名前の漢字の感じ(泰騎の話)
コメディです。
“血まみれで、手に包丁を持った子どもが交番に現れた”
黒いワイシャツに黒いスーツ、黒い靴下に、黒い革靴。顔付きは整っているが、派手さもなければ、突出した特徴もない。黒髪黒目の、平均的な日本人顔の彼――二条雅弥は、数ある書類に目を通しながら、その報告を右耳で聞いていた。
まだ二十三歳と若い彼だが、一応は会社経営者である。表向きには農薬を主に扱う薬品関係の会社。裏では合法も非合法も手掛ける、政府御用達の工作業を営んでいる。
手元にある書類はまだ積み重なっているが、手を止めた。目は手に持った書類に向けたまま。
「へぇ。何それ。面白いね」
興味を示した。
つまり、続きの説明を求めているのだと判断した秘書――空中謙冴は、自身の持っている手帳を開いた。彼も二十三歳で、雅弥よりがっしりした体型をしている。茶色い髪と、太い眉の下にある、鋭い眼つきの茶色い瞳が特徴的だ。黒尽くめの雅弥と違い、グレーのスーツを着ている。
「昨日の事だ。出生届なし。自宅の母屋には小さな子どもが暮らしていた形跡はない。倉庫に大量の絵本と生活跡がある事から、ここで育ったと思われる。押収されたノート類の記述を見る限り、誕生日が十月二十五日の、七歳男児。調査結果では加害者になっていて、被害者は父と、兄がふたり。いずれも屋内で殺害されて――」
「場所は?」
「現場は岡山。現在、医療少年院送致を受けて、鳥取に居る。ただ、犯罪内容が内容だから、移動は時間の問題だな」
「よし。それじゃあ行こうか」
書類をあっさり卓上へ置くと、雅弥は立ち上がり、伸びをした。黒いネクタイを締める。
謙冴はデスクの上にある紙の束を半眼で見ながら、これはどうするんだ、と問う。すると雅弥はにこりと笑い、卓上の電話の内線ボタンを押した。
「蓮先輩、僕ちょっと出掛けて来るから、書類捌いといて貰ってもいいかな? 勿論、手当ては出しますよ、っと。はいはい。夜までには帰るから、追加が来たら宜しく。で、麗先輩に頼みたい事があって――」
少しばかり早口で通話を終えると、受話器を置く。雅弥はもう一度伸びをした。上半身の至る所から、パキパキと音がする。そして一歩を踏み出した所で躓き、危うく転ぶところだった。
見慣れた光景なので、謙冴は雅弥を支える事もなく、鞄の準備をしている。転ばなかっただけ進歩だな。とは言い漏らしたが。
ともあれ、若社長雅弥と、その秘書謙冴は少年院へ向けて出発した。昼食は、コンビニで買ったおにぎりを車内で食べた。
◆◇◆◇
待っていたのは、灰色の髪と、同色の大きな瞳と、屈託のない笑顔が特徴的な少年だった。その子どもは、初めて訪れた面会人に、大きな瞳をぱちくり瞬かせている。
子どもを連れて現れた施設の職員は、謙冴と共に退室した。
雅弥は子どもの目線に合わせてしゃがみ込むと、にっこり笑った。
「初めまして。僕は二条雅弥。君のお名前は?」
「なまえ? お母ちゃんは『たいき』って呼んでくれとったで」
「そっか。かっこいい名前だね」
雅弥が言うと、『たいき』は大きな瞳を更に大きくし、輝かせた。
「かっこええ? ほんまに? それって、消防車くらいかっこええ?」
「そうだねぇ。消防車やパトカーよりもかっこいいんじゃないかな?」
“かっこいい”の基準がいまいち理解出来ないが、子どもにとって働く車は、相当“かっこいい”存在なのだろう。
『たいき』は興奮気味に両手を振り回す。
「オレな、オレな。パトカーに乗ったんよ! 頭の赤いランプが光ってくるくるしとってな、かっこええよな! それよりもかっこええなら、すげぇかっこええって事じゃな!」
雅弥は、うんうん、と頷きながら『たいき』の話を聞いた。
この年齢で、父親と年の離れた兄をふたりも殺したと言うものだから、どんな狂人かと思って来てみれば……だ。年齢の割に発言が幼すぎるが、何の事はない、只の子どもではないか。
「ところで、君のお父さんとお兄さんは?」
「殺したけど。それがどうしたん?」
きょとん、と即答。
わぁ、只の子どもじゃなかったぁ。雅弥は心中でガッツポーズをした。ビンゴだ。これはもう、スカウトするしかない。いや、ちょっと待て。スカウトするにしても、相手は子どもだ。保護者――身元引受人が必要だ。と頭の中で考えを掻き回す。
(謙冴は三歳の景を引き取ったばかりだし……あ、そうだ)
「ねぇ。僕の家族になってよ」
雅弥が『たいき』に向かって右手を差し出した。
「実は僕もね、お父さんとお母さんが居ないんだ。他に家族も居ないし。『たいき』が良かったら、でいいんだけど。あとでお菓子もあげるからさ。どうかなぁ?」
後半は誘拐犯のような口説き文句だったが、今まで外界との接触を持たなかった子どもにとっては効果覿面だった。案の定、『たいき』は大きな声で、
「いっしょに行く!」
と返事をした。
雅弥は満足そうに笑うと、立ち上がった。
「じゃあ、今日から君は『にじょうたいき』だね。ただ、ひとつ決めなきゃいけない事があるんだ」
指先を顎に添え、雅弥は『たいき』を見下ろした。そして、再び泰騎の目線に合わせてしゃがむ。
「『たいき』の漢字を決めよう」
「かんじ?」
「僕たち日本人は、みっつの文字を使うんだ。ひらがな、カタカナ、漢字。もしかしたら、『たいき』のお母さんが漢字を考えていたかもしれないけど……もう知ることが出来ないからね。僕が決めてもいいかな?」
『たいき』は何の事だかよく分からない様子ではあったが、ええよ! と大きく頷いた。
「かっこええのにして!」
「カッコイイ感じだね。分かった」
雅弥は、頭の中に漢字を並べてみる。太、大、代、退、隊、鯛、耐、帯、汰、待……。大政奉還、大安吉日、堆金積玉、体望閑雅、泰然自若……。
(泰……確か意味は、“おだやか”とか、“甚だしい”……。親と兄弟殺すなんて、ホント甚だしいもんなぁ……って、僕も人の事言えないけど……)
「泰……き……」
基、生、姫、樹、奇、貴、季、機、鬼、騎……。
(あ、騎士の『騎』ってカッコイイかも)
「泰騎。よし、決まったよ」
雅弥は胸元の内ポケットから手帳を取り出すと、『たいき』に漢字を書いて見せた。
『たいき』にその漢字の意味は理解出来なかったが、彼は満面の笑みでこう答えた。
「なんか知らんけど、めっちゃかっこええ! これがええ!」
画数の多い字を見れば、子ども心に『カッコイイ』と思うのは道理なのかもしれない。
この瞬間、彼は『二条泰騎』になったわけだ。
職員と話を終えた謙冴が戻ってきた。手には鞄と、クリアファイルに入れられた書類の束。ファイルをそのまま雅弥へ手渡す。
「麗華さんが手回しをしてくれていたから、手続きがスムーズに出来た。戸籍の書き換えは帰ってからするとして、誰を身元引受人にするんだ?」
「僕だよ。今日から泰騎は、僕の弟になるんだ」
泰騎と視線を合わせて、ねー、と言い合っている雅弥に、謙冴は眉間に皺を寄せた。
「お前、自分の立場を分かってるのか?」
「勿論」
自信満々で答えられ、謙冴の眉間が更に寄った。謙冴、こわぁーい。と言われたが、無視だ。溜め息を吐き出すと、謙冴はスーツのジャケットから、車の鍵を取り出した。
脇では雅弥が「あれは謙冴だよ。恐い顔をしてるけど、根はすっごく良い人だからね」などと泰騎に説明をしている。
帰りに寄ったのは、何の変哲もない、町のスーパー。そこの菓子売り場で、泰騎はまたしても瞳を輝かせていた。
「泰騎は、いつもどんなおやつを食べてたの?」
との質問に、泰騎は「するめとか、えっと、たまごぼーろとか、せんべいとか」と、陳列棚を指差しながら答える。
そんな泰騎に雅弥は、笑みを零した。
「そっか。じゃあ、十個買ってあげるから、食べた事のないお菓子を持っておいで」
歓喜に湧いた泰騎が奥の陳列棚に消え、菓子を抱えて戻って来るのに、そう時間は掛からなかった。だが、持って来た菓子袋が数個破られているのを見て、雅弥は今まで朗らかに笑っていた顔を引き攣らせた。
「えっと、泰騎。お金を払ってないものは、開けちゃいけないんだよ……」
説明したが、時すでに遅し。
「え? そうなん? 中身が何なんか分からんから、見てみたかったんよ。ごめん」
出会って初めて見る泰騎の落ち込んだ顔に、雅弥は苦笑した。
「うん。次から気を付けようね。他に開けちゃったお菓子はあるかな?」
泰騎に連れられ向かった先には、中身の飛び出した菓子に加え、床に落とされた菓子が散乱していた。
雅弥は眩暈を覚えた。
早速の監督不行き届きに、謙冴に叱られる未来しか見えない雅弥。取り敢えず、すぐ脇を通り掛かった店員を呼ぶ。
「すみません……中身の出ているものと、床に落ちている分を、全部ください……」
長財布から黒いカードを取り出し、店員に渡した。
かくして二条泰騎は、二条雅弥に混乱と動揺の毎日を提供する事となった。
『ウサギとヘビの小話集』に収録した話でした。




