4話 魔王レイカエント=アルテリアス
街に着いたのは昼前。その日は適当に暇を謳歌した。
メグも少しは楽しそうに街を巡っていたように見えた。少し緊張が解けたのかも。
それが原因だったのかもしれない。今日の夜、宿でメグからのアクションがあった。
「あの」
「・・・・・・・ん?どうした」
珍しい、というか、向こうから声をかけられるのが初めてだ。なんか細事があったのだと思った。
けど、そういうわけではなく。少し溜めて、用件を話す。
「・・・・・・・レイカは、どこから来たの?」
「・・・・・・・どこから、か」
思いもしない質問に、繰り返し言葉にする。どうしてそんなことを聞くのか。
「・・・・・・・話したくないなら、いいけど」
少なくとも、向こうから歩みよってきていることは分かる。俺がそれに答える意味はあまりない。だが、これは良くないと薄ら思う。
・・・・・・・ちょうどいいか。ここらで。
「・・・・・・・ヒューズ」
「え?」
相手は子供、しかも孤児だ。なにを喋ったってどうでもいいと、開き直る。
・・・・・・・もう、面倒だし終わりにしよう。
「俺は封印の地ヒューズから、魔水晶から解かれた魔王だ」
「ま、おう?」
「メグ。いつ魔王が封印されたか聞いてるか?」
「・・・・・・・知らない」
多分上手く理解出来ていない。いきなり理解しろという方が難しいか。だから言葉を流す。
理解したら、人間は恐れてしまう。だからそうなる前に、話をしなければ。
「今界暦何年か、知ってるか?」
「・・・・・・・二八四〇年、くらい?」
「なるほど。百三十年ほど眠ってたわけか」
復興が進むのも当然の月日だ。空気に触れたときの体感とあまり差はなかった。にしても、想定よりも随分早い。俺は三、四百年くらいはかかると思ってたが。
そこに違和感を覚えるが、考えても答えの出ることではない。
「・・・・・・・魔王って?」
メグはまだ理解の及んでいない。想像もしない、想像出来ない正体で、子供なら無理もないか。
「言葉通りだ。お前ら人間が恐れて止まない魔王が俺だ」
「でも、検問の人が」
「あんなの偽装魔術でどうとでも」
あんなんで魔王相手に対策出来てると思ってる方が異常だ。気休めに無意味なことを無意味と知りながら行う。それが人間の情緒を保つ工夫だと言うのなら、何も言わないが。
「・・・・・・・・・」
反応が鈍いのは、こいつの感情が乏しいからか。とりあえず、もうこいつのお守りは終わりだ。終わりにする。
この子は最初から俺に懐いているような素振りを見せていたが、ここまで心を開かれてしまったのなら、終わりにすべきだ。俺にとって邪魔な関係になりうるから。
俺の心の半分に作用して、俺の判断を鈍らせる。『縁』というものはいつどこの世界でも、弱点になりかねない。
「俺の事を言わない限りは、何もしない。明日、兵舎まで行く。そこでお前を引き取ってもらう。それでさよなら、」
「そ、それは!・・・・・・・それは、嫌なの」
「・・・・・・・嫌?」
意外な反応に、思わずオウム返しをしてしまう。
人間にとって、俺と共にいる状況より嫌な事があるのか。
「・・・・・・・一人ぼっちは、嫌なの」
「一人じゃない。他にも子供や大人が沢山いる」
「で、でも・・・・・・・」
俺の認識は間違っていないはずだ。俺への恐怖が健在で、だから街の兵士には緊張が走っている。だと言うのに、何故メグは食い下がる。
「お前ら人間にとって、俺は敵じゃないのか」
「・・・・・・・レイカにとって私は敵なの?」
「俺にとって・・・・・・・俺にとって、人間は敵じゃない」
これは実力差からの慢心でもなんでもない。人間は、魔族にとっては敵でも、王である俺にとっては敵だったとしても、何でもないただの俺からしたら敵なんかじゃない。
俺の敵と呼べる存在は、たったひとつの存在のみだ。
―――――『人間は、滅ぼすべき敵だ』
俺の頭で、かつて聞いた音が蘇る。何度も聞かされた憎悪の声。・・・・・・・黙れ。
「私だって・・・・・・・レイカはいい人」
人じゃないと言ったのに。
「お前は、怖くないのか。あの兵士達でさえ、震え上がる存在だ」
―――――『人間は我々を理解しない。圧倒的な驚異だからだ。分かり合うことが不可能ならば、殺すしかない。滅ぼす他ないのだ』
・・・・・・・うるさい。黙れ。
過去の記憶が妙に近いところにあって、困惑する。なんなんだ、これは。
「怖くない。だって・・・・・・・優しい顔だったから」
「・・・・・・・なんのことだ」
―――――『慈悲などいらない。優しさなんて無駄だ。奴らはそれを利用する。それで捕虜になった魔族民もいた』
「最初の、ときだよ。優しい、笑顔だったの。お母さんみたいな」
「・・・・・・・・・」
―――――『人間を信じるな。どうせ裏切る』
「だから、私は・・・・・・・」
―――――『希望を持つな。ただ、殺せばいい。単純で、簡単な事だ。考える意味も、理由も、何もない。ただ殺すだけでいい』
「レイカを信じる」
「・・・・・・・」
―――――『滅ぼせ。人間界の全てをほ、』
パチンッ!
乾いた音が、室内を満たす。ゆっくり浸透して、そして消えた。
残ったのは、頬に残った僅かな痛みだけ。
「・・・・・・・・・レイカ?」
驚いて、恐る恐る聞いてくるメグの頭に手を乗せた。
何をしているんだ。子供の前で。
「・・・・・・・わかった。そうしたいなら、そうすればいい」
短くそう言って、手を引っ込めた。
今となって、心に響く声じゃないだろ、これは。
この記憶は俺のお父様のものだ。幼い俺に律儀に洗脳をかけていた無様な父親のものだ。幼くなかった俺が、右耳から入れ、両耳で排出していたありがたい言葉だ。
俺はそれを聞かなかった。聞いていた振りをして、同調しているように演技して、父親を欺き、喜ばしていただけだ。
そして俺は、俺の国を手に入れた。王権を手に入れた。
恐らく、戦争に負けてしまったから、俺のせいで魔族が敗北したから、俺が最初に負けを認めたから、責任感が、この声を、この呪いを復元した。
俺には魔族に対して責任を取る必要がある。多くの魔族を不幸にしたことだろうから。だが、俺は父を信じなかったことを後悔しない。後悔するはずがない。勝利した後の残った、血で汚れた大地を見れればよかったなんて、俺は絶対に思わない。
「・・・・・・・ほんとに、一緒にいていいの?」
さっきまでうるさかった部屋が静寂に包まれ、メグの声がか細く響く。俺は少し、冷静じゃなかった。
やはり、部下達の言う完璧な王とは程遠かったと、自分を密かに嘲る。俺が混ざりものでなければ、何か変わったのだろうか。
「お前の父親を見つけるまで。そのときは、駄々こねるなよ」
「・・・・・・・うんっ」
嬉しそうな似合わない笑顔を俺に向けた。それは、その裏の寂しそうな感情すら押しのけていて、だから俺は気づかないふりをした。
気づいていたことにしても、渡せる言葉はない。
メグの反応で、ある程度メグの父親のことは予想出来る。その予想から考えると、彼はメグを引き取るだろう。
正当な親権を持っている彼に、俺が争うなんて構図はごめんだ。恐らく彼に非はないだろうから。
その後すぐに、メグは眠りについてしまった。歯はちゃんと磨かせて、それと一つ、身体を洗わせるのを忘れていた。明日朝イチにしてもらうとしよう。
その日は俺も、夜遅くに穏やかな眠りについた。