帝都浮遊鐡道営団
「間もなく発車致します。閉まる扉にご注意願います」
誰もいないプラットホームに向かって声を上げるあたし。
「駆け込み乗車はご遠慮願います」
いちおう決まりだから。
「本日も、帝都高速浮遊鉄道を御利用頂きまして、誠に有難う御座います。本高速浮遊鉄道は、午前九時参拾分発、全席指定、帝都第六天階層中央駅行き七百弐拾八号で御座います。第伍天階層到達迄壱時間四拾五分、同階層湖水地方駅へは正午に参ります。其の後森林地帯を抜け、再上昇を行います迄参拾弐分……」
今では何も考えなくてもすらすら言える。あたしは、幾度となく繰り返してきた台詞をいつもと同じ調子で喋り続けた。
「扉よーし。ホームよーし」
あたしの合図を見て取って、運転士がゆっくりと列車を発車させる。
少しずつ、音もなく浮かび上がる車両たち。重さを全く失ってしまったかのようなその列車は、壱米突ほど浮かび上がると、今度は前進を始めた。
どの客車を見ても、お客様なんか居やしない。
「いってらっしゃいませ」
私は速度を上げて去り行く列車に向かい、深々とお辞儀をした。
駅舎を抜けたところで列車は高度を上げ、瞬く間にあたしの視界から掻き消えた。
~~
かれこれ弐年。
女学校に上がるほど頭の出来が良くなかったあたしは、田舎の学校を卒業してすぐ、単身帝都に渡った。そうして今、あたしは『帝都浮遊鐡道営団』の職員として働いている。
帝都東京は空中都市。
幾つもの階層が上に連なっている。浮遊鉄道は帝都民の大切な足なのだ。
地上に暮らす物好きは最早殆どいない。あたしが今立っている第四天階層はまだまだ低いけれど、それでも此処から地上に降りるのは一苦労。
それぞれ異なる高度に位置する各階層を行き来するのは、簡単な事ではないと思う。最上階層は天空に浮いているとの噂で、もし其れが本当ならば地続きですらない。
上へ上へと伸ばし続けたあたしたち人間の住処、之れから何処まで伸びて行くのやら。
「次の高速浮遊鉄道は、壱時間後の発車となります」
あたしの受け持ちは、在来線駅舎とは別の場所に在る高速鉄道専用駅舎の発着場。
第四天階層発、第伍天階層経由、第六天階層中央駅行き。あたしが入社する壱年前に鳴り物入りで開通した鉄道だ。
詳しい事は知らないけれど、何でも現代の科学技術の粋を集め、お偉い方々が沢山のお金と時間を使い、ようやく完成したものだという。
天上への優雅なひと時を。
此れが開通時の宣伝文句だった。乗車は少々値が張るけれど、全く手が出ないという程でもない。広くて大きくてふかふかの座席。古今東西の美味珍味を楽しめる食堂車。乗務員による行き届いたもてなし。帝国最高の快適な中空の旅を経験できる最新の高速浮遊鉄道だ。
なのに、乗客は殆どいない。
なぜって? そんなもの決まっている。
庶民のあたしたちには、物見遊山で此処より上を訪れる事が許されていないからだ。
此処で毎日浮遊鉄道を見送っているあたしも、実のところ、上の階層がどのような所なのか、全然知らない。
だって、行った事がないのだから。
高貴な上の方々が庶民階層に下りて来られることはめったにない。だから、此のような鉄道は無駄なのだ。贅を極めた無駄な鉄道、何故造られたのか、あたしにはさっぱり判らない。
ううん、きっと上弐階では沢山の往来があるのかもしれない。其れもあたしの想像でしかないけれど。
「ねえ、此の鉄道、走らせる意味があるのかしら」
いちど、無邪気にもそう訊ねてみた事がある。
「おいおい、僕の仕事がなくなっては困るよ」
運転士見習いは笑って言った。彼はいつの日か此の鉄道を運転する事を夢見ている。
あたしと同じ庶民の彼が、果たして最上級高速浮遊鉄道を運転させてもらえるのかどうか、怪しいものだ。
「それに、君の仕事だってなくなるよ。女性がホームに立つなんて、此処ぐらいなものだ」
そう。弐年前、営団は乗客数向上への梃入れのため、業務員に女性を加える事にしたのだった。
御髭の乗務員は唯でさえ評判が悪い。お偉方を呼び込むにはもっと華が必要だ、営団はそう考えたらしい。
そうしてあたしに白羽の矢が立った。
「あたしは、何時首を切られてもおかしくないわ」
運転士と違い、あたしには芸も能も何もない。にこにこと微笑みながらホームに立ち、鉄道を見送る事しかできない。
程なく営団は、あたしなど必要ないと知るだろう。其の時の事を考えて、暗い気持ちになった。
そんな時。誰かが大慌てでホームに駆け込んで来た。男性だ。
「お早う御座います。御客様の御案内をさせて頂きます、多美と申します。乗車券を拝見致します」
この言葉を発したのも、久しぶり。
「ああ、御嬢さん。御構い無きよう。乗車券は汽車内で買うとしよう」
「いえ、御客様。本高速浮遊鉄道は、御先に乗車券を御買い求め頂くのが決まりとなって居りまして」
「ほう」
男性は、あたしの言う事を全く聞いていないかのようなぽかんとした表情で、上方をじっと見つめている。
「あの、御客様。乗車券が有りませんと御乗り頂けませんが」
「………………」
「階下の中央切符売り場にて簡易にお買い求め頂けますので。御入用ならばわたくしが御助け致します。さあ、こちらへどうぞ」
そう言って階段の方へ男性を連れて行こうとしていたあたしに向かい、男性が突然ぺこぺこと頭を下げだした。
「乗せておくれ、お嬢さん。お頼み申す! この通りだ!」
「そのような事をおっしゃられましても、本鉄道の決まり事ですので……」
「僕が此処に居ては困るのだ! 何と為らば僕は現在世界中を回って居る筈なのだから!」
「わたくしにはそのようなムヅカシ事は判りかねます……」
「貨物車両でも良いのだ!」
「此処から出る鉄道に貨物車両は有りませんので……」
「ならば車両の下にへばり付いてでも良い! 兎に角此処から……」
「何だね。問題でも?」
あたしの上司、駅舎係長が、あたしと奇怪な男性の押し問答を見つけてやって来た。
「僕は乗客だろう! 貴君等は駅員だ。乗車拒否など馬鹿げているとは思わんか!」
「……身分証明を願います」
「僕はかつて上階層に住んで居ったのだ! 本当だ!」
「ですから、身分証明を願います」
「世界の一大事だぞ! こんな所で僕に足止めを食らわす貴君は、其れが世界に如何に重大なる影響を及ぼすか、まるで判って居らん!」
「それは大仕事ですな。では身分をご証明なされ、切符をお買い求めになってから、存分にお働きなさい」
駅舎係長は乗務員室に男性を連れて行ってしまった。訪れるお客様といえば、こんなヘンテコな人ばかり。
~~
「ふぁ……」
あくびが出てしまって、思わず手で口を押える。あたしは慌てて辺りを見回した。
いけない。お客様がいなくても、今は勤務中。あたしは両手でほっぺたを軽くぱんぱんと叩くと、制服を整え、直立の姿勢を取ってホームを向いた。
ちょうど最終列車がホームに滑り込んで来る。流石に最新の鉄道だけあって、物音ひとつしない。
「浮石の上昇出力がね、これまでとは段違いなんだ」
技術者さんがあたしに自信たっぷりに説明してくれた事があるけれど、あたしにはさっぱり判らなかった。
「まもなく列車が到着いたします。危ないですから、どなた様も白線の内側まで御下がり下さいます様、お願い申し上げます」
あたしは先頭車両がホームに入ると同時に深々とお辞儀をした。
ふわふわ。ホームと鉄道の間から巻き起こる風が、スカアトを揺らす。
着ている制服はあたしのお気に入り。こんな上質な服、あたしはどれだけ働けば自分で買えるようになるのかしら。
「扉が開きます」
誰も降りては来ないだろう。そんな風に思っていたけれど。
「あら……御客様。ようこそ、帝都第四天階層へ。くすっ」
降りてきたのは、真っ白な子ネコ。どうやって乗り込んだのか判らないけれど、澄ました顔で悠然と列車から降りて来た。
「御空の旅は、如何でしたか? 又の御利用、心より御待ち申し上げて居ります」
ネコに向かい、再びお辞儀をする。どのような方であっても最大限におもてなしをするのがあたしの務め。例え相手が人間でなくっても。
「なーご」
ネコちゃんは、あたしの方を向いて可愛くひと鳴きすると、階段の方に走って行った。
其れと同時に、壱日の仕事を終えた最終列車が倉庫に向かいゆっくりとホームを出て行く。
さあ、今日のあたしの仕事も此れで終わり。
今日のお客様はさっきの白くて可愛いチビ助さんだけ。
あの子にとっては、階層の差なんて意味がないのかしらね。
そんな事を考えながら、あたしはホーム向こう側、眼前に広がる広い雲海と眩いばかりにきらきら光る帝都の夜景を見つめていた。
ヤマなしオチなし意味少し
大正九拾九年第四弾。
奇妙な男の正体は前作をご覧ください。(連載ものにすべきかもしれませんが)