15話 馬旅の道中
遅い昼食を食べ終わって。馬車はゆっくりながらも確実に目的地へと向かっている。
そして、平地を抜けて森に入る。当然、道の出来も変わってくるわけで、先ほどよりも揺れがきつくなった。それと同時に当然痛みもきつくなる。
ただ、悪い事ばかりでもなく、時間が経てば回復も進む。そちらも着々と進んでいるのが自覚出来た。
痛みが引いていっているわけではないが。
馬車の中は静かな時間が続いている。木々が揺らめく音を聞きながら、読書の時間だ。メグもまだ頑張って読んでいる。
木々の隙間から、そろそろ日が沈むのが分かり始めてきた頃。数分かけてようやく読み終えたページをめくろうとしたとき、無意識に手が止まる。
(・・・・・・・なんか来るな)
そう思った矢先、エレシアが本を置いた。
「御者さん、馬車を止めて。何か来ます」
「え?でも特に何も変わりませんが?」
「いいから」
「あ、はいもちろん」
ゆっくりと馬車が停止する。俺らの馬車は先頭なので、後ろを続く馬車も当然止まっていく。
何が起こってるのか分からないようで、混乱気味に騒がしくなっている。当然だ、何も起こっていないのだから。
起こるのは、これからだ。
「何かが近づいて来てます。私は対処してくるので、お二人は座って待っててください」
「ああ。・・・・・・・武器は持たないのか?」
鞘に入った宝剣ごと、外に出す気はないらしい。
「どうやら相手は獣です。流石にこれは抜けませんね」
「・・・・・・・じゃあ」
少し悩んだが、まあ仕方ない。アイテムボックスから、一本の片手剣を取り出し、エレシアに投げ渡す。
「いいんですか?ありがとうございます!」
「安物だが、お前なら上手く使えんだろ」
「にしても、不思議な術式使いますね」
アイテムボックスのことか。まあ特殊で繊細な術式だし、使える人間はいないだろうが、俺専用の術式というわけではない。
「通さないでくださいね」
「分かってますよ、じゃあ行って来ます」
そう言って姿を消した。護衛用の冒険者もいるだろうに、働き者だな。
でも、確かにエレシアがいないと少し厳しいかもだ。ここは森の中、あまり開けてもいないし、魔獣の数も多い。囲まれれば対応するのはちょっと手間だ。
「ねね、何かいるの?」
「お兄さん、何が来てんですか?」
メグと御者が立て続けに聞いてくる。なぜ俺に聞くのか。
「・・・・・・・周囲から獣の気配多数、恐らくオオカミ型の魔獣、レブウルフです」
「まじですか、珍しい事もあるもんですね」
「その珍しい事態のために、護衛つけてんでしょ」
レブウルフ。赤い爪を持つ黒い狼。電気を纏う魔獣で、口から放出される青いプラズマ弾はそこそこの威力を持つ危険な魔獣だ。
魔獣というのは何とも質の悪いもので、一定数の魔力を持った人間や魔族しか標的にせず、また生命活動に明確な食事を必要としない。ゆえに、生態系が荒らされない代わりに、個体数が減らせない。
それに、そこらの獣よりも断然強い。危険を拭えないので、その場その場で対処するほかなく、何とも厄介な存在だ。
「エレシア様がいて良かったですね!」
「・・・・・・・そうですね」
レブウルフの群れ事態は珍しくもないが、この規模は確かに珍しい。群れで行動するといっても、魔獣は魔力を必要とする。空気中の魔力の取り合いにならないために、あまり大規模な群れでは行動しない。
「・・・・・・・オオカミさん?」
「知ってるのか?」
こくりと頷く。オオカミなんて見る機会ないだろうに、母親にでも聞かされたのか。さん付けできるほど温厚な生き物でもないが。
「気になるなら少し覗いてみたら・・・・・・・」
戦闘中の魔獣は流石にグロテスク過ぎるな。
「やっぱ大人しくしとけ、危ないから」
「・・・・・・・うん」
エレシアの腕なら心配はないだろう。魔獣の肉は食用には向かないのが、残念なところだ。
なんにせよ、馬車が止まってくれるのはありがたい。ようやく一息付けそうだ。
十数分後、また馬車は動き出した。
魔獣の掃討は十分も経たずに終わり、ほとんど汚れのない状態のエレシアが馬車に戻ってきた。剣も刃こぼれなく返された。
「いい運動になりました」
と、良い笑顔で言ってきた。苦戦なんて微塵もなかったらしい。
あとは魔獣の後処理に少し時間を使って、また出発。そしてすぐに、今夜の野営場所に到着した。
「今回は本当にありがとうございました!護衛でもないのに」
「いえ、騎士として当然のことをしたまでですよ。あ、どうも」
飲み物を注がれて軽く会釈をしている。近づくのも面倒なので、少し離れて様子を見る。
ここは森の中の開けたところで、周囲に危険はない。キャンプも割と大きくて寝やすそうだ。
「ん、メグ寒いか?」
「・・・・・・・ううん、大丈夫」
焚火から離れてるから少し肌寒い。でも、焚火に近づくと乾燥するから正直近づきたくない。今は魔力を無駄にできないから、不便で仕方ないな。
「ご飯貰ってくるか」
「いえ、お客さん、持ってきましたよ」
「ああどうも」
俺らの御者のおじさんが持ってきてくれた。いい人だな。
「お嬢ちゃんもどうぞ。いえね、怪我してるようだったので、困ったときはお互い様ですよ」
「助かります」
「・・・・・・・ありがと」
温かいスープのほかに、お米に肉と野菜の炒め物を持ってきた。布を敷いて地面に置いてくれる。それとランプも。
「寒いのなら焚火には寄らないんですか?」
「あまり動きたくないので。気にしないでください」
「そうですか。でもあまり身体冷やさないようにね。それじゃあごゆっくり〜」
そう言って、焚火の方に戻っていった。お節介な人だ。
なんというか、ああいう人を見ると、俺は少し報われた気分になる。俺の知ってる世界は、みんながみんな自分のことで精いっぱいで、他人になんて気を向けられなかったから。
いや、それが人間の性質なんだろう。困ってる人がいたら手を差し伸べる。溺れてる子がいたら助ける。それを無意識に成しうるのが人間、いや、理性ある生物なのだろう。
俺に平和は他人に無関心の平和だった。だからこういうのは、なんかいい世界なんだと思う。
「レイカ、食べられる?」
「ん?ああ」
確かに片手では食べずらいな。でも出来な程じゃない。
「・・・・・・・はい」
なぜかスプーンでご飯を出してくる。
「え?いや、別に食べさせてもらわんで、んぐ」
止まる気配のないスプーンに気圧されて口が開いた。わざわざ立たなくても。
「・・・・・・・おいしい?」
「・・・・・・・美味しい、けど自分で食えるから、自分の食べてくれ。ありがとな」
飲み込んでから、メグの頭をなでた。善意でしてくれたことだし、片手じゃ机なしでは食べずらいし、それに気づいて動いてくれたこと自体は嬉しいけど、それは余計なお世話というものだ。
「うん、分かった」
今度こそ分かってくれたようで、自分で食べ始めた。
それはそれでいいのだが、思ったより食べずらいなこれ。
足の間で固定して食べるか、でも、そこまでするくらいなら食べないほうがいいんだが。
「美味しいか、メグ」
「うん、おいし」
笑顔を向けてそう言った。体が冷えてる分、温かいご飯は美味しいか。外で食べるご飯の醍醐味だな。
「・・・・・・・やっぱ、食べれない?」
「いや、お腹が空いてないだけだ」
「・・・・・・・本当に?」
「まあでも、食べるよ」
残すのはよくないし、たとえ残しても、多分あの人が許してくれない。
「レイカさん!」
ほら来た。
「片手じゃ食べられませんよね。お手伝いしますよ!」
「いやいい自分で出来る」
「遠慮しなくていいんですよ?」
「してないしてない」
「いやでも・・・・・・・食べてくださいね?」
「分かってる」
エレシアに手伝ってもらうくらいならメグに、メグに手伝ってもらうくらいなら魔力を使う。そんなことしなくても、普通に食べれるけど。俺は不器用じゃない。
残念ながら時間はかかってしまうが、どうにかスローペースで食事を終えた。メグに少し分けたことは、エレシアには内密で。
そして翌日。また昨日と同じく前へ進む。
そしてまた馬車に揺られるだけの時間が流れる訳だが、流石に二日目は耐えきれないようで、メグが動いた。
「・・・・・・・・・ね」
「ん?」
「・・・・・・・」
「メグ?どうした?」
「・・・・・・・飽きちゃった」
「あー・・・・・・・」
まず子供に静かに本を読み続けさせることが無理な話だ。むしろ頑張ったほうだと思う。
だが、まだまだ馬車での移動は続く。実際その間にすることはないし、考えてこなかった。それがそもそものミスか。子供にじっとしてろっていうのは厳しい。
「と、言われても、特に何も持ってないんだが・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
何か望む目で見られても。というか、そうされる意味も分からない。メグと一緒に何かやっていたことなんて・・・・・・・。
「・・・・・・・あ」
「・・・・・・・?」
一つ思い出した。アイテムボックスを起動して、チェスを取り出す。
「ほい、これでいいか?」
「・・・・・・・うん、ありがと」
「すまないが俺はまだ本読むから、エレシアに相手してもらえ」
「え、」
「あ、はい?何か言いました?」
本に集中していたエレシアが顔を上げる。声すら届いていないほど集中して読んでいるのか。
正直今の状態でチェスの相手をしたら負ける可能性がある。まともに思考できる状態じゃない。
たとえ万全じゃないとはいえ、メグに負けるのはなんか嫌だ。出来れば今やりたくはない。
「チェスですか、いいですね、お相手しますよ」
本に夢中で会話を聞いてなかったエレシアもやる気になってくれた。俺らに物語小説渡しておいて自分だけ勉強していたのに、申し訳ない。
「・・・・・・・うん」
「メグさんがやるんですか、意外ですね。でも、手加減はしませんよ」
そして始まったチェスは、移動時間を上手く埋め始めた。
「チェックメイト、ですね」
「・・・・・・・うう」
「ふう、メグさん強いですねー、結構危なかった」
流石にエレシアが勝ったようだが、接戦だったようだ。対局時間もそこそこ長かった。メグは歳の割に全然強いから、多少油断してたんだろうな。
「レイカさんが教えてるんですか?」
「そんな長い関係じゃないの、知ってるだろ」
「確かにそうですね。これじゃあもう少し上達したら負けそうですね。ま、負ける気はないですけど」
子供相手に負けず嫌いな性格出さなくても。・・・・・・・人のこと言えないか。
「では、もういっせ、ん・・・・・・・」
「・・・・・・・」
メグもエレシアと対局するのに抵抗ないみたいだし、少し悔しそうだし、今日はこのまま時間を潰してくれそうだな。
「レイカさん」
「ん?」
「腕の具合、いかがですか?」
なんだいきなり。
「・・・・・・・少しはよくなった、かな」
実際、腕の方は進歩なしだ。治癒魔術でどうにかなる状態じゃない。再生の術式を組まなければしょうがないし、それには相当量の魔力がいる。回復はまだまだ先だ。
良くなったのは胸の方。回復が進み、少し余裕が出てきた頃だ。
「そうですか!じゃあ」
「ん?」
何する気か全くわからん。
「あの、御者さん。少し早いですが、そろそろ休憩にしませんか?」
「はい?休憩、ですか?」
「・・・・・・・?」
今の時刻は十一時前後くらい。お昼には少し早いし、止まらなければならないような事態も感知できない。本当に何を考えているんだか。
「今日は暑いですし・・・・・・・ほら、馬さんの疲れも溜まってるように見えますし!」
馬にそのような気配はない。確かに暑いが、あと一時間くらい問題なく歩けるはず。
「・・・・・・・確かに、そんな気がしますね!少し早いですが、昼休憩にしますか」
まあ、騎士様のエレシアに言われれば、嫌でもそんな気がしてくるだろうけど。馬は至って平然だが。
「はい!ありがとうございます!それで、あの、」
「はい?」
「少し余裕ありませんか?ちょっと私も疲れてしまって、リフレッシュに身体を動かしたいんです」
どんな心境の変化でそう思ったのか。俺は早く先に進みたいんだが。
といっても、野営ポイントは決まってるから早く着くってことはないだろうけど。
「まあ大丈夫ですよ!一時間くらいなら」
「そうですか!ありがとうございます!」
「騎士様の習慣とかですかね!流石ですね!」
「いえ、そういうのではないですけどね。まあ大したことじゃないですよ!」
大したことじゃないなら止めないで欲しい。メグももう一戦したがってるし。
「では、お二人とも、行きましょう!」
「俺らもか?」
「もちろん!」
「少ししたら戻ってきてくださいね!」
「はい、行って来ます!」
というわけで、不本意ながらメグを連れて、エレシアについて行くことになった。
三人で、森の中を進んでいく。
はぐれることはないが、少し不安なのが、メグは俺のローブを掴んでいる。不穏な気配もないし、危険はない。それどころか、木漏れ日が神秘的に感じて、景色としては美しい。
だが、エレシアも別にそれが見たくて馬車を降りたわけじゃないだろう。景色に気を止めることなくすいすい進む。なんとなく楽しそうに見えるな。
「どこ行くんだよ」
「もう少しです!」
「・・・・・・・まったく、どこ向かってるのか」
「レイカ、大丈夫?」
「ああ」
痛みはいつものことだからいいが、少し身体がだるい。まともに身体を動かしてなかったことの弊害か。
少し歩いて、エレシアが草むらの先で立ち止まる。
「着きましたよ!ここです!」
草むらを抜けた先にあったのは。
「川です!」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
川だった・・・・・・・。
「馬車から水の音が聞こえて、もしかしてって思ったんですけど、やっぱありましたね!涼しー」
「・・・・・・・エレシアは、ここに来たかったのか?」
「?はい、そうですけど?」
そう言いませんでしたか?みたいなニュアンスで言われてしまった。なぜ、わざわざ馬車を止めて川に?と、聞きたかったんだが。
「・・・・・・・冷たっ」
いつの間にか、メグが川の方へ。水に指を付けては、びっくりして引っ込めている。
確かにここらは涼しいし、水温は低そうだ。川は日光を反射して輝いて綺麗だし、透明度も高く見える。
「あ、メグさん。私も!」
エレシアも川によっては手を入れて、「冷たーい」とはしゃいでいる。もしかして、ただ涼みたかっただけ?
確かに今日は暑いけど、そんな涼みに来るほどなのか。
「あ、メグさん、そこ、お魚いますよ!」
「・・・・・・・泳いでるのはじめて見た」
魚、捕まえれば食べられるんじゃないだろうか。
暇ができたら、釣りとか、してみてもいいかもな。ゲーム以外でやったことないけど。
「つっ」
「ほらレイカさん、気持ちいいでしょ?」
エレシアが水をすくってかけてきた。久しぶりの水に濡れる感触。何というか、悪くない。
「・・・・・・・で、遊びに来たのか?」
「はい!少し遊んで行きましょう!レイカさんもどうです?ほら!」
こういうところで遊ぶ機会がなくて、お嬢様は憧れてたのかもしれない。いつもより明るい声で、見てきた中で一番はしゃいでいる。
メグも楽しそうだし、ここは涼しいし、これはこれでいい息抜きか。
「レイカさん?」
「俺はここでくつろいでるから、適当にやっててくれ」
ちょうどいい具合の木を背もたれにして、木陰になっている所の地面に座る。
鳥の鳴き声、木々のせせらぎ、水の音、そして、メグとエレシアの笑い声。いや、ほぼほぼエレシアのだな。心が安らぐし、痛みの中に癒しを感じる。
眩しい空を見上げる。青い空。元の世界と何も変わらない、不気味な星なんて見えやしない、どこまでも続く澄んだ空を見てると、落ち着く。
こと現状に、落ち着ける隙間なんてあるのだろうか。満身創痍、危険満載、身の安全なんて全くなく、いつになく弱々しい残存魔力量。
なのに、落ち着くだなんて、変だ。今の俺には危険を全て察知できるほどの術式を起動できず、ほぼ魔術なしの五感、それと第六感でしか判断できていないのに、安心出来る要素なんてないのに、何を思っているのか。どこからくる感情で、どうして出る感情なのか。
・・・・・・・なんだか最近、自分の不思議な一面を見てばっかだ。
多分、俺の隠れた性質なんだと思う。魔王となる前、いやもっと前の、混ざる前、いわば以前の世界の俺の性質だ。
ゆっくり流れる時間の中、こんな景色を見るだなんて、起きてからそんな機会が来るとは思わなかった。
きっと、これは・・・・・・・。
「ん?どうした、メグ」
靴と靴下を脱いで遊んでいたメグが駆け寄ってくる。
「・・・・・・・」
無言で腕の裾を引っ張ってくる。分かりやすい子供らしい意思表示だな。
「いや、俺は」
「冷たいし、気持ちいい、よ?」
「濡れたくないし、汗かいてないし」
この歳で川ではしゃぐのは流石に嫌だな。
「・・・・・・・行こ?」
「行かない」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
裾を離す気配がない。いつもは遠慮してるメグだが、たまに頑固な意思を見せる。
「レイカさん、少しくらい涼みましょうよ!楽しいですよ!」
「・・・・・・・レイカ」
「・・・・・・・はぁ、まあいいよじゃあ」
少しくらいなら、付き合ってあげてもいいか。
「行こ!」
「足入れるだけだからな。あと水かけんなよ」
仕方なく足を入れた川の水は、氷のような冷たさを感じた。その揺らぐ水面には、崩れていく俺の顔が映っていた。