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公爵の執務室を退室しようとした時――。
「公爵! 防衛線が突破されました!」
乱暴にノックもせず、デサロが、血相を変えて駆け込んで来た。俺達は、慌てて壁際に飛び退いた。
「何っ?!」
「東の橋脚の陰から……死角を利用して、川岸の手薄な場所を破られたそうです!」
「何人――いや、何体が侵入したのか、把握出来ているのか?!」
公爵が、防衛線を川の内側まで下げるよう指示を出したのは、自然境界として有効だと判断したためだろう。皮肉にも、その境界が突破された。流石に公爵の表情に、焦りの色が浮かんだ。
「目撃情報では3体ですが……パニックに乗じて、続々と侵入しているとの情報もあり……エルマッハ隊長が現場に向かっていますが……」
情報が錯綜しているに違いない。
「公爵、残った戦力を館の周辺に配置すべきです!」
一息吐くと、デサロは進言というには強い口調で、決断を迫るかのように訴えた。
「それは、村人を見捨てろ、という意味か!」
広げたままの地図の上からテーブルを叩き、公爵は激昂した。
「何を守るべきか……優先順位を決める時です」
デサロも引かない。計算高いアイスブルーの双眸は、喩え下々の命が犠牲になろうとも、主君が助かる道を第一に考えているのだ。
忠誠心は疑うべくもない。だからこそ、公爵は苦い表情で俯いた。グシャリと地図を握った拳が、小刻みに震えている。
「脱出の機を逸した以上、もはやデサロの策に従うしかありません」
カツカツと靴音を響かせて、開いたままの扉からコーネンも戻ってきた。眉間に深く苦悩を刻んでいるが、外見上は冷静だ。恐らく腹を括ったのだろう。
「……コーネン」
「籠城の準備をさせております。公爵、一縷の希望に賭けましょう」
一気に疲労の色を濃くした主を励ますかのように、執事は力強く諭した。
「屋敷の空き部屋を開放してくれ。女、子どもを優先に入れて、窓やドアを塞ぎ、塀の内側にバリケードを……」
「分かってます」
それでも領主としての責任なのか、必至に指示を絞り出そうとするのだが、コーネンに遮られた。
「既に指示は出しております。公爵は、エレイン様とレフトウィングに退避なさってください」
コの字型に構えた館は、執務室がある中央部分、公爵達の居住空間がある左翼部分、そして使用人達が暮らす右翼部分から成り立っている。因みに、俺達の別館は、血塗られた鉤爪という別称がある。
項垂れた公爵の背を抱えるように支え、コーネンは鋭くこちらを一瞥した。
『分かってるな?』
そんな声が聞こえたような気がした。隣で、親父が頭を下げた。訳が分からないまま、俺も腰を折る。
デサロと3人、彼らがレフトウィングに引き上げて行くまで爪先を見詰めた。
「下の作業を手伝うぞ」
完全に足音が消えてから、親父は顔を上げ、俺の背を叩いた。
闇に紛れて館を離れるまで、まだ間がある。人並み外れた馬鹿力の俺達は、土木作業では大いに役立つ筈だ。




