独走
「待って、戸部さん。ストップ」
俺は戸部さんの独白を一時停止した。明らかに今、話が変な方向に飛んだ。
「……今ん所、もうちょっと戻って話し直してくれない?」
巻き戻ししてもう一度再生。
「そうするなら……罠が一番だろう」
「そう、そこ! そこ、おかしい!」
「え、えーと、どこがですか」
「あ、今、目逸らして、とぼけたな! 自覚はあるんだろ!」
「えーまーはい、確かにあの時の私はどうにかしてました。もうなんか、やけなんですよ、やけ!」
「やけじゃねーよ! やけで男が首まで埋まる穴を掘るか!?」
俺は彼女の話を信じられなかった。何か別に理由があるのではないか、疑った。
「信じてください! 本当にどうしようもなかったんです! わかってください! 複雑な乙女心ってやつなんです!」
目尻に大粒の涙を浮かべる。今とっさに目薬らしき物を後ろに隠したように見えたけどきっと気のせいだろう。
「……まあ、考えに考えた結果、奇行に走っちゃうことってあるよね」
彼女の涙に免じて溜飲を下げた。
「許して……くれるんですか」
「いいよ、いいよ。もっと身近に奇行に走って他人に迷惑かける人知ってるから戸部さんレベルならかわいいもんだよ」
「そ、そうですか、かわいいですか……」
戸部さんが髪の毛の先を摘んでいじる。あぁ、その仕草俺のツボに来るんだよなぁ……。ずっと見ていたいけど凝視していたことを指摘されたくないので早々に視界をずらす。しかしやはりもっと見ていたいという欲望が湧き、再度視界を戻すと目の前に戸部さんの顔があった。
「か、顔近いよ!?」
「ぱいせん……なんで動くんですか……」
「何、何しようとしてるの、君は!」
尻餅をつく俺を戸部さんが覆いかぶさってくる。
「……お礼とお詫びです」
顔を真っ赤にして、目をうるうるさせながら戸部さんはそう返した。
「お礼とお詫びって…………何?」
「……女の子に具体的な説明させるつもりですか?」
戸部さんは目を瞑り、顔を寄せてくる。俺はそれに抗おうに抗えなかった。というよりも抗う気すら沸かなかった。
だって戸部さん可愛いし、唇柔らかそうだし、体中のどこもいい香りしてるし。
拒み理由は何一つ無い。流れに任せて、俺も目を瞑る。
こんなファーストキス、最高すぎるだろ……。
しかし、
「やぁやぁ、お二方、仲直りは済んだかな〜」
扉が開く音と一緒にご機嫌な声が聞こえた。
その声の主は一応、俺の先輩であり上司であり姉である。仲直りの場を設けてくれたのは彼女のおかげであり、結果仲直りどころかそれ以上の関係に進化しようとしていた。そんな敬意を払うべき相手に対して、この時ばかりは俺は初めて、ぶっ殺してぇと思った。
そんな気持ちを察してくれることなく、瑠美音は俺らを見て顔を赤らめる。
「ななな、お前ら、ここで何しようとしてるんだ!?」
しかしそんな殺意もだ、ぐっと堪えて、弁解を始めようとするが、瑠美音は俺の顔を殴る。それもグーで。
「この不埒者ー!学校という神聖な場でなんてことをしてるんだー!」
「ま、待って、瑠美音、まだキスすらしてないんだけど」
「ききき、キスだと!!? けしからん、お前にはまだ早ーーーーーーい!!!!」
耳の穴から脳漿が飛び出して行きそうな凄絶な往復ビンタをされながら、俺は心のなかでツッコミを入れる。
えぇ……恋愛推奨してる人が何を言ってるんですか……。
百発ぐらいビンタを食らわせたぐらいで、
「もうお姉ちゃんはご近所さんに顔向け出来ません!」
瑠美音は号泣しながら体育館倉庫を飛び出して行った。
入れ替わりで平沼さんが入ってくる。ゆっくりと一礼してから、一言。
「……だから言ったじゃないですか、少し荒っぽくなるって」
「なんのことだよ!」
「ツッコミを入れられる元気があるようですね、救急箱を置いていきますので自分で……もしくは誰かに手伝ってもらうといいでしょう」
そう言って平沼さんは救急箱を置いて、とっとと出て行ってしまった。瑠美音と組んでるだけあってあの人も本当に考えが読めない人だ……。
救急箱を取ろうとすると横から奪われる。奪ったのは戸部さんだった。
「手当、私がやります」
止める間もなく、救急箱を開いて手当を始める。
意外にも手際がよく、あっという間に両頬に絆創膏が貼られた。
「ありがとうね、戸部さん。なんかいろいろと迷惑かけちゃったみたいで」
「いえ、遡れば悪いのは私なんです、気にしないでください」
お互い謝罪を述べたところでいよいよ会話の種が無くなる。あんなところを見られたのだ、気まずくてしょうがない。
早々にこの場を退散することにした。この場から一刻も早く立ち去りたいという気持ちもあるが、別の目的もある。
「それじゃあ瑠美音に弁解しなくちゃいけないから」
先生達にあることないことを吹聴されたら退学もありえるかもしれない。俺の身はどうなろうとも関係ないが、戸部さんは別だ。彼女は努力してこの学校に入学したのだ。その努力を水の泡にはできない。
「あ、あの……!」
戸部さんから止められるけど今は急がなくてはいけない。
「また! 校舎裏で待ってますから! 私、待ってますから!」
その言葉に俺は右手だけで了解のジェスチャーを作って返事をし、走りだした。