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トモダチの温もり

「スミマセンねぇ〜、毎度毎度」

 はぁっと大きなため息をこぼされるけれど、さらっとスルーしておく。


 セミダブルのベッドは決して狭くはないけれど、180センチくらいはありそうな偉丈夫な彼と中肉中背なわたしが一緒に入ると、スプーンを重ねて並べたようにぴったりとくっつく。


「おー、ぬくい、ぬくい」

 彼に背中とおしりをぴったりと沿わせ、冷えた足は彼の足にのせて、温める。


「おー、快適、快適」


「……さっさと、寝ろ!」


「いやはや、本当に神様に感謝だよ。あぁ、同窓会を企画したアヤちゃんかなあ?」

「俺に感謝して、さっさと寝ろ」


「スミマセンね、一緒に寝てくれなんて誰にも頼めなくて……、佐川くんには、迷惑かけちゃうね」


「……。俺は明日も仕事なんだよっ!迷惑だとわかってるなら、さっさと寝てくれ」



 佐川くんは、高校の同級生だ。

 卒業してから、ちょうど10年ということで、開催された同窓会で、再会した彼は既婚者だった。


 細くひょろりと長かった色白の彼は、分厚いメガネをかけていた。部活は確か、バレー部かバスケ部で目立つタイプではなく、あまり話をした記憶はない。


『あんな子いた?』と同窓会で女子はざわめき、同時に左の薬指に光る指輪に舌打ちをした。

 細かった肩はがっしりとたくましく、くっきりと浮かぶ鎖骨、引き締まった口元と整った顔、優しい黒い瞳。


 わたしもちょっと驚いた。


 いつだって、いいなと思う男には彼女か妻がいるのだ。

 世の中、そんなもんだ。



 そんな佐川くんに積極的に話しかける勇敢な女子は大抵、既婚者だ。

 わたしは夫どころか、なかなか、彼氏を見つけることができず、見つかっても長続きしない。


 市立病院の看護師として働いて六年目、病院での出会いは皆無に等しい。

 一緒に働く看護師はほぼ女性。医師は頭がいいせいか、わたしとはかなり思考回路が異なる。早い話、合わない。ちょっといいなと思う医師は間違いなく既婚者。

 あとは、患者さんだけれども、みんな病気だ。しかも、平均年齢はわたしの主観だけれど70歳くらいだと思う。つまり、患者さんは病気の高齢者、恋愛対象にはならないのだ。

 つまり、わたしには出会いはない。


 友人に頼み込み、飲み会をセッティングしてもらうけれど、なかなかいい出会いはない。


 それなのに、友人達は次々に結婚していき、子供が産まれ、飲み会どころか、遊んでもくれない。

 今まで見たこともないくらい幸せそうに笑う友人に会うのも、やわやわと壊れてしまいそうな赤ちゃんを見るのも、とても楽しいけれど、帰って一人で眠るときになって、無性に怖くなる。


 ーーわたしは、ずっとここままなの?と。



 佐川弥生さん、55歳、女性。

 乳癌、左胸と腋下のリンパ節を摘出して化学療法をしていたけれど、癌は肺と骨に転移。食事が取れなくなって、緊急入院。点滴による補液目的。


 市立病院では、外科病棟では特に珍しいことじゃない。

 毎日、どこかの病棟で誰かが旅立っている。

 だけれども、患者さんやその家族にとっては、緊急事態で異常事態だ。


 ーー佐川くんも真っ白な顔でやってきた。


 家事と子育てをニコニコとこなす、優しい人だったのだろう。

 わたしたち、スタッフにも優しく気遣う、自分が一番、つらいのに

『ありがとう。看護婦さんってすごいわ』と微笑む。

 癌が蔓延り、いつ砕けてもおかしくない背骨、ベッド上での生活を余儀なくされる。

 食事も排泄も、すべてベッドの上で誰かの手を借りなければならない。


 自分でしていたことを誰かにしてもらわなくてはならない苦痛。思うように動かなくなっていく、いつだってどこかが痛む身体。少しずつ増えていく鎮痛剤、少しずつ減っていく身体の厚み。

 それでも、わたしたちを労い感謝の言葉を口にする。


 こんなとき、わたしは神様はなんて意地悪なんだと思う。


 ーー悪いことした、嫌な人だけが病気になればいいのに。


 時々、夕方になると仕事帰りと思われるスーツのまま、病棟に現れる佐川くんは、わたしに気づいているのか、いないのか、全くわからなかった。

 呼び止めて、『佐川くんでしょ?』なんて言えるわけもなく。

『有沢?』と声をかけられることもない。

 佐川くんは、『よろしくお願いします』と帰るときに詰所に声をかけていくだけだ。


 佐川さんの死期は決して遠くはない。

 担当看護師と本人と、その家族に今後の方向性について、癌専門看護師と主治医も交え話し合いの場がもうけられた。

 わたしは担当ではないので、その報告書をパソコンで読み、その内容を知る。


 自宅での最後を家族は望んでいる。本人は介護の大変さを、家族への負担を心配している。訪問看護と嫁に出ている長女が一緒に住み、独立していた長男も、実家に戻り、夫は定年目前の会社を早期退職して、一家みんなで、佐川さんをサポートしていくことになった。

 なんとも理想的で、佐川さんが家族に大切に思われていること、そしてまわりの家族の強さの伺える内容だった。


 ーー嫁はどうした!?


 そんな大きな疑問が浮かんだけれど、すでに整ったことで、波風立てることもない。まぁ、姑の介護なんてしたくないよね……。



 佐川さんが旅立ったと病棟の誰かから聞いたのは、退院してから1ヶ月も経たない夏至の頃だった。

 いつまでも、太陽は空にあって、沈んでもまたすぐに昇ってくる。

 夏至の太陽みたいに佐川くんもすぐに元気になるといいなと思ってた。


 アヤちゃんから、飲みに行こうと連絡をもらったのはちょうど8月の半ば、世間でいうお盆というやつだ。

 病院にはお盆休みなんてないから、わたしにはまるでその感覚がない。

 けれども、お盆に実家に帰省することは一般市民の常識のようだ。


 春の同窓会で繋がった友人たちと、もう少しこじんまりと、居酒屋に集まった。


 そのとき、佐川くんはテーブルのはしっこに座って、ぼんやりビールを飲んでいた。

 きっと、どこかで誰かが言ったのか、みんなはほんのすこし、佐川くんを避けているような、気を使っているような、そんな雰囲気ごあった。


 ーー身内を亡くした人にかけていい言葉なんてわからないよね……。


 時々、思う。

 わたしの仕事の特殊さは、現代だからこそ。死があまりに遠い。

 わたしはいつだって、そばにある。

 だからこそ、生きてるんだって思う。


「佐川くん、おっす!」

 弾かれたようにあげた顔は、驚いていても整っていた。

「あ……、有沢さん」

「佐川くんってさ、男前になって、わたし、びっくりしちゃったよ」

「……え?そうかな……」

「まじで、まじで。今、何してるの?前の同窓会、あんまり話しできなかったし、近況報告会しょっ!わたしは看護師、六年目、未婚独身!彼氏絶賛募集中!!……いやっ!むしろお嫁さん募集中!!って感じ?」

「……酔っぱらってる?」

「いや……、まだ一口も呑んでませんが……」

 佐川くんが、ドン引きしているのは十分承知していたが、まぁ、まだ夜はこれからだ。いっぱい飲もう。

 わたしは、たくさんしゃべった、しゃべってしゃべってしゃべりまくった。

 そして、ガンガン飲んだ、飲んで飲んで飲みまくった。28歳の成人女性のさらすべき醜態ではないと十分わかっていたけれど、アヤちゃんに全幅の信頼を寄せ、わたしは心おきなく醜態をさらした。


 はて?ここはどこだ?

 気がつくと、見知らぬ部屋。

 いつの間にかアヤちゃんは引っ越しをしたのだろうか?いやっ、すっきりと片付き、洗練されたインテリア……。片付けられない女のアヤちゃんの部屋であるわけがない。

 静かにエアコンが冷たい風を送り、快適な室温。いつも目が覚めたら首筋にじっとりと汗をかくのに、ノースリーブのシャツの襟元もデニムのショートパンツの腰回りもサラサラしている。

 つけると冷えすぎるわたしの部屋のエアコンとは性能が違うのか?

 じっとエアコンを見つめていると、ガチャリとドアが開いて、入ってきたのは佐川くんだった。


「えっ?佐川くん?」

「おはよう。大丈夫?」

「はて?ダイジョウブです?」

「……もしかして、覚えてないとか?」

「ははは……」

「……どこから?」

「えーっと、居酒屋で唐揚げ食べて……」「……それから?」

 頑張れわたしっ!思い出せっ!何食べた?何話した?

 佐川くんは、わたしをじっと見つめる。その黒い瞳に、少し悲しい色が浮かんでいた。その瞳……。

 記憶がひらめくように脳裏に浮かぶ。

「あぁ!バーに行ったわ!それから……、佐川くんの手に指輪がないことに気づいて……、離婚したって聞いて、佐川さんの話しになって……あれ?反対?佐川さんの話しになってから、指輪に気づいたんだった?」

 記憶は曖昧で、霞がかかったようにはっきりとはよみがえらない。


 ーー女は無理だ……。

 とても冷たい目をして吐き捨てるように呟いた佐川くんの声がはっきりと浮かぶ。


「あぁ、佐川くん、ゲイだったんだね。ちゃんと覚えてるよ、うん、大丈夫。大丈夫」

 なるほど、酔っ払って佐川くんの部屋にいるにも関わらず、こうして服を着て、一人で寝てるのは、佐川くんがゲイだからだ。納得した。


「……は?」ぽかんと口を開けて、佐川くんは固まっている。


「大丈夫っ!誰にも言わないからっ!公務員の佐川くんにとっては、こんなことばれたら大変だもんっ!」


「……いやっ!そういう問題じゃなくて」

「でも、よかった。佐川くん、ゲイで。わたし、佐川くんのこと好きだから!」


「はぁ?何いってんの、おまえ?」


「だって、ずっと友達でいられるから。誰かそばにいてほしいときとか、辛いときとか、悲しいときとかね?いつでも呼んでよ?」

 彼氏だとすぐに終わりが来てしまう。別の女の子がいいとか、もう、わたしじゃ嫌だとか、だから、友達のほうがずっといい。


「……お前の恋愛遍歴を垣間見た。いろいろとツッコミどころは満載だな……」頭を抱えたまま、はあっと大きなため息をこぼした彼、佐川くんとめでたく無事に友達になれた。


 それから、もう二回目の冬……。



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