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シノニム-境界の砂時計短編集-

4月24日 空想の先にある災難

作者: あおかぜ

——君がとても美味しそうに飲むから、欲しいなって思った。


【4月24日 空想の先にある災難】 


正直、さっきから落ち着かない。


「あの、えっと……」


 何て声をかけるべきなのか、僕は考えあぐねている。自意識過剰なだけかもしれない。そんな思いが頭の中を過る。とにかく昼休みが始まると同時に、どういうわけか僕は吉川くんに見つめられ続けている、ようだった。


 流石、と言うべきなのだろうか。クラスメイトに変人と呼ばれているだけあって、彼、吉川透弥の考えている行動が僕にはさっぱり分からなかった。とにかく落ち着かないこの状況。吉川くんは僕の座席の前にある椅子をくるりと後ろ向きにし、そこに腰をかけていた。そして僕の机にひじを立てて頬をつくと、そのまま無言で僕の方を見ていた。じーっ、という効果音が今にも鳴りそうだ。気まずい。いや、非常に気まずい。もうこの状態から、かれこれ10分以上経過している。


 ただ、不思議なことに吉川くんはこっちを見ている割に僕と目が合わない。間違いなく視線は僕の方を向いているはずなのに。この見つめられているような、そうでないような感覚がむず痒い。彼は一体何を見ているのだろうか。


 当初僕はこの昼休み、いちご牛乳を片手に読書か、もしくは次の時間の予習をしようかと考えていた。けれど、吉川くんが気になって結局どちらもろくに手を付けていない。飲み物ばかりが減っていく。せめて、せめて何か話して欲しい。一番辛いのはこの無言空間だ。そんな僕の願いも虚しく、彼は一向に動かず、口も閉ざしたまま、ただじっと僕の方だけを見ていた。


 仕方なくまた一口いちご牛乳を飲む。優しい、を越えて甘ったるい味が口の中に広がった。そのわざとらしい、作られたような味が僕を慰める。そのとき僕はあることに気づいた。今一瞬、吉川くんの視線がほんの少し動いた、かもしれない。断言することの出来ない僅かな変化。気のせいかもしれないが、何だろうと僕はしばし思案する。左手に持っていたいちご牛乳をそっと机の上に置いた。すると、また吉川くんの視線が動いたのを目撃する。今度は確実に動いたのが分かった。おや、と僕は少しの間考える。——ひょっとして。


 僕は机の上に置いていたいちご牛乳を再び手に取ると、そろそろと持ち上げた。吉川くんの視線も一緒になって、そろそろと上がる。適当なところで僕は掲げていたいちご牛乳を下げてみた。もれなく吉川くんの視線も下がる。いちご牛乳を右に動かせば彼の視線も右に、左に動かせば左に動く。


 予想が核心に変わる。——いちご牛乳を見ていたのか!!


 僕は原因を机の上に起き、ため息をついた。何だかどっと疲れてしまった。吉川くんを見ると、今もなお彼は熱心にいちご牛乳を見つめていた。このピンク色なパッケージの飲み物の、何がこんなにも彼の心を惹き付けているのだろう。


「ねえ。そんなにいちご牛乳、気になる?」


 ぱちりとまばたきをして、吉川くんがいちご牛乳から視線を外し、僕の目を見た。ようやく視線が合ったことにちょっと安心する。


「いちご牛乳が、っていうよりも、いいんちょが飲んでたから気になった」


 何とも言えない微妙な回答に、僕は返事に困ってしまった。自分の口元が、若干ひきつっていることが分かる。


「それにボク、そーんなの、飲んだことないし」


 ぽつりと、吉川くんがそう言った。


「……えーと、じゃあ一口飲んでみる?」


 会話をどう繋げるべきなのか考えた結果、僕の口から出てきた言葉は、相手に飲み物を勧めてみるというものだった。多分困った末のごまかしに近い。


「……ちょーだい!」


 吉川くんはそんな僕の様子を気にすることなく、目下いちご牛乳に夢中なようだった。なんとなく目が輝いているような気がする。そんなに嬉しそうなら、こちらも悪い気はしない。


「はい、どうぞ」


 僕はいちご牛乳を手に取ると、吉川くんに差し出した。吉川くんはいちご牛乳を受けとると、早速ストローをくわえる。いちご牛乳のパッケージが少しへこんで、彼が飲み物を口に含んだことが分かった。吉川くんは一体どんな感想を言うのだろうか。そんなことを頭の中でぼんやりと考えた瞬間のことだ。吉川くんが、凍りついたかのように固まった。


「えっ?」


 彼の異変に僕は思わず声をあげる。吉川くんはそのままぴくりとも動かない。


「あの、どうしたの? ひょっとして、そんなに美味しくなかった、とか?」


 僕の問いかけに吉川くんは答えない。彼は錆び付いた人形のようにぎこちなく、ゆっくりと口からストローを離した。そして顔をくしゃりとしかめ、項垂れる。


「だ、大丈夫……じゃない、よね?」


 どことなく、どんよりとマイナスのオーラを漂わせる彼に、僕はおろおろしてしまう。きらきらとしていた瞳を曇らせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。あのとき、安易に勧めるべきじゃなかったのだろうか。後悔という二文字で僕の心が埋め尽くされようとしたそのとき、吉川くんがぼそっと呟いた。


「甘い……」

「えっ」


 思わず聞き返してしまった。項垂れていた彼は顔を上げる。その目にはうっすら涙の膜が張っていた。


「あまい……」


 もう一度、吉川くんは僕の目を見てはっきりと言う。その声は微かに震えていた。


「……うん。甘いよね、いちご牛乳」


 慌てていたところに至極当然のことを言われ、僕の思考は1周くるりと回って妙に冷静になってしまった。当然のように肯定の言葉を紡ぐ。吉川くんはというと、無言で僕にいちご牛乳を突き返した。僕は握り潰して中身が溢れないよう、そっと受けとる。いちご牛乳の受け渡しが終わると、吉川くんはへなへなと力なく机の上に突っ伏してしまった。


「んー、んー……」


 くぐもって聞こえてくる、唸るような声。どうやら彼が受けたダメージは相当大きいようだ。


「あの、ひょっとして、甘いの苦手……?」


 僕はおそるおそる声をかけてみる。


「あんまり、口にしない」


 それは苦手か、もしくは嫌いという意味に取ってもいいのだろうか。僕はぐったりしている吉川くんを見つめる。とにかくなんというか、こんな形で彼の弱点を知ることになるとは思いもしなかった。


「なんか、ただ甘いだけならまだいいんだけどさー、それ、あざとい」


 若干復活した吉川くんが少し顔を上げ、組んだ腕の上から目だけ覗かせる。その視線の先は僕が手にするいちご牛乳。少し恨めしげなのは、多分気のせいではない。


「あざとい……?」


 吉川くんの妙な言い回しに僕は首を傾げる。


「本物のいちごじゃないくせに、いちごですって変に味がアピールしてくる。だから、あざとい。それに胡散臭い」

「あー……」


 なるほど。僕は彼が言わんとしていることが分かり、ちょっと納得した。一口いちご牛乳を口に含んで味を確かめてみる。彼の言う通り、甘い液体からは妙にいちごを強調するような匂いと味がした。


「でも、この人工的な感じがいちご牛乳らしさというか、むしろこれがいいと思うんだけどな……」


 僕がそうぼやくと、吉川くんは不可解そうにいちご牛乳から視線を外し、僕を見た。その表情には信じられない、という彼の心情がまざまざと浮かんでいる。彼は多分、僕の言うことなんてこれっぽっちも理解できていないのだろう。味覚なんて、教えようもないから仕方のないところではあるけれど。


「いいんちょ、悪趣味」

「否定はしないよ」


 一応自分でも、あんまり体によくないものが好きな自覚はある。


「あーあ……」


 吉川くんがまた机の上に伏せる。原因を作ったのが僕なのもあって、ちょっと彼が気の毒だった。


「なんていうか、その、元気だして……?」


 慰めにもならないと思いつつ、僕は言葉を投げ掛ける。吉川くんはまたちょこっとだけ顔をあげると、いちご牛乳を眺めた。


「いいんちょがとっても美味しそうに飲んでたから、きっと美味しいんだろうなぁって思ったのに」


 彼は少しむくれてそう言う。その台詞に僕は苦笑した。


「誰かが持っているものってさ、本当は大したものじゃないのに、魅力的に見えることってあるよね」

「さっき、身を持って経験した」

「……それはそれで、いい経験になったんじゃないかな?」


 少し投げやり気味になっている吉川くんに、僕にしてはポジティブな考えを伝えてみる。そうしたら、不満そうな視線が飛んできた。——下手なことを言うのは止めよう。心の中でそう思いつつ、僕はへらりと適当な笑みを浮かべてその場をごまかす。


「あー、こういうのなんて言うんだっけ……」


 吉川くんのぼやきに、僕はいちご牛乳を飲みつつ考える。


「えーと、隣の芝生は青い、かな? 人のものって確かに羨ましくなっちゃうよね」


 僕は自分の発言に一人納得し、すっかりぬるくなってしまったいちご牛乳を再び飲み始める。しかし吉川くんは何やらまだうんうんと唸っていた。


「んー、んー……。そうじゃなくて。そういうのじゃなくてさー……」


 あれ、違っていただろうかと僕は頭の中で疑問符を浮かべる。と、吉川くんが突然がばっと起き上がった。なにやらすっきりとした様子だった。


「いいんちょ、いいんちょ!! 思い出した!!」

「うん?」

「いいんちょが飲んでたいちご牛乳、ボクが飲む。で、美味しくなくて返したいちご牛乳を、またいいんちょが美味しそうに飲んだデショ?」


 吉川くんがいちご牛乳、僕、吉川くん自身と順番に指で示してゆく。


「うん」


 相槌を打ちつつ、僕はいちご牛乳を飲みきってしまおうと一気に中身を吸う。


「それってつまりさー」


 吉川くんが晴れやかな顔で宣言した。


「間接キス」

「げっほっ!?」


 その後僕は盛大にむせ、止まらない咳や鼻に入ってしまった液体の痛みに悶絶。ようやく落ち着いてきたと思った時には、無情にも休み時間終了のチャイムが鳴り響いていた。本当に、災難はどこから飛んでくるのか分からないものだ。僕は遠い目になりながら、予習の出来なかった教科書をそっと開いた。


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