蛇の里帰り(前編)【シリアスっぽいギャグ】
潤と泰騎が8歳の時の、お盆の話です。
潤の蛇感皆無なのに、このタイトル……。
幽霊が出てきますが、ホラーではありません。
この時期はお盆と言って、死んだ人が現世へ戻ってくるらしい。
僕は、同じ部屋で暮らしている義理の兄に渡された絵本を読み進めていた。この本には、八月十六日には地獄の釜も開くのだと書いてある。正直、よくわからない。
死んだ人は天国か地獄に行くんだと、以前、幼稚園の先生が言っていた。そして、悪いことをすると地獄に落ちちゃうんだ、と言っていた。
じゃあ、たくさんの人を殺してしまった僕は、地獄に行かなきゃいけないんだろうな。
僕は、まだ引き攣っているような、違和感のある左目に手を添えた。
よく覚えているわけじゃない。けど、頭にあるのは、血で真っ赤になった天井と、床。たくさんの人の、バラバラになった体に、燃えてる部屋。
それをやったのが、僕らしい。
詳しくは分からないけど、左目にある“人”みたいな形の傷は、その時にできたのだと、お医者さんから聞いた。
僕が物思いに耽っていると、視界の端から灰色の瞳がニュッと現れた。屈託のない笑顔は、真っ白い歯の所為もあってか眩しく見えた。
「お化けがでーれーぎょーさん出てくる絵本もあるで! 潤は、お化けとか鬼さんとか、好きなん?」
『ぎょーさん』……この言葉は知ってる。『たくさん』って意味だ。僕の暮らしていた所でも使っている大人は、たくさん居た。でも、『でーれー』ってどういう意味だろう。
僕は、何となくニュアンスから『すごく』とか『とても』とか、そんな意味なんだろうな、と勝手に決めて、泰騎の言葉を聞いた。
僕の義理の兄――泰騎は、よく喋る。いつも笑ってるし、一緒に居ると楽しい。たまに、何を言ってるのかよくわからないけど。
僕は、喋るのがあまり得意じゃない。
通っていた幼稚園のクラスでも、あまり目立つ方じゃなかった。でも、クラスの中で一番賑やかな男子に「女みたいだ」って、よく馬鹿にされて笑われた。
ご近所さんからも、よく言われてた。妹と歩いていると「姉妹みたい」だと、よく声を掛けられた。
お母さんは嬉しそうにお礼を言っていたけれど、僕はそれが嫌だった。
お母さん――。
そういえば、僕の家族はみんな死んじゃったって聞いたけど、みんな天国へ行ったのかな。
そんなことを考えながら、僕は本棚に絵本を返して、違う棚に収まっていた“百鬼夜行”という本を、手に取った。
部屋の入り口が開いて、雅弥さんが入ってきた。今日も真っ黒いスーツを着ている。真っ黒い髪の毛と、真っ黒い目。雅弥さんも、いつもにこにこ笑ってる。
雅弥さんも戸籍上は僕の“お義兄さん”になっているらしいけど、『お兄さん』と呼んだことはない。
僕は読んでいた本を閉じて、雅弥さんを見上げた。雅弥さんは背が高くて、見上げると少しだけ、首が痛い。
雅弥さんは、いつものようににこにこ笑って、こう言った。
「潤の住んでいたお家に行ってみようか!」
この人はまた、思い付きの勢いでこの部屋へやってきて、この提案をしたんだろうな。ということが伺える。だって、雅弥さんの後ろには、何だか機嫌の悪そうな顔をした謙冴さんが居るんだもの。
謙冴さんは雅弥さんの秘書をしている。雅弥さんよりも少しだけ背が低い。いつも恐い顔をしているけど、とてもカッコイイ人だ。
雅弥さんと謙冴さんは、僕と泰騎よりもずっと年上で、大人だ。雅弥さんの発言は少し子どもっぽいところがあるけど、雅弥さんのそんなところが、僕は話しやすくて好きだ。
――って、さっき雅弥さんは何て言った? 僕の住んでた家? たしか、燃やされちゃって、なくなったんじゃなかったっけ。
「潤の家が、ワクドナルドになってるんだって」
住んでいた家が、世界規模で店舗展開されているハンバーガー屋さんだと知って、何だか少しショックを受けた。でも、このハンバーガーチェーン店は、治安の良い所にしかお店を出さないんだって、誰かから聞いた事がある。僕の家、殺人と誘拐が行われた上に、放火までされているんだけど。大丈夫なのかな……。
「お盆は新幹線だと行きにくいから、飛行機で行こうね。じゃ、出発するよー」
雅弥さんはにこにこと、いつもと変わらない唐突さで僕の手を引いた。
到着した場所には確かに、ワクドナルドという、大手ハンバーガーチェーン店が建っていた。期間限定メニューの垂れ幕が、存在感を放っている。
数年前、ここに民家が建っていたなんて、地元の人さえ覚えていないかもしれない。
ただ、僕はさっきから違和感を覚えていた。
現在の時刻は、お昼の十二時。一番繁盛している時間だというのに、お客さんの姿が少ない。最近報道されている、異物混入事件の影響だとしても、あまりに――
「ぼっけぇ客が少ねーな! 潰れるんじゃね?」
泰騎は店の真ん前で僕と同じ考えを叫んだあと、初見にしては酷く失礼な感想を述べた。
あと、『ぼっけぇ』も、多分『すごく』とか『とても』っていう意味だと思う。
更に、泰騎が続ける。
「なぁー、雅やん。何で今更こねんなトコに来たん?」
「ふふふ。面白いものが見られると思って、ね」
雅弥さんは悪戯を考えている時の泰騎とそっくりな顔をして、店の扉を引いて入った。
お店に入ってみると、注文受付カウンターにはお客さんの姿はなく、カウンターの向こうには店員さんがひとり。調理場にも、多分ひとり。カウンターに居る店員さんと目が合って、何だか凄くビックリした顔をされたから、僕は慌てて視線を床へ落とした。
真っ赤な眼だし、傷まであるし、誘拐される前とは違った表情で見られることが増えた。目立つのは仕方がない事だけど、なかなか慣れない。
泰騎も同じように店員さんにじろじろ見られてるけど、全く気にしていないから、すごいと思う。
僕は視線を下から後ろへ移動させた。一階のテーブル席では、地元の高校生らしい四人グループが雑談をしている。
ちらりと聞こえた声は「ホント、ここは客が少ないから良いし」「マジで、何でこんな人少ないん?」等と言っている。ってことは、いつもこんなに人が少ないってことなんだろうか。
二十四時間営業でずっとこの状態なんだとしたら、それは、潰れてもおかしくない。
僕がきょろきょろと店内を見回していると、雅弥さんが「何が食べたい?」と訊いてきた。泰騎は大きな声で、
「けー、ぼっこーでっけーけど、なんがへーっとん?」
「泰騎、興奮しすぎて方言が酷くなっているぞ。因みにこれは、ビーフパティが三枚と、輪切りトマトと、レタスが挟まれている。この店で一番大きなバーガーだ」
泰騎の言葉が全く理解出来なかった僕は、瞬時に泰騎の質問に答えた謙冴さんにビックリした。ちらりと見上げてみると、雅弥さんも「へぇ、泰騎、何が入ってるのかって訊いたんだぁ……」と呟いている。
「あー、ごめん。せじゃけど謙冴さんがおってくれて良かったわ。オレの言葉って、そねんに分かりにくいん?」
「俺は分かるから構わない」
「えー? 僕よく分からないんだけどぉ! 同じ西日本出身なのにぃ!」
……僕もよく分からない。でも、泰騎と話している時の謙冴さんは少しだけ、表情が柔らかくなる気がする。
そんな雑談も挟みつつ、注文を済ませて注文番号の札を貰った。すると雅弥さんがにこにこ――というより、ニヤニヤしながら、「泰騎と潤、ちょっと、先に二階に上がって、席を取っててくれるかな?」と言ってきた。
こんな、ガラガラに空いてるのに? と疑問に思って、僕と泰騎は顔を見合わせた。よく分からないけど頷いて、番号札を持って階段を上がった。
階段を上がるにつれて、お店に入る前に抱いた違和感とはまた違った違和感が僕の胸元をざわつかせた。
二階に到着した僕の目に飛び込んで来たのは、大勢の人だった。壁から上半身だけ出している人、首だけテーブルに乗っかってる人、胸元にナイフを刺した人――いや、人……というより、これは多分、きっと、おそらく、絶対……幽霊、だ。




