2. 太陽と積乱雲とアルバイト面接
よろしくお願いします。
阪急電車でアパートのある豊津駅から下新庄駅まで乗り、改札を出て東出口から外に出ると、正面にセブンイレブン下新庄駅前店が道路を挟んだ向かいにある。
俺はまずセブンイレブンで履歴書とクリアファイルとA4白封筒を購入した。
あの授業の後、たこ焼き屋の求人広告に書かれていた番号に電話すると、少し低温のガラの入ったハスキーボイスの店長に「履歴書はいらへんから、明日の朝にでも来てくれ。面接やるから準備しときぃ」と一方的に日程を決められ、電話を切られてしまった。
いらないとは言われたものの、準備はしておいても損はないだろうと、当日になって履歴書を書くことに決めた。
そもそも、時間を指定されていないし、準備をしとけと言われても何を準備すればいいのかもよく分かっていない。
求人広告には、営業時間が8時から23時までと書かれていたため、9時ごろに行けば、開店準備の邪魔にならず、忙しい時間でもないだろうと判断した。
セブンイレブン内はイートインコーナーがたまたまあったので、朝食代わりに買った卵サンドと缶コーヒーを食べながら、履歴書の必要記入欄を適当に埋めていく。
学歴まで書ききった後、志望理由のところで手が止まってしまった。
話すだけのバイトが楽だと思ったので志望しますなんて正直に書けば確実に落ちてしまいそうだが、そもそもたこ焼きに興味がないため、どこでも使える志望理由「○○の経験を活かせると思い、志望しました」が使えないのも難儀である。
色々と考えたけれど、結局、良い案は出てこなかったので、大阪のたこ焼き屋さんで働いてみたいと思ったからですと思ってもいない、薄っぺらい動機を適当に一行書いて、セブンイレブンを出た。
時刻は8時54分、セブンイレブンを左折し、そのまま真っすぐに進むと、二郎系ラーメンの豚骨スープの匂いとともに、十字道路へと出た。
そのまま二郎系ラーメンを左折して、クリーニング店を過ぎたところにたこ焼き屋【太陽】はあった。
外見は木造の古民家のようであるが、道路沿いの壁をすべて解放しており、そこに大きなたこ焼き台がある。まるでお祭りで見る出店のような佇まいである。
たこ焼き台の上部にある看板には、ペンキで勢いよく「たこ焼き屋太陽」と書かれている。習字のプロが書いたような勢いのある文字である。
たこ焼き台の前では、左手を腰に置き、右手に持った竹串で器用にたこ焼きをひっくり返す白いバンダナを付けた、恐らく店長であろう男がいた。
少し髭が伸び、体つきが筋肉質で目が細いため、どこかヤクザの組に居そうな雰囲気を醸し出している。
正直、田舎育ちで温和な人たちとしか付き合ったことのない俺は、あまりこのような、いわゆる悪い系の人と関わるのが苦手である。
しかし、面接の約束をした手前、引き返すのは失礼だし、何よりわざわざ早起きしてまで電車で移動してきたのだから、引き返すようなもったいないことはしたくない。
「あの、面接に来たんですが・・・・・・」
俺は、セブンイレブンで書いた履歴書を掲げながら、申し訳なさそうに喋りかけた。
俺に気づいた店長は、「おぉ来たか!このたこ焼きが焼き終わるまで店内で待っとってくれるか!」
というと、右手に持った竹串を内側に向けて、入って来いという合図を送る。
俺は、たこ焼き台と壁の間を通り抜けて、店内へと入る。
高温の金属板で熱せられてはじける油の音、和風だしをかすかに感じる香ばしいたこ焼きの匂い、一定のリズムで繰り返される竹串が金属板を叩く音が聞こえる。
店内は、部屋のほとんどが調理場になっており、左壁沿いには大型の冷蔵庫と作業台、右壁沿いに段ボール箱が山積みになっている。更に奥には、それらに隠れるよう大量の吸い殻が入った灰皿の乗った背の低い机とパイプ椅子が2つ向かい合うように置かれていた。恐らく、簡易の休憩所なのだろう。
俺は、そのパイプ椅子に座ると、灰皿を机の隅に寄せ、履歴書を置いた。
近くにある段ボールには、青のり、お好みソース、醤油、マヨネーズ、カツオ節、塩、天かすと書かれている。
見渡した感じでは倉庫なども見当たらないし、冷蔵庫に入れなくても痛みにくい在庫を壁際に段ボールで山積みにして、段ボールで壁代わりに机とパイプ椅子を休憩所として使っているようだった。
「すまんな!待たしてもうて!」
店長は、満面の笑みで右手で謝るポーズをすると、俺の目の前に、パイプ椅子を勢いよく引き、背もたれにどっしりと足を開いて机を隔てて座った。
「じゃあ、はじめよか。俺の名前は、遠藤信彦。今年で43歳で、この店の店長やらせてもろてる。まあ、言うてもこの店はフランチャイズやから、俺は雇われ店長やねんけどな。本店は、ちょっと遠いねんけど、岸辺の方にあんねん。阪急やのうて、JRの方の吹田駅の線を挟んで向こう側にあんねん。遠いし、あんちゃんが行くことは無いと思うけど、一応覚えといて」
そう言って店長が話し終え、満足したように腕組みをした。
どうやら、次は俺が話す番らしい。
俺が履歴書の方に視線を向け、店長もその瞬間に履歴書の存在に気付いたようだったので、慌てて、説明をする。
「あの、要らないとは言われたんですけど、一応履歴書書いてきました。やっぱり、不要だったでしょうか」
俺は、様子を伺うように、目線を店長に向ける。まるで、大きな動物に怯える子犬のように。店長は履歴書を右手で持ち上げると、黙って読みだした。
しばらくの間、沈黙が続く。
そこまで内容の凝った文章を書いたつもりはないのだけれど、どこかおかしい部分でもあるのだろうか。
店長は、履歴書が視線で穴が開くんじゃないかと思うほど、目を離さず、鋭い視線を向けている。
「伊能積乱くんか。なかなか珍しい名前やな」
突然の沈黙が破れ、あたふたしながら言葉を探す。
「あ、はい。祖母が雲が好きでして、積乱雲からとったと聞いています。積乱雲のように堂々とした、雄大な人間になってほしいという思いで付けてくれたらしいです」
「そかそか!ええ名前や!おばあちゃんは元気にしとんかいな?」
「3年前から肺を悪くしまして、今はずっと入院しています。元気なころはよく、俺を連れて散歩しながら雲を眺めて遠くまで歩いてましたね。積乱雲を見つけるとよく、笑っていました。ほら、せきちゃんの雲よって。今は、病室から見える雲を眺めるのが唯一の楽しみだそうです」
「そか、なら、はよ肺良くなるとええな。ええばあちゃんでうらやましいわ。よし、じゃあ、本題に入ろか。ちょっと、こっち来てくれ」
そう言うと、店長は持っていた履歴書を机に置き、パイプ椅子から立ち上がると、たこ焼き台の方まで歩いていく。
俺も慌てて立ち上がり、店長についていく。
店長は、竹串を右手に持ち、左手でガス栓を操作して、面接前に焼いていたたこ焼きを回し始めた。
回しているうちに先ほどまで少し萎んでいたたこ焼きがみるみる大きくなる。
「お客さんが来てから焼いとったら、提供までにごっつ時間かかるやろ。やから、朝みたいに、お客さんが少ないときは、火を弱火にして焼き終わったたこ焼きを保温しとくねん。そんで、お客さんが来た時にはまた強火にしてたこ焼きを膨らましてやんねん。すると、すぐにたこ焼きを提供できるやろ?お客さんを待ちながら、外カリ中フワのたこ焼きをいつでも提供できるっちゅうわけやねん。まあ、さすがに水分が少のうなってきたら廃棄すんねんけどな」
店長は、数回たこ焼きを回転し終えた後、作業台の上に重なっておかれている小さい陶器製の皿にたこ焼きを4つのせ、刷毛でさっとソースを塗り、上からマヨネーズ、青のり、カツオ節の順に味付けをして、俺にそれを渡す。素人でも分かるほど無駄のない動きであっという間にいつもの見慣れたたこ焼きが完成した。
「食うてみ。日本一のたこ焼きやで」
店長は、調理場の上にある爪楊枝を2本のたこ焼きに刺すと、俺に皿を押し込むように渡してくる。
「商品のたこ焼きをタダでいただくなんて、申し訳ないです!」
俺は両手でたこ焼きの皿を押し返した。
「ええねん。ええねん。これが面接みたいなもんやから」
「これが面接なんですか?」
「そやそや、積乱くんはうちのたこ焼き食うたことないやろ?うちは飲食店やで。うちのたこ焼きを食うてもろて、美味しいと思ってもらうことでお金をもらうのが仕事や。やから、アルバイトに来てくれる子でも、ちゃんとうちのたこ焼きを美味いと思ってもらって、このたこ焼きを売りたいと思ってもらいたいねん。そういう気持ちって一番素直やと思わへんか?履歴書と、たかが数分のかしこまった面接だけで、何が分かるっちゅうねん」
「じゃあ、俺が今日履歴書持ってきたのはまずかったですか?」
「全然問題ないで。むしろ律儀な子やなって思ったくらいや。でもな、悪いけど、あの履歴書からは積乱君がどんな子なんか全く見えてこんかってん。でも、面接で名前の話した時は、俺は積乱君がどんな子なのか、具体的にみえたで。やから、次は俺の焼いたたこ焼きを食べて、積乱くんに俺を見てもらう番やと思うねん。やから、食べてみ!ほんま美味いから!」
俺は、爪楊枝でたこ焼きを一個持ち上げ、口へと運んだ。
その瞬間、俺は言葉を失った。
外はカリっと香ばしく、噛んだ瞬間和だしの香るジュワっとした感触が舌をなでる。
タコは弾力があり、噛むたびに味が溢れる。
ソースとマヨネーズはたこ焼きの風味を消さない絶妙な量で塗られており、味のアクセントになりがらも、たこ焼きを全く邪魔していない。
また、上に乗せられた青のりとカツオ節の風味は、たこ焼きの香ばしい香りと合いまって更に食欲を掻き立てる。
本物の味というのは、こういうものなんだと思った。
俺は、大阪に来てまだたこ焼きを一度も食べたことがないけれど、それでも今食べたたこ焼きが凄いことだけは、理解できた。
比較しなくてわかる、そういう美味しさを経験した気がした。
「どや?うまいやろ、うちのたこ焼きは!」
店長は、腕組みをして、得意そうに俺のことを見ている。
「はい!正直、凄いびっくりしました。こんなおいしいたこ焼きがあるなんて知りませんでした。なんか、うまく言えないんですけど、、、、感動しました」
「そやろそやろ!うまいねん!うちのたこ焼きは!俺は、これに魂込めてやっとるからな。うまくなきゃあかんねん」
そう言うと、店長は、満面の笑みで笑った。
後から聞いた話ではあるけれど、最初から面接をしなくてもアルバイトに落ちることはなかったらしい。掲載期間もぎりぎりだったようで、半ばあきらめていた時にたまたま応募してきたのが俺だったようなのだ。
そんな訳で、俺は無事、このたこ焼き屋太陽でアルバイトすることが決定した。
読んでいただきありがとうございました。