1.はじまり
通報のあった路地には、点滅する街灯に照らされて死体が一つ転がっていた。血だまりにうつ伏せで顔をうづめている。少し離れ、五十郎が売りビルの壁に寄りかかってタバコを吸っている。辺りを見渡してもいるべきはずのもう一人がいない。
「忠志は?」
「近くを調べに行かせた。血の気のない顔は見るに耐えないからな」
「そう。で、これはなに」
「死体だ」
そんな事はわかる。呆れて五十郎を肘で小突くと面倒臭そうに話し出した。
「通報者は酔っ払いの三十六歳男性。近道をしようと迷い込み、死体を発見。近くに怪しい人物はいなかったって話だ」
五十郎は短くなったタバコを血だまりに落とすと、死体の短髪を掴み持ち上げて顔を明らかにした。被害者はどうやら中年の男性のようだ。スーツ姿なのと近くに落ちている手提げ鞄を見ると、仕事帰りの会社員と推測できる。男の首の側面には死因であろう切り傷が刻まれていた。
「鋭利な刃物で頚動脈を一切り。これが致命傷みたいだな」
「身元は?」
「さあな。今調べる」
五十郎は乱暴に死体を裏返し、ジャケットに手をいれて探りだした。
「待って」
五十郎は屈んだまま、手を止めて不思議そうに貝を見上げる。
裏返す時にシャツの裾がめくれて見えた背中に、血痕が付着しているように見えたのだ。シャツとジャケットに傷はなく、それが不自然に思えた。
「背中、服をまくって見てみて」
五十郎は言われた通りに死体をもう一度裏返してシャツをまくる。果たして、血痕はあった。それも見覚えのある文字が綴られている。
ソルテス言語だ。貝がそう気づいたと同時に、血の文字が溶けるように消えた。
「離れて五十郎!」
貝が言い終わる前に死体の腕が動いた。死体は完全に油断していた五十郎の左腕を掴み、口から血の泡ぶくを吹き出した。指先が腕に食い込み、五十郎の顔が苦痛で歪む。
「こいつ、死んでないのか?!」
死体だと思っていた男は声にならない濁音を発し、もう片方の腕を五十郎の首に伸ばす。危険を感じた貝は男の横っ腹を蹴り飛ばし、五十郎から離した。
「気をつけろ、普通の力じゃないぞ」
五十朗は左手をかばいながら注意を促した。普通じゃない事ぐらいわかる。ぶちまけている出血の量からして、動けるわけがない。男は首と口から血を流しながらも立ち上がり、こちらに向かおうと手を伸ばしている。
「警告は必要ないな」
貝は腰から抜いた拳銃を構え、冷静に胸部に狙いを定めて引き金を絞った。銃声が轟き、弾丸は男の左胸に命中した。しかし男は少し仰け反っただけで足を止めない。焦点の合わない目からは、動揺も痛みも感じられない。
「脚を撃て!」
五十郎に従い、右脚に狙いを移し発砲した。弾を受けた衝撃でバランスを崩した男に、五十郎がナイフを手に素早く立ち上がり喉元を突き刺す。そのままナイフを持った右手を引くと、裂けた首から血が更に噴き出した。
男は流石に倒れ、びくびくと痙攣を始める。もう動きはしないだろう。貝と五十朗は戦闘体勢を解き、それぞれ武器を納めた。
「腕は?」
「ああ、多少えぐられたが大した事はない。爪の手入れをしてくれていたおかげでレザーは突き破らなかった」
「で、これはなに」
「……死体だ。魔法使いが悪戯をしたな」
五十朗は再びタバコを取り出して火を着けた。僅かながら動揺しているようだ。
「それも今では珍しい、ソルテス言語を使っていた。確かにフラウ言語やアリトス言語では死体を動かすのは難しい」
「ソルテス言語だって? そんなアンティーク物を使うなんて相当なマニアだな」
「わざわざマッチで火をつけるあなただって似たようなものでしょう」
「俺にゾンビをつくる趣味はない。犯人はネクロフィリアか?」
「魔法使いはネクロフィリアよりもクズで最悪だよ。奴らに生かしておく価値はない」
貝は無表情でありながらも吐き捨てるように言った。それだけで魔法使いに憎しみを持っている事がわかる。
「俺達は魔女狩りをやっているわけじゃないんだぞ。あくまでも法を犯した魔女を逮捕するのが目的だ」
「わかってるよ。悪態ぐらいついたっていいでしょう。なにも規則違反したわけじゃないし」
「さっきのゾンビは警告してから撃つべきだった」
「息の根を止めたのはあなたでしょ。それにあなたをおかずに私も食べられたら嫌だし。死にたいのなら部屋で首を吊るなり、他の方法を選んで」
五十郎は貝の言葉に憤る様子もなく、やれやれと空に向かってぷかっと煙を吐いた。その時、貝は背後に人の気配を感じて、瞬間的に振り返り銃を構えた。脇道から人影が飛び出し、貝と向き合うように拳銃を構える。しかし貝はその人物が判明すると、呆れたように銃を下ろした。
「銃声が聞こえたんで。なにがあったんです?」
「死体を殺した。背中に呪文が書いてあるから残っている血を採取して登録してある魔法使いか調査して」
貝はまだ銃を構えたままの忠志を脇を通り過ぎ、現場を後にした。
「コツはな、吐かない事だ」
五十朗も忠志の肩を慰めるようにぽんと叩いて、貝の後に続いた。前より派手にぶちまけられた血と、損傷が酷くなった被害者を見て直志は思わず顔を背けた。
「はあ……。またグロテスクに仕上げてくれたもんだよ」