社長の誕生日
六月十七日は、日本有数の複合企業である《P・Co》の社長――二条雅弥の誕生日である。
だからどうという事もなく……。いつも通り。雅弥は昨日から、仕事で他県へ出ていた。
秘書である空中謙冴の運転する車は、危なげなく道を滑る。黒塗りのセダンはカーブを曲がると、更に奥まった道へと入った。
松の木で出来た緑門をくぐると、そのまま庭園の中央に伸びる道を走る。先に構えているのは、旅館だ。さながら、隠れ家のようである。
いや、隠れ家かもしれない。
雅弥の、今日の仕事場だ。
三十畳の宴会場に、座っているのは四人のみ。雅弥、謙冴、取引相手に、その秘書。
本日の取引相手は、電子機器メーカーのCEOだ。五十歳くらいだろうか。スーツの上からでも、腹部に蓄えられている脂肪が分かる。髪は黒く染められているが、口元と目尻に、皺が数本刻まれていた。
秘書は四十歳ほどに見える女性で、髪を後ろでまとめ、ノンフレームの楕円眼鏡を掛けている。
「僕、広い部屋って苦手なんですよねぇ」
高い天井を眺めながら雅弥が呟くと、向かいに座っている人物は首を下げた。
「すみません。この部屋が、宴会場の中では一番狭いんです」
CEOの顔には、汗が滲んでいる。
「あぁ。こちらこそ、すみません。ふふふ。立派な宴会場ですね」
天井に描かれている鳳凰を眺めながら、雅弥は目を細めた。金と赤のコントラストが美しく、賑やかな天井だ。
程なくして、四人分の料理が運ばれてきた。
旬の食材がふんだんに使われた、篭懐石だ。中央には鯛のお頭付きのお造りがドドンと構えている。脇を固めるのは、あさりの赤だし、茶碗蒸しや岩牡蠣のせいろ蒸し。天ぷらに、牛鍋まである。
「これはまた、豪勢な食事ですね」
「二条社長が本日お誕生日だと伺ったので、手配させました」
どうぞお召し上がりください、とCEOは料理をすすめた。
すると雅弥は、鯛の刺身を箸に取り、謙冴へ向けた。謙冴あーん、などと言いながら。
言わずもがな、毒味だ。実に堂々としている。しかも、おっさんがおっさんに“あーん”など、絵面的になかなかキツイ。
だが、女秘書は涎を垂らさんばかりの緩んだ――恍惚ともいえる表情でふたりに熱視線を送っている。
CEOが咳払いをすると、女秘書は姿勢を正して顔を澄ました。
その間に、雅弥は料理を自分の口へ運んで、これまた幸せそうに表情を緩めている。
「ところで、今日はどういったご用件で?」
雅弥が笑顔を向けると、CEOは小さな箱を取り出した。
「我が社最新のインカムです」
出てきたのはホクロのような、黒い粒。音声送信用と受信用の、ふたつずつ梱包されている。
「今までのと違いないように思えますが……」
雅弥は箱を覗き込み、首を傾げた。
「今までのものより、〇・二ミリ小さくなっております」
とCEOは言う。
雅弥の反応はいまひとつ。
「森本さんの会社の電子機器は素晴らしいんですけどね……。〇・二ミリの改良のみで、追加購入は……」
雅弥が渋ると、CEO――森本は、実はお願いしたい事が! と身を乗り出した。
話を聞くと、ライバル会社に社員を四人引き抜かれたので社長に復讐をしたい、のだという。
「インカム三百セットで、なんとかお願い出来ませんか?」
「そうですねぇー。ウチは基本、頼まれれば何でもやる方針ですが……。社長を殺したとして、残った社員の事はどうされるおつもりで?」
社員さんに罪はないですよねぇ? と雅弥が問うと、森本は口を閉ざした。
雅弥は茶碗蒸しを口へ運ぶと、飲み下してから続ける。
「森本さんの会社じゃ、全員は養えませんよね? そりゃ、全員を殺す事も出来ますよ。出来ますけど、そうとなれば、相応の理由と報酬が必要になります」
白い衣を纏った天ぷらが、サクッと軽い音を立てて割れた。
森本は依然、黙ったまま考え込んでいる。
「引き抜かれた人たちを……。というのなら分かるんですけど。我が社でいうと、裏切り行為になりますから」
雅弥は雅弥で、矛先を変えて提案。森本はその案を採用。
しかしまだ、
「だが、社長にも何か報復を……」
と唸っている。
「でしたら、片腕なり片足なりを切断する感じでどうですか?」
雅弥はサラッとそんな事を言って退けると、牛鍋のえのきを、シャコシャコ言わせながら咀嚼した。
森本は、そうだな……、と嘆じる。
「両足切断で頼みます。あいつは以前、障害者用スペースに車を停めた事があるんですよ」
怒りを滲ませ、森本は言う。雅弥も、それは両足を切断されて然るべきですね、と頷いた。
「その場合、インカム五十セットと現金二百万円でお願いします。ウチ、通信機はそんなに数が必要ないので」
「四人始末して、更に社長に怪我を負わせるのにその値段ですか!?」
なんて安いんだ! と打ち震えている森本。
「ふふふ。森本さんには、いつもお世話になっていますから。サービスしちゃいますよ」
雅弥はニコニコ笑いながら、湯呑みに口を付けた。
商談成立。更に美味しいものまで食べられて、雅弥はご満悦だ。
「一般人四人の暗殺なら、事務所の透と恭平あたりに行って貰おうかな。部位切断の奇襲は、花音と巴に……」
ヴー、ヴー、と震えて着信を知らせるスマートフォンを手に取る。着信画面を確認しつつ、先程名指しした内容で仕事の手配をするように、謙冴へ指示した。
雅弥は満面の笑みを湛えたまま、ご機嫌で通話アイコンをタップする。
「やぁ、お疲れ様。四十歳になったお義兄ちゃんだよー!」
年齢の数字がひとつ増えようと、彼は変わらない。
電話口から聞こえる祝福の言葉も、去年と変わらない。
隣からは溜め息が聞こえる。
いつも通りだ。
笑うと目尻に、数本の小さな横筋が出現するようになった事以外は――。
社長の誕生日でしたー!
もうひとりの義弟からは、色んなお酒が贈られています(笑)




