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ー17ー

 こんなに不安な気持ちで満月を迎えるのは、初めてだ。念のため、剣は下ろしてある。身体の奥で高まる不穏な渦を感じながら、石畳で膝を抱える。



 8年前の秋――。

 この地を季節外れの大嵐が襲った。公爵は側近と共に、公務で王都に滞在中で、留守を預かっているのはコーエン執事だった。


 強固な館こそ被害はなかったものの、狂ったように吹き荒れた激しい風に、村の8割の建物が潰れたり、崩れたりした。


 3日間降り続いた豪雨は、普段穏やかな恵みの川を凶暴な破壊者に変え、畑から作物を、小屋から家畜を奪った。更に、村人が身を寄せて避難していた教会ごと濁流に引きずり込み、34人が命を落とした。


 氾濫した水が川に引くと、根元から折れた教会の尖塔が、川の中央の橋脚に引っ掛かっているのが見つかった。塔内に5人の子どもの生存者がいたが、激突した衝撃で橋が崩落する危機が迫っており、誰も近付くことが出来なかった。


『私達が救出します』


 コーエン執事に申し出たのは、親父だった。


 当時の我が家は、親父と5歳上の兄貴と俺、男ばかりの3人家族だった。兄貴の名は、ディラン――愛称は「ディル」。勝ち気でたくましく、優しい兄貴だった。

 母親は、俺が物心付いた時には、既に亡くなっていた。親父の寝室に小さな肖像画がある。栗毛色の長い巻き毛が美しい、優し気な女性だった。


『頼めるか』


 コーエン執事は、疲労が刻まれた表情の中、それでも厳しい眼差しで俺達を見た。子ども達の生命が懸かっている。迷う暇はない。


『はい――お任せを』


 希望を託された俺達は、橋に急いだ。引っ掛かっているとはいえ、いつ外れて流されたり、橋が崩落するか分からない。時は夕刻。間もなく、夜が来る。少しの猶予もなかった。



「――ヴ、ァアッ!」


 回想を断ち切って、思わず呻く。突然、カアッと身体の奥に火が点いた。


「月が昇ったようね」


 冷静なエレイン様の呟きが聞こえたのも束の間、すぐにドクンと、次のうねりが全身を貫き――頭を抱えて床に転がった。熱い!


「グッ……!」


 差し込む月明かりが、石畳を滑る。特別な光線が、俺のスイッチを入れた。


「ヴ……グァゥ……ゥウッ!」


 全身が熱い。身体の芯からバリバリとめくれ、表裏が入れ替わるような――痛みと心地好さが入り交じる。


 いつもは引き千切らんと力を込める鎖がない。破壊対象が無いことは、身体は自由だが、むしろ捌け口が無く、苦しい。苦しい。苦しい、どこかにぶつけたい――!


「ウアアアアァッ!」


 激しい衝動に、叫ばずにはいられない。

 起き上がると、石壁に爪を立て、がむしゃらに掻きむしった。


「――グ……ゥルル……」


 不意に、とろけるような快感が俺を包み、苦しみが癒えていく。流れてきた月光に、背も足も腕も、頭も、どんどん満たされていく――。


「ウ、ゥオオオオ……ン」


 堪らなくなって、雄叫びを上げた。呼応してくれる同族(なかま)はもういないが、遠吠えを止めることは出来なかった。



『ウ、ゥオオオオーン!』


 8年前のあの日――子ども達の救助に向かった夜も、満月だった。

 橋の上で月光を浴びた兄貴は、雄叫びを上げ、焦げ茶色の人狼(ワーウルフ)へ変化を遂げると――そのまま尖塔の中に駆け込んだ。子ども達の悲鳴が、次々に上がった。


『ディル! 止めろ!』


 銀色の人狼に変化した親父は、兄貴の後に続いた。幼かった俺は、まだ充分に変化出来ず、栗毛色の体毛を薄く生やすだけで、橋のたもとに立ち尽くした。


『止めるんだ! 止めてくれ、ディル!』


 尖塔の中から、親父の悲痛な叫びが聞こえた。子ども達の声は、もう1つも聞こえない。


 やがて、獣の争う咆哮が激しく聞こえ――親父だけ1人で戻ってきた。銀の体毛は何ヵ所も血で汚れ、特に口の回りはベッタリと鮮血にまみれていた。


『――親父、ディルは……』


 金色の瞳が、月明かりを受け、濡れているように見えた。最悪の予感に震えながら、俺は咄嗟に橋を駆け出した。


『待て、見るな、ヴィル!』


 橋の途中で、親父は俺を捕まえようとした。それをかわして、尖塔の窓に近づいて、覗き込み――。


『ディルーっ!!』


『駄目だ! 来い、ヴィル!』


『嫌だ! 何でだよ、親父っ!?』


 中に飛び込まんと暴れる俺の腰を抱き上げると、親父は川岸に引き返した。駆ける間に、橋が激しく揺れ出した。最後の数mは、大きく跳躍して、何とか川岸に転がった。


 ガ、ガ、ゴオオ……ォン!!


 程なく、轟音と共に、橋が中央から2つに折れた。橋脚は砕け、尖塔も巻き込まれた。水煙と土埃が次々と舞い上がり――全てが川底へと消えた。


 兄貴の血と匂いが染みた胸の長毛に、顔を埋めて震える俺を、親父の太い腕がしっかり抱き締めていた。そんな親父の身体もまた、微かに震えていた。


 この夜が満月だということを知らなかった訳じゃない。けれども、朝から1日中、厚い雲が低く垂れ込め、月明かりは望めない筈だった。兄貴は、まだ成人(おとな)ではなかったが――理性を奪う月光さえ無ければ大丈夫、と親父は判断した。何より、身軽で怪力の俺達でなければ、子ども達の救出は叶わないとの想いが、判断の甘さに繋がってしまったのだ。


 尖塔の中に見た光景を、俺は今でも鮮明に覚えている。


 翌日、コーネンが王都に送った報告書には、大嵐の犠牲者は40人と記されていた――。




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