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トモダチの事情

 抜けるように晴れ渡り、柔らかく日差しが降り注いでいるけれども、強い風が吹き付け、思わず首をすくめてしまうほどに冷える。

 こんな日の夜はいつにも増して、気温が下がる。


 独り眠るベッドの中は、温もりを知っているだけに冷たさが身体と心までしみる。予測できない、その訪れを待つことしかでしかい自分に、またため息がこぼれてしまう。


 ーー会いたい。


 ここのところ、全く音沙汰のないことの理由を思うと、目がくらみ、胃がキリキリと痛む。


 彼女だけでなく、招かざる男も、音沙汰がないことに、もっと早く気づけばよかったのだろうか。気づいたところで、俺は何かできたのだろうか。



「大崎っ!この前、駅前でエライ可愛いの連れてたじゃないか?嫁さん、まだ実家か?羨ましいっ」

 お昼休みで半分照明の落ちた公舎の休憩室で、俺の耳に飛び込んできた言葉に息を詰まらせる。


 大崎さんは一瞬、驚いたように言葉に詰まり、その言葉をかけた相手ではなく、俺を見て、ニヤリと口元を歪めて笑う。


「可愛いだろ?胸はデカイし、モチモチのピチピチだ」


「何だよ、それ羨ましすぎだろ?いいよなぁ、嫁が実家で鬼の居ぬ間にってヤツ」


 黄味を帯びた茶色の長い髪、丸い耳、シャツの襟元から覗く胸の谷間と浮かぶ鎖骨。

 後ろから抱きしめた時にすっぽりと収まってしまう、そのひんやりとした身体。

 その感覚がありありと甦り、それが目の前のヤツも知っているのかと思うと、頭の奥が痺れ、胸が苦しくなる。奥歯をぎゅっと噛み締めて、歪んだ笑みを浮かべる男の前から立ち去った。






 ピンポーン


 短いメールがあったのは20分前。

 ノロノロと立ち上がり、小さなモニターに浮かび上がるその姿をじっと見つめる。


 見当違いな方向に、ブンブン手を振る長い髪の女がいつもなら、映っているけれども、今日の彼女は、だらりと腕を垂らして、ぼんやりと立っていた。


 今度、彼女がここに来ても、インターフォンに応えず、居ないふりをして会わずにいようと決めていた。

 けれども、いつもとは違う様子に思わず、声をかけてしまう。


『おう……』


『あ……、開けてくれる?』

 モニターの彼女は、髪をくるくると指に絡め、言葉もどこか遠い。


 手元の解錠ボタンを押すと、ほどなくして部屋の前で人の気配がする。


「やっほ。今日も寒いね?」

 マフラーに口元を埋めて、頬を紅く染めて、何かを伺うように見上げてくる彼女に帰れとは、言えなかった。


 パタンとドアの閉まる音が響き、彼女は玄関に立ったまま、じっと床を見つめている。

「どうした?」

 頭を掠めたのは、口元を歪めていた大崎さんの顔。

 心の中では、わかっていた。

 彼女が傷つくことを、そして、自分のところにやってくることを、初めからわかっていた。

 そして、そんな卑怯でずるい自分が本当に嫌になる。


 彼女は何も言わずに、下を向いたまま固まったように動かない。


 首もとにぐるぐる巻いたマフラーにさっきよりも、さらに顔を埋めている。


 近付き、少しかがんで覗き込むと、目と鼻を真っ赤にしている。

 驚いたようにパッと顔を上げた拍子に、涙が頬を伝う。


「うっ……、うう〜」

 顔をくしゃくしゃにして、嗚咽を漏らし泣き崩れる。言葉は涙に濡れていて口の中でモゴモゴと聞き取ることが出来ない。


 彼女の辛いとき、かなしいときにそばにいたいから、トモダチでいい。

 そう言ったのは自分。そう思っていたのも自分。そんな馬鹿でいいのか。

 好きな女をなぐさめるだけのトモダチでいいのか。いいわけないだろう。


「いいわけない」

 心から溢れた思いがぽつりと言葉になる。

 震わせている肩を腕の中に閉じ込めようと、手を伸ばすけれど、彼女はゆらりと後退り、溢れて頬を伝う涙をそのままに呟く。


「ダメだよ、やっぱりダメ。無理」


 聞き間違えのない、拒絶の言葉に伸ばした手が止まる。

 彼女の言葉が耳にこだまする。


 ーーダメ、無理。


「言えないよ……、アヤちゃん」

 彼女はドアをパッと開けて、すべるように外に飛び出した。

 俺は出ていく彼女を引き留めることも、追いかけることも出来なかった。




 半分照明の落ちた薄暗い廊下を歩いていた昼休み、大崎さんが前から歩いてきていることに気づく。彼女の涙を思いだし、胸が軋む。

「なんなんだよ?何か言いたいことでもあるのかよ?黙って睨み付けられる覚えはないんだけど」

 悪びれる様子もなく、白々しい言葉を吐く、その面を殴り付けたい思いにかられ、思いを押さえ込むように手を握りしめる。


「重症だな……、今日付き合えよ?」

 ヘラヘラとだらしなく笑みを浮かべて、頭をかいている大崎さんは、じゃあなと手をヒラヒラさせて、立ち去っていった。




「お前のビビりで、ヘタレな話を誰かに聞かれてもいいのかなあ?」

 大崎さんは有無を言わさず、マンションに転がり込む。


 馴れた様子でネクタイを弛め、ソファーにどっかりと座り、

「だし巻きが食いたい」

 等と言う。


『玉子とだし汁を混ぜたら、すぐに焼かないでしばらく寝かせるのよ』


 小さいころから、料理が好きだった。

 初めはお手伝いをすると喜んでくれる母の笑顔が見たかったからだった。

 料理好きな母からいろいろと教わり、何かと出来るようになっても、馴染んだ母の味が好きだった。


 マザコンと言われても仕方がないのかもしれない。



「で?あの可愛いトモダチとはどうなったんだよ?」

 豚キムチを白飯に乗せて、口いっぱいに掻き込んで、大崎さんは言う。


「……」

 思わず、睨み付けてしまう。


「ちなみに、俺が連れてた女の子はお前のトモダチじゃないからなっ」


「えっ……。そんな話、信じられるわけないでしょう?」


「あの子が言ったのか?俺と付き合ってるって?一体、どこに接点があるんだよ?……馬鹿かお前?もうちょっと、俺のこと信じろ?そこまで節操なしじゃねぇよ。……彼女のことも、信じてやれよ?」


「……」


「なんなんだよ?俺の冗談も通じないくらいマジなくせに。……バツが理由か?何かあったのか?……あん時、お袋さんも亡くして、バツついて、お前、誰も話しかけるなってオーラをバンバンに出して、かなり危なっかしくて、心配してたんだ。だんだん、落ち着いてきたけどな……。何がどうなってるんだよ?」


「……マザコンなんっすよ、俺は。母親の病気で実家に入り浸るようになって、美也は……、あいつは、お母さんと私、どっちが大事なの……ってなったんですよ。そんなの余命宣告された母親に決まってますよ……」


「なかなか、人の死って身近に感じられないもんだからな。……俺も嫁のじいさんが死んだとき、じいさん、じいさんって騒ぐ嫁にイラついたわ。そういうことって、あんまりないからな」

 カラリと大崎さんは、グラスを傾ける。


「……もう、無理だったっすよ。俺にはあいつがホッとしてるのがわかったんですよ。母親が死ぬのを待ってたように思えて、もう、一緒にはいられなかった」


「そうか……」


「四十九日が済んで、同級生に飲みに誘われたけど、全然そんな気にならなかった。姉があんまりにも心配するから、半ば追い出されるみたいに無理やり、出掛けた先で、久しぶりに会ったんすよ、彼女。明るくて元気で、頭悪そうで、可愛かったんす。訳のわからないこと言い出して、俺のこと、女に興味のないゲイでよかったつって、しょっちゅう来るんすよ?俺の作る飯をウマイウマイって、佐川さん、ありがとうとか言うんすよ?」


「……佐川さん?」


「彼女、看護師なんすよ。入退院繰り返してた病棟にいたらしくて、優しい人だったねぇとか、言うんすよ?ニコニコ笑って、料理上手だったんねぇとか……」


 彼女と会うたびに、母の笑顔と温かさが鮮やかによみがえり、母を思うことがつらくなくなっていった。

 どんどん気温が下がり、秋の気配が濃くなる長い夜に、彼女はやってきた。

 なぜか、さみしさが一人で耐えられない夜に、狙い定めたように、彼女はマンションにやってきた。


 母を思い、教えてもらった料理を作る。彼女はそれをニコニコと頬張り、ぽつりぽつりと語る母の話を静かに聞いていた。


 彼女がいてくれてよかったと、思ったことは一度や二度とではないのだ。



 だからこそ、繋がりを断つことができずにいた。

 彼女の辛いときにも、支えとなりたかった。


「……お前さ」

 大崎さんの提案に、俺は口に含んでいたビールを思い切り吹き出した。


 それでも、その提案は、妙案であることに間違いはなかった。



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