属は?」


「どうも。私は第16対戦車騎士隊のハルデ・ヴォルテーラ。こっちは同僚のストリケパイラン義勇卿です」


「おつかれさまです」


 ハルデとマキネカラビナは挨拶して、軽く礼をする。話しかけてきた騎士は、他の騎士達よりも幾分顔色が良かった。


「俺は<ワールバリア>乗馬騎士隊のマウイ・ナトランだ、<フォルテガールタ>の……いや、だった、というべきかもな。どうせもうすぐ除籍されるんだ。他のやつらも同じだ」


 そう言いながら彼が左腕を上げると、肘から先がなかった。


「おいたわしいことです」「い、痛そうです」


「まだ痛むさ。でもまあ、良く戦った方だと思っている。俺はもう17年騎士団に従事していて、そろそろ引退してもいい頃合いだった。傷痍年金も出るし、蓄えもつつましく暮らせるくらいにはある。妻と子には今まで寂しい思いをさせてきたが、これからは一緒にいてやれる、ってな」


「悔しい、と思ったりはしないんですか」


「悔しいは悔しいが、いかにも語り草になりそうな、ドーミリア会戦で生き残ったんだ。それだけでも運がよかったと思っておくさ」


「ドーミリア会戦について、もう少し伺っても? 大会戦など滅多にないので、参考にしたいのですが」


「え? ああ、いいだろう。あの日、俺たちは……出遅れたんだ。俺たちと<ミュルケーミール>は地形の優位を求めて、激しく機動していて、敵は<ミュルケーミール>に追従していた。俺たちは少し距離を置いてこれを追いかけていた……」


 ナトラン卿は床に身振り手振りで空中に図を描きながら続けた。


「……で、偵察した結果、全体の数では不利だが、戦車の数で優っていることがわかったらしく、<ミュルケーミール>はドーミリア平原の中央、一番開けた場所を選んだわけだ。ただ、うちの大将はもっと『工夫』できそうな場所を選ぶと思っていて、反応が遅れた。気が付くと砲声が聞こえて、<ミュルケーミール>は単独で開戦してしまった。そうなるともう止められないから、慌てて駆け付けたってわけだ」


「なるほど」


「まあ、遅れてよかったっていう者もいるし、不味かったっていう者もいる。結果的に魔族軍は正面の<ミュルケーミール>と側面の俺たちと同時に戦うことになったから、俺は都合がよかったと思ってる……もちろん、開戦からすぐ一斉に掛かれるのが一番いいのは言うまでもないがな。で、俺は<ワールバリア>の先鋒隊左翼に居て、敵側面への突撃中に射撃を受けて……」


 彼はそのあとも、駅に到着するまで、延々と話し続けた。ハルデもマキネカラビナも興味深そうに聞いていた。


「結局のところ、生き残ってまた戦うためには、諦めないことが大事なんだ。俺も、この腕を失って諦めてしまわなかったから、まだ生きている。だからお前たちも、何があっても諦めたらだめだぞ。俺はいざとなったらまた剣を取るつもりだ。よし、やっと到着だ。」 


「わかりました。ありがとうございます」


「こっちこそ、話に付き合ってくれてありがとうな」


 幌馬車が停まると、乗っていた騎士たちが下りていく。2人は、ナトラン卿が下りるのを手伝った後、最後に駅に降り立った。ナトラン卿は自分の戦いについて話したことで、晴れ晴れした表情に見えた。



 住民のいなくなった街の駅は、当然のように騎士団により占有され、物資や人員の輸送用に利用されていた。最前線である街の西側からはやや遠いここでは、騎士たちは鎧を脱ぎ、各々自由な格好で――とはいえ、鎧を着れば即戦闘準備完了といった装いで――物資の積み下ろしなどの業務に当たっていた。


 そんな中、駅舎に入ると変わった光景が広がっていた。それなりに広い駅の待合室の真ん中で、ご令嬢が1人、優雅にお茶を楽しんでいたのである。その人物とは、ブレヴフェンシア辺境伯フォルキリエであった……

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