海だ!【ギャグ・GL風味】
もう10月が来ますが……
暑中見舞い用に描いたイラストに合わせて書いたものです。
八月に入り、三十度超えの猛暑日が続いている、東京・某所。
時計は午後三時を回り、暑さのピーク真っ只中だ。
ショートカットの髪から、活発な印象を振り撒いている少女――否、二十歳の女性は、両手に持っているクレープに目を落としながら呟いた。
「暑いからアイス入りのにしたけど、潤先輩に届けるまでに溶けちゃいそう」
いつものように、目と鼻の先にある公園で購入したクレープだ。いちごレアチーズスペシャルと、抹茶アイス小倉スペシャル。薄いクレープ生地にくるくる巻かれたアイスたちは、かなり汗をかいている。
急ぐ彼女の行く手を、一枚のチラシが舞い踊りながら阻んだ。いつもならば「誰よ、こんな所にゴミを捨てた奴は!」と怒鳴るところだが――、
「夏ねー!」
と、チラシを器用に指とクレープの間に挟み、これまた器用に手の甲と足を使って、職場である事務所の扉を開いた。
「潤先輩! 海へ行きましょう!」
バタンという、扉の閉まる音に勝る音量で発せられた声に、所長室に居たふたりはきょとんとした。そんな事には構わず、恵未は入り口から真っ直ぐ歩き、正面にあるデスク前で止まった。抹茶アイスのクレープと共に、先程拾ったチラシを差し出す。
副所長である潤はそれらを両手で受け取りながら、首を捻る。抹茶アイスは半分液体になりつつあるし、渡されたチラシに書かれている文字は、
「……グアム……?」
「ふぉーらふぇろ、ふぉーひゃふぁいんれふお!」
「うん。恵未ちゃん、落ち着いて喋ろうな?」
窓際のソファーに寝転がってファッション雑誌を見ていた所長が、たまらず声を上げる。その忠告通り、恵未は急いで咀嚼を繰り返し、口の中のものを飲み込んだ。
「そうだけど、そうじゃないんですよ!」
先刻聞き取ってもらえなかった言葉をそのまま繰り返すと、恵未は右拳を突き上げた。
「夏といえば、海です! 《P・Co》が所有している無人島で、遊び倒しましょう! 人喰い鮫とタイマンしたいです!」
「うん。恵未ちゃん、“人喰い鮫”って、存在せんから。落ち着こうか。な? あと、溶けたアイスが垂れとるから……」
恵未が慌ててクレープを下から咥え込む。そんな彼女に、パソコンを操作しながらクレープをかじっていた潤が、プリンターを指差して言った。
「無人島の使用可能日程を出――」
全ての言葉を発する前に印刷された紙を手にした恵未は、泰騎が雑誌の脇に置いていたマーカーで、カレンダーに丸を書いた。
こうして、希望者による無人島バカンスの計画が実行に移されたわけだ。
晴天に恵まれ、絶好の海日和。青少年よ、存分に泳ぎまくるがいい! ってなものだが――、
「なんっで参加者がこんなに少ないの!?」
事務所員全十四人中、参加者は四人。不参加者の理由は、日焼けが嫌だ、デートの約束があるから、面倒臭い、ゲームしたい、折角の休みに疲れたくない、……等々。
そんな中、恵未にとって唯一、女の後輩である祐稀は、恵未にイチゴのグミをひと粒差し出しながら言った。
「私は嬉しいです! 恵未先輩の水着姿が拝めるのだと想像しただけで、貧血を起こしそうです!」
恵未はグミを受け取りつつ、水着新調したのよー、と笑った。その所為で顔面をイチゴ色にして、イチゴ色の液体を鼻から出している後輩に「祐稀ちゃん、船酔い?」とタオルを差し出す恵未。そんな恵未に「お前、マジで鈍いな……」と非難の目を向ける凌。
意味は分からないながらも、バカにされた事には勘づいた恵未が、
「逆に、何でアンタは来たのよ」
と睨む。
「泰騎先輩も倖魅先輩も不在で、誰が潤先輩の手伝いをするんだよ。オレしか居ないだろ。っつーか、一級小型船舶操縦士の免許を持ってないくせに、よく『無人島へ行こう』なんて言えたもんだな」
「うるっさいわねー。泰騎先輩が来ないだなんて、思わなかったのよ」
「あの人の休日が埋まってんの、知ってんだろ?」
「まぁまぁ。恵未先輩も凌さんも落ち着いて下さい」
鼻を押さえた祐稀が間に入る事で火花は止んだが、お互いに目を合わせようとしないふたりに挟まれ、祐稀は困り顔だ。いや、恵未を押さえるように見せかけて、体を触りまくっていた。笑わまいとしている口元が、不自然に痙攣している。
そうこうしていると、島が見えてきた。
会社の所有物なわけだが、小屋などはない。基本的に、サバイバル実習の実施場所となっているためだ。
船を固定し終わった潤は、帰りの時間を告げて島の奥へ入っていった。
「潤先輩、何しに行ったの? トイレ?」
「ちげーよ。来たついでに、島の生態調査をするらしいぞ」
恵未は、先輩と遠泳したかったのにー! と両腕を振り上げる。だが、荷物運べよ、と凌に言われたので、パラソルを担いで砂浜へ走った。
畳んだ状態のパラソルを砂浜に放り投げると、服を脱ぎながら、他の荷物へ近付く。
「荷物出したら、オレも先輩のトコに行くから――」
振り向いたら水着姿の恵未が居たので、凌の言葉が止まる。一般的に想像する水着ではなく――若さのカケラもない、二の腕や足首まで覆っている、黒のラッシュガードを着ているからだったりする。
「駄目よ。アンタはかき氷を作るんだもの」
かき氷のシロップを数種類出しながら、恵未は言う。ペンギンの形をしたかき氷機も、ボストンバッグから顔を出した。
「ぁぁ、もう。分かった。テキトーに氷を置いて行くから……」
ガコン、カンッ、コン、カシャシャシャ。
空気中で製氷した塊をステンレスのボウルいっぱいに置くと、後は勝手に作ってくれ、と言い残し、凌は去っていった。
凌がどこへ行こうと気にしない恵未は、ペンギンのかき氷機をガシャガシャ回し、ガラスカップに氷塊を削り出す。出来上がったかき氷を持って、パラソルを設置していた祐稀の元へ駆け寄った。
「祐稀ちゃーん、一緒にかき氷を食べましょう!」
「あああああ! 大変です! 先輩、今来たら……」
祐稀は叫びながら、鼻血を滝のように流している。着ているビキニも肌も、見る見るうちに真っ赤に染まる。だが、恵未はそれも気にしない。
祐稀にタオルと、かき氷を差し出した。
「祐稀ちゃんって、ホントに鼻血が出やすい体質よねぇ。可愛い水着を着てるのに……あ、海で洗えば…………、あぁー……魚とか、みんな死んじゃうかしら」
それは困るわ。サメとタイマン張れなくなっちゃう。そんな事を言いながら、恵未は血まみれのタオルをビニール袋へ突っ込む。
そして、ふと、何となく気になって、密林の方へ目を向けた。
程なくして、島の奥から地鳴りが轟き、島全体が震度二程の縦揺れを起こした。
やがて、地鳴りに紛れて木のへし折れる音も聞こえ始め……、裂けた密林の奥に巨大な影が出現した。そして、見えた全貌は――、
「……ヌートリア……?」
木々を掻き分け、巨大なヌートリア――しかも二足歩行――が砂浜へ向かって走ってくる。
◆◇◆◇
恵未が、かき氷をガリゴリジャリジャリ削っていた頃――。
「潤せんぱーい、どこですかー?」
Wi-Fiの飛んでいない無人島なので、超アナログ、且つ原始的な方法で以て、凌は潤を探していた。小さな島とはいえ、人の足で歩くとなるとそれなりに時間が掛かる。
だが少し声を張れば、潤は気付く。
凌の期待通り、ものの数秒で潤が現れた。邪魔な長髪は後頭部でひとつにまとめられている。
「凌、早かったな。恵未にかき氷でも作っているのかと思った」
「氷だけ出して、こっちに来ました。…………焦げ臭い気がするんですけど……、何か居たんですか?」
凌が訊ねた直後。草木を掻き分けて、生き物が現れた。上を向いた鼻の穴と、その下にある、覗いた前歯。大人の男と同じくらい大きい、カピバラやビーバーのような生き物。
ヌートリアだ。後ろ足で立ち、歩いている。そんなヌートリアが前足を片方振り上げたと同時に、潤は右手をヌートリアへ向けた。
次の瞬間には、ヌートリアは炎に包まれ、数秒で丸焼けとなった。そして辺りに広がる、独特の異臭。
「血抜きをしていない害獣を燃やすと、やっぱ臭いますね……」
鼻を摘まんでいる凌は、でも何でヌートリアがこんなにでかく……? と首を傾げた。
「大方、農薬部門の研究室が隠れて生体実験していたものが逃げ出したんだろ。しかも、妊娠中の個体をな」
これだから、生体管理を徹底していない部署は……。と嘆息する潤。
「因みに、あれは子どもだ。おそらく、生まれたばかり。ヌートリアは妊娠期間四ヶ月、一度に五匹ほどの子どもを生む。現在、五匹の個体を確認済みだ」
「じゃあ、母親がどこかに……」
凌はひと通り辺りを見回してみたが、特に物音も聞こえない。そんな凌に潤は短く、南だ、と告げると、凌が来た方角――南へ体を向けた。
◆◇◆◇
と、いうわけで現在――南の砂浜には、三メートルはありそうな巨大ヌートリアが出現しているわけだ。
恵未は手首を回しながら、顔は間抜けだけど爪は立派ねー! などと言っている。瞳を輝かせて。
子どもが行方不明で気が立っている母ヌートリアは、鼻に皺を寄せて恵未を威嚇した。恵未が立派だと言った爪は、五十センチほどの長さ。引掻かれれば、ひとたまりもない。
そんな爪を振りかざし、フブビギャァアア、と怒りの声を上げるヌートリア。
人間の勝手で連れてこられたとはいえ……、
「殺らなきゃ殺られるなら、殺るっきゃないでしょ!」
台詞だけ聞けば“仕方なく”と捉えられなくもないが、恵未は実に活き活きしている。
やっと鼻血の止まった祐稀はと言うと、
「ブサカワだ……」
と、こちらもまた瞳を輝かせていた。両手を絡め、ヌートリアを見上げている。
そんな祐稀の頭上を跳び越え、恵未はヌートリアに向かって一直線。通常時よりも三倍は大きくなった右拳に力を込め、ヌートリアの左前足に打ち込んだ。
肉を抉る音と骨が砕ける音が同時に鳴り響くのと寸分違わず、ヌートリアの左前足が宙を舞った。毛に覆われた足の先にある黒い爪が、砂浜に刺さる。
ヌートリアの悲痛な、断末魔のような鳴き声が轟き、砂浜の砂が跳ねた。
一方、前足を狩った恵未はというと――。
「祐稀ちゃん、あげる」
さっきまでの勢いはどこへやら……。大きな溜め息を吐き出しながら、Uターンして帰ってきた。
「どうしたんですか?」
祐稀の問いに、恵未は渋面で答える。
「ノミとダニがすごいの。ただのノミやダニならいいのよ。熊で慣れてるから。ただ、こいつにくっついてるのは、私の手のひらサイズくらいなのよ」
大きさと数を見たら、何だか面倒臭くなっちゃった。と恵未は海水で、血まみれの自分の右腕を洗っている。その血に誘われ、水面から出ている三角形の何かが近付いてきた。
恵未が、鮫来たぁー! と海へ飛び込んだ時――祐稀はビニール袋から、自分の鼻血にまみれたタオルを取り出していた。絞れば赤が滴り落ちそうなそれを手に、地面をひと蹴り。
ヌートリアの顔面に向かって跳ぶ。
ひくつく鼻の穴の奥に、ズポッ、と真っ赤なタオルを押し込むと、手に力を入れて、ぎゅっ、と絞った。
そして、重力に逆らうことなく、砂浜へ着地。すぐさま、鮫と戯れている恵未の元へ走った。
程なくして、潤と凌が到着した。
砂浜には、蟹のように泡を吹いて倒れているヌートリア。死後硬直もまだ始まっていない体は、ぐったりと砂に沈んでいる。
そして、ヌートリアから離れていくダニの群れ。体いっぱいに血を吸って紫色になっているので、手のひらサイズのボールに見える。
凌は「うわっ! キモッ!」と言いながらダニたちを凍らせ、溶ける前に蹴り割って回っている。
「ノミやダニが大量発生している旨を本社へ報告して、対策チームに来てもらうとして……」
潤は海の中で鮫数頭と泳ぎ回っている恵未を眺めつつ、口元を緩めている。
「まぁ、ヌートリアが海を泳いで渡っていなかっただけマシかな……」
無闇に殺すなよ、と恵未に警告すると、潤は余っている氷で、かき氷を作り始めた。
◆◇◆◇
後日、SNSに“一六〇センチのヌートリア”の目撃情報が上げられた。が、倖魅の人差し指と本社の駆除班によって、騒ぎが拡がる前に“巨大ヌートリア事件”は収束を迎えた。
因みに、潤は体の構造上水に(海水でも)浮くことが出来ないので泳げません。
(恵未は潤の為に、体に巻き付ける用に空のペットボトルを持参していました)




