蛇の里帰り(後編)
以前居た施設から雅弥さんたちに助けてもらって以降、見えない所に居る人の場所や、距離や、生きていないけどそこに居るものが視えるようになった。最初の数日間は恐くて怖くて、ずっと泰騎に手を握ってもらってた。最近、やっと少しずつ慣れて来たけど、やっぱりまだビックリするし、怖い。
ただ、この場所にいる幽霊たちは、何だかとても楽しそうだ、と思う。
階段を上がりきったところから動かない僕を不思議に思ったらしい泰騎が、僕の顔を覗き込んできた。
「どしたん?」
「え、あ、いや……空いてる席がないから、どこに座ろうかな、って……」
「うん???」
そうだった。泰騎には幽霊って、視えないんだった。
泰騎は不思議そうに「席、ぎょーさん空いとるけど……」と、指差している。確かに、生きているお客さんは見えない。
どこに座ろうかと考えながら、わいわいと楽しそうに話している幽霊たちを見回していると、見覚えのある顔があった。
首元と、胸元が真っ赤になっているお父さんと、同じような状態のお母さんと、妹。一緒に住んでいた、おじいさんとおばあさんの姿はない。
向こうは僕に気付かない。当然、かもしれない。目の色が全然違うし、身長も伸びたんだから。
気付かれなくて、僕は少しだけホッとした。そんな中、番号札をぶんぶんと振りながら、泰騎が元気な声で、僕を呼んだ。
「潤! ここに座ろうで! 外がよう見えるで!」
と、僕の家族の中で、叫んでいる。
「た、た、たい……泰騎……あの、そこは……」
『じゅん? あなた“じゅん”って言うの? 私の息子と同じ名前だわ。あら、綺麗な眼をしてるのね』
血まみれの、死んだお母さんが瞳を輝かせて詰め寄ってきた。僕は視えない振りをしようと思ったけど、つい、顔を逸らせてしまった。それに気付いたお母さんは、周りに向かって声を上げた。『皆さん、この子、私たちの事が視えるみたいですよ』と。
それから、この場は打ち上げ花火が咲いたような歓声に包まれた。
泰騎は何が起きてるのか分からないから、ひとりで席に座って足をぶらぶらさせている。幽霊が視えない泰騎でも、何かが居るんだという事に気付いたらしい。
「潤、何が居るん?」
「え……っと、あの、僕の、お母さんと、お父さんと、妹と、あと、死んでる人が、いっぱい」
気付かれたくなかったはずなのに、何故かそう答えていた。見た目がすっかり変わってしまったから、僕が潤本人だって知られたくなかったけど、お母さんはさっきこの眼を『綺麗だ』って言ってくれた。だから、少し安心したのかもしれない。
泰騎は視えないはずの僕の家族に向かって、にっこり笑って言った。
「潤の家族かー。全く視えんのじゃけど、初めまして! オレは、泰騎って名前で、潤と一緒に暮らしとるんよ」
泰騎が自己紹介を済ませて、またソファーに座った。
僕の、お父さんの膝の上に。
お母さんはとても嬉しそうに手を握ってきた。けど、お母さんと僕の手は触れることなく、交差した。でも、お母さんはめげずに、僕に話し掛けてきた。
『あなた、本当に潤ちゃんなの? そういえば、髪の色も、声も同じだわ。お目々の色はどうしちゃったの? でも、よく似合っているわ』
うふふ、と母は上品に笑っている。ただ、お父さんはあまりいい顔をしていない。まだ四歳だった妹は、『おめめ、きれい』と、光物の好きだった彼女らしい反応を見せてくれた。
普通、離ればなれだった家族が再会したら、感動的なものなのかもしれない。でも、血塗れで穴だらけの家族を直視できるほど、僕は強くない。母は跳ね上がるくらい喜んでいるけど、僕は「僕も会えて嬉しいよ」とは、言えなかった。正直、知らない人と話しているみたいだ。
ただ、ここへ来てからずっと気になっていた事を、訊いてみた。
「どうして、ここに居るの? 死んだ人たちがたくさん集まっているのは、何でなの?」
母は口元に手を当てて、微笑んだ。
『あら。だって、ここは私たちのお家ですもの。お義父さんとお義母さんは、すぐに成仏したの。でも、急に殺されちゃって、家は燃やされちゃうし、潤ちゃんは居ないし、潤ちゃんの事が気になって仕方がないから、ずっとここに居たのよ?』
言葉を切って、店内を見回し、母は続けた。
『ちょっと経って、親戚がこの土地を売りに出したのよ。ワクドナルドが出来ちゃって。でも、居心地が良いから居座っちゃって。そうしたら、皆さん集まってきたの。賑やかで良いでしょう?』
母はそう言うと、僕を見て、泰騎を見て、天井を見上げて、また僕を見た。
『でも、潤ちゃんに会えて良かったわ』
そして、父と妹を交互に見て、母は天井を指差した。
『それじゃあ、未練もなくなった事だし、私たちも成仏しようかしらね?』
父は小さな声で『やっとか』と呟き、意味を理解していないであろう妹は『はぁい!』と挙手している。
元々地に着いていない足は、床から更に離れていく。
僕はぼんやりと、人ってこうやって成仏するのか、と考えていた。もっと、キラキラする光りに包まれたり、天使がお迎えにやってきたりするものだと思ってた。少し、残念だ。
にこにこ笑って手を振っていた母が最後に発した言葉は、
『泰騎くん、潤ちゃんのこと、よろしくね』
だった。その直後、半透明になって、文字通り、三人は消えた。
母の言葉は、勿論泰騎には、聞こえていない。
「潤のお母ちゃん、何か言うとった?」
と訊かれたから、そのまま伝えたら「もちろん、よろしくするで!」と、よく分からない返事をされた。
三人が成仏してから、幽霊たちの数が減った気がする。というか、もう壁から上半身を出している女の人しか居ない。
僕が「あなたは、成仏しないんですか?」と訊くと「私、地縛霊なんだよねー。動けないの」と言われた。害もなさそうだし、そのままにしておいた。
少しして、雅弥さんと謙冴さんがトレーに乗ったハンバーガーを持って、現れた。
「泰騎、その番号札、店員さんに渡してきてくれるかな?」
雅弥さんがそう言うと、泰騎は元気に返事をして、階段を駆け下りていった。
すっかり寂しくなった店内。当然、席は座りたい放題だ。謙冴さんはそんな店内を見回して、壁から上半身だけ出している人を数秒眺めてからトレーをテーブルに置いて、雅弥さんに向かって頷いた。
雅弥さんはにこにこ笑って、僕に向かってこう言った。
「潤、懐かしい人には会えたかな?」
「え……」
「ほら、お母さんとか」
「お前は、いつも回りくどいんだ」
と、謙冴さんは溜め息を吐いて、僕の方を見た。
「店が全く繁盛しないと相談を受けてな。資料を見たら、潤の旧家の跡地だったわけだ。それで下見に来たら、資料で見た事のある顔があったから、その時は撤収して、今回潤にも来て貰ったんだ」
「そうなんだよー。除霊しようと思えばすぐに出来るけど、縁のある人なんだし、会わせてあげたいなぁって思ってさ。で、どうだった? 久し振りのご家族は」
感想を求める雅弥さんの顔に罪悪感が沸き上がったけど、僕は思った事を口にした。
「血塗れだったし……何だか別人みたいで……。すみません。折角、連れて来てもらったのに……」
多分、向こうも同じような気持ちだったと思う。生前あんなに「かわいい、かわいい」と言っていた顔に傷はあるし、目の色は違うし――、
「あ、でも……」
雅弥さんは「ん?」と、微笑んで僕の続きの言葉を待ってくれている。
「お母さんが、僕の眼、『綺麗』だって、言ってくれて。それは、ちょっと……嬉しかったです」
「そう。それは良かった。潤の眼、凄く綺麗だもの。僕も好きだなぁ」
「オレもー!」
はきはきした声と同時に階段の下から手が見えて、次に灰色の髪が覗いた。
雅弥さんが「謙冴もそう思うよねー?」と訊くと、謙冴さんは「そうだな」と頷いて、僕の気の所為じゃなければ、微笑を向けてきた。
泰騎が紙コップを指差して「水がうだりょーるで。しみよってめげたらどねんすん?」と言っているけれど、やっぱりよく分からない。返事が出来ずにいると、謙冴さんが「泰騎、これは中身が染み出ているのではなく、結露だ。この紙コップは分厚いから、そう簡単に壊れはしない。安心しろ」と泰騎に説明をした。
静かになった店内で、各々頼んだハンバーガーを手に取り、食べ始めた。
余談だけど、この時食べたトリプルチーズバーガーは、何だか犬のような臭いがした。
後日雅弥さんから、あのお店に少しずつお客さんが入り始めたんだと聞いた。
それから「今回の件は潤のお陰で解決できたから」と、大量の図書カードと金券を貰ったから、泰騎と半分ずつ分けた。
じろじろ見られるのはまだ慣れないけど、少しだけ、外に出るのが嫌じゃなくなった。だから今度外に出る時には、今回貰った図書カードを持って本屋さんへ行きたいな、と思った。
お盆なので、勢いで書き上げたお盆ネタでした。
因みに、私は某ファーストフードバーガー屋さんのチーズバーガーを初めて食べた時(小学校低学年時)、そのバーガーがあまりに犬臭くて、猫に襲われた事があります。
トラウマです。




