◎梅雨の頃(幹部SS)
「もぉーヤダ! 今日も雨! 髪がまとまらないよぉー!」
「うるさい!」
女子のような悲鳴に、この空間に唯一居る女子が鉄拳を喰らわせた。
尻尾を踏まれた犬のような声と共に、紫頭が机に沈む。
梅雨入りした東京の空気は、蒸して重い。
「白山神社の紫陽花が綺麗に咲いてるって、お客さんが教えてくれましたよ」
白髪の営業部長がパソコンを叩きながら言えば、その隣に座っている副部長は苦笑いだ。
「倖魅先輩も恵未も、紫陽花を見に神社に行くような人じゃないだろ」
確かに、と白髪が頷く。その向かいでは、紫頭が「カタツムリもナメクジもやだぁー」などと文句を垂れた。
そこへ、事務所の階段を駆け上がってくる足音が届く。不細工な足音に、一同は顔を顰めた。
そして、バッタンバッタンと、扉の開閉音が近付いてきて――
「見つけたぞ! ここが地下組織の――ッ」
台詞を全て言わせて貰えなかった部外者は、床に顔面をめり込ませて動かなくなった。
部外者(男)の後頭部から手を離し、恵未は男を踏み付けて言った。
「ったく! セキュリティがなってない!」
「いや、そういう部外者の侵入を未然に防ぐのがお前の仕事だろ」
白髪の凌が嘆息混じりに指摘すれば、警備部長の恵未は明後日の方を向く。
「床も割れちゃったなー」
と、蜘蛛の巣のように亀裂が入った床を尚巳が撫でる。絵の具を流し込むと綺麗なんだろうな、などと考えながら。
そして紫の髪を抑え込んでいた倖魅が、おもむろに立ち上がる。
「あぁーもう! 不法侵入者は拷問だよ! 髪の毛全部毟り取ってやろうよ!」
「倖魅先輩……部外者でストレス発散はやめてください……」
営業実績の統計を取り終えた凌が、ノートパソコンを閉じた。意識を手放して伸びている部外者から一眼レフカメラを取り上げる。
壊れていない事を確認し、データを見ていく。
写真ばかりで動画はない。だが《P×P》の事務所画像が複数枚確認できたので、凌はメモリーカードを抜き取る。更にカメラを開き、中にある固体撮像素子を破壊した。
隣に立っている尚巳は、ゴシップ記者かな? と首を傾げている。
椅子に座ったままの倖魅は、あぁもうヤダヤダ、とぶつくさ言いながら、自分のノートパソコンを開いて起動。自分の人差し指をUSBの差込口へ添えると、目を閉じた。
三十秒後にプリンターがひとりでに動き出し、倖魅が目を開く。
紙には、男の素性が書き出されている。
「フリーの記者だって。殺し屋が居る場所に一人で乗り込むなんて、勇気あるねー」
「面倒だから、処分は本社の工作員に任せましょ」
「そしたら、お前の無能っぷりが明るみに出るな」
凌の言葉に恵未は睨みを利かせたが、事実なので何も言い返さなかった。
そんなやり取りを横目で見ながら、尚巳は男をふん縛っている。両手両足を縛ったところで、所長の声がした。
灰色の髪が、ひょっこり現れる。
「ドア開けっ広げて、どうしたん?」
「先輩、すみません。実は部外し――」
説明しかけた凌だったが、言葉を停止した。
所長の後ろには、真っ赤に染まった――
「先輩、もしかして、ソレ……」
所長である泰騎は、きょとんと凌の指先を目で追う。自分が持っている、
「あぁ。何か事務所の前で写真撮っとった、不審者。事務所に入ったから、捕まえたんよ」
部外者その二。
憐れなその男は、口の端を切り裂かれていたり、背中に安全ピンを刺されていたりと、大層痛々しい姿になっている。気を失ってはいるが、死んではいないようだ。
所長は言う「何をしに来たんか言わんかったからなぁ。喋れんお口は要らんじゃろ?」と。
どさりと赤い男を床に置き、泰騎は自分の席へ向かった。鼻歌混じりに、赤く染まったカッターナイフの掃除を始める。
そして、開けっ広げられたままの扉からもう一人入ってきた。副所長だ。否、後ろにもう一人――。
「他組織の工作員が事務所周辺を嗅ぎまわっていたんだが……」
恵未に向かって申し訳なさそうに、その“工作員”を床に置いた。
「今日は大量じゃな!」
「梅雨時期は、雨で恵未が所内に居る事が多いからな」
潤は赤い液体が作る水溜りを眺めながら、嘆息した。床のヒビに流れた赤が入り込み、アート作品と化している。
腕を組み、恵未は唸る。
「仕方ない……。合羽を着て、外に居るしかないようね」
深刻そうに意を決する恵未の耳に、
「だから、それがお前の仕事なんだっつーの」
という凌のツッコミは……、届いていなかった。
紫陽花の葉には青酸配糖体が含まれるので、カタツムリは乗らない……
なんて学者さんもいらっしゃいますが、実際には結構乗ってたりするんですよねぇ。
種類によって毒の有無も違うのでしょうか……。




