蟻の襲撃五秒前(泰騎と潤のSS)
隣のベンチで、子どもがコーンを持って泣いている。口へ招かれる筈だったソフトクリームは、逆さになって地面にダイブしていた。
母親であろう女性が子どもを叱りつけている様子を横目で見ながら、男は溜め息を吐いた。あまりに女性的な顔つきをしているが、男、だろう。前髪は下りているが後頭部を刈り上げ、右サイドを後ろへ流している。
大泣きしている子どもを気の毒に思っていると、連れがポップコーンを首から下げて現れた。現在居るテーマパークのキャラクターを模した、スケルトンのプラスチック容器に入っている。匂いから察するに、キャラメル味だろう。
灰色の前髪をヘアピンで数か所留めている。後ろ髪がぴょんぴょんと外へハネており、スキップする度にポインポインと弾んだ。大の大人が、しかも男が、ファンシーな空間をスキップしている。少々異様な光景である。
はたり。と灰色男の足が止まった。左右後ろを見回し、Uターンし、姿が見えなくなったかと思うと、風船を持って現れた。
「落としたもんはしゃーないとして、これで機嫌直し?」
風にそよぐ風船を受け取った子どもが笑顔になったのを見届け、灰色男は連れの隣に腰を下ろした。
「イースター限定ポップコーン容器、ゲットじゃで!」
卵型の容器を両手で持ち上げ、満足そうに笑う。
「友人に頼まれ事があるからと言っていたのは、それか」
「そうなんよ。毎シーズン限定ケースを集めとる奴がおるんじゃけど、仕事がなかなか休めんって言うもんでなぁ。付き合うてくれてありがとな、潤」
コレクターの気持ちは分からないが、潤は首を縦に下した。
「泰騎は、アトラクションに興味ないのか?」
ジェットコースターの動く、ガーッ、やら、ゴーッ、やらという音を聞きなら、問う。
泰騎は不思議そうに小首を傾けた。
「こんな、決まったコースを走る鉄の塊には興味ねぇなぁ……。あ、潤が乗りてぇなら、喜んで付き合うで」
「俺も別に、乗りたいわけじゃない」
きゃあきゃあと騒がしい中心を見やれば、マスコットキャラクターがファンサービスの真最中だ。一緒に写真を撮ったり、握手をしたりと、キャラクターは仕事をこなしている。
「いつも多忙だな……」
他人事のように呟けば――実際、他人事だ――、隣からは「暑いじゃろうしなぁ」という声が、ポップコーンの咀嚼音と共に聞こえてきた。
ふたり並んでキャラクターの仕事振りを眺めていると、キャラクターが盛大に転んだ。右足が見事な弧を描いていた。それはもう、見事なものだった。
どっしん! と、これまた大きな音をたてて尻餅をついて、倒れた。
地面には、溶けかけたソフトクリーム。母子の姿はない。
キャラクターは自力で起き上がると、ファンサービスの続きを、何事もなかったかのように続けた。さすが、プロだ。
ふたりは、感嘆の息を吐いた。
「なぁ。でもアレはマズイよなぁ……?」
「そうだな……」
キャラクターの尻には、べっとりと白い染みが広がっている。
「ワシもな、たまにあんな状態になるんよ」
「そうだな。お前の場合は、赤だけどな」
「血はレモン汁と炭酸で落ちるって、アールばあさんが言うとったからやってみたけど、ありゃあ落ちんかった」
突然映画の登場人物を挙げられ、潤の思考が遠回りをした。赤と黒の、ヒーローと言うには下品で無茶苦茶なキャラクターの保護者的存在。なかなかファンキーなばあさんだ。
「よっしゃ、帰るか」
このテーマパークへ来てから約十五分。アトラクションには一切乗らず、購入物はポップコーンのみ。
男ふたりは、退場ゲートへと向かった。




