23話 師匠、部下、そして友達
馬車でおよそ丸一日と四時間。ノンストップで何事もなく、一晩キャンプして翌日の昼過ぎには、目的地に到着した。
海の見える街、ロートレル。潮の匂いが風に運ばれ、港町独特の空気が気持ちよい。今回はメグも少しその変化に驚いていて、人通りはあるものの、ローブから体を出している。
「さて、まずどうするか。昼にするか、メグ」
「うん。・・・・・・・レイカ、なに?あの青いの」
「海だな」
メグの目線の奥には、広大な海が平がっている。水平線が太陽に当てられて、輝いていて。なんとも綺麗だ。
「あの、お母さんが言ってた」
「後で行ってみるか」
「・・・・・・・うん!」
時間に余裕があるわけではないが、せっかくなら一度くらいは砂浜に寄ってもいいだろう。
海は好きだ。潮の風が心地よくて、波の音で落ち着ける。それも以前の俺の話だけど。
こっちの世界の元の世界の海は、少し違うように思う。海の中の生態系にも違いがあるから、成分的に違うのかもしれない。
魔王時代、海を眺めたことはあるが、穏やかな気持ちになったことはない。
だが、今は違う。やはり気分の問題、ということだろうか。張り詰めた王時代と張り詰めていても旅人気分の今の差ということなら、多少は納得できる。
「まあ、まずはご飯だな」
情報収集は明日でいい。急ぐべきかもしれないが、まだ魔力が心もとない。いつもならそれでもいいが、危険があるかもしれない以上は慎重に。
というわけで、一つの店に入る。普通の店だ。ギルドなどと、物騒なところはやめておく。
そこで選んだメニューは。
「まじか。あるのか」
「どうしたの?レイカ」
「いや、俺はこれで。メグは?」
「同じので、いいよ」
「そう、じゃあこれ二つで」
「へぇ、珍し。まいど」
まあ確かに、旅人がここまで来てこれを選ぶのは珍しいかもしれない。だが、こんな懐かしいメニューがあるなら、選ぶしかない。俺がこっちに来てから、食べていないものだから。
まさかこれが普及されているとは。俺も作ろうとすれば作れたかもしれないが、どう考えても異世界人の仕業だろう。
魚は今夜か明日食べればいい。今は、
「はい、お待ち!」
「どうも」
これだ。
「茶色?・・・・・・・いい匂い」
「カレーっていうんだ。俺の故郷の味だな」
故郷の味ってのは少し違うが、庶民の味だ。誰でも作れるうえ、コスト、味、保存期間ともに申し分ない優秀食だ。
「色はともかく、食べてみ」
「いただきます」
いつも通り控えめにすくって一口。でもそれは、一言で大口に変わる。
「美味しい!美味しいよ、レイカ!」
「ん。じゃあ俺も、いただきます」
いつもよりハイペースで食べ進めるメグを横目に、俺も一口。
美味しい。味も変わらず、懐かしの感じだ。それよりも少し香ばしく、辛いか。
具材もちゃんとしてて。野菜にじゃがいも、お肉、そしてお米。どれも美味しい。なんというか、しっかりお店の味って感じだ。
ゆっくりと味わいながら、久しぶりの、この身体では初めてのカレーを堪能した。
会計を済ませて店を出る。
港町でカレーを食べて満足した俺らは海の方に向かう。今日はともかく、街の観察って感じだ。それで見えてくる情報もあるかもしれない。
「レイカ、カレー、美味しかったね」
「そーだな」
「・・・・・・・また、食べたい、ね」
「うーん、材料手に入りそうだったら作ってみるか」
「作れるの?」
「まあな、割と簡単にな」
ただ、カレーで一番大事な香辛料をどうやって手に入れるか、だ。あまり心当たりはない。聞けば答えてくれるのか、そもそも一般人に手に入る代物なのか、よく分からない。
でも、機会があれば作りたいな。
「レイカの、楽しみ」
「そうか?期待せずに、なっと」
「きゃっ!!」
「え、」
咄嗟にメグの手を引いて、左側に一歩移動する。そのすぐ横を誰かが凄い勢いで走り去っていく。黄色い声は通行人、疑問の声はメグのものだ。
「・・・・・・・大丈夫で、」
「に、荷物が。だ、誰か、その人捕まえてぇ!!」
走り去ってく人影を確認した後、倒された女性に手を差し出そうとする。が、たじろぐ様子で、通行人に叫ぶ始めた。
ひったくりか。それにあいつ、ダガーを持ってた。奴を捕まえに、手を出せる奴はいないだろう。
「あの中には・・・・・・・大事な、大事なぁ」
倒れたまま、女性はヘタってしまった。よほどなものが入っていたらしい。
ったく、なんで俺の傍でひったくるんだよ、全く。
「メグ抱えるぞ」
「え?うん」
差し出そうとした手を引っ込めて、前方を確認する。ひったくりの人影を見て、そいつが左の路地に曲がるだろうことを確認して、左の路地に入る。
俺らの元居た場所に何者かが通ったことを、俺は知らない。
追っかけるのは苦労するが、先回りすれば問題ない。ローブを頭にかぶって、家の屋上まで飛び上がる。路地の道を確認して、ひったくり犯が通るであろう道を推測する。
そしてそこまでショートカット。
屋上から路地まで、ひったくり犯の前で降りて、そいつを襲撃する。
「な!?」
びっくりして急ブレーキを踏んで後ずさる。当然の反応だな。
「な、なんだお前!?」
返す言葉なんてない。そのまま距離を詰めて攻撃を仕掛ける。
その行動にびっくりしたひったくりは、右手のダガーを慌てて前に突き出す。これまた当然の反応。どうやらこいつはただのモブらしい。
その出される右手の手首を左手で捕まえて、片足軸回転で背中を向ける。ダガーは指で弾いて遠くへ。そのまま流れるように足を引っかけ転ばし、倒れたひったくりを踏みつけて終了。他愛もない。
「ぐへっ!」
放つ声もモブらしい。首あたりに足できついのを入れて落とす。
メグを下ろして、奴の手にあったものに手を伸ばす。
「これが取ったバッグか。兵舎に連れてくわけにもいかないし、これだけ回収すればいいよな」
とりあえず、突発ミッションクリアだ。これで今日は気持ちよく過ごせそう。
が、これだけで終わらなかった。
(なっ!?)
悪寒。咄嗟にアルスを取り出し、振り返る余裕もなく後ろに剣を回す。
どうにか抑えるも、いともたやすく弾かれる。その次、間髪入れずに二撃目が来る。
(この剣筋!)
バッグを手放し、左手にフリーロッドを取り出し、今度は振り返って剣を競った。俺が押されていたが、その襲撃者は自分から大きく後ろに下がった。
「まさか私の剣が防がれるとは。しかし観念しなさいひったくり!」
「待て!」
またも向かってくる女性に一声かける。それと同時に、剣が飛んできた。
「っぶね!」
俺の頭の横を通過した剣を一瞥した後、それを投げた女性に目を向ける。投げた、というよりは放してしまったって感じだ。攻撃に入る姿勢で硬直している。
それを確認して、ゆっくりローブで隠れた顔を見せる。
俺はその女性を知っている。そして、彼女も。
「この声・・・・・・・レイ?本当に?」
「久しぶりだな、エル」
「本当に・・・・・・・」
「ちょ、」
ギリギリ反応できる速度で、いきなり距離を詰められて抱きつかれた。
「レイ!レイ!!なんで・・・・・・・こんなところで、会えるなんてっ!不意打ち、ずるいですよ」
「泣かなくても」
「泣きますよ!!」
耳元で怒られる。顔は見えないが、深い青色の髪が上下に揺れ動くのを見て、本当に泣いているのだと分かる。
「だって・・・・・・・百年ぶりですよ、百年!もう、生きて会えないかと、思って・・・・・・・」
そうか。俺はもちろんまた生きて会えるころに解放されると思っていたし、俺からすれば寝ていた年月の自覚がない。俺の認識では数年ぶりくらいの再会だが、エルはもっと長い年月だ。そりゃ泣いても仕方ないか。
「・・・・・・・そうだな。ま、生きててよかった」
「・・・・・・・」
無言で俺の肩で泣いている。そっと頭に手を乗せる。色々と迷惑をかけてるだろうから。
しかし、数秒後。ばっと俺から離れて後ろを向いた。
「すみません忘れてください・・・・・・・」
いや、流石に無理だと思う。忘れることのない俺にとって、それは無理なお願いだな。
背中を向けて涙を拭いて鼻水をかんだ後、少し赤くなった目を向けて無理やり仕切り直した。
「お見苦しいところを、すみません!レイ、魔王幹部第一席エルノア=マーク、ただいま合流果たせましたこと、そして無事にまた再開できたこと、嬉しく思います!」
形式的に言葉を選んで、鋭い灰の瞳を俺に向ける。
「ああ。色々苦労かけてすまなかった」
「いえ、慣れてますから」
そう言って笑ってみせた。
エルノアとは学生のときからの長い付き合いなうえ、俺の剣の師匠でもある。立場上は魔王と部下だが、本来の関係は友達に近い。実際、正式な場以外では学生のときからの呼び名、レイ、エルで呼び合っているわけだし。
ここでエルと出会えたのはかなりラッキーだ。俺が一番に会いたかった友達だから。
エルだけは確信できた。俺に敵対していないことを。そしてなにより、強い。ものすごく。魔王幹部の中では一番強い。剣の腕は俺以上だし。
この状況で、これほど心強い仲間はいない。
「とりあえず積もる話は、この方をどうにかしてからにしましょうか」
投げた剣を鞘に戻しながら、そう言って目線を向けたのは、俺の後ろに倒れてるひったくりの男。
「そーだな」
「では男は私が兵舎に連行します。レイはバッグを返しに。あの、この子は?」
「メグだ。わけあって同行者だ」
「え!?同行者!?」
まあ、驚くの無理はないか。俺の元の性格を知っていても、子供を受け入れられるほど柔らかいところを見せたことはなかったからな。
男を抱えるようとした手を引っ込め、メグの前に膝をついた。
「エルノアです。えっと、この人とはお友達です。あの、さっきの、聞いてました?」
そういえばそうだ。子供がいるのに堂々と魔王幹部って言ってたな。少し抜けてるところがあるんだよな。男の意識落としておいてよかった。
「・・・・・・・?メグ、です」
よく分かっていない様子で、とりあえず名乗っている。話してる内容までは汲み取っておらず、俺の知り合いであることは分かっているってところだろう。
「エル、大丈夫だそいつは」
「そうですか、良かった。口滑らしちゃいました」
状況によっては笑えないミスだが、今回は大目に見よう。
とりあえず落ち着いて話すため、今目の前にある問題を片付けるために、二手に分かれることになった。
「ありがとうございます!本当に、ありがとうございます!」
「いえ、では」
バッグを届けてさっさと行く。あまり拘束されたくない。
「あの!お礼を!」
「困ったときはお互い様ですから。後で兵舎に報告だけお願いします」
それだけ言って、受けのいい笑顔を浮かべてその場を去る。ああ言えば大抵の人は納得する。
エルとの約束はしていない。待ち合わせしなくとも、見つけてくれるだろうから。だからそのまま海へ向かう。予定通りに。
その途中で、屋根から人が落ちてくる。
「レイ、おまたせしました」
「早かったな」
「渡して逃げてきました」
そんなんでいいのか。まあ、恐らくエルは兵舎に顔が知れている。冒険者として。
「ま、とりあえず海に向かってるが、話はそこでいいか?」
「はい。これまでのレイの足跡を聞かせてください」
「ああ」
思い出したくもない足跡ではあるが、こうなった状況ではもはやただの昔話だ。
問題だった戦力は補充でき、エルがいればもう敵はいない。魔王幹部が束になってかかってこない限りは、エル一人で問題なく対処してくれる。もう危険もタスクもなくなったわけだ。
一時的な身の安全は確保できた。後はゆっくり、俺の状況のわけやら、相手の動きやらを調べればいい。
俺の危険な冒険は終わりだ。ここからは、ただの旅に変わる。
少しして、海にたどり着く。港を少し歩いた先に砂浜があった。
メグは靴下を脱いで海の方へ走っていった。子供さながらにはしゃいでいるのを眺めながら、封印から解かれたあとの経緯をかいつまんでエルに話した。
「過酷な旅を。すぐに合流出来ずにごめんなさい」
「お前の落ち度じゃない。ところで、お前はなんでこっちにいるんだ?まあいるかもとは思ってたが」
人間界にいる理由もあまりないのではと思う。人間からは狙われるだろうし、そうなればエルの性格上相手にするのは面倒くさそうだ。
「実は、レイが封印されて少し経ったあと・・・・・・・レグルストーに婚姻を迫られてしまって」
レグルストー、俺の弟だ。あいつ・・・・・・・。
「それにロール家にも後押しされてしまって、どうにか反抗したんですけど」
「王権も実力もないが、一応王族だからな。それで逃げてきたってことか」
魔王幹部への命令も出来るだろうし、ロール家まで出てきてはエルとしてはそうするしかない。
ロール家は、エルノアの元の家名だ。ロール家に産まれた彼女は、わけあって、落ちこぼれとして、使えない使用人と共に捨てられた過去がある。
ロール家は王族との親密な関係を築くためにレグルストーを利用し、レグルストーもその目的を利用したわけだ。
だが、エルノアは認めて欲しいから努力を重ねたわけではない。見返したくて、強くなった。マークは、育て親である使用人の家名だ。彼女はそれを手放さなかった。
エルノアにとってロール家は、刃は向けぬまでも、刃を手放せはしない相手ってことだ。絶対に言いなりにはなれないし、ならない。
「調査の必要もありましたし、グランさんが協力してくれました。偽装の呪いをかけてくれたんですよ」
「なるほど、だから偽装出来たのか」
呪いは自動的に魔力を吸って能力を発揮する。これなら、魔術の使えないエルでも偽装出来るわけか。考えたな。
「というか、もう百年以上こっちで暮らしてるのな」
「冒険者として、ですけどね」
「無剣って、自分で名乗ったのか?」
「え?無剣?なんですか、それ」
「知らないのか?」
無剣の噂、こいつの事じゃないのか、噂がひとり歩きしたってことならあり得るが、本人が全く知らないのは少しおかしな気がする。
「私そんなふうに呼ばれちゃってるんですか!?確かに人助けはしてきましたけど、恥ずかしい」
「ま、そうだな。てっきり自分で名乗ってたのかと思ったけどな」
「そ、そんあわけなんじゃないですか!もうちょっとマシな名前つけますよ!まあエルノアで名乗ってますけど」
無剣というネーミングには納得だがな。エルは速すぎる。剣筋の見える実力者はそうはいないだろう。
「そういや、調査ってのは?」
剣聖の動きを確認する役はエルには合わない。魔術の使えないエルは魔道具を起動出来ない。連絡手段のないエルに任せることでないと思うが。
「え?・・・・・・・・・そっか。レイは・・・・・・・知りません、でしたね」
「ん?どうした?」
ただならぬ空気が、エルから感じる。なにか、俺にとってマイナスな事実を、言おうとしていることが分かる。
それでも、俺は想像していなかった。俺が考え得る、最悪な事実を、つきつけられることを。
「・・・・・・・終末機は、生きています」
「・・・・・・・は」
それしか口からこぼれなかった。
俺はこのあと、最悪な現状を理解することになる。