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弥緑院に住む怪異達  作者: 黒田忍
1/1

壱:吸血鬼「横井シズヱ」

初めて小説というものを書きました。感想いただけると幸いです。


また、悪いところが目に付きましたら何が面白くないのか、どういった文章の基礎ができてないのかというのもご教示いただけましたら今後より一層精進する所存でございます。

 弥緑院みろくいんの朝は早い。毎朝5時から入居者の食事の世話が始まる。僕は主に入居者の世話全般を任された職員で、担当入居者の朝の見回りや話し相手、必要なら外出の付き添いなど、要するにまあ雑用みたいなものだ。


 その日は少し寝坊して、僕が急いで調理室に着いた時、時計は4時50分を指していた。まずいちょっと遅れそうだ。


「血沸くん、遅いじゃない。横井さんからまたお説教されるんじゃない?あの人時間に厳しいし」


 調理担当のおばさんが苦笑いしながらそういった。


 血沸というのは僕の名字だ。血沸猛チワキタケル、それが僕の本名。珍しい血沸と言う名字に加えて、猛というなんだか荒くれ者みたいな物騒な名前だが、僕は気に入っている。でもこの名字のおかげで僕は横井シズヱさんというちょっと困った入居者の担当者になってしまった。


 「はい、これ。横井さんの朝食」


 調理のおばさんが僕に渡したトレイの上には、輸血パックとストローが一本だけ置いてある。そう、これが僕の担当入居者「横井シズヱ」さんの食事で「人間の血液」だ。


 横井シズヱさんは僕がこの弥緑院みろくいんに就職して初めて担当する入居者だ。年齢は――本人もよく覚えていないらしいけど250歳ぐらいと入居者記録で見た。横井さんはこの弥緑院みろくいんでも珍しい「元人間」の入居者で、元々はルーマニアに住んでいたらしい。240年ぐらい前に日本にやってきたと記載されていた。僕にとっては扱いづらい人ではあるけれど、先輩職員に聞くところによると「元人間だったしずっと人間社会で暮らしてたから、人間の道理は理解してるし他の入居者に比べたらお世話は楽だよ」と諭されてしまった。


 ここ弥緑院みろくいんは人間でない存在、そして生物とも定義できない存在、人間からは「妖怪」だとか「精霊」だとか呼ばれていて法律上では「怪異」と定義される存在が入居している施設で、人間社会との共存を選んだ超常的存在達が生活している施設だ。彼らはここに入居していれば人間社会の制度の恩恵を受けられて、良い言い方をすれば保護、悪い言い方をすれば管理、隔離されている。そして僕の担当入居者「横井シズヱ」さんは一般的に「吸血鬼」と呼ばれる存在だ。


 就職初日の担当入居者決めの際、院長の「『血沸』ってんなら吸血鬼の方がよかろう。なんせたっぷり血吸われるしな。血が沸くならちょうどいいや」というしょうもない冗談のせいで、僕の担当は大体250歳の吸血鬼「横井シズヱ」さんに決定した。実際には食事は厚生労働省から送られる輸血パックなので血を吸われることはない。本当にくだらない冗談で決定したことだった。


 横井シズヱさんの部屋に着いたのは4時59分、何とか間に合った。部屋の扉をノックして声をかける。


「横井さん。朝食のお時間で――」


「お入りください」


 なんだか若干の怒気をはらんだ声に緊張しながらも扉を開けると、横井シズヱさんはきっちりとした和装で金色の髪を上げ、化粧を済ませた姿でベッドの上に正座していた。その姿は10代後半に見えるほど若々しく、とても齢200を超えているようには見えなかった。


「横井さん、朝食をお持ちしましたよ」


「血沸さん、今のお時間を聞いても?今何時何分ですか?」


 横井さんはその細い腕にはめた腕時計をうやうやしく確認しながら僕にそう聞いた。まずい、怒っている。僕はオドオドしながら時計を確認する。


「えっと、その……4時59分ですね……」


横井さんの目つきがキッと鋭くなった。


「朝食は5時のはずですが?あなたは1分前に急いで持ってきましたがそれはどうなんでしょう。普通朝食が5時と決まっているならその10分前には用意を済ませ、部屋の前ででも伺いを立てるものではありませんか?そうですね、例え話をしましょう。私はずっと常磐津の師匠をしておりましたから、生徒さんには必ず始業の10分前には稽古場に来させてましたよ。いいですか、始業時間とは文字通り物事を始められる時間を指します。稽古なら準備を終えて今すぐ稽古に入れる時間、食事なら今すぐ食事を開始できる時間、私の言っている意味がわかりますか―――」


 そうやってクドクドとお説教がはじまる。相手は「元」だけど伝統芸能の師匠で、キャリアも200年以上という年季の入った人なので、礼儀作法や時間にはことさら厳しい方だった。


「まぁよござんす。朝食をいただきましょう」


 説教が終わると、横井さんはちょっとだけ優しい声になるのが常だった。今日もみっちりと絞られて気落ちしている僕を見ると、さっきまでのしかめっ面をやめてニッコリと優しい瞳で笑いかけてくれる。


「あなたも日本男児ならちょっとやそっとのことで落ち込んではなりませんよ。失敗なんていくらでもしていいのです、本当に大事なのは折れない心。それにちょっと生意気なくらいが良いんですよ。血沸さんは親御さんから猛々しい名前をお貰いになったんですからもう少し反発するぐらいでないと」


 横井さんはそう言うと手を口に当てて上品そうに笑った。


 そして、輸血パックにストローを刺すとゆっくりと味わうように飲み始めた。言動や佇まいは妙齢の女性を思わせるけど、見た目は僕よりもずっと若く見える。ただ、窓から差し込む光陽に照らされた白磁の人形のように透き通った肌、黄金色の髪に、薄く開いた真紅の瞳はどこか人ならざる者を感じさせ、改めて「人間ではない」ということを感じさせた。


「何か私の顔についていますか?」


「あ、いえ。そんなことは無いですが……」


「何か聞きたいことがあるなら正直にお言いなさい」


 強い口調で叱られて、僕はおずおずと頭を掻くしかなかった。


「その、カーテンは閉めなくても良いんですか?その、横井さんは吸血鬼……とお聞きしてますので太陽は、その……」

 

 横井さんの部屋には太陽の光が差し込んで、横井さんはその光を浴びているが、吸血鬼って太陽の光を浴びたら灰になるのが通説だったような?僕は気が気でならなかった。そんな僕を尻目に横井さんはまったく気にも止めていない様子だ。


「あぁ、確かに日光は肌が焼けやすいので苦手なのですが、別に死にやしませんよ。それにこんなに気持ちのいいお天気ですから部屋に光を入れないと」


「そうそう、たしか『ゆーぶいかっと』と言われる窓だから安心らしいのです。院長殿が熱心に語っておられましたが、どうも私のような老いぼれにはよくわかりませんで。でも日焼けの心配もなく気持ちの良い陽光を浴びれまして感謝しております」


 そう言うと横井さんはそう言うと僕に向かって微笑んだ。僕を見るその笑顔はどう見ても幼く見えて、なんだか不思議な気持ちになる。横井さんを担当してまだ数日程度だが、どうしても自分よりはるか長い年月を生きているとは思えない。


「まだ何か?」


 輸血パックに刺さったストローから口を離すと横井さんはゆっくりと僕を見た。


「あの、僕は弥緑院みろくいんに就職してまだ日が浅くて……吸血鬼なんてみたことなかったので、その、何と言うか本当に横井さんは200年以上もお生きになってるんですか?」


 横井さんは少し笑うと僕を見た。


「前から言おうと思いましたがシズヱさん、で結構ですよ。なんだか他人行儀ですし。それと正確なことはわかりませんが250年程度は生きております。本当ですよ」


「元はルーマニア、当時はルーマニア公国ですかね、そこで生を受けたはずです。というのも故郷の記憶はほとんどないのですよ。7〜8歳ぐらいだったでしょうか、訳あって吸血鬼になってからすぐに吸血鬼狩り?のような者に襲われましてね。紆余曲折あって棺に閉じ込められてその棺が日本に売られたようです、舶来の美術品としてね。フフッ、ただまさか棺の中に吸血鬼が入っているとは当時の出島の役人達も知らなかったようですね。まぁ当時の出島については私は幼かったのでよく覚えてなくて、これは又聞きした内容ですが」


 そう言うとシズヱさんはカラカラと笑った。出島とは長崎にあった海外との交易が許されている場所、というのは学校で習ったが実際にそこに居たというのはなんだか不思議な気持ちになった。でも7〜8歳程度で当時の鎖国していた日本でどうやって行きてきたんだろう。当時は外国人なんてほとんど異星人みたいな扱いだったんじゃないのかと疑問が残った。


「でも、その、失礼とは思いますがそんな子供の身一つで生きてこられたのですか?当時の日本で?」


「それが色々あって、私は洋妾らしゃめんの捨て子として当時長崎の醤油問屋に養子として引き取られたのです。それならこの金髪も説明がつきますからね。赤い瞳は吸血鬼特有のものですが当時は青い瞳というだけで珍しかったので、吸血鬼特有の赤い瞳も「毛唐の血ならば」とさして詮索もされませんでした。」


 洋妾らしゃめんとは当時の外国人の妾のことだ。学校で習った知識では、大抵は親子含めて差別を受ける人たちだったと記憶している。日本人との混血という形で日本で暮らすことになったのか、少しだけ納得がいった。


「もう一つお聞きしても?横井シズヱというお名前はどこから?」


「横井という名は私を拾ってくださった醤油問屋の大旦那、私の養父の名字で、シズヱという名もお父上からいただきました。本当の名――というものもあった気がしますが、もう忘れましたね……」


 シズヱさんは昔を懐かしむようにしみじみとそう言うと、飲み終えた輸血パックをそっとトレイに置いた。


「父上は私を養子とする前に血の繋がったお子様を亡くされたようで、私にその面影を見たそうです。ただ、父上は故もわからない私を養子にしたせいで大層苦労されたそうです。でもお父上は大変優しい方で、そんな様子はおくびにも出さず、突然はるか異国の地に放り出された私を厳しくも慈しんで育てて下さったことは忘れません」


「ただ、正直な話、幼い頃は辛い思い出ばかりで芸事の師匠として独り立ちするまでの記憶は朧気でハッキリと思い出すことは出来ないんです。あなたも学校で習ったと思いますが当時は金髪の子女なんて今で言うと出島の外では見世物みたいな存在でして、それに加えてこの赤い瞳は人目にどうしても目についてしまいました」


シズヱさんは、そう言うと静かに窓の外を眺めた。


「横井家の養子として暮らすようになった後ですが、大人になってもどこの馬の骨ともわからぬ洋妾らしゃめんの子に縁談が来るともわからないので、父上はなんとか私が一人でも生きられるよう、私に芸事を習わせたのです。それが常磐津でした。稽古の辛さは半端ではありませんでしたよ。毎日毎日お師匠様から辛くあたられ、いつも納屋でこっそりと泣いたものです」


 辛い思い出、とシズヱさんは言っているが、なんだかその横顔は当時の思い出を嫌っているようではなかった。むしろ楽しい思い出を一つ一つ思い出すように僕に語っている。


「そしてなんとか免許をいただきまして、常磐津の師匠として独り立ちし、裕福ではないけれど生計をたてておりました。黒船来航、開国、世界大戦――色々ありましたね。その後、この院に入った理由は――あなたもご存知でしょう?」


 そう言われて僕は何も言えなくなった。彼女は『一人の人間』として社会に溶け込んでいたにもかかわらずこの弥緑院みろくいんに入居したのは理由がある。ただ、それは僕にはどうしようも出来ないことだ。


「さて、つまらない年寄りの昔話はこれぐらいにしておきましょう。あなたも仕事がまだまだあるでしょう?」


 シズヱさんはバツの悪そうな顔をする僕を見てイタズラっぽくに笑うと、『ごちそうさまでした』と深々と頭を下げて、空の輸血パックを乗せたトレイを僕に渡した。シズヱさんがこの院に居るのは確かに僕だけのせいではない。ただ社会が平凡に生きるシズヱさんをこの院に押し込めたのは事実だ。そして僕は紛れもなくその社会の一員だ。


 何も言えずうつむいている僕にシズヱさんは優しく語りかけた。


「責めているわけではないのですよ。ただ――何だか悩んでいる血沸さんは放っておけなくて。出来の悪い弟子ほど可愛いものでしたから」


そう言ってクスクスとシズヱさんは笑った。


「偉そうなことを言うようですが、人生の先達から一言。わからないこと、辛いこと、悔しいこと、思い通りにならないこと、悩んで悩んで悩み抜いてみてください。楽しいことばかりだと飽きますからね」


「さ、お行きなさい」


 僕を見る優しい笑顔はずっと昔に亡くなった僕の母親を思い出させた。僕は食事のトレイを受け取ると深く頭を下げてシズヱさんの部屋から失礼した。



 この弥緑院みろくいんに勤めて日は浅いし、大変な職場だけど、僕には辞める気は不思議と起きない。


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