第八話『猫又』
半分近くの奴隷の解放にはそれなりの時間がかかった。
理由は幾つかあるが、一つ目は量だ。人格の変質の有無を考えなくても、かなりの数が囚われていた。あいつらのような高貴な身分や高い身分に位置していた人物はいなかったのは幸いだ。何せ、そう言った連中はプライドが高くて扱いが難しいからだ。
プライド何てこの状況では邪魔なだけ。ないほうが効率が良い。無論、いても基本的に助けるけど。
二つ目は質。ここは最終処分を請け負っていたようで酷い状態の連中が多かった。そのため、一人一人をなるべく正常に戻すため丁寧にやっていった結果、時間がかかった。
そのせいで生傷が多くなってしまったが……まあ、包帯や薬草を常に懐に持っていて良かった。傷ついた場所の止血は簡単だ。
「これで半分……か」
少女を背負いながら奴隷の首輪を外しながら怒りを滲ませてしまう。
既に二十人以上は鍵を外した。どれだけの人間をここに閉じ込めておいたんだ。しかも、ほぼ全員がかなり衰弱している状態で。ふざけるのも大概にしろ……!
「おじさん、奥のあの子のところに行った?」
「おじ……どの子の事だい?」
人のことをおじさん呼びする少女に怒ろうと思ったが得策ではないと考え拳を作らず、少し困ったような笑顔で話を聞く姿勢をとる。
俺は十六、断じておじさんと呼ばれる年代ではない。だが、子供から見れば俺はおじさんの年代なんだろうか。見た感じ、十歳にも満たないようだし注意しなくても自然とよくなるだろう。
「うーんと、頭の上に猫の耳を付けてて、お尻に尻尾が生えてたよ」
「……それは本当か」
上を向いて思い出しながら話す少女の話を聞いて咄嗟に反応してしまう。
少女の話では、数日前に首輪を付けられ引きずって連れてこられた少女で普通ではない見た目と見たことがないほど身体の至るところが腫れ上がり青くなっている部分も異常に多かったから覚えていたそうだ。
ちっ……まさか、あいつらもいたのか。となれば、一番深刻なのはその少女かもしれない。その少女の特性から考えて、そうなっている確率は極めて高い。
「すまないが、この子を預かっててもらっても良いかい?」
「うん!良いよ」
背負っていた少女を渡すと牢から出て静かに走り始める。
奥と行っていたし、まだ向かっていない場所となればかなり限られてくる。そこに向かえば見つけることは容易……!?
「大丈夫か!?」
牢屋を通りすぎた瞬間、異様な匂いに舌打ちしながら方向転換し勢いを利用した鞭のような蹴りで扉を破壊し中に入る。
腐乱臭ではない。これは薬物の匂いだ。だが、ここまで強烈なのは異常としか言えない。
「……うっ……あ……」
「おい、しっかり……やはりか」
天井から垂れる鎖にくくりつけられ僅かな吐息を漏らしていた少女の姿を見た瞬間予想が確信に変わる。
その少女の頭には兎の耳があり、臀部には兎の尻尾がある。先程の少女の言っていた少女とは違うが、その同類である事には間違いない。
(獣人……か)
獣人と言うのは言葉通り、体に動物の特徴を持っている人間の一種である。その種類は様々で、こいつのような草食動物から肉食動物まで完全に網羅している。また、身体能力が全体的に高い上、元となった動物によってはそこにプラスして身体能力が更に高くなる。その上、種族全体が個体差はあれど戦闘に突出した才能を持っている事も多いとされている。
基本的には特徴となっている生物の生活方法で生活しているが、最近では都市に住む者も多くなっている。
そんな種族すら奴隷として入手していたのか……。
「麻薬の類い……ではないな」
少女を床に置き、部屋の中に置かれた橙色の液体や黒ずんだ薬草の塊を手に取り匂いを嗅いだりして調べる。
奴隷貿易を行っている連中は麻薬の密売も行っている事が多く、奴隷を解放していく間に麻薬に対しての知識も多くなっていった。そのため、これらが麻薬の類いでないことは判断する事ができる。
(となれば、体の改造か……)
麻薬とは別の違法薬物の事を考えながら俺は目を細める。
この数年、麻薬とは別に肉体をプラスにもマイナスにも変化させれる人体の改造薬が出回っている。即物的だがその効果は本物で常人に打てば一騎当千の力を発揮できる。初めて殺りあったときにはそれなりに時間を食われた。
だが、それだけの効能にはそれ相応の代価を払う事になる。
一度打ったら最後。強力な依存性と強迫観念によって精神を蝕まれ、何度も手を出す事になる。そして、最終的には自らの力に喰われて死ぬ事になる。
これはその効能が薄いようだが……かなりの負荷が肉体にかかっていると見て良いだろう。
俺よりも年下であろう少女に何と無茶な。いくら獣人の耐久力が高くてもこれでは死んでしまう。とりあえず、こいつの事をどうにかしないとな。
「おや、誰かと思ったらリュークじゃないかニャ」
「……やはり、お前だったか」
少女の傷を介抱していると反対側の牢屋からケラケラと鈴のような調子で猫耳の少女が話しかけてくる。
猫の獣人は基本的に大勢の人間がいる場所に住まない。種族としての本能がそう言った場所を好まないから、と言うのが理由だ。そのため猫の獣人は森林の奥深くに小さなコミュニティを作り生活している。
森林と言う絶対のアドバンテージのある狩り場で猫の獣人が負ける事は絶対にないのに、捕まった。それはあり得ない事だ。罠と奇襲において猫の獣人に勝る種族はいない。
つまりは、わざと。自分の目的のためだけに奴隷に落ちたのだ。
そして、わざと捕まる何て普通の常識ではあり得ないことを平然と行えるのはただ一人しかいない。
ある『大戦』においてたった一人で師団相手にゲリラ戦を仕掛け、撤退まで追い込んだ獣人最高の狩人にして国一つを自身の手を下さずに滅ぼした最悪の怪物。
「久しいな、『猫又』のクトゥミナ」
「久しぶりだニャ、リューク」
ケラケラと笑いながら扉を開けると少女を背負い牢を出た俺の拳の間合いに入る。
俺の間合いに入るとは何て無用心な……何て当たり前の事を言わない。こいつにとって、間合い何て最初から無いようなものだからだ。
「拳を振るわないのかニャ?」
「生憎とお前に拳を振るっても無駄だからな。そんな暇を持て余している訳にはいかないんでね」
俺の胸に触ってくるクトゥミアの手を鬱陶しそうに払い背中を向ける。
こいつの相手をしていても無駄。いや、こっちの方が良いか。クトゥミアの心剣はこう言うことに向いているからな。
「クトゥミア、協力しろ。お前の実力からしてこの程度簡単だろ」
「ニャハハハハハ!!やっぱりその無用心に見えて警戒ビリビリのところがやっぱり良いニャ!多少丸くニャってるのに本質は何も変わってないニャ」
「そう言うお前もそうだろうが。俺も、お前も、あの戦争を忘れられてない。……で、協力してくれるか」
「ニャハハハハハ!!良いニャよ」
一通り大笑いした後、目から漏れた涙を拭いて手を前にかざす。
かざした手から黒い木の根が伸び、最終的に一つの弓の形となる。木の年輪が黒塗りの弓にうっすらと赤く光ながら写り、弦はガラスように透明。実用の弓と言うよりも芸術品のような弓だ。
……久々に見たな、クトゥミアの心剣。出してくれたと言うことは協力は事実か。今はクトゥミアを信じるしかないか。