ー11ー
別館への通路を駆けて行く。時折、ライトウィングの方から銃声が聞こえた。その度に、胸が締め付けられる。銃声が聞こえなくなった時――それが意味する残酷な現実を、俺はまだ受け入れられそうにない。
「ジャレンを誇りに思うがいい」
俺の胸のうちがバレているのか、エレイン様が静かに呟いた。
「分かってます」
元より親父は誇りだ。しかし、この言葉をかけてくれた彼女もまた、レフトウィングに唯一の肉親を残して来たのだ。それを考えると、俺だけ悲嘆にくれる訳にはいかない。
「お心遣い、ありがとうございます」
応えて、別館の扉に手をかける。この向こうは、俺の住まいだ。
「まだ、無事みたいですね」
辺りを警戒しつつ進むが、化け物の気配はない。居住地の突き当たり――北の塔に続く扉を開けた。本館での阿鼻叫喚がまるで嘘のように、あまりにも普段通りの静けさだ。
塔の最上部まで、螺旋階段を4階分上る。流石に足が重くなってきたが、あと一息、歯を食いしばる。残り15段は、かなりキツかった。最上部に着くと、エレイン様をベッドに下ろして、扉を閉める。ガクンと力が抜けて、床にへたり込んだ。
「……ご苦労でした。礼を言うわ、ヴィル」
「あー、ありが、とう、ござ、いますぅ……」
「――んー、むー!!」
奇妙な声が重なり、咄嗟に飛び起きた。血の臭いはしないが、化け物なのか?
淡い月明かりの中、目を凝らすと――エレイン様のベッドから少し離れたテーブルの下に、白い布袋が転がっていた。小麦を入れる麻袋2つ分くらいの巨大な袋で、声だけではなくモゾモゾと蠢いている。反射的に、剣の柄を握った。
「待ちなさい、ヴィル! これは、私のものだわ」
エレイン様は、スッと立ち上がると、俺とテーブルの間に進み出た。彼女が掌をかざすと、くぐもった呻きを漏らしながら蠢いていた袋が、大人しくなった。紫の瞳がキラリと光ったように見えたが……はっきりとは分からない。
「あ――失礼しました」
つまり、これが皆の言う「エレイン様の荷物」なのだろう。
柄から手を離し、一礼する。
「あと4時間で日が変わるわ。それまで、休みなさい」
やけに正確な時間を告げ、彼女はベッドに腰を下ろした。
「エレイン様。ご存知かと思いますが、明日の夜、俺は地下室に行かねばなりません」
「案じなくともよい。明晩までには終わるわ」
俺の懸念を一蹴し、何故か口角を持ち上げた。「終わる」というのは、何を意味しているのか――この化け物騒動のことではなさそうだが。それとも、彼女の魔術で何か得策でもあるのだろうか。
「1つ、伺ってもいいですか」
異変にいち早く気付けるよう扉の側に移動して、再び石畳に腰を下ろす。
「構わないけれど……答えるとは限らないわよ」
ツンと澄ました顔付きで、俺を見据える。
「公爵様は、満月が終わると都へ向かえと仰いましたが……この塔から脱出する策はあるんですか」
「お前、ジャレンから何も――そう、聞いていないのね」
エレイン様の荷物の件といい、親父は色々と事情を知りつつ、何故か俺には教えてくれなかった。まだ半人前だと思っていたからだろうか。
「勿論、脱出する方法はあるわ。時が来たら、分かるわよ」
素っ気なく答えると、彼女はトサリとベッドに身を投げ出した。元々病弱だと言われている。レフトウィングからの移動に加え、魔術を使ったことは、身体への負担が大きかったに違いない。
格子の付いた窓から差し込む月明かりが、ゆっくり室内に満ちていく。石の凹凸に沿って、不規則な陰影が深く落ちる。エレイン様の寝息が微かに聞こえ――ここだけ、時が止まったようだ。
冷たい石壁に身体を預ける。化け物との戦いの疲労は気だるく残るが、少し休めば回復する。それよりも、ここで「来る時」を待つ間に、親父が化け物と死闘を繰り広げているかと思うと落ち着かない。
体力は、化け物共が迫った時のために温存すべきだと分かっている。頭で理解しているが、気持ちが付いていかない。親父は、唯一の肉親だ。尊敬なんて言葉で片付けられないくらい、俺に取って大切な存在なのに。
膝を抱えて蹲る。もし、親父が怪物と化したら、俺は葬ることが出来るのだろうか。力でも気持ちでも、断ち切ることなんか、出来るんだろうか――。