5. 愚痴とインジェラ
よろしくお願いします。
関西桜花大学は、名前の由来にもなっている、桜並木が有名であり、正門から一直線に伸びる緩やかな勾配の道路の両端に、約500mに渡って枝垂桜が植えられている。
その桜並木を過ぎると、多くの居酒屋が混在する繁華街になっており、桜花生は講義終わりやサークル帰りに日夜集まっては、いざ懇親会だの、打ち上げだのと理由をつけては朝まで飲みの席に興じるのである。
桜花生を目的とした学生に好かれる店舗は、やはり安くて美味いである。
桜並木を過ぎるとすぐに繁華街が始まるのだが、大学側に近い店舗はやはりアクセスが良く、学生の目にも止まりやすいため、激戦区である。
しかし、激戦区である故に、入れ代わり立ち代わりが激しく、そこでの生存競争に生き残ることのできる店舗は少ない。
たった1か月ほどの僕の学生生活の中でも、2店舗が潰れ、新たな店舗が開店した。
だからと言って、大学から遠い店舗が人気がないのかと言われれば、それは違う。
繁華街を下るほど、激戦区よりは人が数無くなるが、特徴的な店舗が顔を出してくる。
1000円で焼き肉食べ放題と書かれた看板につられて店舗に入ると、メニューがライスとハラミと鶏肉しかない焼き肉屋、タイ人が営むインドカレー屋、味は美味しいが、店長のおばちゃんの話を聞き終わるまで店から出してくれないお好み焼き屋など、一風変わった店舗にはコアなファンが多数通うこともある。
そんな中で、俺と友人達とでよく行く店舗が居酒屋「鳥屋敷」である。
この店の良いところは、値段が格段に安いことである。
料理も、美味しく、お酒もハイボールであれば50円で飲めてしまう破格の安さを誇っており、非常に学生にとっては優良店なのであるが、唯一の難点が店の外観である。
この店の店長は、もともとアフリカのエチオピアでボランティア活動を行う団体に所属していたが、結婚を機に日本に戻り、この店を始めた。
アフリカの風土を感じられる店にしたいという思いから、どこかの民族から譲り受けた不気味な民族衣装を店頭に置いたり、謎の古代文字で書かれた看板を作成したりしたところ、外見がお化け屋敷のようになってしまったため、桜花生の間では幽霊居酒屋と呼ばれている。
僕も最初は、不気味な店のいで立ちに躊躇していたが、優斗が面白そうだと、僕を引いて入ってから、よく通うようになった。
店内にも多くのアフリカの飾りが壁に貼られており、陽気な音楽も流れている。
店長の赤葦さんは35歳であり、短い髪を茶髪に染め、肌は陽に焼けた小柄な人で、井戸を掘ったりしていたらしく、腕が凄く太い。
木製の手作り感溢れる椅子とテーブルがあり、僕と優斗と、同じ工学部の渡辺と3人で今はハイボールとエチオピア料理を囲んでいる。
「そりゃ、もう辞めても大丈夫だろ!アルバイトなんて大阪にいりゃあ山ほどあるんだしよ」
渡辺は、ハイボールを片手に、酔いの回った顔で僕にきっぱりと言った。
髪は長く、目鼻立ちのすっきりした顔で、サッカーサークルの名前がプリントされた灰色のスウェットと黒のパーカーを着ている。
「仕事だけ見たらやっぱすげえしんどかったし、辞められるなら辞めたい気持ちの方が強いけどさ、今まであんなに真剣に向き合ってくれた人いなかったし、それに、なんかダサすぎて後々後悔しそうでさ。せめて、少しでも続けてみた方が良いのかなって思ったり、思わなかったり.........」
俺は入店時からちょびちょび飲んでいるハイボールの氷をゆらゆらと揺らす。
「はっきりしねえな。どう考えたってそのたこ焼き屋の店長の方が悪いだろ。わざと試すようなことしたり、店の事情を押し付けてきたんだろ?普通なら面接は履歴書読みながら簡単に人間性見るもんだし、仕事だって簡単なことから徐々に慣れていって、少しずつ難しいことを覚えていくもんだろ。絶対おかしいぜ、その店」
残ったハイボールを一気に飲み干すと、渡辺は赤葦さんにハイボールをおかわりする。
赤葦さんはグラスを下げた後、サービスだと言ってエチオピアで主食として食べられるインジェラと呼ばれる、肉と野菜などを煮込んだものをクレープのような生地で巻いた食べ物を置いてくれた。
僕ら以外にお客さんは一組しか居らず、赤葦さんはその一組にもインジェラをサービスしている。
優斗はこのインジェラを非常に気に入っており、真っ先に手を伸ばして食べ始める。
「おい、優斗もそう思うだろ?」
渡辺はインジェラに夢中の優斗に同意を求める。
「その店長はきっと、仲間になって欲しいって思って、面接の時にたこ焼きを食べさせたんだろうな」
「はあ?どういう意味だ?」
「知ってるか?エチオピアには男女問わず親しい仲で美味しいところを取り分けてお互いに食べさせあう「グルシャ」という文化があるんだよ。食べ物を分け合う動作を「マグロス」と言い、「グルシャ」は美味しいところを分け合った食べ物のことを意味します。互いにインジェラを食べさせあって、「バッカ!(もういい!)」と言うまで続けられるらしいんだ。いい文化だと思わねえか?」
「ああ、まあ、いい文化だとは思うけど、それがなんだよ?」
渡辺は、眉間にしわを寄せて、怪訝そうに優斗を見る。
「俺は、ちゃんと積乱のことを見て、一緒に働きたいと思ったからこそ、たこ焼きは食わしてくれたし、仕事もあえて忙しい時間帯に、説明なしで仕事をさせたんだとおもうぜ。たこ焼きを御馳走することで、店長は、店長なりに親睦を深めて、かつ自分がどれだけ真剣かを伝えようとしたんだろうな。言ってたんだろ?アルバイトに来てくれる子でも、ちゃんとうちのたこ焼きを美味いと思ってもらって、このたこ焼きを売りたいと思ってもらいたいねん。って。試したんじゃねえんだとおもうぜ。ただ単純に、気持ちを伝えようとしただけだともうぜ。わざと試すように面接して、積乱を落とそうとしたわけじゃないと思うけどな」
「でも、感じ悪いじゃねえか!どうせ、働かすにしてもよ、せめて説明くらいするのが普通じゃねえか?きちんと説明して、優しく指導してもらわねえと、育つもんも育たねえだろ!」
「そうかな?
説明しなくても、伝わるとは思わねえか?
説明してもらって、優しくしてもらえることが良いことなのか?
お金貰うんだぞ?
俺らは、客じゃねえんだぞ?
むしろ、最初は誰でもできる簡単な仕事させて、後で難しいことを教えることが悪いことだとは、俺は全く思わねえんだよな。
真剣だからこそ、外せねえもんってあると思うんだよ。
それに、アルバイトとはいえ、仕事だ。
学生気分で舐めた仕事してりゃあ、怒るに決まってんだろ。
俺たちってずっと、大学まで行かせてもらって、すげえ恵まれた学生生活してっから、どうしても考え方が受け身になってると思うんだよ。
でもよ、働くことになれば、嫌でも自発的に動かなきゃいけねえ状況に身を置くことになるだろ?
だからこそ、受け身な状態で何でもかんでも教えてください、分かりませんじゃ、社会に出て真剣にやってる人にすげえ失礼だと思うんだよ。
お前だってそうだろ?
練習する時に、気持ち入ってないやつとか、適当にやってるやつとか一緒にプレーしても楽しくないだろ?
真剣だからこそ、手を抜けない、絶対に妥協できない部分って誰にでもあると思うんだ。
まあ、要するに、郷に入っては郷に従えってことだよ。
店長の店なんだ、店長の店なら、向こうがルールだし、真剣さとか、気持ちとかちゃんと汲み取るくらいのこと、むしろこっちがしなきゃならねえことだろ。
真剣に頑張っている人たちを、俺たちがとやかく言う筋合いは、一ミリたりとも存在してねえんだよ」
渡辺は、反抗する言葉が見つからないのか、おかわりで貰ったハイボールを一気に飲み干すと、肩ひじをついてふてくされてしまった。
もともと、あまり優斗と渡辺はそりが合わない節がある。
渡辺が感情的になって優斗に突っかかって、返り討ちにあうことはこれが初めてではない。
優斗は話が終わると、またインジェラを手でつかんでは口に入れ始める。
僕は正直、少しすっぱくて、粉っぽいこのインジェラがあまり好きではないし、優斗がなんでここまでインジェラが好きなのか全く理解できなかった。
「僕は、正直、真剣に何かに取り組むことが今までなかったし、楽な道と苦な道があったら迷いもなく楽な道を続けてきた」
「俺は、そこが積乱の良いところだと思うぜ」
「茶化すなよ。まあ、だからさ、これまで挫折なんてしたことなかったんだ。当然だよな、自分ができると思ってることしかやってこなかったんだからさ。でもさ、たった二時間さ、お客さんの接客しただけでよれよれになった時な、すげえ無力感を感じたんだ。しかもよ、笑えるのが、忙しかったことにキレてたんだぜ。泣けてくるよ。なにがお客様とお話するだけでお金が貰えちゃう、簡単で高時給なお仕事!だよ!!って。注文聞くだけでへとへとになってるやつがよく言うぜって感じだよな」
「で、結局、積乱自身はどうしたいんだよ?」
たこ焼き屋に今後なるのであれば良いが、たかがアルバイト、たかが生活費のための金稼ぎのために
「郷に入っては郷に従えってことだよな?またあのしんどい仕事するのは嫌だけどさ、それよりも、あの情けない自分を背負うのはもっと嫌だし、店長の真剣さを無視したくはないかな。」
そう言うと、僕はインジェラを手に持つと、一気に口の中に放り込んだ。
「あれ、苦手じゃなかったか?」
優斗は肩ひじをついて、僕に笑いかける。
「ここはエチオピア料理の店だぜ?郷に従わねえとな」
「じゃあ、おかわりでも頼むか?」
「それは勘弁してくれ!」
僕らはお互いに笑った。
読んでいただきありがとうございました。