1話 数百年後の世界へ
戦争は、愚かしいと思っていた。
争いは、醜いと思っていた。
誰もがそう言う。それが世界の常識で、国が変わっても、文化が変わっても、時代が変われば分からないが、現代の人間はみな口をそろえてそう言うだろう。
だが、それは違ったと、俺は知った。いや、正確には、それだけじゃないと。
戦争は、愚かだけではなかった。争いが、醜いわけがなかった。
ただ、そこにはあるのは・・・・・・・。
「平和だ」
目の前には、見慣れない世界が広がっていた。
綺麗な自然。欠けてもいない建物。そして賑わう人間たち。
知らない世界が、そこに広がっていた。
「ん?見ない顔だねえ、お兄さん」
一人の中年男性が俺に声をかける。手には紙袋に入った食べ物を持って。
「あ、どうも、勝手に入ってしまい申し訳ない」
「そんなこと咎める者なんて要るわけないよ。いつの時代の人だいあんたは」
笑いながら俺の肩を二、三回叩く。
「旅人かい?」
「・・・・・・・そんなものです」
「そうかい、こんななんにもない村だが、ゆっくりしてってくれ。これも何かの縁だ、これを持って行きな、美味しいよ」
そう言って、俺に赤い果物を渡して去っていった。リンゴだ。
この集落はお世辞にも潤っているようには見えないが、人に果物一つ譲れるほどの余裕があるのか。
「あ。あの!ありがとうございます」
お礼を忘れていた。聞こえないかとも思ったが、その人は後ろを向いて手を振ってくれた。あの人が裕福なだけかもしれない。
だが、周りを見る限り、飢えてる人は見当たらない。病気が流行ってる気配なんて皆無だ。そこに平和は確かにある。あるように見える。
俺は一人、それに安堵し、微笑んでいた。と、思う。
・・・・・・・まだここで止まるには早い。もっと進まなくては。
足を動かそうと決心したとき、一人の女の子がこちらを見ていることに気づいた。通りすがりの、八、九歳くらいの女の子。少しぼさっとしつつも、綺麗な髪の少女。見ていると言っても、少し気になって目を向けている、くらいだと思う。
なんとなく、その女の子にもらったリンゴを投げて渡した。俺には必要ないもので、貰う資格のないものだ。
受け取ったかも、しっかり取ったのかも確認せずに、足を進めた。情報を集めたいが、集めるにはもう少し、歩かないと。
森に入って、獣を狩った。
最悪食事など不要だが、目に入った猪がいたので頂くことにした。
村に入った時点で日は傾いていたので、早い時点で暗くなってしまった。別に夜でも進めるので、少し休んだらまた出発する。
木を一本伐採し、枝を取り、魔法で火をつける。猪を切り分け薄く食べやすい大きさにし、直火で火を通し、海水で作った塩をつけて食べる。
「うん、上手い」
柔らかいお肉にはご飯が欲しくなるな。お米買いたいけど、あの村にあるようには見えなかった。以前にも口にするのは小麦ばかりだったし。
今どれほど普及してるかは分からないけど、少し大きな街に行けばあると思う。どこまで歩けばその街に着くかは分からないが。
「さて、そろそろ行くか」
喋らなければ口が訛るので、独り言を言ってその場に立つ。流石に猪一頭は食べきれない。残りは保存して、火を消し、椅子代わりにしていた木を立て直した。
炭を土に埋めて、準備完了だ。またコートを着て歩き出す。
煙たいその場から離れて、少し開けたとこに出る。
そのとき、気づいた。綺麗な三つの丸い星を見上げたそのとき。
「ん?あれは」
明るくはない。だけど確かに、空に煙が上がっていた。俺の焚火ではなく、もっと遠く、もっと多く。
俺の来た方向。俺の通ったところ。それを考えれば、火災場所一つしかない。
何故か、ただの気まぐれだが、俺は来た道を引き返した。
暗い道を光源なしにササっと進む。歩いていたらかなり時間がかかるので、走った。
そして辿り着いたのは昼間の村。ただ、それは昼の光景を見る影もない。
家が燃え、崩れ、全てが荒れ果て、人は死に絶えていた。
「悲惨だな」
顔色変えず、目の前の火の海に足を踏み入れる。襲撃されたのだろうけど、襲撃者の気配は既になかったので、気にかけることのなく進んでいく。
瓦礫に下敷きになった死体、刺された痕跡のある死体、昼間はしゃいでいた子供まで、地面に横たわっている。
・・・・・・・これだ。これが、世界だ。
久しぶりに見る光景、感覚的にはそうでもないのだが、その光景に、落胆はしなかった。これが、普通だから。
血に触れないように進んでいくと、一人の死体に目が向いた。昼間、言葉を交わした人間だ。
人はすぐ死ぬ。一瞬で死んでしまう。それを分かっているから、分かっていれば、悲しみなんて生まれない。
そこに足を止めていると、自分の背中の裏、そっちにふっと目を向けた。生きている人間がいる。
視界の中に飛び込んできたのは、瓦礫に潰された女の子だった。昼間のリンゴの女の子。
頭部から出血し、そう所の綺麗な銀髪は赤く濡れ、下半身は潰れてもう動かないだろう。昼に見せた薄桃色の瞳は閉じているが、確かに息はある。
母親は瓦礫の中で死んでいる。父親らしき反応はない。
死に絶えた、というのは間違いだった。どのくらい時間が経っているのか分からなかったから、もう全員火の煙で死んだと、思い込んでいた。
なら、と思い、周囲を探査する。生命反応が、五つほど。でももう既に、言葉通りの虫の息だ。
助けられそうにない。今は魔法が限られているし、いや、それがなくとも間に合わない。わざわざ外に出して治療する時間がないからだ。
ただ、外に出す手間がなければ、間に合う。
「全く」
果たしてこれはすべきことか。この子にとって、この行為は善行なのか。分からないが、動いていた。
・・・・・・・人間だったら、普通そうする。
女の子に近づき、周囲に丸い障壁を張る。その後、障壁内の煙を除いて、女の子の上の瓦礫を取り除く。刺さっていた岩は引き抜いた。
女の子は痛みに呻くが、気にしている場合じゃない。
出血する足に手をかざし、苦手な治癒魔術を発動させる。久しく使っていない、というか生まれてから二十三年、数えるほどしか使っていない魔術だが、それでもこの程度なら問題ない。
足の傷はみるみる治っていき、頭部からの出血も止まった。残ったのは血の跡のみで、血液も生命活動に問題ない程度には補充した。内臓の損傷も多少あったが、完治させた。
意識は戻らないが、少し経てば起きるだろう。
その後、再び探査したが、生命反応はゼロだった。
とりあえず無傷の女の子を村の外まで運ぶ。障壁を女の子のバリアに切り替えて、抱き抱える。そして自分の来た方向へ引き返す。
村から少し離れた草むらに彼女を寝かせた。
村は依然燃え盛っている。暗い闇夜を赤い光が照らして。
何のために襲撃者はあの村を襲ったのか。あの村に何かがあるようには見えなかった。食糧難で致し方なかったのなら、どうして食糧源である村を殺す。農場を、村人たちを燃やす。
盗賊はもっと賢い。盗みを働く集団であって、殺しを楽しむ集団ではない。手間をかけずに利益を貪る。殺害は厭わないが。
じゃあ殺人集団の仕業かというとそれもしっくり来ない。こんな無益な殺傷があるか。得るものが何も無い。
殺しを楽しむのも違う。そんな集団ならもっと悲惨に、じわじわ殺す。集団で建物を壊し燃やすなんて、奴らの思考じゃない。
この違和感はなんだ。まるで、殺すという行為に意味を見出すが如く有様だ。大抵殺しは手段であって目的ではないはずなのに。
「んんッ」
「・・・・・・・起きたか」
思考を巡らせているうちに、女の子が上半身を起こした。周囲を軽く確認している。元々鈍い光だったが、今は完全に目に光がない。
軽く周りを見た首はある一点で止まる。その方向にあるものは、言うまでもない。
「私の・・・・・・・」
それ以上は何も言わなかった。なので俺が口を開く。
「俺が来た時には母親は死んでいた」
「・・・・・・・・・」
何も答えない。泣きもしない。ただ、遠くを見ているだけ。
理解が追いついていないのか、それとも絶望していないのか。
いや、違う。理解もしているし、絶望もしている。恐らく、放棄しているのだ。
その仮面のような固まった表情で、俺の方を向いた。
「助けてくれて、ありがとう」
・・・・・・・驚いた。その言葉が出ると、全くもって思っていなかったので、反応が少し遅れる。
「・・・・・・・助けてない。ただ、お前一人生かしただけだ」
これが助けなわけがない。俺は、この子から運命的に死に行く機会を奪ったのだ。生の苦しみを与え、死の救済を奪った。これが助けたことになるわけがない。
余計なお世話だった。恨まれても、憎まれたって仕方の無いことだ。ただ俺のために、俺の人道のために生かされたのだから。
「・・・・・・・」
「父親は、どうした」
黙りこくってしまったので、聞きたいことを聞いた。母親との縁は感じたが、父親は村のどこにもいなかった。応戦に出たわけじゃ無さそうだ。
「・・・・・・・お父さんは、外に出てるの。すごいお父さんだから、あまり家には帰ってこないの」
出稼ぎ、か。兵士か、それとも冒険者か。ともかく、どうやら基本二人で暮らしていたようだ。
いや、何を聞いているのか俺は。そんなこと、俺には関係ないし、興味もないはずだ。ここに来たのも何かの気まぐれ。
ただ治療しただけ。こいつと俺は、知り合っていない。
「じゃあ、俺は行く。しばらくしたら兵士が来るだろうから、そいつに拾ってもらえ」
そう言い、その場に立ち上がる。
この村に兵士の姿を一度見ている。見回りの兵士がいるのだ。そういう村には、夜にも何度かは来るはずだ。
「い、行くの?」
「そいつらについてけば、運が良ければ父親に会えるかもな」
恐らくこの子はこの後、兵士に連れられ親のいない子供たちの施設に入れられるだろう。貧困な生活を強いられるだろうし、あの歳で上手く馴染めるかも分からないが、同じ境遇の子がいるだけでも報われるだろう。
どうあれ俺には関係ない。
「まっ、・・・・・・・」
振り返って女の子に背を向けた。その何を言いたいのかも分からない漏れた声を聞き逃したふりをして、足を進める。
兵士は来ない。しばらくは。だから急がなくていい。来たとしても先に感知できるし、遭遇しなければ問題ない。
彼女は不幸じゃない。生き残った彼女にはまだ家族がいる。
この村の状況を知れば、そして一人の女の子の生存者を知れば、父親が探してくれるだろう。生存者の存在を知れれば、その上でまともな父親なら、だが。
・・・・・・・どうして俺は言い訳を探しているのか。彼女の反応からして、恐らくは子供に関心のない父親だ。それを分かっているはずなのに、俺の予想に過ぎないからと、一番可能性のあることから一番自分の都合のいいことにすり替えて考えている。
「そんなこと・・・・・・・」
する理由はない。
「・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・全く。
ここに来たのが俺のミスだったと、俺のプライドはようやっと深く認めた。
構わず進めばよかった。それが一番いい選択だった。この状況が分かっていたのなら。運よく街に安全に入るタイミングが訪れるのだから。
利用すればよかった。人の不幸を。俺と関わりのない可哀そうな不幸を。
でも、来てしまった。動いてしまった。言葉を交わして、そして。
・・・・・・・見てしまった。
見て見ぬふりをした彼女の俺にすがるような顔を、薄桃色の瞳の奥の取り戻した微かな光を、その一瞬の後に見せた落胆の色を、俺の脳裏は記憶してしまった。
本当に俺のミスだ。それだけならよかったのだが、残念なことに動く理由をも、見つけてしまっている。
足がゆっくりと速度を落とす。そして女の子も知らぬ間に、足は制止し、少しだけつま先を斜めの向けた。
「・・・・・・・来るか」
「・・・・・・・・・え?」
いきなりすぎて聞き取れなかったのか、それとも意味を理解しかねているのか。予想外の台詞だったのか、望まなかった台詞なのか。
分からないが、聞き返されたのならもう一度。
「俺について来るか。父親のところまで連れて行ってあげてもいい」
女の子のほうを向き、距離を詰めながらもう一度言葉にする。子供相手に上から目線はどうかと思うが、元々上だったのだから仕方ない。
「・・・・・・・いい、の?」
血に濡れた銀髪が微かに揺れる。
「まあ首を突っ込んだのは俺だしな。多分俺についてくる方が大変だと思うが、それでも来るか?」
成り行きで世界が勝手に進む方が楽ってこともある。自由がない代わりに、平穏楽に生きていける。そういう事もある。
それは彼女が選択することだ。子供にはまだ早いかもしれないけど、彼女にはもう自分で決めるしかない。代わりに決めてくれる人を失ったのだから。
「いく。いきたい」
返事は早かった。最初からそうしたい意思は見せてたし、当然か。
俺は座る彼女の前で、片膝を地面につけて屈んだ。
「俺はレイカレント=アルテリアスだ」
「私は、メグノっていうの。えっと・・・・・・・」
「レイカでいい。よろしく、メグノ」
我ながら女っぽい名前で嫌だが、長い名前よりはマシだ。
「うん」
少し悩んだ後、また口を開く。
「メグって呼んで?」
「ん?ああ」
こうして、俺とメグの短い旅は始まりを迎えた。まさかこんな事になるとは、人生とはやはり予想出来るものじゃないな。