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4. アルバイト初日

よろしくお願いします。

初出勤は18時からである。

先週までに健康診断書や住民票記載事項証明書などは、当日に準備できないので準備したのだが、雇用契約書、給与振込登録申請用紙、労働条件通知書などは読む所も多く、記載事項も多くある為、まだ面倒くさくて終わっていない。

授業が終わったのが16時過ぎである。

僕は、正門近くにある図書館に行き、学生証を改札機のような機械にかざす。目の前の侵入防止板が上がる。

大阪桜花大学は、セキュリティ対策の意識が非常に高いため、こういった改札機のようなものが多くある。

学生証は常に常備していないと、出入りが制限される為、不自由極まりない。

図書館に入り、左奥の机が多く並んだ場所へと移動する。

どこの大学もそうだとは思うけれど、大学の図書館は、試験期間中のテスト勉強に使う際に非常に混む。

今時の学生は、好き好んで本を借り、読書に興じることは少ない為、試験期間ではないこの時期は、人がほとんどいないので直ぐに席に座ることが出来る。

パッと全体を見渡したとき、見覚えのある顔が笑顔で手を振っているのが見えた。

優斗は、手招きでこちらに来るように促す。

優斗の正面の席に向かい合わせに座ると、記入する予定である書類を取り出す。


「確か、今日からだったよな、たこ焼きバイト」


優斗は、雇用契約書に必要事項を書き、判子を押す俺を見てニヤニヤと言う。


「18時からな。まあ、僕がたこ焼きを焼くことはないだろうけどな。あんなたこ焼き、俺なんかが焼けないよ。優斗こそ、なんで図書館にいるんだよ」


「俺は、作曲中だよ。サークルでやるライブでオリジナル曲を作ることになったんだ。曲の歌詞って難しいぜ。楽譜みて、音程とか、どこでインパクト出すとか、色々考えながら曲を組み立てていくんだ。メッセージ性のある歌詞なんて俺にはまだまだ程遠いってやってみるとよく分かるよ」


優斗は、ノートパソコンでカチカチと作業はしているものの、順調にはいっていない様子で、ほとんど手は止まっているようであった。

サークルでバンドを組んだことは知っていたが、学生バンドが作詞作曲を行うんだなと、少し感心した。


「でも、すごいな。俺はそんな感じでやりたいことなんて見つからねえから羨ましいよ」


「俺も大学に入る前はこんなことするなんて思っても無かったぜ。ただ、何となく見た新入生歓迎の学生バンドを見て、あっ、これだ!ってビビッと来て始めただけだしな」


「でも、結構真面目に取り組んでるよな。楽器も弾いたことなかったんだろ?」


「まあな。その学生バンド見た後、俺から、サークルの会長に、アポイントメントを取って、さっきのバンドに入れてくれってお願いしたんだ。音楽の経験なんてこれっぽちも無いから、結局断られたんだけど、バンドの練習には参加させてもらえるようになったんだ。一か月近くは楽器なんて全然触らせてもらえなくて、音楽の基礎的なものから勉強してたんだけど、先週からやっと楽器を使った練習ができるようになったんだ。そんで、今、作詞作曲をやってるのは、実際に作ってみて、自分で演奏してみた方が勉強になるって会長に言われて、やってるところ。この作詞作曲で会長の合格ラインまでいけば、俺をバンドメンバーとして加えてくれる約束なんだ。だから、今はこれに全力を注ぐことしか考えてねえな」


優斗は、恥ずかしそうに顔を頬を人差し指でかきながら、ニコっと笑った。


「積乱はやりたいことねえのか?」


急に言われた一言に、僕は意味も無く、躊躇した。

僕は、優斗のようにはなれないと思っているし、向いていないと知っている。

優斗は、熱しやすい性格で、たくさんのことに興味を持つし、それをちゃんと行動に移せるだけの行動力もある。

しかし、いったん集中するとそれ以外がどうでもよくなるらしく、練習時間が伸びて授業には簡単に遅刻してくるし、課題が出てもお構いなしで忘れてくる。

僕には、到底理解できない行動だった。

楽を行動の基準にしている俺にとって、こんな燃費の悪そうな生き方は到底想像つかなかった。

世間的に見てまずまずの成績が取れる程度に勉強を頑張りつつ、友達と楽しいことだけしながら学生生活をそれなりに満喫出来たら、あとは俺にあったレベルの会社に就職さえできれば何も望まない。

それに、どうせ社会人になれば嫌でも働かなくてはいけなくなるし、それを考えたら、ただただ学生生活の一時的な貯えのためにアルバイトをするくらいならやりたくないけれど、親からの仕送りが少ない俺は、最低限の労働はしなければ生活が成り立たないので、しょうがなくしなければならない。

そんな俺だからこそ、その答えはこうなる。


「僕は、やりたいことが無いし、あっても優斗みたいに必死なれるか分からないよ」と。


「そっか。積乱っぽいな。俺とは違ってちゃんとしてるもんな。課題いつもやってくるもんな」


「課題はやってくるもんなんだよ!お前もたまにはして来いよ!俺のばっかり写してねえでよ!」


「わりーわりー、次はちゃんとしてくるよ!」


優斗は、ぺこぺこと頭を下げて謝ってくる。


------------------------------


注意事項などを確認しながらだったので、全ての書類の必要事項を記入し終えると、もう17時前になっていた。

まだ作業が終わらない優斗とは図書館で別れ、僕は、駅の方へ向かう。

今から行けば少し早い17時半くらいについてしまうけれど、まあ初出勤であるし、書類の提出もあるから、早めに行っても問題はないだろう。


店につくと、以前の時とは違い、数10人のお客さんが列になって並んでいた。

僕がどうやって店に入ろうとあたふたしていると、僕に気づいた店長が「お客さん!すいませんが、うちの新バイトの子が来たから、ちょっと店内までの道開けてくれませんか」と言って、僕を店の中に招き入れてくれた。

店長は、僕に店の制服一式を放り投げると、お客さんに見えないようにトイレの中で着替えるように指示した。

僕は急いでその制服に着替え、再度店内に戻ると、店長は後ろに目がついてるんじゃないかと思うくらいすぐに俺に気づくと、バインダーを渡し、前列から順に注文を貰ってくるように指示を出された。

俺は、それを受け取ると、すいませんと言いながら、たこ焼きの個数と、その味付けをバインダーに記入していった。

注文を受けながら気づいたけれど、たこ焼きは、ソース味だけでなく、塩、ポン酢、醤油といった味付けも行っているらしい。

注文を取り終え、店長にバインダーを渡すと、「サンキューな!助かった!」と頭をガシガシとなでられた後、「92個か、ちょうどぴったしだな」とぼそりと言って、持ち帰り用のパックにたこ焼きを凄いスピードで詰め、味付けを一瞬で終わらせた。

僕は、驚きを隠せなかった。

店長は、バインダーを数秒しか見ていなかった。

つまり、あの一瞬でバインダーに書かれたたこ焼きの数と味付けを完全に暗記したのだ。

しかも、僕はたこ焼きが全部で何個必要なのか、合計値を書いていなかったので、店長はあの数秒で暗算して、92個たこ焼きが必要であることを確認し、調理を行ったのだ。

数10組の人たちは次々とたこ焼きを買い、去っていった。

しかし、先ほどのお客さんが終われば、また新しいお客さんが次々と並び始めた。

僕は、お客さんからお金をもらったり、新たに来たお客さんに注文を聞いたりしながら、結局、20時過ぎまで世話しなく動きまわった。

ようやくピークが落ち着き、ため息をついた。

先ほどまで、息をするのを忘れていたのかと思うほど、体中が突然酸素を得て、血液を目まぐるしく循環しているようにバッと疲れが体中を巡った。

「疲れたやろ、冷蔵庫にコーラ入っとるから、座って休憩しとき!」

僕は、「はい」と力なく返事をすると、コーラをもってパイプ椅子に座り、コーラを一気に飲み干すと、机の上に頭を置いて、ぐったりとした。

コーラは最高に美味しかった。

気づかぬうちに喉の乾燥も忘れていたらしい。

しかし、これはまずい、非常にまずい、完全に選択を間違っている。

後悔とともに、それに付随して怒りが腹の中をかき乱すように大きくなる。

なにがお客様とお話するだけでお金が貰えちゃう、簡単で高時給なお仕事!だよ!!

ふざけるなよ!

まかない付きで時給がどれだけ良くても、肝心な楽な仕事に従事できなければ、本末転倒である。


「やめたい」


心身ともに疲れ果て、身動きも取りたくない、そんな心情の中での本心がつらつらと溢れてくる。

30分くらいが過ぎた頃、ようやく動く気になり、アルバイト時間内でもある上、重い腰を無理やり持ち上げて再び店頭へと向かった。

21時になり、お客さんはちらほら買いには来るものの、客足は完全に止まっていた。店長は、床や壁などを雑巾で拭いている最中であった。


「あの、長いこと休んでしまってすいません、店長」


「全然問題ないで!もうピークは過ぎとるし、後は明日の準備と掃除するだけやしな」


店長はそう言うと、笑いながら掃除を続ける。

しかし、ふと思いついたように僕の方に向き、

「書類は持ってきたか?」

と聞いた。

そして、少し焦燥と不安が混じったような声で


「今なら、まだアルバイトを辞めることできるけど、どうする?」


と僕に視線を向ける。

僕は、すぐに返事が出来なかった。

休憩中ぼそりと「やめたい」言ったのが聞こえたわけではないと思うけれど、僕の表情や行動を見て、店長が察したに違いない。

恐らく、今、よっぽどひどい顔をしているのだと思う。

確かに、今すぐにでも辞めたいという思いは強い。

僕は、たこ焼き屋さんなんて忙しくなることはないと思っていた。

たまに来るお客さんにたこ焼きを渡すだけの気楽な仕事だと思っていた。

しかも、求人広告には、「たこ焼きは、店長が全て焼きますので、難しい調理は一切しなくて大丈夫です!」と書かれていたし、たとえ雑用を任されたとしても、大したことなんてしないだろうと思っていた。

しかし、いざ蓋を開けてみると、それは全く違った。

忙しさに目が回るし、それに全くついていけない自分がそこにはいた。

休憩中はあまりの疲れで後悔と怒りの感情が渦巻いていたが、こうやって冷静になり、一番疲れているはずの店長が僕に気を使っている姿をみてしまうと、無性に自分が小さく感じられた。

俺にとって、これまでにないほど、情けない瞬間だった気がする。

でも、それをうまく言い表せる言葉が全く思い浮かばない。

でも、今の気持ちを正直に言わなければならない瞬間が今だとわかる。


「分かりません。正直、凄く疲れたし、今ならまだ辞めれるって聞いた時は、気持ちが揺れました。でも、こんなこともできない自分に対する情けなさも感じていて・・・・・・。気を使わせてしまっているのも申し訳なくて」


絞り出すように、小さな声で答えた。


「働いてくれるなら俺はホンマに嬉しいねんけど、面接のときも言ったように、俺はこのたこ焼きを売りたいと思ってもらいたいねん。そういう気持ちって一番素直で、一番お客さんにとっての良い接客にもなんねん。でも、たこ焼き屋さんって思った以上に大変やねん。やから、最近ではたこ焼き屋さん全体で焼き手が居らんらしいし、育っても無い。新しく従業員を雇おうにも、油臭い職場に好き好んでくる人なんてそうそう居らへんし、居っても想像以上の過酷さであんまり長続きする人も少ない。同情して欲しいってことやなくてな、なんて言えばええねんやろ。結局、俺が言いたいのは、積乱君の気持ち次第ってことや!来てすぐに、店頭にたってもらって接客をしてもろたのは、聞くより経験する方が早いと思ったからなんよ。試すようなことして悪かったな。でも、俺も谷川もはすごく真剣にこの店でおるからこそ、一緒に働くアルバイトも同じ感情になって欲しいと思ってる。俺らのわがままな思いを押し付けてもうてるのは重々承知しとる。でも、こんな職場でもやってみたいと思うなら、次のシフトの時にまた来てくれるか?」


このまま店に残っても戦力に慣れない俺は、早めにバイトを上がることになった。

情けなくて、帰路ではため息が止まらなかった。

楽な仕事をしたいと思って、お客様とお話するだけでお金が貰えちゃう、簡単で高時給なお仕事なんて、今思えば簡単な誘い文句にまんまと引っかかって、仕事ができなかった自分のスキルの低さを痛感した。

しかも、疲れ果てた俺の顔を見た店長に気を使わせてしまったし、「俺も谷川もはすごく真剣にこの店でおるからこそ、一緒に働くアルバイトも同じ感情になって欲しい」と店長が言ったってことは、僕の薄っぺらい感情なんて、履歴書を見た瞬間に見透かされていたのだろう。

だから、初日にも関わらず、何の説明もしないで店頭に俺を出して、この店の雰囲気を味合わせることで、店としての在り方を直接体験させることで俺の真剣度や覚悟を見たのだ。

最初から言ってたじゃないか。

アルバイトに来てくれる子でも、ちゃんとうちのたこ焼きを美味いと思ってもらって、このたこ焼きを売りたいと思ってもらいたいねん。って!

履歴書とたかが数分のかしこまった面接だけで、何が分かるっちゅうねんって!

そして、履歴書を見た店長は、俺にちゃんと伝えたじゃないか。

あの履歴書からは積乱君がどんな子なんか全く見えてこんかってん。って!

面接の時、たこ焼きを美味いと思ったけど、僕はそのあとの店長の思いに全く耳を傾けていなかったし、考えもしていなかった。

店長は、最後までちゃんと僕に伝えようとしていたのに、僕はそれをちゃんとくみ取ることが出来なかった。

言ってたじゃないか。今日も、僕に真剣に向き合って。

結局、俺が言いたいのは、積乱君の気持ち次第ってことや!って!

試すようなことして悪かったな。でも、俺も谷川もはすごく真剣にこの店でおるからこそ、一緒に働くアルバイトも同じ感情になって欲しいと思ってる。って!

考えれば、考えるほど、僕は本当に情けないと実感する。

「だせえよ、ださすぎる」

部屋についた時には、もう何も考えることができなくなっていた。

こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。

薄っぺらい、今にも風に吹かれて飛んでいってしまいそうな俺がそこには居た。



読んでいただきありがとうございました。

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